月の雫が落ちた日
本編スタートでございます
身体が泥でも纏わり付いているのかというくらい重く動かない。
眼を開けようとも壁を黒く塗りつぶした部屋を暗くしたかの如く何も見えない。
そして言いようのない浮遊感。
・・・ここは何処だろうか。
口も開かず言葉を発することも叶わない。
俺はあの時確実に命を落とした筈だ。
そもそもあれだけの濃度の甲粒子(あの世界で漂っていた猛毒の粒子のことだ)と身体が焼け爛れるような放射線の中で生きていることなどあり得ないのだ。
・・・ではここは所謂死後の世界というものだろうか?
この重さは奪った命の重さか。
未来永劫この重圧の中に存在すると考えると自分の精神的にお先真っ暗なのだが。
同時に仕方ないかと思う自分が居るのも確かである。
やってしまったことは取り返しのつかない大事なのだから。
半ば諦観の念が心を占めようとしたとき・・
「貴公が*******であるか」
生前の我が名を呼ぶ声がする。いや、直に頭の中に響く様な感覚で。
-貴方は誰なのですか-
「誰・・とは答え難い質問・・・人は様々な名で我を呼ぶ・・・貴公は日本人だったか。日本語なるもので形容して最も適切な名は・・・神・・そう神と言えば良いだろうか」
-貴方が神様であるとして、俺に何の用があるのですか-
「ふむ案外貴公はせっかちであるな。・・・ああ、心配せずとも貴公が破壊し尽くした地球は再び生を育み始めている。そう己を卑下するでない。さて、我が貴公に頼み・・・いや命令か。やってもらいたいことがあるのだよ。」
-内容如何にも寄りますが、神様自身が直に仰るのです。一度失った命、全力を尽くしましょう-
目の前の存在が神でなくとも俺はこの声に従うことを決めていた。ここで話かけてくるなど普通であるはずがないのだ。このままここで漂うよりも変化を望んだ。
「全力を尽くすほどの事では無いのだが・・・我が望むのは、今再び発展を続ける地球に貴公が再度生を受け生きて欲しい。貴公の思う通りにである。」
-謹んで受けましょう-
願ってもないチャンスだ。再び生きてやり直すことが出来る。
「だが注意してもらいたいのは、貴公には多々制約が付く。それは貴公生きるうちに自覚することになるし、そして・・・はっきり言ってしまえば貴公の二度目の生はまともなものにはならないと思ってもらいたい。第一貴公のような前代未聞の閻魔ですら持て余すような者の存在は抹消されて然りなのだ。そこを曲げて前世界最後の存在として新世界に送られるという点を留意してもらいたい」
-構いません。それが贖罪と言うならば喜んで受けましょう-
「うむ。では・・・しかと貴公の二度目の生・・・見守ろう!」
俺は其処で意識を失った。
どれほどの時間が経ったか。意識が戻り身体を空気の流れが撫でるのを感じる。目の前が真っ暗だ。眼を閉じているらしいので開く。
目の前には仰向けに寝転んでいると思われる自分を覗き込む二つの顔が有った。
その顔に浮かぶ表情はなんだろうか。恐怖?畏怖?歪んだ顔。二人とも歪んだ顔。
困惑した俺は声を出そうとした。が、喉から漏れ出るのは赤ん坊の出すような意味不明な単音ばかり。
仕方がないので慣れない笑顔を浮かべてみた。すると自分から見て右、金髪碧眼の美女が静かに涙を零しながら抱き締めてきた。
恐らくこの女性が母親なのだろう。父が居ないのはなんとも納得し難い状況なのだが、居ないものはいないと割り切る。
(そうか・・・俺は赤ん坊に生まれ変わったのか・・・)
再び生を受けた喜びからか、俺も静かに涙を流した。
「奥様!あともうひと踏ん張りですよ!」
助産師の方が応援の声を掛けてくれる。
私、シレイラ・スチャルトナは今日一児の母になる。
夫は・・・少し訳ありの方でこの場には居ない。
その夫が残した子種が今日芽吹くのだ。
何より母になるという喜びが胸を熱くしていたために、痛みはそれ程感じなかった。
まあそれでも痛いことは痛いのだけれども。
「ッッ〜〜〜〜〜〜〜!!!!」
「もう出てきました・・・あれ?」
痛みからようやく回復したとき、困惑した助産師の方が目に入った。
「どうしたのですか?」
助産師が焦りと困惑の混じった顔でこちらを見る。
「この子・・・泣かない・・・」
「えぇ!?」
まだ倦怠感が残るものの、慌てて起き上がって我が子が寝かされているベッドを覗き込む。
「どうやら息はしているようなのですが・・・どうもおかしいです」
覗き込んだベッドでは眼を閉じた我が子がお腹を小さく上下させながら確かに生きていた。極めて珍しい銀髪の子だ。自分が金髪なので産まれる子も金髪と思っていたが、どうやら違うようである。
「銀髪の子なんて・・・初めて見ました・・・」
助産師の方の戸惑いが手に取るように感じられる。かく言う私も銀髪の人など見たことが無い。金髪すら珍しく、あとは黒とか茶、珍しいところだと赤や翠や蒼なんて髪を持つ人もいる。それを差し引いても銀髪の人など見たことも聞いた事も無かった。
だがそれでもこの子は自分の腹から産まれた我が子なのだ。そう決心しつつ、恐る恐る頭に触れようとしたその時
フッと微風が吹いた気がした。
窓も扉も閉まっている屋内だ。ここは隙間風も無い家の中央の部屋だ。
ゾッとして思わず手を引っ込めた。
その時その子が眼を開けた。
「ヒッ・・!!」 「なっ・・!!」
助産師の方が小さく悲鳴を上げ、私もあまりの光景に絶句した。
その子の眼は血の様な赤色だった。
覗き込んだ私たちの意識を飲み込むような、深い、深い赤色。
その赤眼がじっと無感情に私たちを見ていた。顔にも表情は無い。ただじっと・・・私たちを見ていた。
驚愕から動けなかった私たちだったが、ふとその子が笑みを浮かべた。
「あ・・・」
見た者を虜にするような天使の様な笑み。
その笑みに突き動かされたように、思わず我が子を抱き締めた。
瞳の奥からは自然と涙が溢れて来る。
あぁ・・この子は私の子だ。
どのような外見をしていようと、この子は血を分けた我が子だ。
世界がこの子を拒否したとしても、私だけはこの子を守る。
そう誓った。
ご意見などがありましたら、細かいことでも構いませんので宜しくお願いいたします。