闇夜の底
ちょっと長いかも知れません。前回はあまりに中身が薄すぎた気がします・・・。猛省するものであります。
日も暮れる頃になり、拠点に戻ると、何やらカリナがアイクに絡んでいる。どうやらネメシア氏に鼻の下を伸ばしていた事が、大層気に入らないらしい。恋する乙女は大変だな。知らんが。
で、血みどろで帰って来て先ず怪我を心配してくれたのは、アイクである。優しいねぇ・・・こういう細かく適切な気遣いが、モテる要因なのか。前世で知りたかった。もう遅いが。そして別に惚れはしないが。
「あらぁ?大丈夫でしたの?」
一方、ざまあ、みたいな態度を取って来たのは、カリナである。晩飯はコイツだけ肉抜きにしてやろうか。いや、してやろう。涙目が浮かぶ様だ。ふふふ。
ネメシア氏は空を見て、何やら停止していた。此れは、アレだ。考え中のネメシアさんだ。話し掛けても無駄なので、放っておく。どうせ食事時には復活するだろう。
「ネメシアさんが、魚を釣ってくれたんだ」
なんと!魚とな!そういえば久々に食うな。実に、実に楽しみである。渓流魚は淡白で塩に合うからなぁ・・・。
剥いだ皮に包んだ肉を下ろす。結構な量だ。此れで暫く食いつなげるのではないだろうか。
「おお!こんなに沢山取れたのか!何の肉なんだ?」
何だったか。す・・・すすす・・・。
「《スウィフトオストリック》よ。エリィが仕留めたの!」
そうだスウィフトなんちゃらだ。何故か自分で仕留めた訳でも無いのに、胸を張るツィーア。何処か悪戯心が湧いたので、脇腹を小突いてやる。「きゃんっ!」とか言って縮こまった。愛玩動物だなぁ・・・この娘。
「本当か!?今日は本当にご馳走じゃないか!というか、良く仕留めた・・・いや、エリアスなら出来るか・・・」
謎の信頼再び。此れでも結構危なかった・・・いや、被害甚大である。なんで生き物は皆血袋なんだ。許されざる。言っても仕方ないという事は分かってはいるが。
「君らは私を何だと思っているのだ」
実際、失礼な事を思われている気がする。この際聞いておく。
「暴力」
「理不尽」
「今夜は一緒に寝ない?」
「結婚しましょう」
「いい生徒です」
上から、アイク、カリナ、ツィーア、カルセラ、そして何故かネメシア氏。途中からおかしいな?ツィーアあたりから。あとアイク、実はあの蹴っ飛ばした事根に持ってるのか?根に持つ奴が多いな。
「ツィーア、どうした」
指摘すると、途端に顔を真っ赤にする。
「え?あっ、あっ、いえっ、えっと・・・」
どうやら、するりと何故か考えていた事が口から滑り出てしまった様だ。そして其れにカルセラが乗ったと。
「いやーん♪ツィーアちゃんったら大胆〜♪いきなり寝床に誘うなんて〜♪」
お前も結婚とか言っていたのだがな。聞いているこっちが小っ恥ずかしいわ。
「・・・いいからさっさと食事の支度をしろ」
一同を睥睨する様に睨むと、そそくさと仕事に取り掛かる。さて、と。自分も仕事に取り掛かろう。肉の処理だな。
「なあ」
「なんだ?」
アイクが小声で話し掛けて来た。
「ツィーアって・・・その・・・女色なのか?」
「違うわッ!!!」
「うえっ!?いきなり叫ばないでって・・・」
おう、少し離れていた処で野草の選別をしていたツィーアが叫んだ。何時もの流れだな。しかし、いい加減に認めれば良いのに。女色だって。
「違ううぅぅぅぅッッ!!!!」
「だからぁ!!?」
カルセラも大変だな。良いコンビだと思うぞ。漫才的な意味で。あと、ツィーア。謎のテレパシー能力を目覚めさせるのは辞めておけ。
食事は鳥っぽい、《スウィフトオストリック》の肉と山菜の鍋、謎の山女っぽい白身魚の焼き魚だった。やはり焼き魚は最高だと思う。秋刀魚や鯵が食いたい所である。そして、米が食いたい。現状パンすら無いが。この際我慢である。そもそも米はあるのだろうか。要検証である。
「うっぷ。食べ過ぎた」
かなりの量を食い、ゴロゴロと敷いた毛布の上に転がっているのは、カルセラとカリナだ。太るぞ。まあ、俺の知った事では無いが。
「エリアスさん・・・その器・・・取ってくれますか?」
片付けをしているのは、アイクと、ネメシアだ。ついでに俺。まあ、やっているのは二人で、俺は手伝いというレベルだが。
そういえば、と思う。鳥といえば、衣を付けて油で揚げた物が食いたいな。今度寮で注文してみようか。
「あ、エリアスさん、その食べ残し持って来てくれる?」
ほいほい、あ、まだ肉が残ってるじゃないか。思わず摘まんでしまう。冷めてるけどね。この身体、食い盛りだもの。割といくらでも入りそうな気がする。少なくとも、結構入ると思う。事実まだ余裕がある。別に満足はしていない訳では無いが。
「うーん・・・片付けが終わったら、寝ずの番決めて寝ましょうか。明日も早めに動きましょ」
ツィーアはもう眠い様だ。事実、もう火の明かりが無ければ、月明かりしか無い程に暗い。腹が膨れたなら、それは眠くなるだろう。俺も慣れない事だらけで、少し眠くなってきた。耐えられない程では無いが、寝ようと思えば寝られると思う。
「二人一組で三組だから・・・大体二、三刻くらいで交代ね」
寝ている間に、賊や獣が寄ってこないとも限らない。この手の野宿で、寝ずの番は重要だろう。実際、育ち盛りの子供にコレは、あまり宜しく無いとは思うのだが。
「で、問題は誰と誰が組むかだけど・・・」
其の手の話題、面倒しか予測出来ない。
「「あたし(私)エリィとね!」」
案の定、予想通り、というべきか。二人とも何を考えているのか。
「私はネメシア氏とだ。カルセラとツィーア、アイクとカリナ、此れで良いだろう」
多分、此れが妥当だと思う。アイクはうへぇ、とかげっそりした顔をしていたが、カリナ嬢が嬉しそうなので、見なかった事にする。カルセラとツィーアに関しては、何やら肩を落としている。お前らは一体何なんだ。
「・・・仕方ないなぁ・・・明日は組み合わせ変えてね!」
「そ、そうよ!組み合わせは変えるべきよ!」
ああだこうだ言って、何とか組みを変更させようとする。いや、セキュリティの問題だから、変えるのはあまり宜しく無いから。
「・・・変える必要性は無いだろう。寧ろ煩わしいだけだ」
少々辛辣に聞こえるかも知れないが、一応はっきり言っておく。此ればっかりはふざけられないからな。
「うぅ・・・」
「むぅ・・・」
一応フォローもしておいてやるか。
「・・・帰ったら、三人で買い物行くか」
「「二人で!」」
二回も行かなければならない?しかし、どうやら機嫌は良くなった様だ。安いな。
そして、番の順番というと、最初はカリナとアイク、次に俺とネメシア、明け方がツィーアとカルセラとなった。番まで寝させて貰うか。・・・あいつらかなり煩いな・・・寝かせる気はあるのか?カリナよ、しつこい女は嫌われるぞ?つーか地面硬いな・・・我慢するか・・・。
「ああ、此方の伝えた通りだ。其れでやってみてくれ」
時を同じくする、森の中に人影が二つ。方や小柄な子供、もう一方は姿を見せず、声のみが響く。幼さが滲みながらも、何処か超然的なハスキィヴォイス。
「報酬分の仕事はしますよ。ま、"アレ"があれば大抵は何とかなるでしょうが」
其れに返すのは、慇懃な口調ながらも、何処か軽い調子、言ってしまえば適当そうな印象を与える声。返事の後、少し経つと立ち去って行く気配がする。
「・・・"アレ"まで持ち出したのだ・・・精々頑張ってくれよ」
ハスキィヴォイスの持ち主も、相手が去った後、消え入る様に姿を消す。
残るは森の静寂、微かな虫の声のみ・・・。
番になったのか、寝ぼけ眼のカリナが起こしに来た。流石に女子の寝顔を覗き込むのは失礼と思った様で、アイクは先に寝床の支度をしているらしい。まあ、当たり前である。ツィーアあたりなら反射的に殴りそうだ。俺?其の時の気分に依る。
「ネメシア先生?夜番ですことよ」
ゆさゆさと、毛布に包まっているネメシア氏を起こそうとするカリナ。が、起きない。反応しない。どうもネメシア氏は外界をシャットアウトする能力が高い様だ。ぼっち能力?其れを言っちゃいけない。
「ネメシア先生、起きてください」
少し強めに揺さぶっても起きない。仕方がないので、毛布を剥ぎ取って引き摺って行く。少々、いや、かなり失礼だが。不可抗力不可抗力。カリナはさっさと毛布に潜り込んだ様だ。そんなに眠かったのか。
「・・・うぅ・・・むぅ・・・」
寝ぼけている様だ。薪の所まで引き摺り、ドサリと下ろす。と、其処で目が開いた。はっとした様に跳ね起きる。
「・・・申し訳・・・ありません。・・・寝入って・・・しまいました・・・」
何時もより若干早口だ。極めて分かり難いが。
「一番辛い時間ですから、仕方ありませんよ」
まあ、夜中も夜中、一番暗い時間だからなぁ・・・実際俺も、可能ならば寝ていたい。・・・昔から徹夜というのは得意技であったし、ふと夢の中で思い付いた事を、即起きて実践という、今から思い出せば、色々と頭がおかしい事をしていたので、精神的には慣れている気がする。身体的には、此の身体では初めての事だが。
「エリアスさんは・・・大丈夫なの・・・ですか?」
「あまり問題は有りませんよ」
そう答えると僅かに驚いた顔をする。そんなに不思議?あぁ、こんな時代では、そんな深夜に起きるのは、其れこそ夜番くらいのものだろう。前世なら深夜でもコンピュータを開けば、暇はしなかったのだがな。
「・・・・」
ネメシア先生は話のネタが切れると、すぐ黙る。授業以外で自ら喋る事は滅多に無い。大抵は自らの思慮の世界に潜って行く。其れは今でも変わらない様だ。
黙ってしまったネメシア氏を尻目に、手を後ろに付いて、天を仰ぎ見る。
満天の星空だ。此の世界には、大気圏其のものを明るくしてしまう程のの灯り、即ち都市、そして、空気を濁らせる汚染微粒子が存在しない。其の何にも穢されぬ、と言えば少々聞こえが悪いが、有りの儘の夜空は、其れ程迄に美しい。前世で此れを見るには、其れこそ夜の月の裏から見るだとか、そんな所まで足を運ばなければお目に掛かれない光景だ。そんなものが、こんな其処ら辺の森の中から眺められる。なんと贅沢な事であろうか。
そういえば、と思う。
とある山の上から見た、此れ程では無いが、此の様な夜空を見て、宇宙に、其の先に、其の果てに憧れたのであった。俺は未だ宇宙、この銀河の外、宇宙の果てを見ていない。其の前に、地球圏でやってしまったからだ。いつか、というのは無理であろうか。この世界が、前世、自分が生きた世界の未来だとすると、地球を脱出した人々は、生き残れたのだろうか。何年経っているかも分からない。此処が地球だとしたら、具体的に何処に居るかも分からない。気候的には北欧の様だが、例の汚染から立ち直った地球の気候が、俺の知る物と一致するとは限らない。現状が認識出来ないとは、恐ろしいものだ。考えれば考える程、深みに陥って行く。其処で頭の片隅に、一つ名案が浮かんだ。
プラフィットなる物があったな。
勝手に記されて行く歴史書。不思議極まりない、胡散臭い物だが、この際丁度良い。良いヒントになるかも知れない。其の内読んでみたい物だ。千年の歴史程度でどうなるとは思えないが。兎に角、その場はプラフィットなる物を読んでから考える、という事で置いておく。藤堂巡りに成りかねないし。
「・・・エリアスさん・・・」
突如、ネメシア氏が話し掛けて来た。ネメシアを見やると、薪の炎に照らされ、その瞳に何処か真剣な光を宿らす、口を何時もよりも少し硬めに引き締めた彼女の顔が見えた。
「・・・エリアスさんに・・・あの日・・・科学という物を・・・見せられてから・・・ずっと・・・考えています」
口足らずに、ポツポツと語り出す。草叢で鳴く虫の音がBGMの様に思える。
「エリアスさんは・・・何処で・・・其れに出会ったの・・・ですか?・・・答えを・・・其の殆どを・・・知っているのでは・・・ないですか?」
物理学、一般教養として見に付けた事以上に、理解している自信はある。前世、知っているか、と聞かれれば知っていると答えただろう。だが、此処は全く違う、理を異とする世界。猥に其の知を振るい、世を混乱させる事は望まない。だから、俺は手助け、内し、示唆しかしないのだ。其の時の、其の人が作り上げる事が出来る知。人が出来ぬなら、其れは未だ、世界には、人には早かったというだけだ。鍛冶屋のメアリー・アリソンが未だ長銃の銃身も、ライフリングが刻まれた銃身も、雷管とファイアリングピンを用いた近代的な撃発機構を作れないのも、ネメシアが物理現象を観測、法則化出来ていないのも、全て、早すぎるからだ。其の人が知恵を絞り、悩んで、苦悩して、そして達成されるからこそ、其の技術は、知識は世に染み渡って行くのだ。付け焼き刃の叡智など、其れこそ本当の意味での付け焼き刃でしかない。其れは時とともに薄れ行く物だ。苦労していないから、容易く使う。本当の意味其れを理解せずに、だ。
「さあ?」
だから俺は惚ける。答えは自分で見つけて欲しい。教わった事でも、実践して自分で再発見して欲しい。其れが真の知に繋がると、俺は思っている。まあ、実を言うと面倒なだけなのだが。零に十を教える事は大変な事なのだ。
「・・・・」
怪しい物を見る様な目で、彼女は俺を注視している。・・・仕方ない。なら、少しヒントをくれてやるか。
「・・・ネメシア先生は、数学は、算術はどれほど迄出来ますか?」
数学なら、応用出来る人間も、理解出来る人間も限られてくる筈。此れくらいなら教えてやっても構わないと思ったのだ。単純な、其れで且つ唐突な疑問に首を傾げるネメシア氏。物理と数学は密接どころではない関係がある事は、俺からすれば当たり前なのだが、彼女には理解し難かった様だ。
「?・・・買い物に困らない程度には・・・出来ますが・・・」
しまった。この世では数字なんて学問は無かった。学校では、算術という科目が有ったが。この世界で算術を使うのは、其れこそ買い物や、後は・・・薬剤師が比を使う位にしか考えられない・・・どうしたものか。
「・・・八と三を足すと?」
「十一です」
少し馬鹿にしている様に思われるかも知れないが、彼女の算術の能力を測る為には必要な事だ。
「七から四を引くと?」
「三です」
此処迄は即答。
「八個の束が六個だと?」
「・・・四十八個」
九九は暗記していないのか。でも出来ている。頭の中で即座に足しているのか、掛けているのかは分からないが。
「三十一個の物を七人で分けると、一人あたり何個で幾つ余る?」
「一人あたり四個・・・余りは三個です」
四則計算は問題無く、いや、乗法が怪しいが、この際良いか。ネメシア氏は不思議そうな、しかし訝しげな顔をしている。其処で、スカートの下から短剣を抜き、地面にガリガリと、今問うた問題を数式で書く。
「読めますか?」
算用数字と記号で書かれた数式だ。小学生でも余裕で解ける。
「・・・此れは・・・今やった・・・計算ですか?」
理解が早い様で何よりだ。簡単に記号の意味と、読み方を教えて行く。記号式で表すという概念は無かった様だ。まあ、普通は考えないよな。俺も小中学生の頃は、なんでこんな物をやるのか、疑問で仕方なかった。其の点、ネメシア氏は面白く感じたのだろうか。元々計算が出来た事もあり、すぐ使いこなせる様になった。そうでなくては困るのだが。
「なら次は・・・」
特定の数を、代わりの文字式で表し、その解を求める物、未知数を含んだ方程式だ。最初は一次方程式から、変数という新しい概念。其れを穴埋めゲームを通して教えて行く。其れが終わると、移項の方法、累乗、累乗根、そして分数少数の概念、有理数無理数、そして負の数の概念を教え込んで行く。途中から頭がこんがらがって来たのか、ネメシア氏は何処からか羊皮紙とペンを取り出し、ペンを走らせていた。後で復習するのだろう。殊勝な事だ。そういばそうだな。そんないっぺんに言われても覚えられないよな。此れは配慮が足りなかった。どうしても簡単な事だと早足になってしまう。俺は教師には向いていないな。
「あの・・・確かに・・・すごい算術ですが・・・」
未だ説明していなかったな。そろそろ種明かしをしてやるか。
「・・・科学、その中でも物理学。其れと数学、数の学問は切っても切れない関係にあります」
かつてのとある物理学者は、自然は数学の言語で書かれている、と言ったそうだ。此れには賛否両論あるが、少なくとも物理学という範囲に限っては、真であると俺も考える。
「世の中に存在する、物理という概念。其の大抵の真理は数学で表し、証明する事が出来ます」
数学は論理的思考の極致だ。日夜新たな数学が発見されても、其れ迄の数学の真理が覆る事は滅多に無い。偶に、説明出来ない事も出て来るのではあるが。
「例えば・・・」
エネルギーという概念がある。熱、速度、重量、音、位置、全てをエネルギーとし、その総和はその物体の運動及び活動の前後では等しいという概念だ。其れは等式を使う事で証明出来る。
手近な石を手に取り、指で吊り下げる様に持ち上げる。今回例示するのは、釣り合いの概念だ。
「この石には、何の"力"が加わっていますか?」
「・・・えっと・・・物を・・・持ち上げる・・・力?」
其れもある。が、其れだけでは無い。
「他には?」
「・・・・・」
其処で手を離してみる。石ころは当たり前の様に落ちる。
「・・・地面に・・・落ちようとする・・地面に力?」
言うと、この石ころの重量に重力加速度を掛けた力だ。まあ、其処迄は要求しないが。
「そう」
再び石ころを持ち上げ、そして静止させる。
「こうして私が、この石ころを持っている間、私がこの石ころを持ち上げる力と、石ころが地面に落ちようとする力、其の二つは先程、教えました等号という記号で結べる事象と言えませんか?」
「あっ」
漸く分かってくれた様だ。重畳である。後は其の要因一つ一つに名前を付け、記号に置き換えて方程式を組むだけだ。
「こんな風に、大抵の事象は数式、及び文字式で表す事が出来ます。ですから・・・」
ネメシア氏はまたもや目を輝かせている。好きだなぁ・・・新しい玩具を与えられた子供みたいだ。
「数学という学問を研究なさい。証明してください。そして、物理学に用いるのです。出来るだけ簡潔で、美しい式で」
名だたる物理学者が考えた等式というのは、とても簡潔で美しい形をしている。ネメシア氏もそうあって欲しい物だ。
「・・・・」
俯いて黙考している様だ。自分の世界に入ってしまっていそうだな。放っておくか。こうなっちゃどうしようも無いというのは、周知の事実だし。というか、重力の概念を教えた様な物じゃないか。うーむ・・・何故か口が滑るなぁ・・・まあ、良いか。
「ネメシア先生、少し外しますよ」
尿意を感じ、腰を上げる。どうも、女の身体というのは、我慢が効かない。尿道が短いからだろうか。カリナを笑えないな。男が笑ったら笑ったで、其れはセクハラだが。
ところで、この世界、実家のトイレは汲み取り式だった。定期的に近くの農家が、堆肥として使うべく回収していた。エルクの寮では、トイレはなんと下水道に通じていた。当然、水洗では無く、汲み置きの水を上から流すだけの物で、U字管も何も無い為、下水の匂いが直に上がって来るというのが難点だが。実際其の点を考慮すると、こんな森の中の方がマシなのではないだろうか。いや、普段からする訳にもいかないが。匂いさえ我慢すれば、だ。結構酷い物があるが、別にそんな不潔にされている訳では無いので、実際、慣れの問題だ。水洗トイレが恋しい。せめてU字管の設置を求めるものである。流すのに必要な水が激増するのが問題か。課題である。やる気もそんなに起きないが。正直面倒くさい。今度、誰かにアイディアを投げて放置しよう。
用を足して戻ると、ネメシア氏は地面に枝で何やらお絵かき・・・いや、失礼、羊皮紙を見ながら計算練習をしていた。殊勝な事だ。・・・これ二回目か?
「一番単純な文字式から始めて、色々弄ってみるのも面白いですよ」
y=xなど、極めて単純な式に、掛けたり足したり累乗したりして、色々な式を作って遊ぶというのは、学生時代、時偶、授業中の暇つぶしに、数学好きの友人がやっていた。式を捏ねくり回して遊ぶなど、個人的には遊びに感じないのだが、どうなのだろうか。まあ、数学は嫌いでは無いが。
炙ってあった鳥肉を取って口に運ぶ。深夜は腹が減る。太りそうだが、辞められない。食欲って本当に強いよね。俺だったら、何処かの宗教の断食とかやってられないわ。多分即日破る。そんな事を考えながら、一心不乱に計算練習をするネメシア氏を眺めていた時だった。
「ッ!?」
殺気。明確に分かる程、あからさまな物だった。ネメシア氏も手をピタリと止め、辺りを見回している。そして、視界の端に一瞬、闇の中に光る二対の白目を捉える。猛烈に嫌な予感がした俺は、薪を飛び越え、ネメシア氏を押し倒す様に、伏せさせる。
その瞬間、一発の突発音。
「あぐっ!?」
右の脇腹に凄まじい衝撃が奔った。堪らずネメシア氏の上から転がり落ちる。触ってみると、何やらぬるりとした感触・・・血だ。肌に穴が開いている。其の少し奥に硬い物・・・恐らく金属に指が触れる。先程の破裂音は、恐らく銃声。なら此れは・・・弾?随分と浅いが。
あまり動かない様にして、左手で腿からナイフを抜き、服・・・制服の上着は脱いでおり、その下のシャツ・・・を裂く。右脇腹力の入らない右手の裾を噛んで舌を噛まない様にし、めり込んでいるらしい弾を抉り出そうとする。ジンジンと痛み、熱ささえ憶える傷に、冷たいナイフが当たるのは、痛い筈なのに、何処か気持ち良かった。だが・・・。
「(刃が・・・通らない・・・?)」
傷口に刃を押し当て、弾を抜こうとするが、切れる筈の肌が、肉が一寸足りとも切れない。血濡れながらも、きめ細かさが分かる様な、艶やかな肌。其の柔らかそうな肌に、鋼の刃が通らないのだ。力が入らない訳では無い。まるでアラミド繊維に切れ味の悪いナイフを当てているが如く、一寸も刃が潜り込まない。
「エリ、アス・・・さん!?」
一時の間自失し、停止していたネメシア氏が、現状を認識したらしい。脇腹にナイフの刃を当て、血を流しているらしい俺を見て、顔を青くする。
「駄目か・・・」
この際、銃弾の摘出は後回しだ。辺りに気を配ると、銃撃方向から、草を踏み締めて此方に歩み寄る、一人の人物の足音を捉える。
「やあやあ!君が噂のエリアスちゃんだね?」
軽薄、そう形容するのに相応しい声。どうやらこいつが銃撃の下手人らしい。チラリとみると、此方に黒い銃・・・旧式の突撃銃を構えている。恐らく魔術を行使する素振りをみせれば、即座に射殺されるだろう。
「何者・・・です・・・」
ネメシア氏が警戒しながら問う。
「おおっとぉ!その子に近づかないで貰えますか?邪魔されるのは本意ではありませんのでぇ・・・」
銃口を一瞬ネメシア氏の方に振り、下がらせる。銃の全貌が見えた。知っているタイプの銃だ。小口径高速弾使用の、単純な構造の、俺の時代では地下組織や、テロリスト御用達の武器だった筈。当然、扱いも製造も比較的と付くが、容易い。
黒い樹脂製のハンドガードと、屈曲式のストック、同じく黒い、大きく湾曲した弾倉が特徴的だ。銃口には大型のフラッシュハイダーと、長いガスチューブが見える。アレキサンドロフ・カラシニコフだったか。そんな名前の銃だった筈だ。まあ、この場ではそんな事は関係無いのだが。逆撃の手を打たねばならない。
うつ伏せの状態を活かし、左手でホルスターから短銃を見えない様に抜く。右手より近づいて来る奴には見えない筈だ。身体の下に隠しながら、親指で撃鉄を引き起こす。キリキリと音がしたが、気付かれた素振りは無い。多分、切り札はコレしか無い。利き腕にも力が入らないし。
「いやはや、やはり"コレ"はすごいですねぇ・・・あなたの話は聞いていましたので、かなり警戒していましたが・・・流石の魔術師も"コレ"にはどうしようもありませんか」
俺は起き上がる素振りを見せない。機をじっと伺う。戯けていないで、さっさと撃てば良い物を。多分、このお調子者はかなり近づいて来る筈。この短銃には照準器は無い。出来るだけ近づいて貰わねば、貴重な一発を外す事になる。其れだけは避けたい。
「あなたの様ないたいけな少女を手に掛けるというのは、心苦しいのですが・・・此れで飯食ってる身分でございまして・・・」
遂に足音が間近に迄近づく。ひっくり返して確認するつもりなのか、足を掛けてくる。
「では、短い間でしたが・・・」
蹴られ、ひっくり返される。今だ。
其れと同時に、左手の短銃を構え、此方を覗き込む男の胸から上、其の辺りに狙いを付ける。暴発防止に、フリントとフリズンの間に挟まれていた布切れが、ハラリと落ちる。
男のニヤついた、軟派な顔付きが、驚愕の色に染まる。そう、其れだ。
其の顔が見たかった。
男は未だ口上を述べるつもりだったのか、銃口は下げた儘だった。慌てて銃口を向けようとするが、残念ながら此方の方が圧倒的に早い。油断するからこうなるのだ。絶妙なタイミングであった。
「死ね」
引き金を引く。
フリントが付いたハンマーが落ち、フリズンに激突する。一瞬フリズンの亀裂が開き、火花が飛び込む。火皿の位置から光が噴き上がり、左肩が地面に叩きつけられる様な衝撃、其れと同時に、銃口から爆炎が迸る。全てが、妙に遅く感じた。
過多な装薬により、音速近くの速度で撃ち出された、口径十三ミリの鉛玉が、男の顎から頭頂方向に突き抜ける様にぶち当たる。
柔らかい鉛玉は、その衝撃力を効果的に、残酷に伝える。
命中した瞬間、男の後頭部から血の霧と肉片が噴き上がった。顔も内側から押し出された様に、歪に膨れ、目玉が飛び出る。
其の頭部を弾き飛ばされた様に、後ろに吹き飛びながら倒れる。即死させたのは勿体無かったか。まあ、一発しか無かったからな。もう少し遊んでやりたかったが、この際仕方ない。・・・また色々な物を頭から被った。やってられない。
「大丈夫でし、たか?・・・エリアスさん・・・」
「エリィ!?大丈夫!?」
「うぅ・・・何の音ぉ・・・?」
「どうしたんだ!?」
「・・・何事ですのぉ・・・?」
ネメシア氏は兎に角、今の銃声で、皆起きてしまった様だ。未だ夜中なのに。申し訳ない。
と、思った所で右脇腹が思い出した様に痛みだす。そうだ、銃弾を取り出さなければ。
「エリィ!?何をして・・・」
ツィーアが駆け寄って来る。俺も身体を起こし、シャツをなんと脱ぐ。もう裂けているが。
「・・・水をくれないか」
そう聞くと彼女は頷き、川の方に走って行った。・・・立てるな。というか、脇腹に少し傷が付いただけで動けなくなるというのも、アレだが。やられた直後は、衝撃によるダメージで動けなかった。恐ろしく重い突きを受けた様な感触。アレは直ぐには動けない。
先程は気が動転していて、正しい手順を踏まなかった。薪の所迄行き、水を運んできたツィーアに、其れを沸かす様に言って、腿のナイフを火に翳す。アイクを見ると、カリナとネメシア氏に抑え込まれていた。・・・あぁ、上は全部脱いでしまっていた。完全に上半身は裸だ。未だ気が動転している様だ。全く気が回らない。
アイクの視界を塞ぐ役をカリナに押し付けたのか、ネメシア氏が近くにやって来る。
「・・・何を・・・するの・・・ですか?」
「此れを摘出します」
脇腹を見せ、めり込んでいる金属を見せる。水の煮沸が終わった所で、ナイフと水を、カルセラに頼んで氷で冷やして貰い、傷口を洗う。其れから布を噛みながら、ナイフで弾を抉り出す。何故か先程は刃が通らなかったが・・・。見ている方、ツィーアとカルセラ、ネメシア氏は、物凄く痛そうな顔をしていた。実際、痛いどころでは無い。ツィーアに貰った布束を噛み千切ってしまった。申し訳ない。で、ナイフが通らなかった理由だが・・・。
「・・・きっと・・・無意識に・・・『魔力に依る肉体強化』を・・・使って・・・しまったのでは・・・?」
初耳だ。聞けば、此れは厳密に言えば魔術では無いという。肉体、骨格に魔力を流し、身体能力、肉体強度を向上させる術とのこと。魔術は使えずとも、この肉体強度術は使える者も以外と多く、兵士、騎士達は好んで使うらしい。で、ネメシア氏に簡易的に調べて貰うと、どうやら俺はコレを無意識に使っていたらしい。痛みに反応して、無意識に発動してしまったのでは無いか、とはネメシア氏の考察だ。ひょっとすると、俺の怪力もコレが原因なのでは無いかと思い、意図的魔力供給を止めてみたりもしたが、どうやら違う、肉体由来の能力らしい。普通に握った石が砂になった。段々此れが普通になりつつある自分が怖い。
そして、肉体強度も、だ。元来かなり頑丈らしい。当たり前だ。普通の人間と同程度の肉体強度しか持っていなかったら、石を握り潰そうした瞬間、手の方がひしゃげてしまうだろう。だが、貫通力の高い、小口径ライフル弾を受け止めるには、足りなかったらしい。反射的に、本能的に身体を守る為、其の魔力に依る肉体強化術とやらを使ったのだろう。
しかし、この身体は一体何なのだろうか。父親の姿を一度も見たことが無いが、俺の父親は何者なのだろうか。一度も可愛い可愛い一人娘の顔も見に来ない父親とは如何に。もし会ったら、腿を抓ってやろうか。
あ、千切れるか。やめておこう。
誤字脱字、日本語がおかしい点等、指摘箇所が御座いましたらお申し付け下さい。
今回登場した銃は、AK-107です。AK系統なのに、ファイアレートが高いというのは珍しいですね。




