コンスパイラシー
お待たせして申し訳ありません・・・原稿をフォームに落とす作業の段階で15000文字を完全消滅させる事故で精神的大ダメージを受けて犬神家になっていました。
次話からは投稿ペースが戻ると思います。
魔物の襲撃。それを聞くなりツィーアの瞳に、どこか物騒な光が宿る。
スタスタと、花壇の近くの木箱に飛び乗り、庭一帯を見渡した。
「狼狽えないでッ!!」
聞いたことも無い様な、ツィーアの怒号。慌ただし気に行き交っていた使用人達が、ピタリと停止する。
「兵は出撃の用意を直ちにしなさい!準備が整い次第報告!使用人は万が一の時の為、負傷者を受け容れる態勢を整えて待機!それから・・・」
次々と指示を飛ばすツィーア。なるほど、これが領主としての彼女なのだろう。
みるみる内に使用人達の動きに変化が現れる。先程まで混乱していたのが嘘の様。己のやるべき事という物をハッキリさせるだけで、これ程までに組織は変わるのだ。
ふぅ、と息をついて戻って来るツィーア。途中、使用人の一人を捕まえて来た。
「状況を説明してくれる?」
「は、はいっ!」
今日の昼頃、ボートル準男爵は常々行っている領地の視察に赴いていた。
規定の視察の行程を終え、そろそろ切り上げようとした矢先の事であった。森の方から地響きと共に、ある一体の魔物が現れたのだった。
《スクウィッド》。
冒険者ギルドなる組織がEからSSまで定めた階級によるとSランク、通称戦術級に相当する、強力な魔物である。
戦術級とは、出現が確認されると、その国の正規軍が対応に乗り出すレベルである。つまりは放っておくと相当マズイ奴等。中でも《スクウィッド》はSランク筆頭の様な奴だ。
その特徴は、古代兵器の鉄菱すら弾く事もある程に強靭な鱗鎧、胴体に生えた、引っ掛かっただけでも鉄製のプレートアーマーを切り裂く長大かつ鋭利な大棘、大きく裂け鋭利な牙が並び、岩山をも削り取ると言われる大顎、そして・・・聳え立つかの様なその巨体。
肉食で、時には町一つ滅ぼす事もある凶暴性も持ち合わせ、人里に現れるのは数十、下手をすれば数百年に一度も無いかも知れないが程稀にだが、現れれば最後、その町は蹂躙され尽くすであろう、と言い伝えられる。
以上、ニーレイの魔物講座より引用。ほぼ全部。俺は《スクウィッド》なる魔物が如何なる物か全く知らない。襟元に居るニーレイがこっそり教えてくれるのは本当に助かる。
「(ニーレイ、私の知恵袋に就職しないか?)」
「(お賃金次第で考えてあげるよ?)」
と、まあ冗談はさておき、その《スクウィッド》とやらの対応を考えようか。
「具体的にどんな奴なのだ?」
聞けばスィラには戦闘経験があるらしい。それを聞くと、彼女は何を思い出したのか苦い顔をする。
「・・・あまり良い思い出は無いな」
「(・・・《スクウィッド》相手に良い思い出がある人なんていないんじゃないのかな?)」
茶化すなニーレイよ。
「倒せたには倒せたのだ。だが、相性が悪かった。槍も三本駄目にしてしまったしな」
あまりに硬くてな、と。
「で?何本も槍を駄目になる様なそいつをどうやって倒したのだ?」
どうと言っても・・・、と当たり前の様に。
「口の中に飛び込んで中から斬った」
二度とはやりたくないがな、と締めた。
なるほど、確かに幾ら表皮が硬くとも、流石に中身まではそう硬くないだろう、という事だな。
「(アレに飛び込んだの・・・?絶対あたまおかしいって・・・)」
ん?待てよ?
「そんな口の中に飛び込める程に大きいのか?そいつは」
「デカイぞ。身の丈だけでも主の五倍か六倍はある」
・・・五、六倍?俺が大体身長百三十と少し。その六倍。・・・八メートル近く?全高だけで?
「・・・体長は?」
ニヤリ、とスィラは俺が驚きの表情を見せると、少し嬉しそうな顔になり、さらっと言った。
「最低、八十メートルだ」
百メートル近い蜥蜴、いや、恐竜か。
考えただけで、少し目眩がした。
「キモいな」
「ああ、キモい」
で?それを聞かせるという事は・・・。
「要は闘ってくれ、と?」
長々と話したが、結局はそういう事だろう。ツィーアを見やると、悪びれる様子も取り繕う様子も無い。
「エリィを巻き込むのは私だってどうかと思うけど・・・現状、エリィとスィラ以上の戦力が居ないって状況なのよ」
だから、戦力はあればある程良いの、とキッパリと言う。
「・・・まあ、良いか」
代わりに、と。俺は付け足す。
「今度、何か埋め合わせを頼むぞ」
「ええ!勿論考えさせて貰うわ」
少し申し訳無さが混じった様な、しかしにこやかな笑みで、ツィーアは了承したのだった。
目標地点はここから郊外に約四キロ離れた耕作地帯だ。無論走ればすぐに着くだろうが、スィラも居るし、強大な敵との闘いを前に体力を徒らに消耗するのは愚策だ。
この町には幸いな事に、多くの馬が飼われている。その一頭を借りようと牧場を訪れている。
そう、一頭である。向かうのは俺とスィラの二人。だが借りるのは一頭だけだ。
その理由の一つとして、俺の馬術がこの様な緊急時から考えると、致命的に稚拙であるからだ。
俺は多分、馬の持つポテンシャルの半分も引き出せない。というか、そもそもあまり速く走らせる事が出来ない。
逆にスィラはかなり馬の扱いが達者だ。馬の持つ能力を百パーセント、いや、百二十も百五十も引き出せるかも知れない。熟練した騎手というのはそういう物だ、と聞いたことがある。
だから、今回は一頭の馬にスィラとタンデムする。だから出来るだけ大きく、強靭そうな馬を選ぼうとしているのだが・・・。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
スィラが一頭の馬と向き合って、いや、睨み合っている。
大きい、周りの馬と比べても二回りも大きい黒馬である。体高はスィラよりもかなり高い。二メートルは超えているだろう。
脚などは正に筋肉の束。太さは俺の胴周りにも匹敵するかという程。
肉付きは良く、太くも引き締まった胴。そして硬質そうな鬣。
周りの他の馬が明らかに気を遣っている。この牧場内の群れのボスに当たる存在なのだろう。
俺の様な素人から見ても分かる良馬、しかし、どう見ても気難しそうだ。
流石に見兼ねたのか、この牧場の管理者のおじさんが寄って来て教えてくれた。
何でもコイツは、この牧場でも屈指の問題児らしい。
気性はかなり荒く、この牧場主でも下手に気に障る事をしてしまえば蹴り掛かって来る。他の馬を嗾け、馬屋の柵を壊す。他の馬が台頭する隙も無い程強靭な個体で、年齢も若い。
背に乗るなど問題外で、乗ろうとした素振りを見せただけで襲い掛かって来る。鞍も付けられない、というか付けられた事が無い。
名前も無い。黒馬というだけで通じるからだ。
大飯食らいで、草をかなり食い尽くしてしまう。草地を用意するのが大変である。
持て余され、どうしようかと悩んでいたというのだが・・・。
スィラが手をその頸に伸ばす。
威嚇する様に、ブルル、と唸るが、彼女は構わず・・・頸に触れた。
途端に後脚で立ち上がり、蹴り掛からんとする。
流石に不味い、と俺が割って入ろうとするが・・・。
スィラは目線だけで制して来た。私がやる、と。
振り上げられた脚。それが振り下ろされようとした瞬間、スィラがその足首を掴んだ。
いや流石に潰されて・・・押し留めている?
あんな大きさなら体重など一トン以上はあるよな?ただ蹴るだけなら全体重は掛からないだろうが・・・。
それでも重いのか、脚先が芝を突き破り沈み込ませ、踏ん張って耐えている。
直後、力を抜き脚を地面に落とさせると、衝撃で降りてきた頭、その鬣を掴み、思いっきり引き寄せた。
至近距離で交差する視線。
途中、視線を逸らそうとする黒馬の頭を無理矢理引き戻させつつ、睨み付けるスィラ。
・・・目と目で語り合うとはこういう事なのだろうか。
そうして睨み合う事数分の事。黒馬が遂に折れた。
膝を折り、その場に伏せたのだ。
これには牧場主も驚いた。何でも初めて見る光景であるという。
馬具を寄越せ、と言うスィラに、大きめの馬具を牧場主が渡すと、慣れた手つきで其れを伏せた黒馬に装着し始めた。
スィラが背に飛び乗ると同時に、黒馬は立ち上がる。
「こいつに決めた」
呆気に取られた表情を浮かべる牧場主に、得意気なスィラ。余程気に入った様だ。
俺が近付いても、黒馬は反応しない。いや、目だけは確実に俺を追っているのだが。
馬の表情なんぞ分からんので、どう見られているかは知らんが。まあ、その股下に漸く届く程度の人間など、どうとも思わないのかも知れないが。
危ないですよ!と我に返った牧場主の言葉に、大丈夫ですよ、と適当に返し、伸ばされたスィラの手を掴んで引き上げて貰った。
無茶苦茶高かった。コレで走るのか?本当に?
「では主よ、行こうか」
「・・・ああ」
振り落とされては堪らない。スィラの胴に手を回し、太腿で鞍越しにその胴をしっかりと締める。
スィラがそれを確認すると、踵で馬の腹を蹴り、走らせる。
ぐん、と相当な加速度が掛かった。
襲歩と呼ばれる走らせる方で、馬がトップスピードを出し得る形だ。
一瞬前に押し出される感触と、宙に浮く様なふわりとした感触。それがめまぐるしく襲い来る。あまり乗り心地は良く無いな。
だが、無茶苦茶速い。歩く他の馬を遥か後方に置き去りにし、頬を叩く風は眼球に肉体強化術を行使していなければ開くことも叶わない程の風圧。
・・・確か、競馬で走る競走馬は時速七十キロ近くは出せるのだったな、と何と無く思い出した。
だが、この黒馬はどう見ても体高百六十センチ程の競走馬など比べ物にならない程の超大型の重馬種だ。
重馬種は然程速く走れず、そしてスタミナも皆無であるというのが通例だ。体重七十キロ以上に大型ハルバードを携えたスィラ、更に体重三十キロ少しの俺を乗せて走っている様に、斤量はかなりの物があるらしい。
柵が見えた。ぶつかるかと思ったその時、スィラが手綱を、空気を切る音がする程鋭く引く。
すると馬がその意図を汲み取った。今までで最も強烈な加速度。向きは斜め上方に向かって。
柵を飛び越えたのだ。多分、百五十センチくらいあった木の柵を丸ごと。
はぁ?と何か俺の中の馬感がガラガラと崩壊していく様な音がした。
若干の浮遊感の後、馬は何事も無く着地。ほぼ速度を落とさぬまま駆け抜ける。
こいつは馬じゃない。馬っぽい魔物だ。
そう思う事で俺は精神の均衡を図るに他無かった。
駆ける事三分。とうとう目標地点が近付いた。
というか、本当に三分、四キロを丸ごと全力疾走したので・・・単純計算で平均時速八十キロ・・・コイツの持久力はどうなっているのだ?
遠目に見えた。アレが《スクウィッド》か。
巨大なイグアナ。それが俺の第一印象だった。
天を貫くかの様な、遠目からでもわかる程太く長大な銀白色の棘。黄褐色の胴体。ギョロリと動く、爬虫類特有の黒い玉の様な眼。そして・・・首元まで裂けたかの様な大顎と、立ち並ぶ鮫を思わせる鋸状の牙。
足元で逃げ惑う農民の背丈を百七十と仮定すると、その全高は七メートル程。逃げる人間を地面の土ごと掬い上げ、噛み砕く。あんな最後だけは御免だな。
みるみる内に接近。鱗のその紋様まで見える距離。どうやって当たるつもりなのか。
と、思っていたら、スィラが鞍の上で立ち上がった。手綱からも手を離してだ。
慌てて股の間から風に吹き乱される手綱を捕まえる。
おい、と非難する声は風に吹き消され・・・スィラが跳んだ。
この強靭な黒馬が一瞬沈み込む程の勢いで飛び出した彼女は、大きく弧を描いて宙を舞い・・・《スクウィッド》の側頭部にハルバードの鋒を叩きつけた。
ギイィン、と鋼板に砲弾が弾かれたかの様な激突音。
《スクウィッド》の頭部が反動で揺れる。
スィラはそのまま流れる様に、反対側へサマーソルトを決めながら着地。危なげなく一撃離脱をこなした。
俺はというと、何とかこの暴れん坊に速度を落とさせようと、手綱を引いてみようと試みた。その時であった。
「ゴオオオオオォォォォォォォッ!!!!!」
大咆哮。
その衝撃や、まさに音が質量を持ったと錯覚する程。
畑に残っていた野菜の葉が舞い上がり吹き荒れ、ビリビリと凄まじい空気の振動が肌を叩く。
その音量にさしもの俺も驚き、鼓膜を保護しようとする人間の本能に従い、耳を塞ぐ。"手綱"を離して。
気もそちらに取られてしまった俺を待ち受けていた結果。ぐらり、と視界が傾く。
俺の頭に浮かんだ文字列は一行。
あ、落ちた。
視界一杯に茶色い耕作地の地面が広がり・・・。
衝撃。それが何度か。
時速八十キロで走る、二メートル超えの高さからの落馬。
畑の上を吹き飛びながら転がっているのかなぁ、と他人事の様に想像出来た。
漸く速度が落ちて来た時、視界の端、前方に灰色の壁が見えた。
畦道の石垣。
あ、と思った時にはもう遅い。
一際大きな衝撃と共に、崩れ落ちてくる岩々が目の前一杯に広がって・・・。
反射的に肉体強化術を更に重ね掛けするのがやっとの事。
ゴンゴン、と己の身体に物が降り積もる振動が続いていた。
今起こった事をそのまま形容しよう。
主が《スクウィッド》の威嚇の鳴き声に驚いて落馬、数十メートル跳ね転がって畦道横の石垣に突っ込んだ。
結構凄い音がしたので、《スクウィッド》ですら一瞬そちらに目を向けた程だ。
・・・ドジが過ぎないか?
相手が主で無かったら、間抜け、と罵倒するくらいの体たらくだが、まあ、多分アレは怪我もしないのだろうなぁ、と妙な信頼がある。
さて、多分我が主は大丈夫であると踏んで《スクウィッド》の対処に集中しよう。
《スクウィッド》と闘う際、側面に回り込むのは自殺行為だ。何故ならその胴にはびっしりと凶悪な大棘が生えている。もし引っ掛けられでもすれば、それだけで肉は裂け、臓物を抉り出され・・・下手をすれば串刺しだ。そして近付けばそうなるのだから、攻撃が出来ない。主風に言うならば、ナンセンスなポジショ二ングというやつだ。
だから正面、頭の目の前で闘う事が基本となる。危険は勿論大きいが、こちらも近づける事には変わりない。気を付けるべきは前脚による薙ぎ払いと、地面ごと掬い上げる噛み付き。だがどちらも回避出来ない訳では無い。
勿論、気を抜けばあの歯に引っ掛かっている赤黒く染まった布切れの持ち主の後を追う事になるだろうが。
軽く後ろに飛び、地響きと共に振り下ろされる前脚を避ける。・・・足元が悪い。あまり調子に乗っては居られない、と改めてこの耕作地という戦場に不満を持つ。全く踏ん張りが効かない。その辺りも思考の端に留め置いておかねばならないだろう。
噛み付きが来た段階で、相手の攻撃範囲ギリギリに位置取り、下段から下顎に斧槍を叩きつけた。
この斧槍は、前にコイツ相手に壊した物と異なり、刃こぼれの一つもしない。
重さ的に鋼では無いことは確かなのだが、ふと、コレが一体何で出来ているのか気になって来た。主はあまり直接触れないように、と言いつけて来たのだが、この素材を知っているらしい。後で聞いてみるか、と心に引っ掛けておく。
いくらこっちの武器が壊れないとはいえ、向こうに傷を負わせる事が出来ているのかというとそうでもない。
その鱗鎧の表面には僅かに傷が入るのみ。やはり《スクウィッド》の様な硬いヤツは、根本的に自分の様な打撃系の戦士とは相性が悪い。
そろそろ主の魔術の支援が欲しいな、と思い始めた時である。
後ろで主の気配が爆発した。
実際に爆発した訳では無い。ただ、爆発的に気配が、気迫が広がったというだけ。
視線をそちらに送れば・・・瓦礫を押し退け、ゆらりと幽鬼の様に立ち上がる"銀髪の"主が居た。
見れば酷い格好だ。柔らかい畑の土の上とはいえ、かなりの勢いで転がった所為か、全身泥だらけで服はズタボロ。かなり際どい所まで露出してしまっている。下半身などはスカートがざっくりと裂け、殆ど下着が見えてしまっている状態。
それは自覚しているのか、頬には薄っすらと赤みが差し、表情は羞恥と怒りに歪む。
自分でもアレは恥ずかしいというのは分かっていたのだな。
しかし、ああ、と。こんな時ではあるが、素の主は美しい、と本気で思う。
あの銀色の髪は至宝だ。普段の姿も美しい事には変わりないが、所詮、あの魔道具の髪留めによる変装は単なる劣化でしか無い、と断言出来る。陽光に照らされたそれは泥に汚れていようと、何処か退廃的な、魔的な煌きを放つ。もし彼女が地上に降りた美の女神と言われども私は信じるだろう。
何時もこうであれば良いのにな、と思うのは勝手であろうか。寝る時ですら髪の色を変えなければならないというのは、情けなくはないのか、と。
あくまで私の主観的な考えだが、人を従える主君、主という者は何より魅力的で無くてはならないと思うのだ。
魅力というのは様々だ。強さ、賢さ、カリスマ性、見目麗しさ・・・。
というのも、私の考える主君観というのが、どうせ仕えるなら、「この主の為なら己が命を差し出しても良い」、と思う事が出来る様な相手に付き従いたいという物だ。恐らく里の他の者に聞いても似たような事を言うだろうし、実際、知り合いというか・・・私の"かつての母親"がそうであった。
・・・今は他人であるけれども。
そんな事などどうでも良いのだ。今の私の居場所は、主の下だ。他には選択肢は無いのだ。
だから、今の主に不満があるとすれば、それはもっと堂々として欲しい、という事。
私はこんな強く、美しい者に仕えているのだ、と自慢したい。誇りたい。
主にまつわる言い伝えが何だと言うのか。隠れて生きずとも、その原因を力で叩き潰せば良いではないか。
主の手に掛かればそれも可能だろう、と私には確信出来る。
そう、今の様に陽の下で、堂々と胸を張り立って欲しいのだ。
そして、私がその側に控え・・・。
「ッは!?」
危ない危ない、こんな時にいつの間にやら変な事を考えてしまっていた。
主が魔術による攻撃を行う気配。我に返り、直ちに《スクウィッド》の側から飛び退き射線を確保、目一杯離れる。
後は、求められるまでは下がっていれば良いだろう。巻き添えは御免だ。
安全圏に逃れた後は、もしかすると飛んで来るかもしれない、各種飛来物にのみ気を払いつつ、観戦させて貰う事にしよう。主の暴虐劇を。
さて、よくもやってくれたなこの野郎と言わせて貰おうか。このクソトカゲめ。
あまりに驚き過ぎて、魔力で反射的に体表を保護するくらいしか出来んかったわ。
お陰様で服はボロッボロである。
股と腹が嫌に風通しが良くなりスースーする。へばりつく土の感触が気持ち悪い。潰れて緑色の汁と化した野菜の葉が不快。
割と最ッ悪に近い気分になる。
水を頭から被って流そうにも、足元は畑、泥沼になって今より不快な思いをする事間違い無し。やっていられないだろ。
落馬したのは、どうしようもない俺の落ち度ではあるが。
因みにこの世の騎士などの風潮的に、馬にまともに乗れず落馬するというのは、物凄く情けない事であったりする。普通、軍に入りたての新兵でも滅多にしない。
最初に教えられるのが、まず内股を鍛える事。例え手を離せども馬に振り落とされない様にする為だ。「女騎士ならしっかり股シメとけ!将来男にも逃げられねぇようになぁ!」と、こっちが子供だから分からんと思ってか、かなり下品な事を言われた記憶がある。
・・・別に俺は騎士では無いし、なるつもりも無いのだが。
それはどうでも良い。兎に角、今はこのイグアナモドキを叩き伏せるとしよう。
火属性上級魔術『ブレイズバスター』。俺が知る限り最も使い勝手が良く、尚且つ高威力な中距離攻撃魔術。
顕現すると同時に射出。連続して十発程。
青白く煌めく火炎弾は目で追える速度ではあるが、弧を描き目標へ。
《スクウィッド》は全く回避する素振りも見せず、ただ下がったスィラの方を警戒している。
阻む物は無く、高熱の鬼火は《スクウィッド》の胴体左側面で・・・その猛威を振るった。
命中すれば解放される、その内包されたエネルギー。
燃料気化砲弾もかくやと勢いで立ち昇る爆炎と、噴き上がる黒煙。
離れたここまで届く熱波が頬を撫でる。葉が舞い上がり、引火し火の粉となって辺りを漂う。
自ら立てた小さなキノコ雲すら吹き散らす程の爆発。それが十度。鱗だろうか何のかは知らないが、細かな破片が辺りに降り注いだ。
・・・少しオーバーキルであっただろうか。
そう考えた折、煙が晴れると・・・なんと奴は健在であった。
確かに胴体左側面に生えた大棘は根刮ぎ吹き飛び、鱗も表面が焼け爛れ、焦げ付き溶けてブスブスと煙を上げているが、それまでであった。あまり反応していない本人からすれば大したダメージでは無いのかも知れない。
だが、その怒りを買うには十二分であった様だ。
以外と俊敏な動きで振り返り、此方を睨むや否や吼える。口の端から水蒸気が噴き出た。
巨木もかくやという程の太さの四肢を用いた超重量の突撃。
地が震え、恐らく行く手を阻む物はそこらの城壁だろうが蹴散らすであろうその迫力は、いくら言葉を尽せども形容出来ない、そう、人が幾ら努力せども敵わない言わば天災の様な威容であった。
だが、止める。躱すのでは無く、だ。
ところで、ここで俺の使う空間作用魔術『魔念力』について、最近分かった事がある。
それはコントロールする物体と消費魔力の関係についての事である。
例えば、百グラム程の石ころと、一トンの岩を動かすのであれば当然、重たい方を動かす方が消費魔力は嵩む。当然だ。
では、大きさはどうか。少し大きめに作った木刀と、鉄剣。大きさは木刀の方が大きく、鉄剣の方が重い。
答えは鉄剣の方を動かす方が魔力を食う。その他石と木片やら何やらで試してみた結果、この消費魔力は質量に比例しているらしい。
では、今度は動かすのでは無く固定する方。これは大きさが関係している事が分かった。
体格の大きなスィラと、小さな俺、この固定というのは魔力でその動かしたくない部分を完全に覆ってしまう必要があり、必然的に身体の表面積が大きい方が、より多くの魔力を必要とする。
では、その固定した物を外力で動かしてみようとした時はどうなるか。俺が当初予測したのは、より大きな外力を加えれば加えるだけ、魔力が消費されていくのでは?と思った。
実際は違った。なんと追加の魔力は必要無かったのだ。
必要なのはその初期展開時の魔力を維持する精神力のみ。何とも便利・・・いや、実際集中出来なければいくら魔力があった所で出来ないという事を意味するのだ。優しくは出来ていない。疲れ果てていたり、別の事に気を取られていたり・・・いや、怖いから考えないでおこうか。最悪を考えるのは決して悪い事では無いが、最も大切な事は如何にそんな状況に陥らない様にするか、という事だ。
まあ、兎に角より少ない魔力で『魔念力』を効果的に使うか、という思索の話だった。
現在の状況を振り返ろう。突進して来る巨大かつ大質量の魔物に、小さな俺。
最適解は・・・俺自身をその場に固定する事。
『魔念力』を行使。己の身体を包む様に魔力を展開、固定。
大顎をがばりと開け、下顎を地面の土の中にまで潜らせ、大量の土ごと俺を噛み砕かんと迫る。
一枚一枚が、寮にあったサイドテーブルの天板程の大きさがある、鮫を思わせる平たい牙。その鋭さと言ったら、欠けてしまうのではないか、と心配になる程だ。
上から断頭台の刃の如く落ちて来るその歯を、右掌で受け止める。
ちくり、とした感触はあれど、多少覚悟していた痛みや傷付いた感触は無い。最近漏らすこと無く身体を循環させる事が可能となったが為、効率化された肉体強化術様様である。
続いて下、土の中から突き出て来た歯を足の裏で蹴って止める。
革靴の底を何の抵抗も無く貫通した歯は、同じく足の裏には傷一つ付ける事無く停止。足の裏という、少し敏感な部位であったからか、ちょっと擽ったかった。引っ込めそうになるのを全力で堪える。
本来、幾らその場に己を固定しようとも、こんな大顎に挟まれたら一瞬でぺしゃんこに潰されて終了、な気がしないでも無い。だが、少し重みを感じるだけで別に何とも無い。己の身体ながら、骨格と筋肉を採って成分分析に掛けてみたいところだ。
だが、更に驚くべきは《スクウィッド》の牙だ。突進の全エネルギーをこの二点で受け止めたにも関わらず、欠けも折れもしない。動いた様子も無い。随分と健康な歯をお持ちなのだな。・・・違うか。
さて、ただ抑えただけではこの状況を打開する事は出来ない。ここからこいつにダメージを与えなければならない訳だが・・・どうしてやろうか。
咥内に火炎弾を叩き込んでやるのも良い。氷の槍でズタズタに裂いてやるのも良い。残念ながら『魔念力』は己に行使するのに集中している為、舌を引っこ抜いてやるだとかそういう事は出来ない。並列思考が出来れば良いのだが、生憎俺の頭は単一集中型である。
あと使えるのは手脚か・・・そうだな。歯医者みたいに抜歯してやるのもアリか。麻酔無しで。痛い様に捻りながら。
面白そうだ。やってみるか。
歯茎に手を当て、牙の先端を掴む。
歯茎に食い込む手が嫌なのか、少し引く仕草を見せるが、指を肉に食い込ませ、逃がさない。喉の奥から悲鳴めいた鳴き声が漏れた。
多分、ちょっとやそっと引っ張ったくらいでは抜けない。なら思い切って、こう、ぐいっと。
左腕が歯茎を裂いてめり込み、歯がずるり、と動いた時。
「ゴギャアアアァァァァァッ!!??」
爆音に近い悲鳴が迸り、その歯茎の肉が千切れるのにも関わらず逃げる《スクウィッド》。
靴裏に突き刺さっていた牙が一気に引かれ、靴底がざっくりと裂けた。もう靴の役割を果たしていないので、脱ぎ捨てる。
歯が引っこ抜け、鮮血が跡から吹き出す。歯の根は人と大して形は変わらないのだな、と、手の内の抜けた大牙を眺めながら思う。千切れた歯茎は投げ捨てた。こんなもん要らんわ。
歯は何かに使えそうな気がする。こんな頑丈なのだから。ぶっちゃけコレも要らんけれども。取り敢えず足元に刺しておいた。邪魔だからだ。
痛みにのたうつ《スクウィッド》。隙だらけのそれにどうして追い打ちをしないという選択肢があろうか。
追加の『ブレイズバスター』。
トップ・アタックモードの対戦車誘導弾の様に一度上方に撃ち上げられ、その背に逆落としに突き立つ青白い炎。
表皮を焼き払い、鱗と棘を弾き飛ばし、爆圧がその巨体を下に下にと押し込める。
鳴き声も聞こえぬ程の爆音。周囲の有機物が自然発火する程の熱。俺の纏うぼろぼろの衣服の端にも火の粉が見えたので、流石に少しだけ『フルイド』で水を出して消す。火達磨は勘弁、というか、コレが焼けると本格的に単なる全裸痴女になってしまう。絶対に嫌だ。
立ち込める煙、嫌に静かだ。空気の流れる音しか無い。
死んだか?と目を凝らし、土煙の向こうを見ようとするが・・・如何せん、黒い煤を大量に含んだ煙と未だ揺らめく火炎で視界は極めて悪い。なんだかかつて資料映像で見た石油コンビナートの火災みたいな光景だな、と他人事の様に眺める。俺の時代では石油なんて殆ど使われていなかったから、実際にどんな風に燃えるのかは知らないが。
だが、幾ら燃え盛る炎といえど、燃料が無ければ燃えない。辺りの物を全て炭化させ、黒煙が収まり、視界が開けるのにはそう時間は掛からなかった。
そこにあったのは・・・俺が予想していた物と少し違った。
黒焦げ、少し平らになっているとはいえ、ほぼ完全な形を保つ《スクウィッド》。それが動き出したのだ。
内心仕留めたと思い油断していたのもあり、慌て気味に身構える俺であったが・・・何やら様子がおかしい。
戦意が見られないのだ。おずおずといった様子でこちらを眺め、酷く警戒した様に引き気味の体勢になった。
その黒く丸い、爬虫類の瞳に映る感情は・・・怯え。そう、怯えだ。
思わぬ一撃どころか、ほぼ完全な敗北を期した相手に対する、獣の本能的な恐怖。
高々人間の小娘に怯える巨大な魔物というのも、中々シュールな光景ではあるな。体格差など計算するだけ無駄だと断言できる程にあるのに。
試しに少し勢い良く片脚を踏み出してみると・・・ビクリ、と僅かに後退る。
・・・コレはどう対応すべきなのだろうか。
近付こうとすると逃げる。黙っていると動かずこちらの様子を窺っている。
何だか、前世で友人の家に居た犬みたいだ。手を伸ばして近付けば逃げるくせに、諦めるとどこかからこっそりとこっちを見ているのだ。最終的には黙っていると膝に乗っかって来るくらいには懐いてくれたそいつの様に、悪いが《スクウィッド》に懐かれるルートは歩みたく無い。こんなデカイペットは要らん。
はぁ、と溜息をつきつつ肩から力を抜き、ゆっくりと歩いて近付く。未だ熱い土にめり込む素足の感触。時々石ころが刺さって気になる。
敵意を仕舞い込むと、相手も逃げようとはしなかった。このあたりは曲がりなりにも野生の獣だからであろうか、敏感だ。
そうして距離を詰める事数十秒。俺からすればかなり長く感じた数十秒。とうとう、その鼻先に手が届いてしまう距離に来てしまった。
見上げる位置にある瞳。
口の端から漏れ出る血と、蛋白質が焦げた香ばしささえ感じる匂い、そして、口の中なら流れる生臭い生物の臭気が混じる空気を、眉根を顰めながら吸う。
どうやら歯を引っこ抜いた場所の出血がかなり酷いらしい。今でも血が唾液と混じり、粘性を持った赤黒い液体が畑の土を潤している。・・・足元がぐちゃぐちゃしているのはこの所為か。
まあ、痛そうだ。なんだかしおらしくなった《スクウィッド》に、何とも言えぬ憐憫の情が湧いてくる。少しくらい優しくしてやっても良いだろうか。懲りたらしいし。
ぐじゅり、と口の中に腕を突っ込み、抜けた歯のところまで手を伸ばす。
水属性治癒魔術『シーキュア』をかなり強めに発動。
『ブレイズバスター』の鬼火と同色、しかし優しげな淡青色の光が、口の中に差し込まれた掌から溢れんばかりに放たれ、傷を癒す。
人に浴びせれば寧ろ身体に毒な程の治癒魔術だ。だが、この巨大な傷口を塞ぐにはこれ程でなければならなかった。
《スクウィッド》の強張った大顎かから力が抜け、心なしかリラックスした雰囲気が伝わってくる。
もう良いな、と思い、ぬらりと唾液と血に濡れ光る腕を引き抜く。
頭を横に回り込み、その瞳を覗き込める位置に移動した。
眼球だけでも、俺の頭より遥かに大きい、自分の姿を映し出すそれを覗き込みつつ、伝わるかは分からない言葉を紡ぐ。
「・・・帰れ。二度と人里には来るな」
その煤けた硬質な体表を軽く撫で、離れる。
じっ、とこちらを眺める巨大な獣。
そうして見つめ合う事、どれほどの時間が経っただろうか。ゆっくりと回頭し始めると、のっそりのっそりと、森の方、やって来たであろう方向に帰って行く。
時折ふらつく仕草も見せるが、大丈夫そうだ。多分、少なくとも暫くは生きられるのではないだろうか。いや、素人には中身のダメージなど見ただけでは分からんが。
改めて見ても、冗談みたいに巨大なイグアナ、というか恐竜だ。あんなんで食い繋いで生きて居られるのだろうか。あの手の巨大生物は殆どが、その巨体を動かすエネルギー源である食料事情に問題を抱え、滅び去って行ったと記憶しているのだが。
・・・それはどうでも良いか。
「・・・主よ」
いつの間にやら、側にスィラがやって来ていた。
髪を持ち上げられる感触。・・・髪が少しパリパリしているな。
"髪留め"を付けられた。あらら、外れてしまっていたのか。態々何処かに落としたのを拾って来てくれるとは、なんと出来た使用人であることか。
「早く流さんと髪が駄目になるぞ?」
ん?と髪に触れ、その手を見ると真っ赤だった・・・って、左手は最初から赤いから反対で・・・どうやらたっぷり返り血を浴びてしまったらしい。気付かんかった。歯を引っこ抜いた時だろうか、浴びたとすれば。
慌てて畦道に上がり、頭からたっぷり水を被った。
それだけでは落ちないので何か擦る物が欲しくなり・・・千切れた服を使おうかと思ったところで、自分の今の格好に気付いた。
酷いどころでは無かった。半裸どころじゃない。四分の三裸だ。
最初の落馬と激突、更に自分の魔術で焼け、服の機能を殆ど喪失していた。
流石に恥ずかし過ぎる。何をするにしてと着替えないとどうしようも無い。
「スィラ!戻るぞ!」
スィラが指笛を吹くと、どこに隠れていたのか、黒馬が駆け寄って来た。
手綱を掴みひらりと跨るスィラに、無理矢理飛び乗る俺。スタイリッシュな乗り方など模索している場合では無かった。
帰りはスィラに「思いっきり飛ばせ」と許可したところ、彼女は嬉しそうに、本当に嬉しそうに馬を駆り・・・まあ、とにかく速かった。やっぱりこいつは馬じゃ無い。単なる怪物だ。俺の中で確定した。誰が何と言おうと馬では無い。異論は勝手に言っていろ。
「とりあえずは・・・お疲れ様ね」
そう言うツィーアの方が疲れて見えるのは皮肉だろうか。
場所は変わり領主館。その執務室だ。本来この部屋の持ち主はボートル準男爵である。それを疑問に思い問うてみる。
「・・・《スクウィッド》に結局やられちゃって・・・」
生きてはいるんだけど・・・と答え辛そうに言いつつ、手刀を作ってぽんぽん、と己の太股を叩く。
「右脚を切断する大怪我をして血を流しすぎたらしくて、今は絶対安静よ。とてもじゃないけど公務を出来る状態じゃないわ」
ま、暫くすれば元気になるでしょうね、と。
「顔色は悪かったけど、受け応えはしっかりしていたから」
そうか。しかし、怪我をなされてしまったか。どこでやったのだろうか・・・まあ、俺達が来る前らしいからどうしようと無いか。
「気に負う必要は無いわよ。責任があるとすれば逃がし切れなかった護衛の所為だから」
罰しはしないけどね、と、ティーカップを置き、代わりに机の上からある物を手に取る。
「・・・主な被害は耕作地が何枚か、と道路ね」
被害については補填出来るらしい。その財源は・・・。
「・・・まあ、不幸中の幸いというか財貨というか・・・」
ツィーアの手にあるのは、銀白色の破片。《スクウィッド》の大棘の一部だ。
戦闘で砕け、撒き散らされた破片は、こんな手に乗る様な小さな物から数人掛かりで運ばなければならない程大きな物まで様々。そのどれ一つ取っても、莫大な価値を秘めている。
主な用途は武器、工具の貴重な材料となる。身体から突き出た部位であったからか、《スクウィッド》の部位としては脆い部分だったが、それでもそこらに流通する鋼よりは、硬く、強靭、それでいて軽いという驚異の素材。
そもそも《スクウィッド》という魔物自体が希少で、尚且つそれが倒される事は稀中の稀で、まず素材など出回らないらしい。今流通しているのは、製品に加工され、工房で長年使用され続けた工具だとかにしか残っていないという。
需要は高く、やり方によってはかなりの価格設定でも飛ぶ様に売れるかもしれない、とはツィーアの弁だ。寧ろ今回の被害の分を差っ引いてもプラスになるらしい。
「あー・・・そうだ。エリィ、なんか欲しい物ある?」
藪から棒だな。突然どうしたのだろうか。
「ええっと・・・今回、エリィが《スクウィッド》撃退という前代未聞の偉業を成し遂げちゃった訳だけど・・・」
単独での《スクウィッド》撃退。本来一軍を以って対処するそれを、スィラの手も借りる・・・程でもない援護を受けつつもやってしまった。
「今回は外部への依頼って形を取ってるから、何らかは報酬を払わないといけないのだけれども・・・」
ぶっちゃけて言えばナンボ払えば良いか分からないのだ。あまりに事が事過ぎて。
「一応、他の魔物の討伐依頼とランクからは計算はしてみたけど・・・見る?流石に払えないわ」
何やら数字がびっしりと並んだ紙片。・・・最後に単位のオルドがついているあたり、金額なのだろうが・・・十桁、己の全財産を超えたあたりで数えるのを辞め突き返した。
「金は・・・小遣い程度で良い」
ツィーアは羽ペンを取り、並ぶ零にすーっと横線を引いて行く。途中でインクが切れたからか、浸してもう一度。それでも八桁並んでいる。金貨数十枚分の金額だ。俺の全財産の何割かだ。
「これだけは払っておくわ。こっちの体面的な問題だから」
どうせここの金庫から出るお金だからね、と。血も涙もねぇな。
「後は・・・現物支給になるかな・・・」
何か無い?と聞いたのはその事だったらしい。・・・現物か。別に無いといえば嘘になるが・・・駄目になった服の代わりの新しいのが欲しいし、飯は腹一杯に食いたいし・・・。
と考えてチラリと後ろに控えるスィラを見てみる。
珍しく座り、膝に手を乗せてもじもじと脚を動かし・・・俯き気味で目だけはこちらをじっと見ている。何かを懇願する様に。
上目遣いのスィラ。ギャップがヤバイ。何か俺の中から来そうだ。こう、何か、愛おしさに似た何かが・・・。
と、そうだな。スィラに何かやるのも良いか。
「今日借りた馬を正式に貰う事は出来るか?」
そう、あの黒馬改めてモンスターだ。
あの雄馬をスィラは異様に気に入っていた。先程厩に繋いで来た時も、名残惜しそうに何度も振り返っていたのは気配で分かった。
確かに良馬で、スィラとの相性も良いと思う。向こうも良く従っている。
馬は足だ。この世界では最も良く使われる移動手段であり、当然、その能がある馬の価値は高い。その観点から見れば、あの黒馬は最高峰である筈。
なら貰っておいても良いだろう。あって困る事は・・・まあ、餌なら何とかなると信じて。道草でも食わせていれば節約にもなるだろう。
「ええ、牧場主と掛け合っておくわ」
後は今日と明日の食事を豪華にして貰う事で手打ち。晩飯は山程、この町の特産の品々を腹に納める事が出来た。目指すはこの夕食と明日の朝食で全メニューの制覇だ。
三分の一、生姜と野菜の煮出汁で味付けた角煮を平らげた所で、流石に腹がキツくなったので寝る。いやぁ、食って寝るだけの生活がしたい。それは食用豚か。牛か。
まあ、たまには良いだろう。ゆっくり食って、話して、寝る。そんな平和。
本来なら、いや、表面上は良い事だ、と思う。
だが、俺の内面は言う。
退屈だ、と。
それは俺の心か、はたまたは別の物か・・・。
沸き起こった嫌な、黒い衝動はその晩、さながら若い性衝動の様に一向にその気配を納める兆候を見せなかった。
「退けられた?縄張り争いに負けた個体とはいえ《スクウィッド》が?大した戦力も無い一農業都市に?」
「信じられんのもしゃーないかもしれんけど、実際そうなっちまったからな?」
未だ破壊の跡も生々しい、ボレーフェルト南端、その耕作地であった森の側。一組の影が言を交わす。
「なんかえらく強い旅人が居ったらしくてな。そいつらが追っ払っちまったらしいね」
チッ、と舌打ち。至極真面目にこの仕事を考えている彼に対し、こちらはテキトーに付き合っているだけ。理由は面白そうだからだ。
「襲撃に見せかけた誅殺・・・やはり確実性に欠けたか・・・」
こうやって人間が必死こいて知恵絞って、同族を殺そうと四苦八苦するのが堪らなく不思議で、面白い。
相手が何であるか知らず、調べず、のうのうと己には何も起きぬと思っているこの目の前の人間の存在が堪らなく愉快だ。
「まあ良い。次の手を考えよう。行くぞ」
「ほいほい」
・・・堕落した混沌主義者に死を・・・。
人影は宵闇に溶ける様に消えた。
※11/28誤字修正




