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白銀の残光 -pLatonic Clematis-  作者: BatC
第二章
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蠢く邪意

最近はただ寝たいという欲求しか湧いてこなくなりました


翌日、夜中に衝撃の告白からの手下になります宣言の上、馬鹿(スィラ)が騒いだ所為で一睡も出来なかった関係で、未だ瞼が重い。ちくしょう、将来背が伸びなかったらこいつらの所為だからな。


あの後スィラにくどくどと説教を垂れ、ニーレイ関係の事情説明をし、その後ツィーアが再びスケルトンの襲撃を受け・・・気付けば太陽が水平線から顔を出していた。


・・・研究室時代、徹夜明けの窓から射し込んだ陽光が忌々しくて仕方がなかった事を思い出した。・・・レポート・・・締め切り・・・うっ、頭が・・・。


嫌な事を思い出した。忘れよう。


「おはよ、エリアス」


そういえば昨晩、アレ以降姿が見えなかったニーレイだ。一体どこで何をしていたのやら。


頬の近くに寄ってきたと思えば、ちゅ、とキスをしてきた。・・・何故?


「妖精の口付けは幸運の象徴なんだよ?」


へぇ・・・本当に幸運になるのか?


「・・・もし、口付けした程度で本当に幸運になれるんだったら、毎日わたしは自分の手の甲に口付けしてると思うよ」


・・・単なるジンクスか。まあ、そうだよな。というか、そもそもこんな可愛らしい妖精に口付けされる事が幸運というか、幸福なのではないだろうか。


さて、少し輪から離れ、ニーレイと二人の内緒話だ。


内容は自己紹介。身分の紹介で無く、己のスペックの紹介だった。


言わずもがな、彼女の最大の価値は転移魔術だ。そしてそれに耐え得る莫大な魔力量。闇意外の属性の魔術は使えず、闇魔術でも攻撃系魔術は苦手であるとの事。しかし、補助魔術は得意であるらしいので、どんどん頼ってくれ、という。


しかし、転移魔術には制約がある。魔力量の関係もあるが、そもそもリスクが高い魔術なので、乱用は控えて欲しいという。例えばたまたまそこに居た人と混ざったり(・・・・・)、鳥が居てこっちの身体に埋まってしまったり・・・など。だから緊急時や、どうしても使いたい時にだけするべきである、と。


戦闘時は、相手を地面の中や岩の中に吹っ飛ばして即死させる一撃必殺技がある。かべ の なか に いる。


なんだそれエグいな、と思ったが、存在力が大きい物、例えば魔力を多く持つ魔術師などは、魔力も食うし、転移までのタイムラグが長いので、あまり有効では無いらしい。


まあ、戦闘ではあまり期待しないで、とは本人の言だ。


()るならスィラやエリアスがやってくれるんでしょ?」


と、この言い草である。まあそれもそうなのだが。


それから、あの消えた銀貨のカラクリを教えてくれた。


「『記憶の収納庫(メモリアルストレージ)』って言うの。闇属性上級魔術」


闇属性上級魔術『メモリアルストレージ』は、かなり特殊な魔術だ。


その特徴は物品(アイテム)の収納。通常持ちきれない様な物でも、魔力と、そして脳の容量(・・・・)があれば魔力にそれを変換、収納することが出来る。


あの銀貨を例に取ろう。銀貨がニーレイの手に渡った瞬間、彼女は『メモリアルストレージ』を行使、それを魔力に変換後、己の記憶、脳の中に収納した。


記憶力が尽きぬ限り、様々な物を己の頭の中に収納することが出来る、極めて便利な術だ。しかし、現状、この術を使う者は極めて少ない。


何故か・・・実を言うと、この術は闇魔術の中でも筆頭に数えられる程、危険な術であるからだ。


この術の一番危険な部分。それは脳の容量を途方も無く消費してしまう事。


例えば銀貨一枚を手にとって見よう。形はほぼ円形。銀色。表面にびっしりと刻印が掘ってある。傷がある。整形に斑がある・・・この銀貨一つにどれだけの情報が含まれているか・・・想像出来るだろうか。


CGグラフィックなどで考えると分かり易い。ポリゴンで構成されたそれは、それこそ一目でCGと分かる様な荒い物から、本当にCGか?と人間の目には見分けがつかない程に精巧な物もある。


現実と一切見分けがつかない程のポリゴンで構成された物を考えよう。


そのデータ量は天文学的数字に登るだろう。いや、再現できる限り再現しようと思えば、無限大に発散すると言っても良いかも知れない。


人間の目は、約五億七千六百万画素もの解像度を持っているという。実際脳に処理されると、七、八百万画素程度で落ち着くらしいが、それでも莫大なデータ量だ。


そんな画素数で構成されたポリゴンのデータ量・・・考えるのも億劫になる。


『メモリアルストレージ』を使うと、そのポリゴンを構成する莫大なデータ量が脳に一気に飛び込んで来ると考えても良い。はっきり言ってどうなってしまうのか、恐ろしくてやってみようとは思えない。


多分、普通の人間がやれば、すぐに脳がパンクする。・・・脳が容量オーバーを起こす事象など見たことも聞いたことも無いが・・・どうなってしまうのだろうか。


「あー、なんか目とか耳とか鼻とかから血噴いて死ぬか廃人になるよ」


サラッと言われた。怖すぎるわ。絶対やらんわ。


それから怖いのは、記憶として収納する関係で、忘れてしまうと取り出せなくなってしまうという事。取り出せずとも、それは脳の容量を圧迫し続けるので・・・と、最悪な事態が発生してしまう事もある。


だから、危険なのだ。己を殺すリスクが大き過ぎる。・・・使いこなせればそれは便利であろうが・・・。


ニーレイという達人をもってしても、収納出来るのは硬貨程度の小物が精々であるという。ましてや、俺などはそもそも闇魔術は苦手中の苦手なのだ。やろうと思っても出来ない可能性の方が高い。


廃人にもなりたくはないしな。


「ま、後で物入れか何か買ってよ。それに持ち物いれるから」


・・・俺のお古の小物入れではダメなのか?


「主従でも初期投資って大事だと思うの」


ちっ、こいつ地味に面倒くさいな。・・・それに、これはこいつが気に入らなきゃ嫌、と言って高価な物を要求して来る流れだ。


・・・初期投資なんて資本主義的な言葉、どこで覚えたのだろうか・・・。


まあ、良い。気にし過ぎても毛根に悪いだけだ。


「あとさ、名前なんだけど・・・」


昨日言っていたフルネームの事だろうか。ニーレイ・プリンシピア・・・オブスクラム?だったか。長い名前だと思う。


魔族(わたしたち)にとっての名前・・・心の名前(ピュアネーム)は神聖な物なの。だから、その・・・無闇矢鱈に口に出さないで欲しいっていうか、秘密にして欲しいっていうか・・・」


・・・風習的な何かなのだろうか。まあ、そういう文化なら別に構わないが。


心の名前(ピュアネーム)は、本当は家族とか、本当に親しい人にしか教えない物・・・だから不特定多数の、特に人間には知られたくなんだよ。・・・スィラはちょっと特別な立場の人だからか知ってたけど・・・」


ほう、なら親しみを感じてくれていると見て良いのだろうか。それは嬉しく感じるな。


・・・ん?何故スィラの話が出てくるのだ?


「あれ?知らないの?スィラは・・・って、コレは勝手に喋ったらわたしがヤバそうだから・・・」


気になったら本人から聞いてね?と逃げた。なんだ。意味深な事を。藪蛇の匂いしかしないぞ。


まあ、兎に角その本名、プリンシピア・オブスクラムの部分は秘密、と。理解した。


内緒話はこれで終わり。戻ると、出発の準備を終えた皆が待っていた。


少しツィーアが何かを察知し、勘繰る様子を見せたものの、襟の中から頭を出したニーレイの放つ、「それに関しては絶対に喋れません」オーラを感じ取ったのか、素直に追求の手を引っ込めた。


その所為でちょっと拗ねてしまったが。


結果、暫くの間ツィーアのご機嫌取りが必要となったというのは、まあ・・・中々厄介な仕事であったが。


「頬っぺた膨らませてると・・・そりゃ!」


「ぶふぅ!?何すんのよーッ!!!」


・・・ニーレイが相変わらずだった。よし、俺も混ぜろ。


傍観するより混じった方が楽しいのだ。ツィーアの顔をおもちゃ(・・・・)にすべく・・・俺はツィーアに飛び掛かった。










「ふぅ・・・」


時は正午。日課の各種書類を読み、認可のサインをする仕事に一段落を付け、使用人にお茶を持って来て、と指示を飛ばす。


この辺り、既に目線で伝わるレベルの回数こなした仕事であるからか、使用人の手際は良い。


もう四十代に差し掛かる者だった筈。付き合いも・・・もう数年単位か。


ソーサーに乗せたカップの中の茶を揺らしながら黙考する。


最近、真人教の表立った活動が激減した。


水面下ではどうかは知らない・・・いや、表の活動を削り、裏の動きを活発化しているに違いない、と、エルク魔術学校校長、ケイト・ヴァシリーは推測する。


真人教に限らず、大きな組織が嫌に大人しくなるのというのは、必ず何か目的があると相場は決まっている。それも、他の活動をやめてそれに注力しなければならない程に大きな事を、だ。


真人教という組織は、一般的にはかなり受け入れられている。社会福祉にも、統治にも大きく貢献しており、寧ろこの国は真人教無しでは回らない段階へと達している。


当たり前の様にそこにある組織。それが真人教なのだ。


だが、()を知る者から見れば違う。


掘れば掘る程、後ろ暗い物が出てくる。暗殺、誘拐、虐殺、拷問、簒奪、破壊活動・・・口に出すのも悍ましい所業ばかりである。


権力保持、そして異端者狩り。大体の目的はこの二つに収束するだろう。


教皇の権力は強大であり、「神」の名の下に下される言葉は、文字通り国をも動かす。臣下を初めとした貴族院を通さない分、国王よりも即効性が高く、強権かも知れない。


それを維持する力。それは主に莫大な数の信徒により支えられている。


各地の信徒達は根となり葉となり、この国にしっかりと根付き、富を吸い上げ、教皇という花を咲かせる。同時に動く触手でもあるそれらは、周りの環境を操作する手足となるのだ。


当然、信徒を常に増やし、減らさずに維持する必要がある。黙って居ても増える分もあるが、基本的に人民は素直だ。メリットがあれば入信するしさせるし、デメリットが大きければ離れてゆく。信徒である事がステータスとなるのが理想だ。


その為の社会福祉事業、教育、経済への介入。全ては信仰を集める為の道具であり、手段である。


そして・・・時にはその妨げとなる存在、それらを"異端者"と仕立て上げ、排除する事も屡々。


その対象は様々である。真人教の闇を知り、それを明るみに出そうとする者。教団の風評に害を与える腐敗し調子に乗った信徒、司祭達。彼らが書いた聖典の世界の理とは異なる発見をした学者達。


基本的に前二つは暗殺、最後者は異端審問という名の裁判に掛けられ、思考の修正を受ける。それをも拒んだ場合は・・・言うに及ばず。


さて話が逸れた。真人教の動向についての話に戻そうか。


前述した通り、真人教は今大人しい。なら、何か裏で画策しているに違いないという所までは推論が立つ。


なら、問題何をしようとしているかだ。


直近の出来事を鑑みれば、エリアス・スチャルトナの正体が、真人教内部に衝撃を与えたという。即座に身柄の手配と、それの具体的内容について、最下層信徒へ箝口令が敷かれたという所までは知っている。


その後の武闘会への介入。そこでは真人教幹部がエリアス・スチャルトナへ襲撃を仕掛けた。


フェリア・コンクルス枢機卿。真人教屈指の強者である。


真人教内でもほぼ最高位にある彼女は、なんと自らこのエルクへと足を運び、件の標的を撃滅せんと、試合中のエリアスへ、不意打ちを仕掛けた。


結果は惨敗であったという。なんとか逃走は出来たものの、片腕を失う大怪我を負ったと聞く。というか、エリアスが毟った(・・・)らしい。毟ったとはどういう状況なのか気になる様な知りたくもない様な・・・。


彼女は逃走後、王都へと運ばれ療養に入った様なのだが・・・どうやら行方知れずになってしまったらしい。その後どうなったのかは聞いていないが。


枢機卿という高位の者が異端者(・・・)に敗れた。それはその場に居た観客、その中の信徒達に多大な動揺を与えるに十分な事実であった。


力と巧言令色による、真人教のエルクでの支配は揺らぎつつある。まだ神やら何やらへの信仰自体は残るが、真人教という組織自体への信用度はかなり低下した。恐らく今のエルクでは真人教とて好き勝手は出来ないし、すれば更なる反感を買い、その影響力は一挙に消滅してしまうだろう。


もしかすると、このエルクで何かを起こすのかも知れない。信用を失った街・・・規模は違えど・・・と、軍に居た頃に聞いた話を思い浮かべる。


「(前な、村ごと真人教の信仰を捨てて新しい宗教を作ってなんだか教ってのを作ったらしいんだけどな)」


ケイトの青い瞳が物騒な光を帯びる。長らく仕える使用人すら、ギクリと背筋に緊張が奔る程の鋭さだ。


「(・・・丸ごと(・・・)焼き払って無かった事にしたらしいぜ。逃げたのも追っかけて皆殺しにな)」


今何をすべきか。


行儀も悪くティーカップを傾け中身を一気に飲み干すと席を立ち、日の射し込む窓際へと歩み寄る。


そこから見えるは、楽しげに歓談しながら歩く我が校の生徒達。


「・・・役目は果たしますよ」


後ろでティーカップが片付けられる音が、嫌に大きく聞こえた。










フェリア・コンクルスの今までの人生は全てが上手くいっていた。


生まれが格式高かった。頭が良かった。身体が丈夫だった。容姿が美しかった。魔力量もあった。運命もその能力に応じ、それ相応の対価があった。努力をすればする程に、いや、それ以上に報われた。


彼女は非常に優秀であった。周囲も同調し、その能を讃える程に。


しかし、なまじ優秀過ぎた為・・・極めて傲慢であった。


自我が確立される年頃となった頃、自分は特別だ、神に愛されている。私は他より優位に立つべき人間なのだ、と考える様になる。


それは態度に、行動に、言動に現れ、屡々周囲を辟易とさせる事になった。


賢い彼女はそれにもすぐ気が付いた。しかし、同時に長きに渡って培われてきたこの性格の矯正は困難であるという事も良く分かっていた。


だから、華やかな貴族の世を捨て、出家した。貴族の証であるミドルネームを捨て、真人教に入信し、修行に励む。


今までの自分を忘れる様に、我を押し込め感情を押し込め・・・とうとう、その醜悪な(さが)を無表情の仮面の下に押し込める事に成功したのだった。


己の傲慢だった過去も忘れ、その頃には、持ち前の優秀さもあり、まさしく滝登りの勢いで組織内の地位を駆け登っていた。


仮面を被る事を覚えた後も、その内心は元来の上に行く事が好きな女であった。そんな生活が楽しくて仕方がなく、充実していたと自分でも思っている。


人間関係も・・・少なくとも以前よりは健全な関係を持つ者が増えた。普通に・・・普通にかは分からないが、気負い無く話せる相手も出来た。


ジェイ・カセトカという冴えない男はそんな中の一人だった。


別に頭が良い訳でも、身なりが優れている訳でも家柄が良い訳でも無い。ただ、ちょっと特殊な脳みそと眼を持っているだけで。


馴れ初めは酷い物だった。なんと初見でこちらの心の中を、記憶を覗こうとして来たのだ。


それに気付いたフェリアは珍しく動揺し・・・ブチ切れた。


普段無表情、無感情に見られていた彼女が激昂したのは、当時その場にいた人々は大層驚いたらしい。それは無断で記憶を覗かれかけて怒らない者など居ないだろうが、あの鉄面皮、フェリア・コンクルスが感情も露わにしたという事が反響を呼んだ。


これには折角積み上げたイメージを壊された彼女は暫く頭を抱える事となったのは、今となっては良い思い出である。


しかし、この出来事から来た羞恥心により、フェリアはそれまで忘れていた自尊心を僅かに取り戻した。


それが与えてくれたのは、己に対する自信。


自信が与えてくれるのは活力だ。私ならこれくらいなら出来る、いや、更に効率的に出来る、などと、己に更なる進化と発展をする為のやる気を湧き上がらせるのだ。


流石に以前よりの反省は活かし、周囲にそれを必要以上に誇示したり、他人にその価値観を押し付けたりする事はしないように心掛けた為、変に顰蹙を買う様な事は無かった。・・・努力も才も足りない有象無象の妬み僻みなどは知らない。


そうして更なるやる気に駆り立てられた彼女は、とうとう、枢機卿という教皇を除けば、組織内最高の地位である所へと登り詰めた。


最年少の枢機卿、しかも女性ともなれば、侮られたり、良からぬ噂を流されたりなど、悪辣な嫌がらせが行われた事はあった。


だが、彼女にはそれらをくだらぬと断じ、見下し、更なる高みを目指す強大な自尊心があった。


彼女の栄光の道に障害という障害は存在しなかった。遂先日(・・・)までは。


いつもと同じく、簡単に目的を果たし、さっさと帰って来るだけの仕事のつもりだった。


考えれば己が軽率だった部分もある。そもそもが態々プラフィットに書いてある様な強大な相手をサラッと狩り取ろうなど、何故そんな楽観的な考えで挑んだのだろうか。


その代償は・・・今は無き左腕。


あの感触は、生涯忘れる事は出来ないだろう。


肩が捻れ、外れ、頭の奥まで奔った痛みに呼吸をする事すら忘れる。


ガクリ、と一際大きく上に引かれた一瞬後、バツン、と体内に奔った大きな衝撃。


先程まで引っ張られていたのが嘘の様に解放・・・そう、解放されたのだ。


跳ね起き、離れた時、妙に左半身が軽く感じた。


その数瞬後、途轍もない怖気が己の背筋を凍らせる。


あの感覚は知っていた。何か取り返しのつかない事が起きた時の寒気。


凍てつく心をなんとか働かせ、恐る恐る左下に目を向けた・・・向けなければ良かったと思ったのは後の祭。


無かった。有るはずの腕が。


そう認識したと同時に、頭の中がまっさらになる。


痛みは無かった。ただ、焼きごてを押し付けられた様に熱く・・・体の中に直接空気を流し込まれているかの如く、吐き気を催す様な不快感があった。


真っ赤な、ぐしゃぐしゃにささくれ、中心に赤く薄汚れた白い物が突き出た傷口は、自分の身体でもはっきり言って気持ち悪かった。


本能に従って治癒をしようとするも・・・先程組み伏せられた時に捻られた右腕が上手く動かなかった。


不思議な事に、左腕は既に存在しないのにも関わらず、まだそこにあるかの如く感覚があったのが不気味で、その場で胃の中身をぶちまけそうになったが・・・更なる追撃を掛けようとする目の前の悪魔(そいつ)を見て我に返る。


だが、我に返った所で何も出来なかった。動けなかった。ただ真っ直ぐとその冷氷を思わせる美貌を睨み付けるのみ。


結局、最後は全力で肉体強化術を使ったジェイに助けられ・・・生き残ってしまった。


この時、その心を占めていた感情は一つ。


屈辱。


敗者となった自分。自分を蹂躙した相手。美しかった自分の身体を壊したあいつ。


数々の己を支えていた自信が崩れ落ちた。折れた。失ってしまった。


だが、それを認めぬ自尊心(プライド)は残ってしまったのが運の尽き。


それは更なる心の崩壊の起爆剤。王都に帰る道中もその後も、それは常に彼女を蝕んだ。


行き場の無い激情が身体を支配する。


待機と療養を命じられたが、そんな悠長な事が出来る心理状態では無かった。


だから、飛び出した。


【御殿】を抜け、王都を抜け・・・エルクへと戻って来た。


フェリアは馬鹿では無い。姿を隠し、伸びているかも知れない捜索の手を免れる事は当然である。


比較的姿格好を一般的に知られた彼女であったが、目深にフードを被り、全身をマントで覆った彼女をあのフェリア・コンクルスだと感づく物は居なかった。


まず赴いたのは学校。仇が学生であるというのは知っている。


しかし生憎、学校は夏季休業期間に入ってしまい、殆どの学生は帰省してしまっているという話を聞いた。


いくらフェリアといえど、校内への侵入は神経を遣う。気付かれてはならなかった。


この学校の主、ケイト・ヴァシリーは既に伝説の域に到達しつつある魔術師である。


現代最高峰の魔術師の一人であり、身体能力も人間の域を超えつつあると言われている人物だ。


恐らく戦闘になれば良くて五分、左腕が無く、この状態の身体に慣れていない現状を鑑みると、下手をすれば負けるかも知れないとフェリアは推測している。


引退しているとはいえ、近衛魔術兵団元第三位の肩書き。古代兵器殺し(マシン・キラー)の異名は伊達では無いのだ。遭遇しないに越したことは無い。


学内を軽く捜索した結果、標的(エリアス)は居ないと判断。宿に戻る事にしたのだった。




「・・・無駄足、ね」


ギシリ、と安宿の寝台が軋む音と彼女の歯軋りの音が重なる。


身体を投げ出す様に寝台に横たわり、ただひたすらに己の苛立ちが積ってゆくのを認識し、深く溜息を吐く。


寝台の上に花の様に広がる豊かな緑髪。


薄いキャミソール姿の彼女は、左肩から肩紐がずれ、肩口から滑り外れてしまったのに眉を顰め、直そうとして・・・諦めたかの様に脱力する。


王都からエルクまでの強行軍は、この身体に予想以上の負担を強いた。


隻腕ともなると馬に乗るのも一苦労だった。跨るのも腕力を倍使うし、乗り続けるのも均衡を取る腕を使えない為、脚、引いては太股でバランスを取るしか無い。


その弊害として、彼女は久方ぶりの、柔な乙女であった頃以来の筋肉痛を感じていた。


今日歩き続けている内は気にせずにいる事が出来た。だが、横になった途端、疲れと同時にそれが襲い掛かって来たのだった。


「・・・ッつぅ・・・!」


身を攀じるだけで、口からは苦悶の声が漏れる。そんな自分に更に嫌気が差した。


「くそッ!!うッ!?ぁ・・・ッ!」


憤りを拳に乗せ、寝台の毛布の上に叩きつけようとした。


だが左腕が無い為か、腕を振り上げた反動でころり、とひっくり返ってしまい・・・それを止めようと脚を動かした事で、激烈な筋肉痛が身体を駆け抜けた。


そんな自分を感じた時、惨めで、惨めで、自然と涙が流れ出る。


誰の所為か。あの顔を思い出すだけで自分の心中は燃え盛る。


腸を抉り出して泣き叫ばせ、無様に許しを請わせた上で首を撥ねてやらねば気が済まない。


あの憎たらしい顔をぐちゃぐちゃに切り裂いて、削ぎ落として、叩き潰してやりたい。


想像するだけでその身は悦楽に陶酔し、暗く、悍ましい感情を昂ぶらせる。


「・・・ん・・・ぁっ・・・」


その白魚の様な腕の片割れは、意識せずとも己の望む快楽を得る為に蠢く。


暫しの間、艶かしいその音色を奏でる彼女は、その官能さえ感じさせる甘美な妄想に溺れた。










「そろそろね・・・ミムル、止めて!」


何やらひたすら窓の外を気にしていたツィーアが一声掛けると、御者台のミムルは即座に反応。馬車を直ちに停止させた。


・・・俺ならこれ程長い時間放置されていたら、ぼうっとしてレスポンスが悪くなるのは避けられないだろうが・・・ミムルは常に主人の言葉に気を張っているのだろうか。尊敬に値するな。


時刻は夕暮れ時。通常ならそろそろ野営の支度を始めるところであるが、もうそろそろ着くという事で道を急ぐ事にしたのだ。


だがまだ着いてはいない筈だ。街の手前にある丘陵地帯を越えていたところであったと思っていたのだが・・・。


「来て、エリィ」


戸が開かれ、茜色の夕陽に染め抜かれつつある地が現れる。帰郷は嬉しいのか、何やら笑顔のツィーアに従って馬車を出ると・・・やはり丘を越えるか越えないかというところだった。


俺の手を引き、丘の頂へと駆ける彼女。振り返れば馬車の扉のところでニーレイが「やれやれ」と首を竦め、ミムルはニコリと笑いかけて来る。


スィラは前方、丘の上で立っていた。


陽光に照らされ、黄金の瞳が映える横顔は相も変わらず、ぞっとする程の美しさがある。見慣れる俺でさえも、ほぅ、と感嘆の息を漏らさずには居られない。


黒衣に身を包み騎乗し、重斧槍(ハルバード)を肩に背負った姿が何とも禍々しく、頼もしく、そして凛々しかった。


そんな絵面とは裏腹に、彼女が浮かべる表情は穏やかなものだった。邪魔をする気は無いらしく、俺達が近寄ると、すっと横へ退いた。


「エリィ」


一足先に頂上へ辿り着いたツィーアが振り返る


右半身を引き、大仰ささえ感じさせる動作で丘の向こうを指し・・・活快な笑みを浮かべ、言った。


「ようこそ・・・」


丘を越えた俺の目の前に広がっていたのは・・・。


地平線の彼方迄続く巨大な城壁。


地を覆い尽くすと言うに相応しい、街並みを作る屋根屋根と道。


網目の如くその隙間に張り巡らされた水路と、街の中心を貫く・・・大型帆船が多数停泊して尚、その広大な流域面積が窺い知れる大河。


恐らくは中心街と思われる区画の中、もう一枚の城壁に囲まれた土地に聳える()


エルクなど比べ物にならない、途轍もない様な中世の大都市。それが目の前に広がっていた。


「・・・私の街(デュースケルン)へ!」




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