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白銀の残光 -pLatonic Clematis-  作者: BatC
第二章
45/94

欠落

風邪が長引いてつらいですね。

出立の日。


お袋の味を覚える様に噛み締めながら朝食を平らげ、身支度をする。


突然の事だが、歯磨きの事だ。


幾ら普段甘味、ひいては砂糖を使う物を食べることは、前世に比べ圧倒的に少ない。味付けは基本塩やら動植物の出汁。甘いのは時折食える果物くらい、まあ、寮では望めば甘い砂糖菓子でも何でも食えるのだが、結構味は濃く、くどいのであまり俺的には食べたくない。カルセラなんかはしょっちゅう、見ている此方が胸焼けを催す程ばくばく食べていたが、俺には何か違う生き物に見えたのは記憶に新しい。


話が逸れた。歯磨きだ歯磨き。


この世界での歯磨きというのは、まあ、食後に口の中に指を突っ込んでごしごしとこすったり、繊維が細かく、柔らかい木を口の中で噛み潰し、潰れた其れで歯を磨いたりするのだ。当然、歯ブラシなどと言った気の利いた物は無い。


前世において、軽度ではあったが受験期など、精神的負荷が多かった時は虫歯などを作ってしまった経験がある。そういう時は何かと疎かになってしまう物だ。


虫歯を削るあのドリルは神経に届かずとも、摩擦熱と振動と高周波音の不快なハーモニーを口内にぶち込んで来る嫌な、とても嫌な代物だった。まあ、この世界では歯医者など居ないので、虫歯になれば最後、歯が腐り落ちるまで其の儘なのだろうが。


この世界では虫歯などはそもそもが若者には少ないらしい。まあ、食生活が質素なのもあるだろうが。勿論、金持ちで菓子を食う奴には歯が真っ黒で抜け落ち、差し歯だらけの人間もザラに居るらしいが。


俺もその辺り、前世虫歯を作ってしまった時から歯磨きはしっかりと心掛ける様になった。


大切なのは食後、酸性になってしまう口内を中性、最低限弱塩基性に保つ事であって・・・と、それはいいか。


兎に角、俺はこの満足に歯も磨けない現状に、少々危機感を覚えているのである。


母も偶にだが、水などを飲んだ節に奥歯が染みるらしく、痛そうに鏡の前で口の中を覗き込んでいたりする。大変そうだな。そのうち削り取って、光硬化樹脂でも流し込んでやりたい。虫歯の治療とは基本的に削って、埋めるくらいしか方法が無いというのも辛い事だ。


最初、指を口の中に突っ込んでこすれども、勿論細かいところなど磨けはしないし、何よりはしたない。


柔らかい木を棒を使うのはまあ、磨ける事には磨けるのだが、ささくれた先が歯茎や頬に突き刺さるのだ。魔力で口内を強化すれば良いのだが、一々歯磨きに肉体強化術を使うのもスマートでは無いし、何より無駄だ。


何とかして歯ブラシ、少なくとも其れに準ずる物は無いかと考え、色々と知識、情報を集めてはいたのだが、どうも歯を磨く用途としての物は無い様だった。


だから、作ることにした。必要なのはベースのスティックと適度な硬さを持つブラシの毛。


ベース部分は、俺はプラスティカーという極めて便利な精密加工機器を使う事にして・・・問題はブラシなのだが、まさかナイロン製の物があるはずも無く、何か適当な物を彼方此方で探す羽目となった。


・・・結果から言うと、素材は案外近くにあった。というか最近になって近くに来た。


何かって、スィラの手首の毛だ。そこそこ硬く、短く切れば十二分にブラシになりうる。


・・・嫌じゃないかと言えば嫌なのだが、もう、コレ以外に思いつかなかった。まあ、徹底的に煮沸消毒して脂も落としたので、不潔さは無いと思う。


使い心地はまあ、其れなりだった。ビジネス・ホテルで化粧室に置いてある使い捨て歯ブラシ程度には使えた。


・・・しっかり目立たない様に、手首の内側の毛を貰ったので、スィラも渋々、何に使うのか、と訝しがりながらも提供してくれた。


などと、すこし前の事を思い浮かべながら荷造りをした。


ツィーアは持ち込んでいた書類と木簡、その他荷物と大荷物であるが、俺は身軽な物だ。旅着が少し増えた着替えと武器のみ。スィラに関しては一番嵩張る背丈を超えていたハルバードを分割出来る様になった為、荷が減った様にさえ見える。


馬屋から二頭の馬をミムルが引っ張って来て馬車に繋ぎ、鬣を梳いていた。


「三日なんてすぐだったなぁ・・・これからアルタニク伯爵領だったか?遠いよなぁ・・・」


頭に包帯を巻いた痛々しい姿の父が頭を掻きながら見送りに出てくる。昨日、スィラにハルバードの柄でぶん殴られたのだ。其れが軽い頭の裂傷で済んで居るというのには、不可解な物を感じる。こいつも大概だよな。


因みにその場で治癒魔術を使って治す事は出来た。コレには母の「少し痛めて反省すれば?」という厳しい厳しい愛情の結果である。愛が重いな?


「何かあったら、何時でも帰って来ていいんだからね?」


まるで田舎から子供を送り出す祖母・・・いや、母だけども。老けた事を自然に言うものだな、と思っただけで、


「・・・・」


さて、問題はツィーアである。昨日リビングで話してから様子がおかしい。


口数少なく、時々何か言いたそうな顔をするものの、すぐに言葉を飲み込んでしまう。


俺が古代文明を滅ぼした〜の下りを聞いたあたりでおかしくなったので、何か思ったのかも知れない。後で、冗句だ、と慌てて付け足したのも聞いていなかったのかも知れない。


お節介かと思ったが、何と無く水差しに細かい氷を流し込んでおいた。冷えた水はこの季節には何よりだろうから。


こんな時はどんな風な態度を取れば良いのだろうか。そもそも、向こうの考えている事が分からなければ対応のしようも無いから、即座に何か出来る訳でも無いのだが。それでも、コレは少し厳しい。何せ馬車中では、ミムルとスィラがすぐ其処にいるものの、事実二人きりなのだ。空気が重いのは勘弁して貰いたい。


そんなこんなでツィーアの横顔を視界の端で眺めていると、父が近寄って来て、耳元で囁く。


「デキるとしたら、弟と妹、どっちがいい?」


コレには思わず噴き出す。あのなぁ、まだ初潮も来てない娘にコレを聞くのは・・・いや、よくよく考えれば問題は無いよな。別に良くない事は何も言っていない。なるほど、下種の勘繰りだったか。汚れているとは辛気ことや。


「・・・選べるようなものでは無いのでは?」


と俗に言うマジレスというヤツをしてみる。産む性別を分けるなんて、其れこそ体外で受精卵を弄る様な事をしない限り出来ないだろうに。


デザイナーズチャイルドという物の話は前世でも良く聞いた。此れには世論も賛否両論で、結局少数産み出され、科学や政治の世界で活躍していたという話は都市伝説の皮を被った公然の秘密というやつだ。


まさか魔術にそんなバイオロジカルな操作を施す物はあるまいし。


「なに、そんなのは抜きにしてどっちがいい?って話だよ」


身も蓋もねーこと言うなよ、と。


・・・別に深い意味は無かったのか。どっちが良いかだったか。男か女か。


家督を継ぐだとか、役人に取り立てられる優先度だとかの社会的立場から見れば、男の方が僅かに有利だ。


この世界の男女差別というのは、僅かに男の方が有利というだけで、別段女性が不利という事柄は少ない。


ネメシア先生との雑談の中で聞いた事だが、体内に蓄えられる平均的な魔力量は男性よりも女性の方が高いらしい。


また、放出系魔術に関しても女性が使う物の方が威力が大きくなりやすいらしく、戦闘能力という観点での差異はあまり無い。更には一定の職業、例えば医者である治癒術師等は殆どが女性であるという。治癒術師は光、水属性の治癒魔術を行使するのだが、傷の治りも痕も、男がやると少し遅く、荒くなったりする傾向があるという。


逆に男が得意で女性が不得手とするのは、主に肉体強化関係の術とのこと。あとはそもそもの基礎的な身体能力は当然男性に軍配が挙がるし、技術者だとか、研究者など頭を使う職業は大半を男性が占める。勿論、女性の技術者や研究者なんかは、お馴染みのメアリー・アリソンなんかを見れば分かる様に、居ない訳ではないし、決して劣っているとも言えない。まあ、彼女はベースが人間ではないから比較することは出来ないのかも知れないが。今年で百八十七歳だったか?あの見た目でその歳はおかしいだろ。エルフやドワーフの平均寿命なんて知らないけれども。


まあ何が言いたいかというと、良くも悪くも能力優先なこの世界では、男だろうが女だろうが能があればどうでも良いという事。だから弟が欲しいか妹が欲しいのかは単なる俺の趣味で答えれば良いのだが・・・。


・・・俺の好み?と其処で止まる。何を好むのだ?と。


まさか弟が出来たとして性愛の対象として見る事など出来はしない。妹も同様。カルセラではあるまいし、家族愛という物はあれど、別に其れに関しては何方でも俺は注ぐだろう。


どうでも良い話だが、前世では俺は一人っ子だった。だから何方かに別段何か思う事は無いし、友人達の弟妹の話を聞いていても何か不都合という物は無い。


結論としては、この上無くどうでも良い。もう一人作るなら作るで勝手にしてくれ、というのが率直な感想。


だが、其れを直に言う程俺は社会性に欠けている訳ではないから、何か丁度良い回答をせねばならない。難儀な事だ。


こんなもの、本来なら思考も必要無い事柄だ。適当に答えておけば良い。


「・・・妹」


別に他意は無いが、それだけ言うと父はさも嬉しそうに、そうか、と呟き、意味深な視線を母に送る。其れに気付いた母が僅かに顔を赤らめ、拳を握り締め持ち上げようとして・・・ツィーアの目があることを思い出したのかぐっと堪えるという、何か後が怖そうな母が居た。後でまたシバキ倒されるのだろうなぁ、と心の中で父に合掌。


本来の母は気性が荒いのだな、と己の母の人物像を描き直しつつ、挨拶もそこそこに父母に背を向ける。


ぼうっとしているツィーアの肩を叩き促しつつ、馬車へ。


一応、タラップを上がる時に彼女に手を貸すというのは、多分殿方がするべき事なのだろうが、残念ながらツィーアには婚約者も何も居ないので、この役は今の所俺の物である。


少し手を握るのを躊躇った節はあれど、取り敢えずは握ってくれたので、嫌われている訳では無さそうだった。


対面に座り、顔を覗き込むと彼女はさっと目を窓の外に逸らす。・・・避けられてはいるのだな。寂しい。


まあ、良い。旅は長いのだ。少しずつ、元に戻る努力をして行けば良いだろう。


手を振る両親に手を振り返しながら、馬車はゆっくりと出発したのだった。










率直に今の心境を述べよう。


非常に気まずい。


何が気まずいかって、それは勿論ツィーアの事だ。


先程から結構声を掛けているのだが、返って来るのは生返事ばかり。ぼうっと窓の外に続く野原を眺め、心此処に在らずといった風情だ。


彼女の視線を追って外を見れば、見通しの良い、点々と岩が突き出た草原が広がる。遠くに林。別に何がある訳でも無い。・・・あ、擱座した馬車の残骸がある。なんであんな所まで入ったのか。当たり前の結果だよな、普通に考えて。


背中側、つまりは馬車の前方、ミムルとスィラの居る御者台には気配はすれど、声は聞こえない。何方も黙っているらしい。


「・・・はぁ」


暇過ぎて溜息が出るのも無理は無い。こんな時に常に話題を止めどなく発してくれるツィーアの何と有難い事か。


まあ、こんな時は思索に耽るが最善だろう。


今、俺達が向かっているのは西、アルタニク伯爵領である事は知っての通りだが、勿論、何も真っ直ぐ向かう訳では無い。


此処、ブレームノからアルタニク伯爵領領都、デュースケルン迄は直線距離にして約二百五十キロある。勿論、街道は真っ直ぐではないので、更に距離は延びるだろう。馬車が一日に移動出来るのは、この整備された道を考慮し、例えば馬を取っ替え引っ換えして全速で進んだとしても、百キロ程度。行程は最低三日と半日はかかるそうだ。勿論、全速での移動など馬の体力的に無理があるので、向こうに着くのはどんなに急いだとしても一週間後となるらしい。


当然、その間の寝泊まりだが、途中の町の宿を利用する事になる。予定的に俺が観光したがるだろう、との事で、一日は滞在してくれるらしいので、七日プラス町の観光時間の行程となる。大体十日と少しになるか。夏季休業は約二ヶ月程あるので、帰りも考慮して向こうには一ヶ月と少し滞在出来る。


其処で先ず、向かっている町というのが・・・中都市、ナードルフ。


エルクから西に三十キロの地点にある街で、エルク〜デュースケルン間の宿場町の一つとなっている。


主要産業は林業及び木工業。近くに大きな森があり、其処から木を切り出して、木製品に加工したり原木を各地に送っている町の一つらしい。


別にさしたる特徴は無し。良くあるありふれた町の一つである。人口もそう多くは無い。


ただ、森の開拓にしたがって、その奥から時々訪れる魔物に対しての備えか、簡易ながらも城壁と堀があり、魔物狩り目当ての冒険者・・・そんな職があるのかと思ったのだが、あくまで出された依頼を小遣い稼ぎにこなす旅人を言う・・・に人気があるとのこと。危険は大きいが。


そんな彼等の努力も甲斐あって、比較的魔物の勢力圏に面する場所としては、割と平和な町だったりする。


だが・・・一つ、"極めて面白い"観光名所があるらしい。


「それは着いてのお楽しみだ」


とはスィラの言。其れを話した時はツィーアも含み笑いを隠し切れずに居た。「驚くわよ」、という言葉も付けて。一体何があるんだか。


着くのは夕方過ぎだから、観光は明日以降になるらしい。早々見られないのは残念だが、致しかねないだろう。


・・・思考が終わってしまった。退屈を再認識してしまう。


そういえば、と腰に手を遣る。


左腰に帯びた短剣【カルマ】。この剣の鞘、ミスリルで出来た其れは、いつの間にやら真っ黒に染まってしまっていた。


色合い的には黒光りする硫化銀のそれに近い、灰色が混じるに近い物がある。


だが・・・何というか・・・物凄い威圧感がある。鞘なのに。ただの鞘なのに。


何時頃からこうなったかと言えば、エルクを出た日の翌日の事だった。


銀が硫化するなんて、火薬でもついてしまったか?と初めは思ったのだが、そんな形跡は無かった。


まあ、多分魔術魔力関係の話になってくるのだろうな、とは推察出来るが。


性質的には比熱容量が上がったのか、結構長く握って居ても温度が上がりにくくなった気がする。というか、今も数分に渡って握り続けているのにも関わらず、未だ氷の様に冷たい。水に入れれば氷の代わりになるか?・・・ならないか。


・・・そろそろ現実を見よう。


まず、どうにかしてツィーアの気を惹く手は無いものか。相手にしてもらえない事には何も進まない。


改めて彼女の顔を観察する。


窓の外を眺める翡翠色の瞳は憂いに満ち、窓枠に肘を突いた手の指がライトブラウンの髪の先を弄ぶ。口は小さく開かれ、時折小さく嘆息。虚脱した表情というか、思考の世界に入り込んでしまっている表情というか、完全に己の内面に潜ってしまっている様に見える。


俺がその目を覗き込んでいるのにも気付いている様子は無い。現に、かなり顔を近付けてみても反応は無い。


揺れる足元に気を遣いながら、対面の座席から、彼女の隣に移り座る。尚も気付かない。


「・・・ツィア?」


一度呼んだくらいでも気付かない。いや、無視されていなければの話だが。それは悲しすぎるので考えない事にする。俺は図々しいのだ。


ここまでアレだと意地悪の一つもしたくなるものだ。


その柔らかそうな頬っぺたに手を伸ばし・・・た所で何故か馬車が急に停止した。危うくひっくり返る所だったじゃないか。


ツィーアもツィーアで流石に気付いた様子。突然の事に目をぱちくりさせる。


「・・・何かあったの?」


断りも入れずに、しかも急停止となると余程の事態が起こったと見て間違いは無い。


ツィーアも其れくらいは分かっている。どうも頭が回らない様だが、切り替えた様だ。すかさずミムルに状況説明を要求した。


「・・・道に行き倒れの方がおられまして」


つまりは人が倒れている、と。なるほど、それならば放置は出来まい。まさか踏み潰して進むわけにもいかんだろうしな。


少し気になったので、戸を開け身を乗り出し、前の方を見てみる。


丁度スィラが御者台から飛び降り、倒れた・・・多分男に近寄って行った所だった。


男の格好はかなり粗末な物で、荷物は無く、うつ伏せに横たわり、薄汚れている。


しかし・・・それにしても、だ。


少し不自然だ。


此処から最も近い街はエルクである。しかし、倒れている男が仮に行き倒れだとして、向いている方向は反対方向。


仮に追い剥ぎが物を剥いだとして、身体を裏返すのはまだ分からんでもない。だが、態々前後を入れ替える必要はあるのだろうか。


こういう場合において何よりも仮定しておくべきは、目的は何であれ、何者かが"意図的に"この状況を作り出したという事だ。


そしてもし、其れが真ならば・・・。


「・・・ッ!!主ッ!」


屈んで男の息を確認していたらしいスィラがその場から飛び退く。


直後、宙を切る白刃。


行き倒れだと思われていた男が腹の下に隠していたらしい短剣の刃だ。


そして・・・俺の視界の左端。道端から頭を出す短弓を引き絞る革鎧姿の薄汚い男の姿。


反射的に物理障壁を己を対象に展開、先制攻撃・・・する前にスィラが右太腿から抜き放ち、其の儘一挙動で投擲したナイフが男の眉間に突き立つ。


其処では彼女は止まらない。立ち上がろうとした、行き倒れを演じていた男の頭を蹴り上げると・・・頸の前面が裂け、頭頂部が背中にくっ付く程に仰け反る。多分、即死。


あまりの早技に何をされたかも分からなかったのか、弓を取り落とし、己の顔をぺたぺたと探る男。その手がナイフの柄に触れ、その面に突き立っていると認識すると同時に、悲鳴の一つも上げる事も無く、崩れ落ちた。


あっという間に魔術的な物の一つも無く、二人を無力化した彼女が、尚も鋭い視線を道端の茂みに遣る・・・いつの間にやら、飛び出しかけたのか、つんのめって止まる長剣を持った男達に馬車は囲まれていた・・・なるほど、やっと頭が追い付いた。


此奴等は盗賊だ。


行き倒れに見せかけた者で道行く馬車の行き足を止め一人を不意打ち、更に短弓で相手の初動を挫き対応を遅らせると同時に剣を持った主力が一気に襲いかかる。中々によく出来た策ではないだろうか。


しかし、まさか初手に二手目を瞬時に対応される程の手練れが此方に居るとは想定していなかったのだろう。当初の予定が狂ったが為、三手目であった剣士クラスの戦力投入を止め、様子を見ることにしたのだろう。


あれ程の力を見せられども、即座に逃げ出さないだけ、此奴等はかなりの場数を踏んだ歴戦の盗賊なのかも知れない。


馬車の戸を閉め、ざっと戦力分析。


蛮刀を構えた剣士が九人。短弓を持つ支援兵が二人か。其れにリーダーと思しき、少し立派な格好をした・・・あれはメイスというのか?重たそうな金属槌を構えた男が一人。服装は簡素ながら革の防具を備える軽装。賊にしてはかなり装備が充実しているな。やはり何方かと言うと出来る奴らと見て間違いは無さそうだ。


チラリ、とスィラが視線を送って来る。俺が一言合図し、御者台の座面の下に挟まれているハルバードを投げ渡せば、次の瞬間には彼等の首が宙を舞っているに違いない。


事実、彼女からは、燃え滾る様な殺意が噴き出でいる。彼女から言わせると相当鈍いらしい、俺でも分かる程の。周囲を取り囲む、屈強な賊の額に玉の様な脂汗を浮かばせる程の。


だが向こうの首領らしき人物は然程動じた様子も無い。随分と肝が据わっているらしいな。


改めて首領らしきメイスを肩に担ぐ男を観察する。


筋骨隆々と言うに相応しい、丸太の様な上腕に太腿。元は白人だったのだろうが、日に焼け健康そうな褐色の上腕が、まるで南国の男といった風情を醸し出す。彫りが深い顔は精悍。顎に生え揃った剛毛が荒々しさを引き立てる。筋張った掌は俺の頭がすっぽり収まってしまいそうな大きさ。身長は比較的長身であるスィラを少なくとも頭一つ分は優に超える、二メートルに程近い。眼光鋭く、スィラに匹敵するかという程の殺気を彼女に叩きつけている。


彼とスィラ。その殺気が入り混じり、場には甚だ心臓に悪そうな空気が漂っている。一触即発というヤツだろうか。


スィラも目の前の大男を強敵と認めたのか、一層視線を鋭くする。


「・・・何者んだおめぇ」


大男が静かに口を開く。


態々答える必要も無かろうが、スィラは、ふっ、と凶悪な笑みを浮かべ、鼻で笑う。


「・・・下郎に名乗る名など、無い」


その言葉が宣戦の言となった。大男が雄叫びを上げ、メイスで彼女を叩き潰さんと踏み出す。


スィラは僅か一足で間合いを詰めた男から飛び退き、俺の方に手を伸ばす。


俺は御者台の下に移動。分割されたハルバードを引き抜き、彼女の方に放る。先程、手が寄越せ、という感じに合図を送って来ていたからな。・・・情けない事に、投げた時重すぎて転けそうになった。格好悪い事この上無い。


得物を受け取った彼女は、後ろから第二撃を打ち込んで来る男のメイスを"片手に持った半分のハルバードで"受け止め、もう片方の石突の方で腹を狙い突き込む。


男は巨体に似合わず、案外俊敏な様だった。地を抉りながらバックステップ。一旦間合いを取った。


此の間、普段のスィラならば追撃を掛けるところだろうが、今は兎に角得物を完成させる事にしたらしい。手の内で二本の部品が連結され、大男の身の丈すら超える長さのハルバードが出来上がる。


彼女は離れている此処まではっきりと聞こえる程の風切り音を立て、下段に其れを構えた。


一間の睨み合い。だが、首領は自分達の目的が何なのか、まだ忘れては居ない様だった。


「何してやがる!コイツ抑えてる内に仕事せんかぁ!」


ビクリと我に返った他の盗賊達。・・・そのまま突っ立っていてくれれば良い物を。


「ミムル、早く中に」


矢が降ってくる御者台から彼女を引き摺り下ろし、客室に放り込む。乱暴だとは思うが、時間が無いから仕方が無い。後で納得して貰おう。


さて、どうやらスィラはアレと殴り合うのに精一杯らしい。


勝負は素人目に見てだが拮抗している様に見える。大男の方が、粗野な見た目に反して時間稼ぎに徹しているからか、中々勝負を決められない様だ。


其の隙にどうやら女 (ミムル)子供(俺)しか居ない様に見える本命の方を襲ってしまえば向こうは勝ち、という訳だ。まあ、普通はそう考えるよな。


斬りかかるのでは無く、子供に見える為か捕まえようとして来る賊の男。


其の手は・・・先程から展開していた物理障壁に阻まれ、俺に届くことは無い。


この物理障壁というのは、どうも本来は剣撃などに対して抵抗となる様な魔力波を一定の己が指定した範囲に展開するという物らしい。この魔力波の中では凡ゆる物が運動エネルギーを奪われ、矢や剣撃であれば速度が低下し威力が落ちるという物。そして防御用の短剣や小盾などで遅くなった其れを受け止める、という使い方が主であるとの事。当たり前の事ながら注ぎ込む魔力の量によって抵抗も大きくなってゆく為、より多くの魔力を使い、魔力の層を厚く、高密度にする事で魔力波中に突き込まれた剣を止めたり、矢を空中で停止させる事すら可能である。


教えてくれた母曰く、魔力密度を向上させる事は中々難しいらしいので、基本的に強度を上げる時は魔力の層を厚くする事が中心であるとの事。俺は密度の概念に関しては、容易に想像がつくのであまり関係は無いが。


この障壁は殆どの物理現象に左右する。水などが通りにくいのは勿論、気流すら減衰し、更には光でさえも減速してしまうという凄まじい作用がある。そのせいか、展開範囲は景色が歪んでしまう為、物理障壁が展開されると、たとえ魔術師で無くとも気付く事は容易であるという。


俺が別に魔力をケチる必要は然程無いので、常に展開していれば良いではないか、と思われるかも知れないが、あまり強くすると光を減速どころか一切通さなくなってしまうし、何より視界が歪んで周りが見辛くなる。


だから戦闘時は、あまり光に干渉しない程度に展開し、攻撃された範囲の密度を瞬時に上げるという方策を採っている。すると一々発動のラグを踏まずに済むし、何より魔力の節約となる。別に垂れ流しでも困りはしないし、これでも常人からすればかなり魔力消費率ではあるが、其処はまあ、ご愛嬌。


一瞬で展開された物理障壁の密度はほぼ俺が作り得る中でも最高。だから傍目から見ると虚空に突然黒い膜が現れて剣を受け止めた様に見えるという、中々に不思議な光景が見られる。いや、本当に不思議だと思う。


因みにこの密度だと、多分放射線でも通さないと思う。当たり前だが手が通る訳が無く・・・あえなく弾かれる。


・・・今思い付いてしまったのだが、コレの操作、魔念力と似ているところがあるのではないだろうか。


この黒い膜、攻撃にも転用出来るかも知れないな。今度の課題だ。いきなり実戦で試す程俺は無鉄砲ではない。俺は大丈夫でも周りが大丈夫では無い事が多々あるからな。


痺れを切らしたのか、今度は横合いから剣を叩きつけて来る別の盗賊。通してやる気も無い。其処に視線、引いては意識を向けるだけで黒膜が広がり、まるで岩でも殴ったかの様に剣先が弾かれる。


さて、ただ突っ立っているのも時間の無駄だな。そろそろ反撃させて貰おうか。


先ずは馬車の方に抜けようとした三人の胸元に水属性下級魔術改『高速アイスアロー』をぶち込む。


爆音を轟かせながら射出された超音速の氷の矢は、その大質量を以って、その腹から上を挽肉にした。


恐らく経験したことが無いだろう、音速の壁を撃ち抜く爆音に身を竦ませた残りの賊は・・・俺の手の内に下げられた、短剣【カルマ】から"伸びた"刃が全て貫く。


ただ、【カルマ】を抜いただけ。其れだけで俺が頭の中で攻撃目標に設定していた男達は悉く心臓やら頭をチェーンソーの様な刃に突かれ、まるで凧糸に通した焼豚みたいな有様になった。


うねうねギャリギャリと蠢くこの刃。何度見ても不気味な事この上無い。・・・何故か刃が一度地面に潜って・・・ああ、なるほど。全部串刺しというか糸通し状態だが、未だその身体は刃に依って支えられている。その体重が俺に掛からない様に気を遣ってくれているのか。


悪い、不気味だとか思って悪かった。お前はイイヤツだ。男か女かは知らんが、一回くらいなら抱かれてやってもいい。


・・・というのはまあ、冗談だ。だから本気にしてくねくねを激しくしないで欲しいな、【カルマ】ちゃんや。いや、君か?・・・それはどうでも良いか。


もういい、と命じると刃がみるみる縮み、元の大きさに戻った。血は付いていない。草で刃をちゃっかり拭いながら縮んで来たのを見て、本当にコレ、いや、コイツが何なのか本気で疑問になった。


おっと、忘れる所だった。今も尚大男と戟を交えるスィラを手助けせねばならんのだった。


大男は此方を見て目を剥く。


まさかこんな子供に手下を全て狩られるとは思っていなかった、というヤツだ。いや、例え俺があの男の立場にあったとしても、俺の様な子供を戦力には勘定などしないだろうから、一概に彼を馬鹿にする事は出来ないだろう。


今頃馬車を漁っていた筈の仲間共が血の沼に沈んでいるのを見、あまりの事に一瞬、本当に一瞬気が抜ける。


其れはスィラという、達人を相手取る上での致命的な隙となった。


スィラの足先、脚甲が跳ね上がり、メイスを握る男の手を砕く。


「ぐぬぅ・・・」


完全に用を為さなくなり、ぶらりと下がる手を見るに確実に手の骨が粉々になっていると思うのだが、もう片方の手でメイスを持ち直し、呻き声を上げるだけで耐えた彼は、まごう事無き戦士なのだろう。


だが、其れだけで終わる程彼女は甘くは無い。


肩からの体当たりを入れ、メイスで受ける事を余儀無くする。どうやらあの大男と体重は大して変わらないのか、大男は大きく突き飛ばされた。


体勢を崩した男に振り下ろされる大斧。


「生け捕りだ!スィラ!」


突如飛ばした指示にも従い、彼女はハルバードの刃を返し、斧の腹が男の頭を打つ。


一つ地と斧の腹の間で跳ねた頭は、もう動くことは無かった。息はある様なので、恐らく気絶したのだろう。


「・・・賊はその場で撥ねても良いのではないか・・・ですか?」


あのままハルバードが振り下ろされていれば、あの頭は地面に投げつけた西瓜みたいになっていただろう。


何故生け捕りにしたか分からん、と言わんばかりではあるが、彼女は俺の奴隷であるが故に、俺の意に反する事は出来ない。其れに・・・首を落とすのなら捕まえた後でも出来る、と割り切ったのもあっただろう。


さて、実際のところ王国の法では、賊は殺害しても罪に問われる事は無い。其れどころか、討伐の証として首を持ってゆくと報償金まで支払われる事がある。


これ程よく出来た盗賊団だ。ほぼ間違いなく、役所に行けば指名手配の張り紙があるに違いない。報償金も並々では無い筈。


其れは俺も知っている。だが・・・。


「・・・少し話を、な」


何がしたいかってそれは情報収集、問答だ。この世界の社会。その裏側を知りたい。


この世界の何処に、どんな勢力が存在するか。治安は?流通は何処から、どんな手段で、何が運ばれている?あとは・・・他に仲間は居ないか?だとか。


アウトローな視点の情報というのは案外馬鹿に出来た物では無い。大抵悪党は悪党で独自の情報網を持っており、コレが中々に太く、伝達も早い。


これ程の人物だ。其れなりにコネクションは持っているだろう。喋ってくれるかどうかは別として、だ。その時には精々絞ってやろう。文字通りに。俺の勉学の糧になるが良い。


スィラはスィラで勝手に納得したらしい。そうですか、とあっさりと引き下がった。


麻縄で手足を縛り、馬車の荷台に転がす。と、其処で扉が開き・・・ライトブラウンの頭が覗いた。


「ツィア・・・」


自分でも驚く程打算も思考も無く出た声だった。無意識も無意識、自然と名を呼んでいた。


びくり、と肩を震わせる彼女。震える唇が言葉を紡ごうとして・・・また閉じる。


迷いの目。


泳ぎなんとか回らない頭を捻って何か言おうとしているのは分かる。だが、致命的に思考が纏まらない様だ。


コレはダメか、と何だか自分より遥かに年下の・・・事実精神的には年下なのだが・・・娘っ子が皿を割ってしまった言い訳を考えているのを見る親戚の叔父の様な気分にさせられてしまった。


助け船。そう言うには少し弱いだろうが・・・。


「・・・ぁ」


近寄り、ポンと肩を叩く。


其れだけの仕草。俺は別に上手いフォローの言葉をなど言えるとは思ってもいないし、そう気の利いた言葉など考えた事も無い。そしてこれからも特に考える気も無い。


が、別に何も気にしていないよ、という意を伝えるには十分なのではないか。


其の儘馬車に乗り込み、スィラの"仕事"が終わるのを待つ。


彼女が何をやっているかといえば、賊の討伐の手柄の証である首を斬り落とし、適当に使えそうな、売り払えそうな物を剥ぎ取るという事だ。


かつて旅の中、これで彼女はよく小遣い稼ぎをしていたらしく、ものの数分で全員の懐を漁り、首を其々の髪を縛って纏め上げる手慣れた様子を見せてくれた。


・・・相手は賊とはいえ、人間の首を下げている彼女に何も思わない訳では無い。


白い手はその汚らわしい血に濡れているし、少なからずその衣装とて血を含み濡れている。


だが、と。


不思議な事に全く嫌悪感だとかそういう物は無かった。汚らしいな、と思うだけで。


そもそもの俺の倫理観。前世で言う一般常識というのは少なくとも知識としてはあるし、其処で生活して来たのだから、俺の精神に深く根付いていると思う。


人殺しをしてはならない、人の物を盗んではならない、他人は敬わなければならない・・・だとか。


法を態々確認すら必要も無さそうな基本的な事柄・・・である筈なのだが、たった今、彼女が己の手を汚して人の亡骸を破壊したのもそうだが、自ら十一人の命を悉く狩り取ったという事に対してすらも、罪悪感の欠片すら浮かんで来ない。


まるで"噛み付いて来た野良犬を蹴り飛ばした"時の様な気分だ。そして偶々、その犬の肺か何かが破裂し絶命してしまい、その死骸に自分のペットの犬が噛み付いた、程度の認識。


其処まで考え、自分に怖気が奔る。


人間をなんだと思っているのか、と。己を叱責したくなる。だが、己が、自分と同族である人間を畜生共と同列視しているという事実。


武闘会において、俺は何人かに負傷、それもかなりの重傷を負わせている。一人、ダークエルフだとかいう浅黒い女などは、最後まで抵抗を辞めなかったが為、串刺し、磔という形で殺害している。己が利益の為に。僅かとはいえ楽しみながら。


その前、特別課外活動においては、正当防衛とはいえ、此方に突如発砲して来た男を射殺している。


徐々に倫理観が薄れ行く気配。そんな自分の心に指先から熱が逃げて行く感覚を覚えた。


しかし、ふと手に暖かな感触。


衣擦れの音に視線を返す。


「・・・エリィ」


何か吹っ切れてしまったのか、妙に優しげな表情のツィーアが横に座っていた。


その手は俺の冷えた手に添えられ、優しく包んでいた。暖かいのにさらりとした手。 絡んだ指に硬いペン胼胝の感触。決して不快では無い。安心する様な感触だった。


何故かニコリと更に笑みを深めるツィーア。流石に疑問に思い、む、と眉根を寄せ、どうした?と問う。


「エリィ、笑ってる」


はっとして口元に手を遣る。だが、触れた唇の形など、自分の物ながら触っただけでは分からなかった。


が、其処でツィーアがクスクス、と含み笑いを漏らしている事に気づく。


嵌められた!そう気づくに時間は掛からなかった。


「ふふっ、可愛い顔してたよ?」


反射的に舌打ちを飛ばしたくなる衝動を辛うじて堪え、ふん、と鼻息一つ吐いて目を逸らす。


久々にしてやられた。


気に入らない。だが、拗ねるのを見せては更にからかってくるに違いない。向こうは無防備に来るくせに、此方は隙を見せてはならない。・・・いや、見せているように見せつつ、本当に見られたく無い所は隠す、という俺からすれば高度な事極まりない技を持っている為だろうか。


悔しい事に、舌戦ではツィーアに勝つ方策は浮かんで来ない。文として言葉を交えるに決して劣るどころか、優っている自信はあるのだが、どうも相手の反応から次の言葉を継ぎ、思考を読む能力に関しては、一歩どころか二歩も三歩も劣っていると認めざるを得ない。


まあ、流石は魑魅魍魎が蠢くと言われる貴族社会を幼いながらに渡っている身、としか言えないな。「彼処には冗談でも近付きたくねぇな」とは父の話である。ツィーアが居る手前、露骨には出さずには居たが、声色には嫌悪感がありありと滲み出ていた。そんなにヤバイ領域なのか。知ると不幸になりそうだからあまり突っ込むのは辞めておいて正解だったと思う。


・・・今度、ツィーアの食事の時のトマト・ソースをこっそりチリ・ソースに入れ替えておいてやろう。とびっきり辛いヤツをな。



ところで・・・。


俺は何に笑っていたのだ?


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