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白銀の残光 -pLatonic Clematis-  作者: BatC
第二章
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何もない日





新技術の急激な流入が起こす問題は大きい。


急速な工業化は地域の伝統産業を破壊し、文化という面ではその国を衰退させる原因となる。


かつての江戸から明治にかけての日本では、西洋から輸入された機械式の紡績機が、それまで家内制手工業によって支えられていた製糸業界を席巻した。


この結果・・・低品質な糸を作っていた工房は勿論の事、高品質な糸を作る職人ですら、その大多数が職を追われる事となってしまったのは、比較的有名な例だろう。


それを分かった上で、急速な工業化を推し進めなければならない理由など、挙げ始めればキリが無いが、それでも上手い事職人の保護とそれらを両立しなければならない。


それは単に利益だけで無く、各々の利権が絡んで来るから面倒な事この上無い。職人の文化的価値を分かって貰う事の難しさと言ったら・・・まだ使いもしない数式の暗記をしている方がまだマシだ。


割り切ってしまえば簡単な事なのだが・・・まあ、将来の文化遺産に対する投資だと考えれば、少しはやる気も起こるものだ。










この日より数日の間、王国全土、いや、全世界に衝撃が奔った。


「古代兵器軍・・・以降ラクシアと呼称する・・・との対話が成立、ツィーア・エル・アルタニク伯爵はコレと相互防衛協定、大規模な商談を取り付け、既に各作業に入っている」


というメッセージを携えた早馬が全土を駆け回った為だ。


アルタニク伯爵領議会は直ちに対応し、すぐに資材の発注、建設計画の策定に作業員の応募、更に・・・初期資金となる出資金の募集を行った。


領政府からの発表に、領民は最初こそ疑心暗鬼になったものの、とある者が途轍もない額の投資を行なった事が知れ渡ると、徐々に彼らも動きだし、どうにかして上手い汁を啜らんと行動を始めた。


工房は凄まじい勢いで熱を放ち、与えられた設計図を基に様々な部品を生産してゆく。


建設予定地の湿地の外縁に、長大な木杭を打ち込み、板を立て土石を放り込む事で区切り、水を汲み上げる為の風車塔を幾つも建設し始める。


作業船が水草を刈り、埋め立て地に基礎となる大岩を投げ込む。


この時代では珍しく昼夜問わず作業が続けられた。その結果、灯りとなる蝋燭の消費量は過去最大どころでは無く、これまでの最高値の4倍超えを記録し、領内の蝋燭の供給が追いつかず、平時ならば逆に輸出する側である程の生産量を誇るアルタニク伯爵領が、それを急ぎ外部に発注するという、前代未聞の事態が起きていた。


まあ、商人を初め、殆どの者たちは嬉しい悲鳴を上げている、という所か。唯一、初期投資が地味に響いているアルタニク家及び、伯爵領財務官を除けば。


「金は天下の回り物、とは良く言ったものだと思うな」


昔の人は、箪笥の底に小判を敷き詰めても意味は無いという、循環型経済の仕組みを、ちゃんと知っていたのである。


「・・・そうは言ってもね、エリィ・・・そのりたーん?を回収するまでに財政崩壊を起こしたら、意味は無いのよ?そもそも、元手を回収出来るかも確定事項では無いんだから・・・」


さて、俺達としては・・・それにばかり喜んでいる事も出来ない。何故ならば・・・。


「で、エリィ、この話、信用するの?」


そう、あの日・・・つい先日、喫茶店で、赤髪の少年、レズンから渡された封書。


問題はその中身であった。


「信用するも何も、アレは脅迫状だ。無視する訳にもいかんし、信用し切る訳にもいかん事は明白だろう?」


簡単に纏めると、本日から二日後、満月の夜にレーヴェ河沿岸の迎賓館にて待つ、一人で来ること、であった。勿論、エリアス・スチャルトナと名指しで。


そして、もし来なかった場合・・・。


「・・・どうやら、アレは腐れ外道の質だったらしいな」


何者かのどす黒い血液(・・・・・・)で書かれた一文。


"もっと面白い事をしようと思う"と、共に・・・まだ乾かぬ血肉がこびり付いた(・・・・・・・・・)一枚の人間の爪が同封されていた・・・。










さて、今日の俺はといえば・・・針と糸を手に縫い物の真っ最中だ。


「・・・エリアス、縫い物なんて出来たんだ」


「馬鹿にするな、真面に裁縫をする程度には指先のコントロールは得意だ」


ちくちくと、ひたすらに等間隔で斜めに・・・まつり縫い?だったかの縫い方で二枚の布を縫い合わせてゆく。


布は例の・・・メルから受け取った古代の遺物。


無茶苦茶布地が硬いので、上手いこと編み目を探して針を折らない様に通す際に、化繊製の糸が引っ掛かり、穴が割れてしまったのだった。


全く、もう少し頑丈な針は無いのか。気を遣って仕方が無い。


「・・・鋼製の最高級のやつをポキポキ折る、その布とエリアスの腕力が問題だと思うよ・・・」


と、まあ俺が恰も力任せにやっているかの様な妄言を吐くちっちゃい奴の事は放って置いてだな。


まあ、今こうして作っているのはスィラへとプレゼントをする為の手袋だ。とびっきり頑丈な。


上手いこと彼女の手にフィットする様に採寸し・・・多分サイズは大丈夫だとは思う。


飛龍の皮がどれほど頑丈なのかは知らないが、これには恐らく強度的には敵うまい。


衝撃を考慮せず、切れるか切れないか、撃ち抜けるか抜けないかを考えるならば、コレは普通の刃物ではまず切れないし、受け止めるだけならば貫通力特化型小銃の小口径高速徹甲弾程度ならば受け止める事が出来る。数世代前のボディーアーマーよりも余程優れた性能だ。コレを使ったボディアーマーは、確かクラス6とされていた気がする。


因みにクラス5は数世紀前の40口径から50口径弾を受け止める性能、クラス6はクラス5でも受け止める事が出来ない対ボディアーマー弾を受け止める事が出来る、特殊仕様の代物・・・だったような違った様な・・・。


閑話休題。


故に裁断にはとても、とても苦労した。まず此方の鋏では切れない。


本来であればナノソー・・・刃の周囲に分子レベルのモーターブレードが装備された備え付けの工具・・・で切るのだが、生憎そんな気の利いた代物は無い。


ではどうしたかというと・・・。


「・・・本当にカルマは良い剣だと思うよ。あれだけやって傷一つ付いていない」


と、目の前の机の上に横たえられた、黒光りする鞘を持つ短剣に目を遣る。


一昨日か、この布を持って帰ってきた俺はスィラの手を採寸、印を付け・・・ギコギコと擦っても切れなかったので、無理矢理切る事を余儀無くされた。


まあ、何をしたかと言うと、布を地面に押し付け、このカルマでザックザックと刃を立てて思いっきり振り下ろし、叩き斬った訳だ。


半端な力では切れなかったので、それこそ地面に布ごと手首まで埋まる位の力で叩きつけた。その結果・・・。


「・・・朝から何かと思ったよ・・・どぉーんどぉーん、って・・・巨人が足踏みしてるのかと思ったよ」


と、計らず近所迷惑な事をしでかしてしまった、という訳だった。


流石に石畳の上でやると損害も大きそうであった故、芝生の上でやったのだが、後で空いた大穴を埋め戻す作業に時間を取られて、朝飯が抜きになったというのはご愛嬌。


「そうでもしなければ切れんのだ、仕方が無いだろう」


間違えて指に刺すことなど滅多に無いが、もし仮に刺さっても針の方が負ける位に肉体強度が高いので、あまり気負わずに、精度のみを追求して縫う事が出来る。


その降りで、指貫が無くとも硬い布を縫えるというのも便利だ。指先の皮膚に少し魔力を通してやるだけで、多少めりこむ事はめりこむのだが、全く痛く無い。


「・・・ねぇ、その短剣・・・カルマだっけ?そんなの持ってて、エリアスは大丈夫なの?」


前から気になってたんだけど、とニーレイが少し体を引きながら首を傾げる。


「・・・何がだ?」


手は止めず・・・と言っても、なまじ並列思考は自分でも吃驚する程苦手なので、返すことが出来るのは生返事程度。


「・・・それ、日に日に、時間が経つ毎にとんでもない魔力を溜め込んで、もう剣じゃ無い、全く別の物・・・神器ほどの神格は持ってないけど・・・この世でトップクラスの危険物になりつつあるんじゃないかな、それ・・・」


「・・・これがか?」


何か大層な事を漏らし始めたので、一度針と布を置き、剣を手に取る。


黒光りする銀製だった(・・・)鞘と、同じく・・・いや、何か違う・・・斑点の様に艶を失った鍔、そして・・・こんな硬かったか?このグリップの革・・・赤黒く変色しているのは、もしかすると俺の手汗だとかその手の物が影響しているのかも知れないが・・・何か改めて見ると昨日と違う、いや、毎日見た目が違うな。


「エリアスはさ、その剣に触る度にゴッソリ魔力を吸われてるってまず理解してるよね?」


・・・本当に?


体内の魔力の流れを確認・・・確かに、カルマを握っている手の先に魔力が流れている。それもかなりの量・・・なのか?


「・・・別に大した量でも無い、意識しなければ感知できない程の僅かな量だからな」


涼しげな金属が擦れる音と共に、刃を抜く。


鞘よりも黒く、叩きつければ亀裂に従って割れてしまいそうな程に深い亀裂で描かれた幾何学模様の周囲は、まるで油染みの様にそこだけ色が濃く見え・・・光の当たり具合の問題だろうか、少し蠢いている様に見える。


「・・・ただの黒染めのナイフだろう?」


勝手になった物で、それはとても不思議な事だとは思う・・・が、多分、魔術的な反応らしき事が起こったのだろう、と勝手に俺は思っているのだが。


化学的反応でも、何かの色が変わる例などいくらでもあることだし、と。


「・・・絶ッ対にわたしに近付けないでね、それ」


「・・・まあ、刃物だからな。そんな意味も無く人に向ける程、私は野蛮ではないぞ」


いやそうじゃなくてね・・・、というのはよく分からんので無視し、刃を収めて机の上に放る。


ギチギチ、と何か変な音がしたのは、恐らく気の所為だろう。


「・・・はぁ、まあいいっか・・・そうだ、昼ぐらいにミムルが話があるから昼食後に声掛けてって」


「ああ・・・」


心当たりは無いが・・・まあいい、滅多な事では無いだろう。


会話が途切れた事で、何と無く視線の在りかを探して窓の外に眼を置く。


先程からテラスから響く水音からの予想に違わず、未だ午前中なのにも関わらず薄暗い外は、ざぁざぁと酷い雨が降りしきっている。


雷でも落ちそうなくらいに、空は黒かった。


・・・雷か。そういえば、魔術には火や水や風、土光闇と六種類大きく分けられているが、電気などを扱う物はあるのだろうか。


「・・・ニーレイ、雷の力を利用する様な魔術は無いのか?」


「・・・雷?」


布の切れ端を身体に巻いて遊んでいたらしい、簀巻きになってテーブルの上を転がっていたニーレイが顔を上げる。


「・・・光魔術じゃなくて?」


・・・光魔術は電気を使うのか?


いや、光魔術は基本的にアレは単なる光の筈。攻撃魔術の『ホーリーカノン』とてアレは超高エネルギーの光の塊の熱を利用した魔術。


絶縁崩壊から放出された電子に電流が流れる放電現象である雷とは根本的にメカニズムが異なる筈だ。


・・・実は光魔術が電子を操る魔術だとすると、それはまた面白いことなのだが。


「・・・雷は光子が空から落ちてくる現象じゃないの?」


・・・どうやら、この世界の雷の概念はそれらしい。


この世界では、存在すると言われている、いや、存在する魔力が光属性の性質を帯びた物を光子と呼んでいるらしい。


俺が知っている、電磁波の一種である光の量子状態を指す光子(フォトン)とは根本から異なる様だ。


「・・・雷は少し違う」


そもそも電気というのは何か・・・と分かり易く説明するのは結構難しい事だ。いきなり電荷がどうのこうのと言われても、事前知識が無い者にそれを理解しろと言うのは、少々酷な事だ。


まあ、この際原理的な事は良い。


「・・・電気は、古代の主たるエネルギーの形態の一つだよ。ユキやメルの電子頭脳や関節部モーター、更には攻撃ヘリ(レヴェンガ)のプラズマターボから装甲車(インヴェイダー)のプラズマタービン、小さいところなら・・・古代の灯りやその他生活必需品を動かす・・・まあ、この世界で言う、魔力のポジションに収まる様な物だ」


汎用性では更に上を行くがな、と。


「生物も僅かに生体電気として、極めて微弱な物を持つが、基本的には外部で科学的、化学的に発生させられた物を利用する・・・その辺りが魔力とは大きく異なる点だな。それから、特定の機器を用いて、そこそこ教育を受けた者ならば誰にでも使える点・・・大方はそんな所か」


発電の原理は・・・幾つか種類はあるが、ここでは比較的初歩的な化学電池と電磁誘導方式に触れるだけで問題無いだろう。


「磁石は分かるか?金属にくっ付く石だ」


「うん、それは分かるよ・・・指南板に使ってるのだよね?」


ところで、この時代にはまだ本格的な方位磁石という物は無い。地磁気の存在も、そもそもの磁気という物の存在も明確にはされていないのだ。


磁鉄鉱という、鉄を引き寄せる不思議な石の存在は知られているが。


そんな中で・・・この時代にしては変わった物がある。


魚の形をした板を水に浮かべると、その口が大体南の方を向く、という道具だ。


方位磁石の原型とも言える品物で、これもまた東方から輸入された物らしい。


小学校か中学校の頃か、実験として磁気を帯びた針を水の上に浮かべ、擬似的な方位磁石を作る実験をした事がある者もいるだろう。それその物である。


さて、鉄などを引き付ける磁石だが、まずその引きつけられるという現象が起きているからして、そこには何らかの力が働いていると考えるべきだ。


即ち磁力である。


磁力とは何か、と言われて電荷の運動がどうのこうのと言われてもわかる人間は少ないかも知れないので、兎に角、電荷という名の素粒子が物質の中を動き回ると、磁場、つまりはある一定の強さの磁束・・・まあ、砂鉄を磁石の近くに撒く実験で見える線の様な形のそれが放出される、という事だ。


「・・・その磁束の中で導体・・・つまりは、その電気が流れる事が出来る物を動かし、変化させると電位差、つまりは電気を押し流す力が働き、電気が生じる」


これが俗に言う電磁誘導である。永らく人類のエネルギー生産を担った発電方法の基本原理だ。かなり端折っているのは仕方が無い。俺は電気を使うことは好きだったが、電気その物には興味が無かったのだから。


「それを使うと、色々な機械を動作させる事が出来る。回転運動を起こすモーター、光を放つランプ、熱を出すヒーター、変わったものでは熱を板の前後で交換するペルチェ素子・・・まあ、他にも色々と利用方はあるが・・・大電力を用いて物質をプラズマ化する事で、非常に細かいレベルでの物質のコントロールや、大量のエネルギーを取り出す技術もある・・・」


ぽかーんとしているニーレイの顔を見て、一気に喋り過ぎたか、と一人でに苦笑して、彼女の身体に纏わり付いていた布切れの端を引っ張る。


「あーーーれーーーー!」


そのネタは流石に古いと思う。


「電気を発生させる仕組み・・・つまりは発電機は、何も電磁誘導を用いた物だけでは無い。先程から言った様に、電気を用いてする事が出来る仕事の中身を反転させれば、逆に電気を起こすことが出来る。運動、熱、圧力、光、化学・・・様々なエネルギーを変換可能な点も、電気の便利な所だろうな」


と、話している間は止めてしまっていた作業を思い出し、針を再び動かし始める。


「運動エネルギーを変換させるのが一番容易い。ここで主に使われるのはタービン・・・空気や液体の運動を捉えてそれを回転運動に変換する機構が、最もメジャーだ。製造もメンテナンスにも問題は然程無い、現行技術でも十分製作可能だろう」


タービン、つまりは一方向の運動を回転運動に返還するそれを考えた奴は、恐らく人類史上最高峰の天才だろう。水車然り、風車然り・・・。


などと考えていると、ちくり、と案の定、喋りながら考えながら作業をしてしまった所為か、指先に針を突いてしまう・・・が、刺さることは無かった。


「・・・またやってしまった」


刺さるどころか、ぽっきりと先が折れてしまった針から糸を外し、新たに取り出した針に糸を結び直す。


指先には傷一つ無かった。


「電気・・・新エネルギーねぇ・・・もしそんなのが普及したら・・・その時が、封建魔術師優遇社会の終わりね」


一番喜ぶのは獣人じゃないかな?と、自分も魔術師サイドの存在であるにも関わらず、どちらかといえば楽しそうなニーレイ。


「誰でも使えるエネルギー、豊かになった庶民は更なる進歩と利便性を求める・・・時代の主役の交代ね、王侯貴族から市民へ」


「妙に楽しそうじゃないか、ニーレイ。もしかすると、存在意義を追われる側になるかも知れんのに」


何をするのやら、折れた針の先を集めて並べながら、彼女は鼻唄なんぞ歌い出す。


「その電気系の技術と魔術の融合、そんなテーマも面白そうかなって思ってさ。そうすれば魔術師だってまだ食い繋いで行けるよ・・・尤も、あくまで技術系のお話だけど」


もう政治は懲り懲りだからなぁ、なんてなんとも情けない顔で苦笑いを漏らした。


「あんな世界なんて、態々鼻摘まんでまで覗き込むもんじゃないよ」


そうだな、と適当に相槌を打つ事で、会話を軽く切る事にした。


「・・・暇だな」


「嵐の前の静けさ、ってヤツじゃない?・・・外は今でも嵐だけど」


そう言われてふと窓の外を再確認すると、何やら雨足は更に強くなり・・・雷が落ちたのか、遥か遠くの空が小さく光った。


「・・・電気技術、か」


これからのアルタニク伯爵領では生産可能に、あるいは必要になるかも知れない。


石油があるならば、火力発電も出来るし、河川や運河が数多く張り巡らされているならば、蒸気タービンを回す為の大量の水も容易に手に入る。


作るなら、今度の工場予定地に増設すれば・・・。


と、そこで勝手にそんな計画を立てている自分に気付き、小さく嘆息し、表情を緩めた。


「ツィアが決める事だな、今度、少し入れ知恵してやれば良いか・・・あと・・・」


眼を細め、窓から河の方角を睨む。


「・・・アレを殺す算段もつけんとな」


卓の上では、カタカタと短剣が震える音に、ニーレイが後ずさっていた。










雨の日は憂鬱。


誰がそう決めた訳でも無く、たまたま単純に憂鬱な日と雨が重なっただけかも知れないが、兎に角、今の気分は憂鬱であることに間違いは無かった。


「予算は下りた、後は実行するのみ・・・って時に、まさか治安の問題で足引っ張って来るなんて思っていなかったわね・・・」


何度目か既に分からぬ溜息と共に、ペン立てに差した羽ペンの尾に指先を当て、くるくると弧を描き回して弄ぶ。


「・・・レグロ氏の事ですか?」


護衛として今日も連れ添ってくれている、エリィの付き人、スィラ・レフレクスの呟きに軽く頷いたツィーアは、行政府の己の居室の卓に小さか擦過音と共に肘を突いた。


「・・・余程私の事が嫌いみたいね」


何者かを嘲笑う様な、しかし、どこかその表情は自嘲気味である。


「・・・まあ・・・犯人の目処はこっちだってついてる訳だし、その・・・あの手紙を寄越した奴はわかって居るんでしょ?なら、兎に角それをやっつけてやればいいでしょ」


「・・・そう上手く行くと良いのですがね」


ふと、スィラがその金色の瞳に真剣な色を浮かべ、虚空を睨む。


「・・・エリィに勝てる奴なんて、居るの?《スクウィッド》だって敵じゃ無かったエリィに・・・」


狭い、とスィラはツィーアの視点を危惧する。世の中には上には上が居るという・・・真なる頂点など、存在するかも分からない。


「・・・自分の世界観のみで物事を測るのは危険ですよ、ツィーア嬢」


スィラの世界観で語るのも、あまり褒められた事では無いが、より多くの世を見てきた彼女の持つ視点の方が遥かに高みにあるのは事実だ、と考える。


「私ごときでは力の一端も測れない程の者が、世には星の数程居ます。例えば・・・ヤールーンには魔王が居る」


魔王。


誇り高き獣人族が、傲慢な吸血鬼が、排他的な長耳族が、恐るべき技術を持つ妖精族が、高い生産力を持つ小人族が、種としての超越者たる竜人族が、その他凡ゆる魔族と呼ばれる種が、我らの王と敬う存在。


その所以は・・・。


「ただ強い。負けたことが無い。侮った者たちには決して容赦しない、圧倒的な存在・・・統治はせずとも君臨する・・・それが、ヤールーンの王です」


こんなことを人に話したのは初めてかも知れない、いや・・・主にも話していない、と今更ながらに気付く。


「・・・その魔王は、ヤールーンがうちの国と戦争している、っていうのに、何もしないの?」


魔王の存在は知られていれども、その正体は人間界において全くと言っていい程に知られていない。


誰もそれを語る者も居らず、そしてその本人も表には決して出てこないからだ。


「・・・もし仮に我々が供物と共に助けを求めれば、王は助けてくれます。しかし、それは・・・強者に媚を売る事だ、そんな不名誉な事など出来ない」


いつの間にか口調から敬語も抜け、熱を持った様子でまくし立てる。


「戦闘の矢面に立っているのは、沿岸部に住む獣人達だ。内陸の魔族その他からすれば関係の無い出来事・・・仮に我々が負ければ、その時はまた別だろうが」


「・・・それってすごく非効率的じゃない?素で戦力の分散をしちゃって・・・」


その指摘に、ふん、と不満気に鼻を鳴らし、理屈上ではな、と肩を心なしか落とす。


「・・・後ろに控えている魔族はな、根本的に魔術を使うことが出来ない獣人を見下している。人間と同じだ。そのくせプライドと、自己顕示欲は強い・・・靴を舐めて一生服従しろ、とまではいかんだろうが、そんな事など平気で宣うだろうな」


魔族と獣人、その仲があまり良くないというのは偶に聞く。


魔族の方は別に獣人を特別嫌っている訳では無いらしい、が、獣人は魔族があまり好きでは無いという。


その理由がコレだ。魔族は獣人達を下に見ているし、獣人達はそんな視点で自分達を見てくる魔族があまり好きでは無い。


一般倫理的な部分では人間に近い獣人は、人の血を吸ったり、淫夢を見せて精を奪ったり、人を足蹴にしてでも何かに執着し続けたり、生きたまま人を食うこともある者達を嫌悪するのは当然の事かも知れない。人間とて、学者然とした妖精は兎も角、そんな非倫理的なことを平気でやらかす魔族には、良い感情を持っていない。


そのくせ、彼等は自分のやることなすことに口を出されると、簡単に手を出してくると来た。扱い辛い事この上無い。


「だからニーレイも・・・と、口が滑り過ぎた・・・忘れてください」


半ば唖然としていたツィーアは、唐突に冷静な調子に戻ったスィラの意外な内心に小さく目を剥く。


「・・・ニーレイも、そうだって言うの?」


「・・・所詮、彼女は学者であり、尊敬する物は神秘のみ。彼女が主に付き纏っているのは、主が、エリアス・スチャルトナの存在に神秘が纏わり付いているからであって、主の人間性に惹かれたという訳では無いでしょうね」


卓の上の香茶は既に冷め、湯気の痕跡は消え去っていた。


「誰もが、種特有の傲慢さを持っている。魔術が使える事、寿命が長い事、速く走れる事、特殊な技術を持っている事・・・私とて、人間や大概の魔族より力はあるし、武技の一つを取っても上に立てる自信があります。そう言える程に私は努力したし、経験も積んできたつもりです。だから・・・弱者を見下したくなる気持ちも分かります」


窓際にゆったりと歩み寄ったスィラが、雨足の強まる外を望む窓に顔を映す。


「慈しみの気持ちと人を見下す気持ちは似ている。同じ感情を正負の意味合いを態々付けて呼んでいるのかと思う程に・・・」


背後の窓に映るスィラの顔色は、背を向け執務机に向かうツィーアからは見えない。


彼女も彼女で、額に手を当て下を向いている。


「・・・見下す事が辞められないなら、私はそれを自覚しつつ、更なる高みに行く」


ギシリ、と窓枠の木が軋む音。


「上に立つ、少なくとも見下すべき者全ての頭頂を見下ろすまでは・・・」


って、と一瞬の間の後、声の調子が戯ける。


「・・・最初の目標ですら、まだ遥か先ですが」


私も世間知らずですよ、とやや恥ずかしそうに言う。


「・・・十年やそこらでは、達することが出来る領域も高が知れているという事です」


兎に角、と話を区切る。


「ツィーア嬢は統治者なのですから、もっと思慮深く、力という短絡的な手段が無くとも政事が滞り無く行える様に努力を絶やさぬ事が必要ではないか、と私は思います」


などと、少し最後は早口でまくし立てた彼女に、ツィーアは微笑ましく思って薄く口の端を吊り上げる。


「・・・ありがと、スィラ。私、ちょっと焦ってたみたいね」


普段はエリアスによって霞みがちであるが、ツィーアとて、常識から考えれば万に一人といない様な美少女なのである。


そんな彼女の優し気な笑みを直視してしまったスィラは・・・思わずと言った様子で目を逸らす。


「・・・別に・・・ただ、愚かな判断をされて割りを食うのは市民と私達なので・・・」


そして、幼気な少女の笑み・・・スィラの主が見せる笑みは、どちらかと言うと、ニコリ、では無く、ニヤリ、といった方の歳不相応な可愛げが無い笑みであり、それでも十二分元が元なので綺麗なのだが・・・こうまで純粋なスマイルを向けられたのは、スィラにとって、少し眩し過ぎた。


「ふふ・・・わかってるわよ」


一体どっちが歳上なのやら、何故こうも中身が成熟した子供だらけなのか、コレを育てた親の顔が見てみたい物だ、とスィラは頬を膨らませる。


「はーあ・・・じゃ、警備の基本骨子の再編から始めようかしら、地道にやるしか無い物ね」


そうして自らの本業に戻った彼女の後ろ姿を眺め・・・スィラは瞳を閉じ、口の中で小さく、誰にも聞き取れぬ程の声で呟く。


「・・・何時になったら届く・・・あそこまで・・・」


誰よりも切実な焦燥感を持つ者の胸中は、未だ外気に触れる事は無く、ただ呑み込まれるのみであった。











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