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傾国の姫  作者: 安田鈴
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第七十一話

 あの食堂での話があってから、二か月ほど。

 いつ来るか今来るかそれとも来ないのか来ないなら来ないと可及的速やかにとっとと連絡くださいいやまじで!と戦々恐々していたのに、拍子抜け―――と言ったらなんだか期待していたようで語弊がある気がするけど、でも不安が現実になることはなかった。




 おそらくレオヴィスが動いてくれたのだろう。学校側も危機意識があるのか、なるべくそういう生徒と授業がかぶったりしないように、私の年齢を理由に一人変則的な授業を受けることになったのだ。

 周囲の生徒たちは無関心だったり遠巻きに見ている事が多かったが、狂信派に属していると噂されるような生徒を教えてくれたり、話しかけられそうになったところを助けてくれるような場面もあった。

 どこか腫れ物を扱うような反応も多々ある中で、めげずに笑顔で挨拶をしたり積極的に溶け込もうとしたささやかな成果なのかもしれない。

 ……まあ、二ヶ月経っても仲良く食事をしてくれるどころか話をするような友達もできないけど。

 なんだこのさびしい学生生活は。私がいったい何をした。そろそろ涙も枯れ果てるよ。ぐれていいのか、ぁあん?

 くっ、置いときたくないけどそれは置いといて……

 魔法使いと女神、魔女は密接な関係にある。この学院にも多数の信者がいて、狂信派だからといって非難するわけにはいかなかった。ましてや彼らは狂信派と呼ばれているだけで、実際に何か被害に遭った人がいるわけでもなかったからだ。

 彼らは、自分の人生そのものを捧げるほどの深い崇敬を女神と魔女に向けているだけ。その信仰心が時折常軌を逸しているような行動を起こさせるために、狂信派と呼ばれているだけなのだ。

 だけど……

 食肉用に売られていた生きた動物を、狂信派独自の儀式のために数日かけて嬲るように殺した―――と実しやかに噂される団体が、絶対に安全だとは誰もが思わないのも真実だった。




 そもそもユーリトリアを含むこの大陸の多くの国は一神教ガロスを信仰している。

 その上で土着の精霊などを信仰することは珍しいことではなく、国によってはガロスは子沢山な神になっていたりする。これはガロス教が時代や国によって細分化され、統合や新しい考えの信仰が生みだされていった、いわば長い間信仰され続けた故の当然の結果なのだ。

 前世のキリスト教だってカトリックやらなんやら、色々あったことと同じで、どこの世界でも宗教は同じ信仰心で同じ解釈の教義であり続けることはないらしい。

 その中で、女神イリアは少し異質だった。

 一神教というだけあって、ガロスは唯一の神として信仰される。子沢山なガロスというのは、精霊などの親として語られているからそう表現しただけであって、同じ神として並び立つ存在はいないというのがガロス教の神官たちが唱えていた神話だ。

 それなのにイリアは、ガロス教とぶつかることなく受け入れられた唯一の神だと言っていいだろう。

 いや、神官たちは内心苦々しい思いでいるかもしれないが、あまりにも広まった女神イリアを声高に糾弾し民の信心を離れさせるよりは、と穏健にまとめたのだろう。

 そうしていつの間にか、ガロス教の神殿の中に祈りの場が設けられるようになり、女神はガロス教の神話の一つに組み込まれ浸透するようになった、というわけだ。

 だから信心深いガロス教の信徒たちは女神にも祈りの手を合わせることを躊躇わない。だが、女神イリアを狂信する信徒…つまりシギル達のような狂信派はガロスを目の敵にしている者が多い。その理由はわからないが、彼らは彼らの教義があり、おそらくそれがガロス教と反りあわないのだろう。

 なので神官たちは狂信派に対しては激しい差別をする。

 真っ向からあからさまに敵対されれば、許せるものも許せなくなるのが人間というもの。

 生まれた祝福も結婚の宣誓も死後の加護も、何一つ彼らには与えないと対立しているのだ。

 そうして狂信派の孤立化が深まり、彼らは彼らの中で社会生活を成り立たせていった。

 ……恐ろしく慎重になっただろうな。

 その話を聞いて、そう思った。

 孤立化していったということは、いざという時に外部の助けを全く望めないということだ。下手をすれば、重い病気やけがさえ見捨てられた過去があってもおかしくはない。

 だから何もないからと言って危機意識を緩めてはいけない。何か起こる可能性は少なくなっても、何も起こらない可能性がなくなるわけではないのだから。

 しかし二か月も何も起こさない彼らに、早くも周囲の生徒は警戒を解き始めていた。

 季節は初夏の終わり。学院にもだいぶ慣れ始め、もうそろそろ始まる大きな休みに心が踊ってしまっても無理はないと言えた。

 結局は、自分の身は自分で守る。

 そういうことなのだ。




「……まぁね、シギルの顔は確認したし、狂信派って噂されてるような人たちの顔もわかったし、ランスやアーサーもいるし、こればっかりは何かあったらすぐにレオヴィスに頼る気満々だけどさ」

 呟いて、溜め息を吐いた。

 まあ、無理もない。わかる。そんなことは当事者真っ只中にいる私にもよーーーく分かる。

 というか、自分すらこのまま何も起こらないんじゃないかと思い始めてさえいるのだから、周囲がそうなってもおかしくはない。


 魔導の授業は予想以上に面白かった。

 自分の中にある大きな魔力を感じ取ることから始めて、今はうねる様子もわかるようになってきた。たぶん、このうねりが大きくなると暴走するのだろう。

 そして、私の胸からうっすらと伸びる糸はレオヴィスにつながっているはずだ。その証拠に、糸はレオヴィスの魔力特有のオレンジがかった赤い色をしている。

 今なら触ることもできるけど、ひょんなことで切れたら怖いと極力意識しないように気を付けていた。無意識なら、触れることもないからだ。

 魔力の制御は難しく、まだ抑えるというよりはうねりの方向を変えたりまっすぐにしたりする、という段階で、普通の子供なら魔力を感じられるようになればすぐに制御することができるんだと言われて落ち込みそうになった。

 しかし、先生は私にちゃんと希望をくれたのだ。私の魔力は大きすぎることとレオヴィスとつなげられた魔法もあって、完全に制御するのはできないのが当たり前なんだそうだ。ああよかった。

 ただ制御するイメージのまま次の段階に入らないと、本来その制御を無意識にしてくれる本能を起こす際に問答無用で魔力が暴れた時、どうしようもないままキールの町の二の舞になるらしい。あの時は魔力のないスリファイナの民が活躍してくれたが、今ここにいる数百人の中で魔力がないなんて人はランスとアーサー、リィヤくらいなものだ。

 つまりここで私の魔力が暴走すれば、ほぼ壊滅するのだ。建物ではなく、人が。逃げる場所もなく。


「ああ恐ろしい!絶対、絶対暴走させないように気を付けなきゃ」

 キールの町の時のことは……正直思い出したくない。

 ランスが血まみれになって倒れた姿が今もくっきりと脳裏に焼き付いて離れない。あの時感じた恐怖や絶望、悲しみはまだ私の心にこびりついている。そして魔力を感じられるようになった今は、その感情を思い出すだけでも強くとぐろを巻くように魔力がうねる様子がわかるのだ。

 もっとも、強くうねった瞬間に細い糸を伝ってものすごい勢いで出ていく様子も、今はわかる。

 言うなれば今はレオヴィスに私の魔力を制御してもらっているようなものだ。便利な遠隔操作だけど、それに頼り切っていてはいつまでもこのまま。成長の見込みがないと思われるのも、レオヴィスに頼っている状況も、私の立場を弱くする。

 ただでさえレオヴィスは強いのだ。

 私は私の強みを持たなくてはいけない。レオヴィスに交渉できるほどの何かを持たなくては、いいように利用されてしまうだけだ。

 だからこそ、私はここに来た。

 学ぶために。強くなるために。何かを犠牲にするのは避けられなくても、その数を減らすための努力をするために。

「頑張らなきゃ。……ただ玩具になるのは、イヤ」

 マントの留め具を付けて、立ち上がる。ドア横の姿見で全身を見て、荷物を手に取った。

 机の上の鈴をポケットに入れると、アーサーたちがいる部屋のドアをノックする。

 コンコンコン

「アーサー、ランス?おはよう、支度できたよ」

「おはようございます、今出ます」

 す、をアーサーが言い切る前にドアが開き、満面の笑みのランスが出てきた。

「おはようございます姫様!今日もお変わりなく可愛いです!!」

「お、おはよう。わかったから落ち着こう……?」

「……はぁ……なぜ私はこいつと兄弟なんだ?本当に血はつながっているのか?何かの間違いじゃないのか」

 深刻な溜め息を吐いて、腕ににこにこと上機嫌なノエルを抱いたアーサーが出てくる。

 まあ……言いたいことはわかるけど、まず間違いなく二人は血がつながっている。兄弟以外に考えられないほど、黙っていれば瓜二つの顔に、……アーサーは認めたくないだろうけど思考回路が似ている。ランスがすぐに剣を抜こうとするのと同じで、アーサーもすぐに針を投げたりするのを本人は気付いていないらしい。

 無意識のところで家族は似るものだとつくづく思わせる一例だ。

 呆れるように二人を見上げ、上機嫌のままこちらに手を伸ばそうとするノエルに笑いかけた。

 赤ちゃんは周りの人をよく見ている。周りが笑っていればよく笑う子になるのだ。

 ランスとアーサーが部屋でどんなふうに育てているかはわからないが、ちゃんと笑いかけて楽しく育てているようだ。意外と言ってはなんだが、アーサーは厳しそうに見えて案外甘く、ランスはにこにこしているがあまり関わらないらしい。


 そういえば前にアーサーがランスは厭世的だって言ってたな。


 ランスが私以外に興味があるもの、と思い浮かべようとして失敗する。まるでない。

 剣…は違うし、敵…もなんか違う。

 好きなもの。……そんなことすら、思い浮かばなかった。

 そう考えると私があまり周囲の人のことを知らないことにも気付く。

「……まずは情報って言うし。よし、そうと決まれば……」

 情報収集、すなわちスパイ!

 漫然とただ与えられるだけの情報なんて価値はない。そんなものは教えられれば誰もがわかること。

 私にしかわからない情報だってあるはずだし、突き詰めて調べなければわからないことだってたくさんある。

 まずはこの学院の情報を集めていこう。正確な生徒数さえ知らないなんて、初歩的すぎて今まで何をしてたんだって自分を殴りたい。

 近しい人のこと。学院のこと。生徒たちのこと。もちろん歴史や世界の情勢も。


 そして一番は自分のこと。


 私は部屋を出る前にちらりとそのベッドの上で眠る黒猫を見た。

 シーナはこの学院に来てからほとんど喋らない。

 研究棟から返された当初は機嫌が悪いのかと思っていたけど、今はもう違うとわかる。

 思い返せばヤツが積極的になった時ほど、私の周囲に何かが起こった。この二カ月狂信派の生徒たちに何かされるのでは怯えていたのに、何も起こらなかった。シーナもその間ほとんど動いていない。

 シーナが動かないから何も起こらないのか、何も起こらないからシーナが動かないのか。


 どちらでもいい。何も起こらないなら。邪魔されないなら、その間に調べるだけよ。




 ぱたん、と閉じたドアの中で、黒猫が薄く眼を開けて小さく口を動かした。







 ―――……地獄の入口へようこそ……―――


 ―――哀れな160回目(・・・・・)の運命だ―――








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