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白銀の残光 -pLatonic Clematis-  作者: BatC
第二章
48/94

火急

前半に妄想丸出しの筋も通っているか怪しい説明がありますが、キョーミないです、という方はすっ飛ばして貰ってもあまり問題は無いです(ぇ


今回はかなり短めです。


その生き物は美しい。幾数百もの時を生きれども、それには魅了されざるを得ないだろう。


しかし綺麗な花には棘があるという様に、この花にも身を抉り切り裂く棘があると、当然の如くわたしは考える。


それはどの様な形で、誰に、何時突き立てられるかは分からない。避ける事は困難だ。


その手の人物と付き合う時、重要なのは刺さった後の備えをしておくことだ。


少なくとも、針を抜くピンセットと、傷口を洗う水くらいは。










転移魔術という、複雑かつ高度なイメージ、更に精密な計算を要するこの最最上級魔術は、実を言うと、いくら闇妖精でも相当な修行を積まなければ満足に扱うことは叶わない。


転移魔術は、主に二つのアクションから成り立っている。


闇妖精の練習の一つを例示しよう。仮にまず自分の右手の上に一つの石ころがあるとする。これを左手の上に転移させるとする。


この状態において、右の手の上には石ころが存在しており、左の手の上には石ころは存在していない。言わずとも見れば分かるだろう、と言うのは筋違いだ。転移魔術において、この状況を如何に正しく認識出来ているか、という事が最初に重要な事になるからである。


転移魔術は単純ではあるが、そこには闇魔術の究極とも言える芸術的かつ精緻な術が使われている。


即ち、消滅と否定。そして代替。


右手の石ころは存在しないとし、左手の何も無い空間に石ころが存在すると仮定する。


勿論、普通に考えてそれはあり得ない事だ。石を持っていれば右手にその重みと感触はあるし、左手にはそれが無い。


だが、それは無視する。


ここで漸く魔力を用いる。魔力は方や石に、方や何も無い左手の上、いや、"何も乗っていない"右手の上と、"石が存在している"左手の上に。


ところで、この世の凡ゆる物には、その場に存在しようと己を保持する力が働いている。これは妖精界、ひいては闇妖精族の中では周知の事実であり、存在力と呼称する。


通常石ころは存在力をほぼ完全に保持している。しかし、"自分が知覚していたその存在を己の全身全霊魔力に至るまで用いて完全に否定する"事により、僅か、ほんの僅かにその存在力が薄れる。因みに他の者がその存在をひたすらに認知しようとし続けたりすると失敗率が大幅に上がってしまう事があるから、出来れば他の物にはそれにあまり注目しない様にしてもらう事を推奨する。


そして対象の存在力が揺らいだところで、否定の力を持つ闇魔術の魔力を使って一気にその存在力を希薄化するのだ。


同時に左手の上、そこに石ころがあると全力を以って断じる事により、何もなかったその場所に同じく、ほんの僅かにその石ころの存在力が現れる。そこに同じ様に闇魔術の代替の魔力を使って存在力を高める。


左手の石ころの存在力が右手の石ころの存在力を上回れば、もう転移は成功したと言って良い。あとは勝手に多い方に存在力は流れ込んで行く。後に説明はするが、存在力の絶対量は、この世において完全に一定に保たれており、例え存在力が別れたとしても、より大きな存在力の欠片に集まって行く性質がある。


初期の存在力の操作は観測も出来ない程に小さな力だが、何事にも切っ掛けは必要だ。魔力はあくまで最終的な動きを促すのみである。


つまりコレは思考を以ってしてその存在力を操作する事により、その物が存在する筈の場所を入れ替えるという技なのである。


勿論、コレは失敗すると大変な事になる。


一番マズイのはその存在力を霧散させてしまう事だ。その結果その物が辿る末路は一つ、即ち消滅である。


存在すら忘れ去られ、最初から無かった事になる完全なる消滅だ。


これに関連して、この転移のさらに細かい所を説明しよう。


転移は何も三次元座標上を移動するだけの術では無い。やろうと思えば時空軸上すら移動することが出来る、と理論上は言われている。


だが、自分たち妖精が使うのは三次元座標上の移動のみだ。それは何故か。


簡単に言えば、時間軸という概念が難解過ぎるというに尽きる。


そもそも、時間軸とはどう表すのか、それが分からないからしてどうしようもない。


三次元座標は簡単だ。三本の前後、左右、上下を貫く直線のイメージからそれぞれ算出すれば良い。


では、時間軸も含めた四次元座標はどう表すか?


そもそも四次元座標をグラフにて表記する方法が、現在の妖精界の学問では成されていないのだ。これではどうしようも無い。


よって時間旅行は困難、術的には発動させる事が出来るかも知れないが、発動させた所で、己が存在する時間も、そして転移先の時間の尺度も分からないが為、一体何処の時代に飛ぶか分かったものでは無い。もしかすると昨日に飛ぶかも知れないし、数百年、更には数千万年前の古代に飛んでしまう可能性すらある。


まだ自分が産まれる遥か前に飛べた者はまだ良い。最悪なのは、過去、もしくは未来、自分が二人存在するという状況だ。


時間旅行をする上で、絶対にやってはならないとされる事が一つだけある。


それが、自分の居る時代には決して行ってはならない、というもの。コレには先に言った存在力が大きく関わっている。


先に同質の存在力は大きい方に集まる性質がある事を述べた。では、全く同じ存在力が、同一時間に二つ以上存在する場合はどうなるだろうか。


例示しよう。ある男が居たとする。彼を未来、一時間後の世界に転移させる試行をする。


一時間後に彼を飛ばす事に成功したとしよう。すると、一時間後の世界には、その全く同じ男が二人居るという数奇な状況に陥る。


ここでもう一つ存在力に関する事項を補足しよう。


世界に存在する、単一存在の存在力の総和は常に一定である。


男の存在力の総和が1として、それが世界に1.1存在するだとか、0.9になるという事はあり得ないのである。


コレがあるから、先の転移では存在の否定と代替を完璧に同時に行わなければならない、という事が、転移魔術の難易度を飛躍的に高めている。高度な並列思考を要求されるのだ。


話を戻す。先の一時間後の世界では、仮に存在力1の男が二人いる。全く同等の存在力をそれぞれ持つ存在が。


この状態は極めて不安定だ。もし、どちらかの存在力が僅かでも揺らげば・・・多い方にその存在力が一気に流れ込む。


しかし存在力を収める器の容量は限られている。溢れた存在は何処に行くかというと・・・世界に溶け出してしまう。そして世界という溶媒に溶け出した存在は、"存在しなかった"事になる。実質上の消滅だ。


大抵、二人とも真っ暗な仕切られた誰も居ない部屋に、誰にもそこに居るとは思われて居ない状態で実験を行わない限り、もともとその場に居た一時間後の彼は誰かに認識されている。その場に突如現れても、後から現れた方は、認識される事による存在力で、一時間後の彼に勝つ事は出来ない。


つまりは基本的に転移した瞬間、飛んだ方の消滅が始まってしまうのだ。


おまけに未来の彼の命運も悲惨だ。過去の自分を失った事により、その彼がそこに存在する、ここまで生きていた、という条件が成り立たなくなる。


すると世界は辻褄を合わせる為、未来の彼をも消滅させるのだ。これを世界の修正作用という。


時間軸は変化した全ての要因を含んで最終的には必ず成立する。


これがこの試行から得られた結論だ。過去に死んだ人間が未来に生きているという事はあり得ないのだ。


実は、この実験は過去に実際に行われたらしい。


らしい、というのは、誰もそれをやった人を覚えて居ないからだ。


つまりは"消滅した"という事。


では何故それがあった事が知られているかというと、その実験をした彼は置き手紙を残した。


上記の仮定と共に、これから何をするか、と、「もしこの自分の名前に誰も見覚え聞き覚えが無ければ、私はこの世界から消滅した事を意味する」と記された物を。


そこに同じく記された彼の親すら、彼の事を覚えて居なかったらしい。一人っ子だったらしく、子供は彼以外に居なかったそうだが、子供を産んだ事すら覚えて居ないという凄まじさだ。更には何処で誰と子作り、ひいては処女喪失をしたのか、という事すら覚えて居なかった。


この完全なる消失は学会の元老の肝を冷やさせ、時間旅行をタブーとさせるに十分なケースだった。


この手の消滅という恐るべき事故を恐れた結果、転移魔術はより厳しく訓練、管理される様になったという。


無論、妖精並の魔力コントロール能力が無ければ、ましてや人間という魔術を使える種の中でも下等な存在には転移魔術など使う事も出来まい。


平均的な魔力量に関して見ても、闇妖精は光妖精を除いた他の妖精の優に五倍、人間からすれば五十倍近い平均魔力量を有する。それを以ってしても、転移魔術というのはその魔力を軽く枯渇させる程に魔力を食う。


だから、人間の身でそんな物を使おうとするのは無理があるし、実際不可能である。










「・・・っていう事なんだけど分かった?」


月も雲に隠れ、明かり一つない夜、馬車の内で蝋燭の炎を灯りに、転移魔術なるものについて聞いていた。


「・・・まあ、概念的には」


転移魔術と言う瞬間移動の本質的な物を話してくれたのは良いが、イマイチピンと来ない。凄いな、とは思うが。


要約すると、転移魔術はいくら向いている闇妖精でもかなり頑張らないと上手く使えない。一応理論上は時間上も移動する事が出来るが、研究が進んでいないから駄目。失敗すると最悪存在すらこの世から消滅する危ない技である、という感じか。


「あとは、飛ばす物の存在力が大きければ大きい程魔力は多く必要っていうのがあるかな。存在力の多寡は単純にその大きさではなくて・・・なんて言うかな・・・世界に対する影響力?が関係あるって言われてるの」


だから、と一度言葉を切って水を口に含む。


「物より生き物の方が基本的に存在力が大きいよ。何せ大抵の物は自分からじゃ何にも出来ないからね。でもまあ、もっとも・・・」


チラリ、と俺の枕元。横たえられた【カルマ】を見る。


「・・・例外は何事にもあるけど」


座席の対面に視線を向けると、だらしなく口の端から涎を垂らしたツィーアが、すぅすぅ、と穏やかな寝息を立てている。三分も無かったか、ニーレイの講義が始まってから彼女がギブ・アップしたのは。


ニーレイは、馬車の壁に背を預け、毛布を膝掛けにする俺の太腿の間に、その小さなお尻を落としている。具体的に言うと、少し開かれた脚の間を渡す毛布をハンモックの様にしながら。


「わたしは存在力が結構多いから、自分を転移させるのにも結構使っちゃうっていうのは、なんか、皮肉だよね」


ホントは色んなとこに自由に無制限に行けたらいいのにね、と、ゴロンと話は終わったとばかりに転がる。


「・・・何年経っても、ホント変わらないよね。人間って」


ポツリ、と掻き消えそうな声で零す。


「人間である私にそんな愚痴を零すというのもどうかと思うがな・・・まあ、それには大方同意出来るがな」


人間の世界、結局二千年以上の歴史があった。だが、結局は繰り返しだった。争いという名の。


「弱いくせにさ、いっつも他の人より優位に優位に立とうとしてさ、結局それで何が得られるっていうのさ」


そのために迷惑被るこっちの身にもなって欲しいよ、と翅を畳みつつ愚痴る。


「弱いから自分より弱い存在が居ないと不安なんだよ、人間は」


ふん、と一つ鼻息を漏らすニーレイ。先程与えた小さな布に包まる。


「・・・エリアスは他人事みたいに話すよね、おんなじ人間の事なのに」


そうだな、と燭台の端に掛けられた火消しを蝋燭に被せ、火を消す。


「・・・だから、滅ぼした」


え?という声は無視した。


ニーレイが落ちない様に気を付けながら毛布の中に潜り込み、目を閉じる。


「・・・どうすれば良いのだろうな」


一層の事、人里離れて隠れ住むのが良いのだろうか。


「・・・弱い、か」


こう考えてしまう自分も、人間らしく弱いのだろうな。










翌日の昼過ぎ、俺達はボレーフェルト東端。門を潜りすぐの所の広場に立っていた。


ボレーフェルトは自然豊かな町だ。草地が多く、転々立つ家屋と、広大な農場。柵で囲われた牧場と、広大な耕作地が広がる。


ここの領主というか、町長はツィーアの知り合いらしい。比較的建物が集まっている中心地、その中で最も大きな建物、領主館に歩を進めた。


知り合いと言うその領主はどの様な人物であるか?と問うと、ツィーアは何やら懐を漁りながら顔を向ける。


「普通のおじさまよ?領地が隣だから交流があったの」


言ったら悪いかも知れないけど平凡ね、と中々にキツイ事を言う。


「でも、まあ良い人なんじゃないかしら」


スカートのポケットの中にあった物を確認した様だ。何かは知らないが。


「人里でもこんな田舎は久しぶりだな〜・・・うーん!空気が美味しい!」


俺の少し開いたシャツの襟から顔を出しているのはニーレイ。一応は隠れている "つもり"だ。


認識阻害の魔術を使っている為、大抵の人間は気付かない、というか、注目出来ない。


認識阻害魔術、『ディスセプション』は中級の闇魔術だ。因みに俺は使えない。闇魔術は苦手なのだと。


本格的に姿を消したりする、より上級の術とは異なり、あくまで一般市民など、魔術的な物に注意を払っていない者の"意識"を逸らす魔術。


例え目の前に、視界の中にそれがあったとしても、それがそこに有るとは認識出来ないのだ。その相手の頭は、それを無い物として扱ってしまう。


だから平然と自分にそれを掛けた彼女は頭を出しているのだが・・・一つ言うとな。


「襟を掴むな、型崩れするだろう」


第二ボタンの上に手を掛け、腕力だけで・・・いや、翅も使ってズルをしているな。だが体重が掛かっている事には変わりないぞ、君。


この妖精、別に重くもなんともないのだが、それでも重量はニキロ前後あるのだ。あまり縫製技術も無い世界の編み目も荒いシャツ、伸びない保証など何処にも無い。最低でも皺になる。こっちの持っている服は少ないのだから、駄目になる行為は謹んで貰いたい所だ。というか、入るなら襟元では無くポケットにでも入れば良いだろうが。もしくは自分で飛べ。


「え〜、だって居心地良いよ?ココ。魔力濃度も高いしあったかいし、すべすべだし、"余計な肉塊"も無いsおぼぉッ!!?」


・・・胸を馬鹿にされた瞬間、自分でも何故だか分からぬ憤怒に駆られ、シャツの背を引っ張りぶら下がっていたニーレイを胸板に叩きつけた。彼女はその衝撃でシャツの下の方へ。


・・・何故だろうか、別に何とも思っていないのに反射的に手が出たな。自制が効かないとなるとコレはあまりよろしくない兆候だな。反省反省。


「い、いきなり酷くない?」


服の中から声。自業自得ではないか?多分、俺は認知出来ぬが一応持ち合わせているらしい、己の女の部分が反応したのではないかと思うから。


「・・・ニーレイさんもデリカシーが欠如してるわよ・・・」


エリィだって女の子だもんね?と労わる様な、慰める・・・いや、負け犬が舐め合う、いやなんでもない。だからツィーアよ、目からハイライトを消すのを辞めてくれ。怖いから。


「くぅ・・・お子ちゃまのくせにぃ・・・このっ!このっ!」


ぺちぺちとお腹を殴って来るも、全く効果は無い。残念だったな。


暫し腹を攻撃する小さな手の感触を感じていたが、意味が無い事を悟ってくれた様である。


が、そう考えた俺は甘かった。案外コイツは執念深かったのだ。


「これならどうっ?ていっ!」


服の中で飛び上がる気配。何をするのかと思った途端・・・。


物凄く妙な感覚が背筋を奔った。


なんだか肩甲骨の辺りから尾骶骨のあたりに掛けて電流が流れた様な。


その感触に思わず、ビクリ、と肩を跳ねさせ停止する。


訝し気に振り返るスィラに、キョトンとするツィーア。その視線が刺さるのが、珍しくも限りなく恥ずかしい。


襟を引っ張って中を覗いてみると・・・ニーレイがドヤ顔で手を掛けていた。その・・・胸の先端に。


そう理解した瞬間、己の頬が段々と引き攣り、自分でも分かる程に口の端が歪に吊り上がる。


「・・・」


「ふっふふふ、ふ・・・ふ?」


どうしてやろうか、と掌をわなわなと震わせる俺を見、得意気な顔から一転、笑い顔のまま固まるという器用な事をしてくれた彼女の胴を、服に手を突っ込んで捕まえる。


ニコッと笑い掛けると、ニーレイもニコリと、頬を引き攣らせながらも笑みを返してくる。


「言い残す事は?」


「た、大変良い感度をお持ちですね・・・」


反省の色も無し。情状酌量の余地は皆無、と。


ふっ、と表情を消し、『アイスアロー』を精製、その中ほどにニーレイを押し付けると同時に水を掛けながら瞬時に凍結させ、貼り付ける。


「え、まっ、まさか・・・ちょっ!悪かったから!待って!早まらないで・・・」


ふう、と一つため息。


「どうせ戻って来られるだろう?」


天に向けて射出。「ああああぁぁぁぁぁ・・・」とエコーを引きながら飛んでゆく『アイスアロー』に心の中で敬礼。ざまあみろ。


と、思えば目の前にパッとニーレイの身体が出現した。


「酷くない!?あまりの加速度に中身が股から全部飛び出ちゃうかと思ったよ!?」


股から飛び出るって・・・想像すると中々エグい光景だな。


「安心しろ。世の中には180Gの重量が掛かっても生きている奴は生きているらしいからな」


じーって何さ・・・とぼやくニーレイが・・・やっぱり襟に入るのか。


今度やったら、今度は音速の空の旅をプレゼントしてやろう、と心に誓いつつ、止まっていたスィラとツィーアに「行こう」と促す。


目の前には既に領主館の正門が見えていた。










「申し訳ありません・・・旦那様は現在外出しておりまして・・・」


出迎えたのは使用人だった。どうやらこの屋敷の主は留守らしい。


「どれくらいで戻って来るかしら?」


「先程お出になったばかりですので、恐らくお戻りになられるのは夕刻になるかと存じますが・・・お待ちになられますか?」


まだ時刻は日も高い昼下がり。日が落ちるまではまだ三時間程もあるだろう。


その時間をただ待つと言うのは、あまり有意義な時間の過ごし方とは思えない。ツィーアもその辺りは分かっているだろう。


「・・・なら夕方にまた来るわ。同行者がこの町を見て回りたいらしいから」


畏まりました。旦那様にお伝えしておきます、と頭を下げる使用人を背に、結局は再び町に繰り出す事になった。


折角なので、この町には何処か名所は無いのか、と聞けども、本当にこの町は畑と牧場しか無く、町の設備としても、そう娯楽施設は無いとのこと。


「ここの領主はあんまり都会が好きじゃなくてね・・・」


ここの領主である、ボートル準男爵は、今年五十三歳。昔から文官気質で、そもそも領主となったのも、中央の文官から出世しての事らしい。今でも文官であった経験を活かし、よくこの領地を治めているという。


だが、武の方は空っきしで、しばしば魔物や賊の跋扈を許してしまう。そこで重要になって来るのが、隣のアルタニク伯爵家だ。


ツィーアの治めるアルタニク伯爵領は、昔から西方軍管区、そして準戦時下にあるヤールーンと面して居る為、王国正規軍である、国防軍、魔術師団それぞれかなり駐留している上、私兵とも言える領軍もかなり質、量共に優れているという。


アルタニク伯爵領の軍事力は、魔術師を擁する王国正規軍が約千五百、通常兵力である領軍は五千、述べ六千五百にも上る。これは一領軍としてはかなり多い。


そもそも、アリエテ王国そのものが持っている常備兵力が、魔術師通常兵力合わせ二万と少しぐらいだ。


最も多い領軍は、単独で一万にも及ぶ兵力を有している事もある。


そんなんで国を反乱が起きたりでもしたらどうするのか、と心配する者も居るかも知れない。だが、ただの領軍と王国正規軍には決定的な差がある。


その一つが、魔術兵力の差だ。


王国正規軍には、二つの魔術師団がある。


一つは宮廷魔術師団。千もの兵力を誇る魔術師部隊で、その誰もが強力な上級魔術を操る熟練兵だ。


上級魔術師は戦術級の兵器である。単体でも一般兵数十、下手をすれば数百にも匹敵する戦力となり得る。王国が抱える魔術師は、その誰もが例に漏れず、一瞬で数十もの敵を薙ぎ払うポテンシャルを秘めている者ばかりであるという。


相手の魔術師の存在を考えなければ、単純計算でこの宮廷魔術師団千名は、場合によっては一万も二万、下手をすれば十万もの兵に匹敵する価値があるのだ。


他に、近衛魔術兵団という更に上位の部隊を擁する王国は、この程度の兵力を持つだけでも十分なのだ。


話が逸れた。アルタニク伯爵家との因果関係の話だったな。


軍事力に比較的優れるアルタニク伯爵家は、このボートル準男爵領から極めて安価で農作物、酪農製品を受け取り、代わりにこの土地の治安維持と防護に兵を割いている、という関係にあるらしい。なるほどな。


だから、言い方は悪いかも知れないが、ここは完全にツィーアの息の掛かった地域。ツィーアからすれば自領と対して変わらないのだ。


事実、町を巡回しているらしい、武装した兵士はツィーアを見た瞬間、驚いた様な顔をしつつ敬礼をする。それに対し彼女は微笑みながら軽く手を挙げるだけで応える、という事が何度もあった。


・・・ただ、兵士が彼女を見る目は、なんだか生暖かかった。やはり可愛い女の子には皆弱いのだろうか。口元が緩んでしまっている者がちょくちょく居た。ミムルが咳払いをすると皆背筋を伸ばし、仕事に戻るが。・・・通り過ぎた瞬間、ミムルの脚元を凝視する辺り、男ってやっぱり・・・と思いそうになる。


考えてみれば、ミムルも結構な美人の類に入る。


ヘッドドレスの向こうに見える、外側に少し向いた猫耳が立つ頭のショートに揃えられた栗毛は艶があり、手入れを欠かして居ない様が見て取れる。


髪よりは薄い茶色の瞳孔は人とは異なり、縦に長く、大きい。目尻は吊り上がっている訳でも無く垂れ下がっている訳でも無く、鋭い訳でも柔らかい訳でも無く。


鼻は少し低いが、その小さな口とのバランスが取れており、顎の小ささもあってかなり小顔に見える。


胸は大きくも無く小さくも無く。使用人服の上からではあまり目立たない。


細い腰を経て臀部に至る線はあまり起伏に富んでいるとは言い難いが、細身で何というか、スレンダーだ。


脚もスラリと長く、筋肉は少ない様に見えるが、使用人として立っている事が多いからだろうか、引き締まり、それでいて柔らかそう。女の魅力は損なっては居ない。長スカートの切れ目に見えるキュッと引き締まった足首が魅力的である。


ツィーアも幼いながらも将来有望な美少女だしな。兵のモチベーションも高いだろう。色々な意味で。


店で小腹を満たす為・・・俺は肉とレタスっぽい葉、それにトマトだと思われる野菜の輪切りが挟まったホットサンドと、なんだか物凄く久々に飲む牛乳。


この世界で牛乳を飲む事は極めて難しい。何故なら簡単に腐り、細菌が繁殖してしまう生鮮食品だからだ。


飲むにはこうした生産地に近い地域で新鮮な物を煮沸して飲むしか無い。だからか、牛乳もそのまま暖かい、ホットミルクが主流である。冷やすのには手間が掛かり過ぎる為である。


だが、俺が飲みたいのは冷たい牛乳である。魔力を惜しむ事無く氷を生み出し、瓶ごと冷やす。


「・・・それって冷やしたら美味しいの?」


どうやら牛乳があまり好きでないらしいツィーアが、俺の手元の凍り付いた瓶を覗き込んで来る。


俺は結構好きだ。カルシウムを摂る事で頭が冴えるし、その他重要な栄養素もかなり摂れる。つまりは身体に良い。元は牛の血が乳房の中で濾過された物と考えればそれも当然だとは思うが。


「ふーん・・・"えいようか"って言うやつ?」


最近だが、メモ魔ツィーアは俺が口走る今の時代には無い言葉・・・皆の言うところの古代語を少しずつ覚えつつある。しかも微妙な言葉ばかり・・・まあ、それは今はいいか。


・・・そういえば、だが。


「・・・胸が成長する・・・」


という都市伝説があった様な、と言う前にツィーアは牛乳を注文していた。驚異の反応だった。


「エリィ!冷やしてくれる?」


ずいっ、と眼前に突き付けられた瓶を前に、頬を引き攣らせるしか無かった。










そうして時間を潰す事三時間。領主館に戻った俺達を待っていたのは、慌ただしく敷地内を行き来する使用人やら兵士達。


「何があったの!?」


尋常ならざる事態が起こったと思われるこの様子に、さしものツィーアもスイッチを切り替え、使用人の一人を捕まえた。


「申し訳ありませんが今は・・・あ!失礼しましたアルタニク伯爵様!」


「今は挨拶なんていいわ、何があったの?」


キッ、と鋭い目で使用人を下からとはいえ見据える彼女。身体は小さい。だが、その身から出でる覇気は完全にその使用人の存在を飲み込んでいた。


「の、農地に視察に出ていた旦那様が・・・」


魔物に襲われました、と。


俺がそれを理解するには数瞬の時を要した。


・・・緊急事態?


ガシャリ、とスィラが斧槍を組み上げる音が嫌に良く耳に響いた。




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