表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

夢見るお年頃

前半はリクの一人称、後半はコーリの一人称になります。

 常陸木城西の一般入試は英数国社理の五教科。昨年の合格ボーダーは470点前後だったらしいと言うもっぱらの噂。

 普通、私立高校って言ったら門戸を広く開けるものだと思うけれど、ここは違う。どういう理屈なのか、県内、特に常陸木周辺の地元中学生に厳しいことで有名だ。

 自宅通学を希望する受験生に課せられた暗黙の合格ラインは480点以上。480点じゃなくて、それ以上。

 これも噂の域に過ぎないはずなのだが、一概に単なる噂では済まされない、妙に信憑性のある数字なのだ。

 学校推薦とスポーツ推薦で、全国から集められた生徒が占める割合は約三十パーセント。残り七十パーセントが単願と一般入試で決まるわけだが、どちらにも地元受験者の合格枠と言うものが存在し、それは凄く狭き門だと言われている。

 それが事実だと裏付けるかのように、「自宅通学する同級生は片手で数え切れるくらいだった」と城西出身の進路指導の先生が言っていた。

 地元枠はその年によって人数が変わるらしいが、それが受験生に知らされることはなく、そんな博打みたいな受験をしたがる奴はそうはいない。本命を城西に選択する奴は稀少だ。普通はもっと分かり易い私立を狙う。

 だから毎年、地元受験生は少数精鋭。中学で常に上位成績をキープし、すっごい自信がある奴ばかり、のはずなんだけど……



 受験生を集めた体育館からグループごとに案内された教室に入り、机に張られた自分の受験番号席に座って、顔写真入りの受験票を置く。

 願書受付け締め切り日、タイムリミットに合わせて自分の足で学校に受験申し込みに行った俺の指定席は、廊下側の列の一番後ろ。

 この辺りの席がイイなーと思ったから、わざとギリギリに申し込んだ。

 普通に申し込んだんじゃ、俺の所属する中学と苗字では窓際の前の方になってしまう可能性が高いから。本当は窓際の後ろが良かったのだけれど、そっちに座るのはどう考えても難しそうだったから。

 だから、この席を狙った。主に志願先変更で駆け込み受験する奴は、席順を後ろにされることが多いと知っての目論見だ。



 後ろから眺めると、教室内の雰囲気が良く分かる。

 忙しなく単語帳を捲り続けてる奴、シャーペンのチェックに余念がない奴、必死に参考書に齧りついてる奴などなど。その誰もが黒い学生服を着ている。

 どうやらこの教室は地元受験生用らしい。俺達の前を歩いていたグループの制服には統一性がなかった。あれは県外からの受験者だ。だから多分、この一クラスだけ。地元受験生は四十人に満たないくらいか。

 市内にある公立中学校の女子の制服は紺のセーラー服と決まっている。公立中の男子は市内に留まらず、県内全域が黒の学生服。

 女子はスカーフの色を見ればどこの中学なのか大体分かるけれど、男は小さな校章以外に見分けようがない。だからこの教室も黒の学ランばっかりだ。

 すぐ近所にあるうちの中学からは俺一人の受験だし、他に知った顔も見当たらない。

 今年はこの中から何人合格するんだろう。多分、一人か二人。いいとこ三人。そんなもの。

 だからなのか、どいつもこいつも、すっげー真面目そうで、すっげー必死な形相している。こんなんじゃ、念願の彼氏作ってラブラブどころか友達にも苦労しそうだ。


「ちぇ、なんだ、つまんないの~」


 試験前だって言うのに気の抜けた呟きをした俺を、隣の席の奴がギロリと睨みかけ、はっとしたように瞬いた。

 そいつにニッコリ笑ってやると、もう一度瞬き、慌てて手元の参考書に視線を落としたけれど、おーおー、激しく動揺してら。

 自分で言うのもなんだけど、俺は女の子と見まごうような美少年だ。いわゆる中性的と言われる顔よりも、もっとハッキリと女寄りの顔立ちをしてる。

 双子の妹と並んでも大きな差は見られない。同じ顔の男版と女版。でも、どちらかと言えば俺が妹の顔に似ているかもと思うくらいに女顔。双子と言っても男と女。二卵性だって言うのに不思議な話しだ。

 これが思春期特有のものなのか、それとも成人しても変わらないものなのか、変化するとしたらどれくらい男っぽくなるものなのか。

 どっちにしても今の面影は残るだろう。自分の顔が気に入っている俺としては、ナルシストと呼ばれようが将来が楽しみでならない。

 ともかく、きっとこいつも一瞬俺を女と勘違いしたのだろう。下を向いてるけど、耳まで赤くなったその顔は俺の方を気にしているのが丸分かりだ。


「ねね、良く見てよ。俺、男だよ? くくく、替え玉受験だと思った?」

「……」


 無視かい! ちぇー、皆、カリカリしちゃって、ほんとつまんない。

 本命受験とは言っても、どうせ滑り止めもいくつか決めて来た奴ばっかりのくせに、公立だってイイとこ受けるんだろうに、余裕ないなー。


「君は随分と余裕なんだね」


 声の主を探して振り返ると、城西の制服を着た男が、椅子に座ってくすくす笑っていた。

 ツーポイントの縁なしメガネくん。優しげな笑顔が優等生っぽい。うん、この人、優等生っぽいんじゃなくて、かなりできそうだ。さすが常陸木城西、こんなにステキな先輩がいるんじゃないか。

 話し相手、しかもイケメンを見つけて嬉しくなった俺は、すぐに会話に飛びついた。


「うん、余裕だよ。あなたは? 何年生? こんなとこで何してんの?」

「ん? 僕は二年生だよ。そしてたった今、君達を教室まで案内して来たところだけど?」

「あ、そっか。そーゆーのってボランティア? それともバイト?」


 その人は「バイト」と人懐こい顔で笑い、俺の方に身を乗り出して声を潜めた。


「内緒だけど、実は結構いいお金になるんだ」

「ふーん、じゃ来年、俺もやろーっと」


「ほんと余裕だね。なんだか本当に君は受かりそうな気がする」と苦笑されて、ぺロッと舌を出した。

 当然。落ちる気満々の受験なんてしないも~ん。

 男子校の城西は、俺にとって期待のオアシスだ。しかも徒歩五分の通学距離。寝坊しても間に合う場所に理想の高校があるのに、わざわざ他を受験するなんてナンセンス! 密かにゲイの巣窟と囁かれるココに絶対に通うと決めているのだ。

 地元の学校推薦や単願は、まず通らないと思った方がいいと言われている、難攻不落の常陸木城西高校。

「君なら間違いない。推薦を出そう」と校長先生から太鼓判を押されたのを、実力で行くからいらないと蹴った俺だよ? 俺が受からなくて誰が受かるんだ。

 そもそも推薦で決めてしまったら、どんな奴らが新入生候補なのか分からないじゃないか。それこそつまらない。

 同級生になる予定の奴らの質を、事前にこの目で見ておきたい。バラ色の高校生ライフを送りたいなら、それくらいのリサーチは必要だ。



 せっかくステキな先輩とお知り合いになれたのだ。もう少し突っ込んだ話でもしてみようかなーと思ったら、「ごめんね。ほんとは受験生との会話は禁じられてるんだ」と笑みが浮かんだ口元に人差し指を立てられてしまった。残念。

 だが、そのさりげないあしらい方と言い、俺の顔に動じない綺麗な男に慣れた感じと言い、めっちゃ好感触だ。これっきりの縁とは思えない。入学したらお近づきになるチャンスはある!

 にっこり笑って素直に前に向き直ったら、ちょうど俺の前の席に人が座ろうとしていたところだった。

 お? と思ったのは、集団で体育館から教室に移動して来た俺達と違って、一人遅れて来たから。そして制服が黒の学ランじゃなかったから。

 濃いめのブルーグレーのブレザーに薄いグレーのスラックス。見たことのない制服だ。

 中学生にしてはガタイがイイ。肩幅があり、腰が細い逆三角形な体つき。首が太く、ウナジまで日に焼けるくらい短く刈り揃えた髪型はスポーツマンなのか?

 後姿は凄く俺好み。今でも十分長身だが、これからもっと身長が伸びて、ココとココに筋肉がついて、ココを絞ったら……おお、将来かなり有望そうだ。骨格は合格。でも顔はどうかな?

 興味を惹かれて、シャーペンでそいつの広い背中を突ついてみた。


「あ?」


 振り返った顔は、なんと言うか暗い。どんよりしてるっつーか、悲壮感が漂っているっつーか、覇気がないっつーか。

 鬱陶しそうに、怪訝そうに俺を見た目は切れ長の一重。

 額が狭めの面長だ。眉は手入れしていないのだろう。自然に一文字を描いている。頬骨はそんなに高くはないが、形の良い鼻筋が細く通っている。唇は薄め。でも酷薄そうには見えない。むしろ意志が強そうに感じる。

 涼やかで純和風ってな顔立ちは、その体のデカサもあって一歩間違えば強面に見えなくもない。可愛いもの好きな女子には、好き嫌いが激しく分かれるところだろう。言うなれば、時代劇で主役を張るサッパリ醤油顔なのに体はガテン系?

 悪くないどころか、間違いなく男友達からは頼りにされ、好かれるタイプだ。いいねえ、硬派だねえ。

 だが、なんでだか暗い。受験前でナーバスって感じじゃなく、ここに来る直前にとてつもない不幸に見舞われたのかと思うほど暗い。


「どこ中? 俺、その制服見たことない。県内? 県外?」


 彼はボソッと聞いたことがあるような、でも多分知らない学校名を言った。


「どこにあんの?」


 いかにも言いたくねーよと言う感じで教えてくれたのは、三つくらい隣の市の名前。

 それでようやく俺にも分かった。


「へ? そこって中高一貫じゃなかった? 私立じゃん。なんでここにいんの?」


 高校名の方を言ってくれたら、誰にでもすぐに分かったはずだ。

 一貫校なのに中学と高校の名前が全く違うと言う変な私立校だから、聞いても気づくのに遅れた俺はマジでビックリした。

 隣の席の耳まで真っ赤に染めて俯いていた奴も、ギョッとしてこちらを凝視している。ちらっと見たら、赤かった顔は蒼白になっていた。

 それもそのはず。赤耳くんにしたら、絶対に勝てない超ライバル出現ってとこだろうから。

 だけどさ、いちいち他人を気にしてるよーじゃダメだろ、赤耳くんは本当に落ちそうだなー、なんてことを考えながら、前の席の彼をジッと見た。

 中高一貫校のソコは、当然ながら偏差値が高い。高等部の外部受験の偏差値は城西と同等。いや、もしかするとアッチの方が上かも。

 県内で名門私立を受けるならソコか城西と言われるくらいの人気高校。しかもアッチは男女共学だから、男子高の城西よりも遥かに人気があり、必然的に倍率も高い。

 城西は地元枠が狭いから難関ってこともあるが、アッチは正真正銘の難関名門高校なのだ。

 それをなんだってわざわざ。


「なんだってイイだろ」


 良くない。気になるじゃんか。

 この席にいると言うことは、俺と一緒で締め切りギリギリに申し込んだってことだろう。

 受験戦争を勝ち抜いて入った名門私立の中学生が、内部進学を迷うようなどんな大事件があったのか? この暗~い雰囲気は、それと関係しているのか? 一体どんな事情なのか?

 落ちるつもりは毛頭ないが、平常心以下でノホホンと来た城西受験に俄然ヤル気が入った。

 だって、こいつは絶対落ちない。既に高校でやる授業を習ってる奴が、高校入試に失敗するわけないじゃんか。どんより暗い顔してるけど、そんな奴が落ちるつもりで受験に来ているはずもない。

 俺の高校生活、なんだか急に面白くなってきそうな予感。


「俺、小野寺。小野寺陸玖。リクって呼んで!」


「そっちは、えーと」と前の机を覗き込んだ。

 ありゃ、受験票の名前、ちっこくて読めねー。かろうじて読めたのは苗字だけ。


皆川みながわナニ?」

「……耕利こうり

「コーリか。了解。覚えた! ね、昼飯、一緒に食おうよ。俺、豪華弁当だからおかず分けてあげる」


 ふっふっふっふ、根掘り葉掘り聞いてやろうじゃないか。


「昼飯? 試験が始まってもいないのに、気が早いな」


 後ろでまたくすくす笑っている声が聴こえた。

 首だけ捻って、さらっさらの茶髪にツーポイントメガネの優しそーな笑顔の人を見る。

 うーん、コーリが硬派でいけてるなら、やっぱりこの人は穏やかな性格の好青年って感じでいけてる。かっこいい。

 比較対象がハッキリしているのはイイな。うへへへ、俺、コーリでも先輩でも、どっちでもいけそうだ。


「先輩、外で食べてもいい? 確か中庭にテラスとかあったよね」

「外は寒いよ。それに弁当は教室でって説明があったはずだけど?」

「なんだ、残念」


「知り合い? 中学の先輩なのか?」とコーリが聞く。


「んなわけないじゃん。これから俺達の先輩になるんじゃんか。ねー、先輩?」


 いけてる先輩がニコッと笑った。

 対するコーリはと言えば、細い目をもっと細めた糸目視線で、「……変な奴」

 変な奴と言われるのは慣れている。天才の上にゲイの俺は、凡人には理解されにくいのだ。

 ふふん、なんとでも言ってくれてイイよ。

 だって君は俺のことを「変な奴」と言いながら、面白がっているのが分かるんだ。コーリが纏っていた暗い空気が少しだけ晴れたのが、その証拠。

 きっと俺と君は友達か、それ以上になるだろうって予感がする。


「四月になったら先輩ともお昼したいなー。俺の趣味って料理だから弁当作ってくるしー」

「本当にそうなったら楽しそうだね」


 基本的に受験生と口をきいてはいけないはずの人が、こっそり答えた。


「そうと決まれば、よーし、コーリ。二人揃って満点合格するぞ! ああ、高校でのランチタイムが楽しみだ~!」

「マジで変な奴」


 二月二十五日、常陸木城西高校一般入試日。運命の出会いを得た。





 ◆◆◆◆◆◆◆◆





「たとえるなら尼寺へ行くと言うか、そんな気分」


 そう言ったらリクは、「尼寺じゃ女子高じゃんか。ここは男子校だよー」と大笑いした。

 その時は笑い事じゃないと睨んでみたものの、そうやってリクが笑い飛ばしてくれたお陰で、心はより軽くなったのだ。




 時を遡ること、昨年の十二月二十四日。

 キリストの誕生日を誰かと祝う習慣なんてない仏教徒の俺は、人気のない夜道を自販機に向かってブラブラ歩いていた。

 静まり返った住宅地は、まるで見知らぬ街を歩いているかのようでワクワクする。

 月があるないでは風景も違って見えるし、昼には感じられない夜独特の空気感や匂いもいい。

 匂いと言えば、夏には夜になると強く香る花があることを知った。元より静かな住宅街と言っても昼の顔と夜の顔があることを知り、人生得した気分だ。

 夜中の散策は俺の唯一の趣味だと言ってもいい。

 三年前のちょうど今頃、中学受験の時に、気分転換のつもりで親に黙って夜中にこっそり家を抜け出してみたら、思っていた以上に気持ちが良かった。以来、夜中の散歩が日課となっている。



 中高一貫校に入学したお陰で、中学三年のこの時期を必死にならずに過ごせるのはありがたいが、特にやることのない一貫校の中学三年の冬は、彼氏彼女を作るにはもってこいの季節なのか、と気づいた時には遅かった。

 要するに俺は乗り遅れたのだ。

 気がつけば周りはカップルだらけ。ただでさえ口下手だから自然と口数は少なく、一重瞼の冴えない地味顔は、少しでも視線を眇めれば「怖い」と敬遠される。図体ばかりが無駄にデカいお陰で、「喋らなくても威圧的」と遠巻きにされる。

 そんな俺が女の子と屈託なく話せるはずもなく、そうなりゃ彼女など夢のまた夢で、だからクリスマス前夜もこうして一人ブラブラと歩いているわけだ。

 まあいい。来春、高等部に行けば、女はともかく他に何かイイことがあるかもしれない。

 そんな期待を込めて、ちょうど目の高さにあったコーラのボタンを押した。

 そしてガコンと音を立てて落ちたペットボトルを拾い上げた俺は、通いなれた墓地へと足を踏み入れた。



 霊園などと言うハイカラなものではない。ここは昔ながらの古い墓地だ。近くに寺もなく、ただ墓石だけが並んでいる。

 住宅地の外れにあるせいか、お盆とお彼岸以外は昼も夜も一年中わりと静かだ。

 墓場ゆえに夏は肝試しに訪れる不届き者がいないこともないが、真冬の今は誰にも邪魔されることがなく、足を止めて休憩するにはもってこいのスポットだと思う。

 まず、一見どれも同じに見えて、実は一つとして同じ物がないと言うのが、墓石のいいところである。

 地味ながらそれぞれに個性が宿っているところは、まるで俺達人間のようだと思う。物を言わずに姿で静かに語りかけるところもイイ。

 お気に入りの場所が墓場と言うのは、さすがにちょっとアレだと思うので、誰にも言ったことはないし、これからも言うつもりはないが。

 苔むして緑色に見える一際古びた墓石は、俺の休憩定位置だ。

 彫られた文字は、どれだけの年月を風雨に晒されたのか、丸く崩れて浅くなり読めない。そこがまた風情があっていい。

 その墓石を囲む石垣に座り、首に巻いていたマフラーを緩める。

 キャップを外したペットボトルに口を付けたところで、何者かの気配がした。墓と墓の間に続く玉砂利道を踏みしめる音がする。

 二十三時半過ぎ。この季節のこんな時間に、こんな場所に、俺以外のお客が来るのは初めてのことだ。

 腕を絡め合った身長差があるシルエットは、どうやら若い男女のカップルらしい。

 クリスマスイブに墓場で逢引きか。なんと物好きな……クリスマスイブに墓場でコーラを飲む俺も、負けず劣らず物好きだとは思うが。

 幸い俺がいる周辺は街灯が届かず、薄暗くなっている。黙って座っていれば、気づかずに行ってくれるだろう。

 そう思って息を殺していたのだが、誰もいないと思ったのだろうそのカップルは、イチャコラ始めやがった。

 正直言ってムカつく。多感な思春期真っ盛りの男子中学生の目の前で、静かに休んでいるご先祖様達の前で、音を立ててキスなんかするなよ。バチ当たりめ。

 と言っても相手が気づくはずもなく、参ったなと冷や汗をかく俺の耳に、「……さん」と甘く喘ぐ女の声が届いた。

 その声に聞き覚えを感じた俺は、見る気もなかったのについそのシルエットを凝視してしまった。

 手から滑り落ちるペットボトル。シュワシュワと玉砂利に吸い込まれながら泡立つコーラ。

 その音に驚いてこっちを振り返った顔は、薄明かりでぼんやりとしていたが、男も女も見知った顔だった。


皆川みながわくんっ」


 俺の名前を呼ぶ、その声。腕を絡め、舌を絡め合っていた女は、なんと俺のクラスメイトだった。男の方は高等部の若いイケメン教師だ。

 中高一貫とは言え、校舎が別の中学と高等部では接点はあまりない。まして教師陣は全く別物なので、接触する機会もない。あってもせいぜい体育祭や文化祭のみ。

 顔しか知らない教師が彼女と寄り添ってここにいると言う事実に、なかなか頭がついて行けない。

 中学生と教師? 禁断の恋? 援助交際?

 墓場らしいぼんやりした街灯の下、青ざめて見える彼女の顔。震える唇が濡れているのがありありと分かる。

 キスして唇が濡れるなんてエロいこと、ほんとにあるんだな、とぼんやりと考えていた俺はバカだ。なぜなら彼女は俺の片思いの相手だったのだから。

 こんなの有りか?



 それからが正に怒涛の展開と言う奴で。

 翌々日、冬休みの真っ最中だと言うのに校長室に呼び出された俺は、墓場で出会った二人もそこにいることに驚いた。

 小太りの校長が汗を拭き拭き、二人の関係を丁寧に説明してくれたところによると、


「二人はいわゆる許婚の間柄で、五年前からお付き合いをされている。決して昨日今日のふざけた付き合いではない」


 五年前って言うと俺達は十歳だぞ。こいつ、ロリコンか?


「こちらは本校理事のご子息であり、行く行くは学校経営に携わる立派な方だ」


 立派なお方が夜中の墓場で女子中学生と逢引きするか、普通。


「かねてより彼女が高校卒業と同時に結婚されるご予定だったが、こうなったからには時期を早めたいと仰って」


 俺に見られたからか? だからって高校生妻ってのはどうなんだ。


「しかし今は学業に本分を置くべき身であるからして、結婚することは内密にしたいと」


 つまり「不健全な交際でない証拠に結婚するが、君は口を閉ざしていてくれたまえ」と言うことらしい。

 言われなくとも、見なかったふりをしようと思っていた。できれば夢だったと思いたい。それも悪夢の類だ。

 密かに憧れていた女子が、墓場で熱烈な抱擁を交わすような大人の恋愛をしていたなんて。優しくて、おとなしい、内気な子だとばかり思っていたのに、あんなエロい……

 俺だって、なかったことにしてしまいたい。あれは夢だったと思いたい。

 なのに、彼女は嬉し恥ずかしそうな顔で「ごめんなさい」と俺に頭を下げた。

 ああ、あれはやっぱり現実なのか。

 その瞬間、「出家だ。出家しよう」と思ったのだ。彼女のいない、女が一人もいない、ここじゃないどこかへ!

 エスカレーター式に高等部に進学せざるを得ない一貫校システムは、今の俺には拷問に等しい。彼女にとっても俺がいない方が心穏やかだろう。

 と言うか、仄かに思いを寄せていた女の子が二重生活をする現場にいることに、俺の方が耐えられそうにない。

 今、目の前にいる彼女が昼間はおとなしい清楚な女子高校生を演じながら、夜になるとコイツに向かって「アナタ、おかえりなさい。お食事なさる? 先にお風呂? それとも、ワ・タ・シ?」!

 フラッシュバックする墓場での光景。ピッタリと一つに重なるシルエットとか、耐え切れずに漏れてしまったらしい官能的な喘ぎ声とか、コイツの名前を呼ぶ甘えた声とか、濡れて光っていた唇とか!

 う、このままでは鼻血が出そうだ!


「男子高に転校したい」


 深く考える間もなく口にしていた。

 誰にも言わない、忘れる、いや、もう忘れたと言う約束で、通常ならば絶対に認められることがない、私立校から私立校への転校許可を願った。

 ただし、墓場にたまたま居合わせた俺が悪いわけじゃないので、相手校にその辺りの説明をキッチリして貰いたいと言うことで。

 校長は「しかし中学生が夜中に一人で外出するのは云々」と言っていたが、盛り場にいたわけじゃない。誰もいない墓場を散歩していただけだ。

 ネオン瞬く盛り場をふらついていたのならば非行と言われても仕方がないが、薄暗い街灯しかない墓場をふらついていた場合は一概に非行行為とは言えまい。

 ソッチの二人なんか夜中の墓場でキスしていたのだから、ただ散歩していただけの俺よりも性質が悪いと思うのだが、あまりグダグダ言うのは立つ鳥後をの男として宜しくない気がする。


「常陸木城西高校への転入手続きをお願いします」


 結局、時期的な問題もあり、形ばかりになるが外部受験して欲しいとの依頼を受け、一般入試を受けることになった。

 俺が住む街から電車で北へ五駅。今まで通っていた学校も南へ四駅だから、距離的にはあまり変わらない。

 それでも、僅かでも北へ向かうと言うのは、なにか物悲しい感じがする。演歌でも北国は寂しさの象徴のように歌われているではないか。

 そんなはずではなかったのだが、なんとも悲壮感の漂う受験となってしまった。

 さらに入試当日、城西の門をくぐった俺は、体育館に集合している、そこはかとなく汗臭い集団を見て軽く眩暈を覚えた。

 当然ながら男、男、男。右を見ても左を見ても男だらけ。なんてむさ苦しい!

 淡い恋心を打ち砕いたエロい事件を忘れる為とは言え、半ば自暴自棄に進路を軌道修正してしまったことを、一瞬悔やんだくらいだ。

 覚悟はしていたものの、想像以上のダメージを受けた俺は、ふらふらと体育館を抜け出した。

 女嫌いで男子校を選んだわけではない。むしろ女は好きだ。上手く喋ることが出来ないと言うだけで、女子に対しては年齢相応の理想と憧れを抱いている。

 失敗だったか? 今からでも共学の県立を受けるか?


「君、気分でも悪い? 顔色が良くないな。保健室で少し休む? 大丈夫、保健室でも受験できるからね」


 そんな俺に声を掛けてくれたのは、受付けに座っていた男子生徒だった。

 生徒会長だと言う彼はテキパキとそこにいた生徒達に指示を出し、自ら保健室に案内してくれたのだが、その頃にはかなり気持ちも落ち着いてきていた。


「すみません。やっぱり教室で受験します」

「うーん、おばあちゃんが危篤で携帯の電源が切れないとか言うことにしてさ、ここで受験してもいいんだよ? ねえ、先生」


「ねえ、先生」と呼びかけられた保健室の先生は、「勿論だよ。お茶付きで受験して行くかい?」とニコニコしている。

 なんじゃ、それはっ。

 受験生相手に有り得ない能天気さに唖然とする俺に、「それくらい辛そうな顔してるからさ」と真面目な顔で返す生徒会長と保健の先生。

 つい「い、いえ、濃度の高さに、ちょっと……」などと、素で答えてしまっていた。


「ああ、うん。なるほどね。でも男子校も悪くないもんだよ」

「そうそう、住めば都って言うのは本当だから」

「はあ……あの、この辺りに墓ってありますかね」

「ハカ? えーと、ハカって言うのは墓地のことかな?」


 それ以外にハカと言う日本語が何かあっただろうか。

 破瓜……くらいしか思い浮かばないが、この場合「ある」に掛かる言葉にはなり得ない、と思う。

 ああ、彼女は既にあの男に散らされてしまったのだろうか。色白で少しふっくらとした彼女は、やっぱり脱いでも凄いんじゃないかと……

 ああ、またエロいことを想像してしまった。これから受験なのにダメじゃないか!

 いや、それ以前に脈絡もなく相当おかしな質問をしてしまっただろう自分が恥ずかしい。


「なんでもないですっ。変なこと言ってスミマセン!」

「あるよ。校内に」

「へっ?」


 校内に墓がある、のか?


「あ、ほんとに顔色戻ったね」

「いやいや、戻ったと言うよりも熱があるんじゃないかな? ほら、赤いでしょ」


 それはちょびっとエロい想像をしてしまったからで、なんてことは言えない。


「熱はありません。平気ですっ」

「そんな遠慮しなくとも、どーせここは私一人で暇なのだから。あ、なんなら回答を手伝ってあげても……」


 俺も変だが、この保健室の先生もかなり変だ。


「先生、もういいでしょう。彼、十分リラックスしましたよ。それじゃ教室に行こうか。案内するよ」

「は、はい。ありがとうございます。あの、本当に?」


 校内に墓があるのか?


「入学したら自分の足で探してごらん」


「興味あるなら合格するんだね」と言わんばかりの表情で、生徒会長は不敵にニヤリと笑ったのだった。

 さらに案内された教室で「どこ中?」と妙に人懐こい奴に後ろから突つかれ、その上「よーし、コーリ、満点取るぞ!」などと大声で叫ばれ、なんだか良く分からないうちに、形だけの受験だと言うのに結構その気になっている自分に驚き、あれよあれよと言う間に迎えた入学式。

 新入生代表挨拶はリクがした。マジで満点を取ったらしい。俺は二番だったそうだ。

 早速あの生徒会長が直々に生徒会勧誘に来てくれたが、「柄じゃないから」と言う理由で二人とも断った。

 因みに受験日に会ったもう一人のメガネの上級生は生徒会議長だそうで、かの生徒会長と共に教室に現れたのだが、その場で交際を申し込まれたリクは即答でOKし、驚きざわめくクラスメイト達に向かって「俺、ホモだから」と笑ったのだった。

 別にリクがホモでもサルでも構わないが、ホモって本当にいたんだなと、そっちの方にビックリした俺は、人よりも少しズレているのかもしれない。



 リクを誘って校内を隈なく捜し歩いた墓は、剣道場の裏に続く畑の向こうにあった。墓は墓でも、生物部が飼育している動物達の墓らしい。

 山田さんとか斉藤さんなどと書かれた小さな木片や(一体なんの動物なんだ!)積まれた小石。線香の灰らしきものを見つけたリクが、「おー、和製版禁じられた遊びじゃん」とはしゃぐ様子に苦笑しながら、こんな墓場を昼間歩くのも悪くないと思った。



 住めば都とは良く言ったもんだ。今は道場の窓から遠くに見える小さな墓を眺める毎日だ。

 時たま変人保健医が、半ノラ化した生物部のニワトリに反撃されながら生みたて卵を掠め取る滑稽な姿も拝める。

 能天気な新しい友人にも、生徒会長にも(ついでに変人保健医にも)心の中では感謝している。

 あんなことがあったが、実は今でも女は嫌いじゃない。

 初恋の彼女がきっと特殊なケースだったのだ。そう信じたい。

 さらば、初恋!

 竹刀で勢い良く風を斬った。


ムーンライトノベルズに投稿中の「はじまりはモーツァルト」に登場する豪華重箱弁当の主とその従者(?)の出会いを短編にまとめてみました。軽くお楽しみ頂けましたら幸いです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ