小悪魔皇女の謀
ー 誰が作ったのか、何故其処にあるのかも分からぬ。主を失った其れは、其の富を得んとする者共を排除し、其の街を、富を守るのだ。哀しい鉄の魔物共は待つ。何時とも知れぬ、彼等の主足る者の帰還を信じて・・・。
とある冒険家の手記、《古代遺跡》の項より抜粋
くるくると、自分の銀色の髪を指に絡ませ弄ぶ。前世での髪は、指の一回り分も無かった。が、今ではかなり、何回り分もの長さがある。指の方が細いという理由もあるのだが。
目の前から、金色の髪留めを取り、瞳の上に垂れる前髪を留める。すると、今の今まで濡れた銀糸の様であった銀髪が、少し青みがかかった黒髪へと変わる。日に透かすと、深い青色が見て取れる。何度見ても不思議な現象だ。また髪留めを外す。すると再びサラリと髪が垂れ、自ら発光しているかの様な銀髪へと戻る。コロコロと髪の色が変わるというのは、最初は心臓がドキリと跳ねる様な、背筋が冷たくなる様な不気味な現象であったのだが、毎日繰り返している内に慣れた。ずっと付けっ放しで居ようと思った事はあったのだが、其れは毛根に優しく無い。流石に自粛した。
自分でもこの触り心地の良い銀髪はちょっと好きだ。髪留めを付けると、髪質まで変化するというのは、一体どうなっているのだろうか。因みに銀髪はサラリとしていて、触った感じも薄く、軽く持ち上げると、手の内から逃れる様に、ハラリと落ちて行ってしまう程に柔らかい。紺髪の方は同じくサラサラしているのだが、少し硬めだ。指に巻いて遊ぶのには、此方の方がやりやすかったりする。
と、まあ髪の毛談義など別にどうでも良いのだ。
さて、件の特別課外活動の予定日が近づいている。別段、俺が準備する事など然程無いのだが、最低限、俺が生活出来る分の物は用意しておく。完全に他人任せでは、非常時に困るのだ。最終的に頼りになるのは自分である。
まあ、防寒具をしっかり持って置けば、大抵は何とかなるだろう。逆に忘れてはいけないのは、雨具と防寒具であるという事。気をつけよう。毛布と、街で見つけた暖かそうな上着、マント、その他多目的に使用可能な布を数枚。雨具は・・・油を染み込ませた布と、其れを木や地面に張る杭で、タープを張れる様にしておく。誰かが持ってくると言っていた気がするが、念の為だ。
と、中々に大荷物だ。別に他に持つ物など、剣やら何やら身体に身に付ける物なので構わないか。別に布ばっかりなので重くも無いし。重くても問題は無いが。
後は塩やら香辛料を適量。食は豊かであるべきである。異論は認めるが、俺は誰が何と言おうと持って行く。其れから水筒か。此れも街で普通に売っていた。旅の必需品だ。容量は多分二リットルも無いくらい。十二分である。
こんなものであろう。火は自分で起こせるし。
最近、校内の雰囲気は浮ついている。まあ、特別課外活動というのは、遠足の様な物だ。皆楽しみなのだろう。遠足と言うにはちとハードに思えるが。言ってしまえば、サバイバルキャンプだからな。十歳前後の子供がやる事では無い様に思える。
ところで、メアリー・アリソンだ。週に一度、俺は彼女の所に通っている。衝撃の暴露話から約二週間。あんな話を見た目幼子な俺にしても良いのか、とは思ったが、「きみには話しても良いって気がした」との事だった。うん、そういう問題じゃない。彼女は凄まじいスピードで銃の研究を進めている。どうやら銃身の整形と、閉鎖方法に頭を悩ませている様で、未だ形にはなっていない。いや、原理や構造を知った位で僅か二週間で物にされても困るのだが。
だが、銃身は出来ずとも、なんと発火機構には大きな、というかぶっ飛んだ構想を生み出した。俺が教えたのは、火縄を使う、マッチロック式発火法である。最初期の機構で、最も簡単な構造で済む。だが結局、彼女はより天候に左右されず、携行性の高い、フリントロック式に行き着いてしまったのだ。黄鉄鉱を用いた火打石と、黒色火薬・・・硝石と硫黄、炭素代わりの石炭は割とすぐに手に入った。硝酸カリウムは、肉を保存する為の調味料として、硫黄は何故か魔道具関係、錬金術に使うとか何とかで、ゴロンと売っていた。何でだろうね。
銃身も出来ていないのに、撃発機構を進化させる辺り、彼女は天才なのかも知れない。普通は無いと思うのだが。余程頭のメモリの容量が大きいのだろう。多分物理学とかに携われば、相当な識者に成れたのかも知れない。
作り方は教えたのだが、まあ、そもそも真っ直ぐで一定の太さの鉄棒を作る所から始め、其処に焼けた鉄を巻き付ける、という作業を手作業でやれ、と言われれば、俺も頭を抱える羽目になるだろう。少なくとも、色々と試行錯誤は必要だ。鉄を熱するだけでも、この時代の炉はかなり時間が掛かる。まあ、俺的には然程関係無いので、頑張ってね、という感じだ。
で、自室で何やらゴタゴタと考えながら、俺が何をしているかと言うと、単純に暇を持て余している。
今日は三度目の週末、要は休みだ。メアリー氏の店は昨日行ってしまった。別に二日連続で行っても構わないのではあるが、行ったら行ったで質問攻めを食らうし、彼女にしても色々と考える時間は重要である筈で、彼女もにも予定はあるだろうから、週一回というペースは崩さないつもりだ。
其処まで考えて、ふとある人物の事を思い出す。暇な時は来て良いと言ってくれていたな、そういえば。彼女の研究を眺めているのも良いかも知れない。
其処で漸く、今日朝食を取ってから約二時間に渡って微動だにしなかった腰を持ち上げるのであった。少し、腰が痛かった。
ネメシア・リィ・クロチャトフ。彼女は天才だ。あくまで他の人間が言っているだけで、本人がどう思っているかは定かでは無いが。
今日も自分の研究室で、己に課した課題。その研究に精を出す。
「(・・・やっぱり・・・分からない・・・)」
彼女は今迄、多くの魔道具を制作し、その幾つかは俗に言う、ベストセラーとなった。
が、彼女の本当の目的は其処では無い。彼女が研究しているのは、"生物以外"から魔力を抽出する方法だ。
無論、魔力を発する物体は存在する。が、其れはあくまで、予め注入された魔力を発する魔道具であって、その魔力の元手は人間や、その他の生き物である。当然、中に溜められた魔力が切れれば動かなくなる。これが一般的に言う、蓄魔器だ。ゴーレム等の戦闘、作業用重機から、部屋を照らす魔力灯迄、実に幅広い魔道具に用いられている。是等は魔術師が定期的に魔力を補充しなければ動かない。現在、魔力灯という優秀な照明器具があまり出回らず、未だ蝋燭や、燭台に明かりを頼っている現実が、此処にある。そして、魔力灯が施設中に設置されている、学園でも、魔力灯は基本使われず、照明は蝋燭と燭台の火に頼りがちである。
「(・・・魔力は何処から出てくる?・・・魔力とは何?・・・)」
この世に溢れる魔力、その実態は未だ分かっていない。便利で、使う方法も分かってはいるが、其れが何なのかは分からない。ただ分かるのは、使える者と、使えない者がいること、使える者の中でも、得手不得手があるという事位だ。あとは・・・種族に依っても得手不得手が存在するという事か。
彼女はもっと、便利な魔道具を普及させたいと思っていた。火を出して鍋を温める魔道具があれば、大変な火おこしが必要無いし、火種を維持する苦労も無い。圧倒的な光量を持つ魔力灯が普及すれば、夜間の経済活動が活発化し、爆発的な経済成長が起こるだろう。羽を羽ばたかせる機構を開発出来れば、人間も空を飛べるかも知れない。が、其れらの開発と普及には、人間以外からの魔力供給が必須だ。誰でも魔力を発する事が出来る訳ではないし、況してや空を飛ぶなど、到底人間の持つ魔力では賄い切れるとは思えない。一人で賄い切れるないなら、二人、三人と載せれば、更に必要魔力は多くなり、極めて非効率的だ。なら、最初から魔力を延々と生み出せる道具が有れば、其れも解決する。まあ、出力重量比にもよるのだが。彼女の構想では、各家庭にそんな道具を置き、魔術師以外でも、魔道具の便利さに触れて貰いたいという念を持っているのだ。
彼女はそんな元の所からつまづいていた。当たり前だ。これ迄この命題に挑んだ者は居なかったのだ。そうゼロからの探求が直ぐに実る筈は無いのではあるが。
頭を抱え、知恵熱であわや頭から水蒸気が立ち上りそうに・・・これが彼女の何時もの光景である・・・にもなった頃、研究室の戸が開かれる。
慌てて外していたモノクルを掛け直し、ぐしゃぐしゃと掻き回したせいで、乱れに乱れた髪を軽く整える。この間、僅か二秒と半分。年頃の少女でもある彼女は、身嗜みにも妥協は許されないのだ。自分でも忘れがちではあるが、一応貴族の一人だし。
「・・・こん、にちは」
入ってきた人影を見て、少し安堵する。青みがかかった黒髪と、少しつり上がった赤眼が特徴の美少女。エリアス・スチャルトナだ。現状、この科唯一の生徒、とても賢く、自分の口足らずな説明でも、意図を汲み取ってくれる、優秀な生徒だ。今度の特別課外活動で随行する班員でもある。手元の羊皮紙を裏返すと同時に、彼女もぺこりとお辞儀をして、挨拶を返してくる。
「こんにちは、ネメシア先生」
礼儀正しい娘だ。とても平民出とは思えない。
「(・・・あれ?今日は授業・・・無かった・・・よね?)」
曜日感覚が崩壊しかけているネメシアでも、流石に今日が休日であるという事は分かる。
「あまりに暇でしたので、つい来てしまいました。お邪魔でしたか?」
・・・確かに暇なら何時でも来ていいと言った覚えがある。まあ、良い気分転換になる。そうネメシアは考えた。
「・・・ん・・・丁度息抜き・・・したいところだった・・・から」
其れに対し、そうですか、と社交的な笑みを浮かべて応えるエリアス。・・・本当にこの子は八歳の平民なのだろうか?自分の過去と重ねても・・・いや重ねるべくも無かった。重ねるだけ惨めになって、少し意気消沈する。
思わず、研究の事を思い浮かべてしまう。遅々として中々進まない研究。すると暗い顔が出てしまっていたのか、彼女が気遣う様な視線を向けて来ていた。こんな年下の子に心配されるなんて、まだまだだな、と苦笑する
「大丈夫・・・よ?」
エリアスはふと何かを考える仕草を見せる。そして、向き直った時の表情を見て、ドキリと心の臓が跳ねる。
其れは幼子が浮かべるには、不釣り合いな、妖しい笑み。口の端を小さく釣り上げ、眼は細められている。先程迄の無害そうな、人当たりの良い面影は無い。まるで、別の人物が内に入ったかの様。
「・・・考えが根詰まった時は、別の事に目を向けてみるのも良いですよ」
コノ娘は何を言っているのだろう。幼子の戯言とは吐き捨てられぬ、有無を言わさぬ威圧感を感じる。彼女は、例えば・・・、と前置き、卓の上に乗っている、木の球・・・何時しか自分が作った物だ・・・を手に取り、弄ぶ。
「この木の球・・・」
そう言うと手を離す。手を離れ、当たり前の様に床へと落下する。何故そんな事をするか不思議に思いながら、彼女を見やる。すると彼女は問うのだ。
「さて、何故この球は落ちたでしょうか?」
昔からの真理、物は手放せば落ちる。当たり前の事だ。が、その理由を考えた事は無かった。何故?一度疑問を持てば、其れは即座に身体の内に広がって行く。はっとした様な自分の姿を見て、彼女は更に笑みを深くする。
「何故物は手放せば落ちる?何故紙は火を近づけるだけで燃えて、石は燃えない?そもそも火とは何?何故物には硬い物と柔らかい物がある?何故木は水に浮いて石は沈む?何故世界には夜と昼がある?」
何れも、当たり前の事。誰も疑問を感じない、世界の真理だ。だが理由を説明する事は出来ない。神がそうなる様にしたから、と言えば楽かも知れないが、其れで説明出来たつもりになる事は、最も唾棄すべき事とし、誤りであるという事を知っているネメシアは、その解を見つけんと、頭脳を急速に回転させる。
「・・世界には、魔術でもない、ましてや神の奇跡でもない、この世を動かし続ける絶対普遍の法則が存在する・・・」
自分の目の前に、一気に新たな道が開ける光景が浮かぶ様だ。全く新しい概念、その一端が見えたような気がしたのだ。
「其れを科学と呼ぶ」
「科学・・・」
その言葉を噛み締める。この世を構成する、魔術でもない、況してや超常の力でも無い。当たり前、その一言で片付けられてしまっている、この世界に存在する真理。そうか、別に魔術に、魔力に頼る必要は無いのか。何処かの辺境では、水の流れを用いた絡繰で小麦を挽いたり、風の流れを用いた絡繰で水を汲み上げたりしたりしているという。その様な力を借りれば良いのだ。
そう考えると、自分の視野が急激に広がって行く。其処に光明を見出さんと、自分の世界に飛び込む。新しい羊皮紙とペンを引っ掴み、殴る様にインクを紙に叩きつけて行く。
目の前でその様子を見ていたエリアスは、呆れた様に、しかし、仕方ないな、という優し気な笑みを浮かべていたのだった。
「また暇になってしまった」
自分の世界に篭ってしまい、紙とペンの友達になってしまったネメシア氏の研究室を出、庭園・・・の様な所、寮の裏手の少し開けた所だ。花壇には様々な色の花・・・種類は全く分からないが・・・素人目にみて綺麗に手入れされ、咲き誇ってた。芝も青々として、寝転んで昼寝をしたくなる。実際寝るとなれば、少々虫刺されが怖いが。
何やらの生き物を形どったらしい、石のオブジェに腰掛け、何と無く空を見上げる。
空はどんな人の上でも蒼い。
そんな言葉を言ったのは誰であっただろうか。何かで見た気様な気がするが、何処であったかは思い出せない。人間の記憶などそんな物だろう。世界を渡っても空は蒼かった。夕暮れは茜いし、夜は暗い。この世が、前世と同じ世界の延長線上の世界なのか、はたまたは俗に言う異世界なのかは分からない。俺の知る様な兵器があるということは、元の世界の延長線上の世界という線が濃厚だが、この世界はまるで、"魔法を追加してやり直した"かの様な世界だ。魔術があるから、科学が発展していないのは仕方が無いとは思うが、其れでもあんまりだ。だから、ネメシア氏に科学の存在を仄めかした。案の定食いついてくれた。別に俺が全て教えるつもりは無い。彼女が考え、後に繋げてくれる事を期待しよう。
其処まで考えた所で、この庭園に近づく気配を察知する。ゆっくり歩く、単独の人物。庭園の入り口である、蔦のアーチに目を向けると、くぐって入ってきた人物を目が捉える。
不思議な人物だ。髪の色は今見上げていた様な空色、眼は青玉を思わせる蒼。身長は少し自分より高いか。眼はくりりと大きく、悪戯っぽい、小悪魔の様な印象を与える少女。そして驚くべき事に、白制服を着ている。何故判るかというと、形は違えども、配色が全く同じだ。上は矢鱈とヒラヒラした、胸元がV字に空いた上着と、その下にワイシャツに似た服。下は・・・かなり短いスカート。下手をすれば脚が太く見えてしまう、白いストッキングを履きこなしている。靴は踵丈の革靴。ローファーに似ている。何故ファッションが先進的なのだろうか。謎である。
その少女は此方を見つけると、ニヤリ、いやニチャリ言った方が当てはまるか。何処か嫌らしい様な、しかし魅力的な笑みを浮かべ、歩み寄って来る。今気づいたが、腰に短いが、剣を帯びていた。黒鞘に金の装飾か。何処か気品がありそうな雰囲気を醸し出している。
「エリアスちゃんだよね?」
艶やかな、しかしからかう様な声。何者だろうか。
「そうだけど」
肯定すると、眉が更に大きく歪み、笑みが深くなる。妙に嫌な笑みを浮かべるなこいつは。まあ、小悪魔的な可愛さを引き立ててはいるのだが。
「そっか、じゃあさ」
如何にも軽そうにクスクスと笑いながら、しかしとんでもない事を言い出す。
「私の奴隷になってよ」
満面の笑みで言い放つのだった。
ご意見、誤字指摘などが御座いましたら宜しくお願い致します。




