第七話
とりあえず。
今差し迫ってまずいことは私が起きたことで回避されたとして、基本的に聞かなきゃいけないことがある。
「……ところで、どうして猫なの?」
「……お前、ホントに聞きたいことはそれなのか、自分の状況とか人間関係とか世界観とか早く把握したいと思わないのか?」
呆れ果てた目で見られる。
でもだって気になる。自分の状況なんて後でも十分わかるし、世界観なんてまだこれから勉強できる類のものだ。王女ならなおさらそういう勉強をするだろうし。
今自分の周りで起こってることで、今この死神に聞かないとわからないことなんてそれくらいだと思う。
なぜ猫なのか?
あんなに自分の美貌を誇ってるナルちゃんが、自分の姿を別のものに変えるって相当だと思うんだけど。
まあ、美猫だけどさ。「美」って単語が必ず付くのがさすがだけどね!
死神様は呆れながらも説明してくれる気になったらしい。……呆れを通り越して、諦めたのかもしれない。
「……お前が王女だからだ。近づくには男の姿じゃまずいし、女にも一応なれるが男でいたいし、手っ取り早く近づくには愛玩動物になるのが一番だろう。で、お前が幽霊姫だと言われ、廃嫡の話が流れてきたから旅の魔法使いに扮して、緑の目をした黒猫を傍に置くといいって進言したわけだ」
「進言って誰に?」
「国王様にだよ」
お前の父親だ、と言われてそういえばと思う。
父親かぁ。前世でも身近に感じられない存在だったけど、今回もそんな感じ?まあでも、娘の私が幽霊姫って言われてるのを気にして、魔法使いの言葉を信じたんだろう。そう思えば優しい人でよかった。
そんなことを考え、ふと思う。前世の家族はどうしたんだろう。
悲しんでるかな。弟はまだ8歳だから、私が死んだってことの意味がわかってないかもしれない。母親は泣いてるだろうな。ちょっとしたドラマでも泣ける、涙もろい人だったし。父親は…想像できないけど悲しんでくれてると思う。
それなりの人生だった私。だから残してきた人たちは、それなりにみんないい人たちだった。
……ちょっと、切ないな。
私が何かを思い出し気分が沈んでいるのを察知したのか、死神は静かに私から視線を外し、毛づくろいを始める。
慰めるかのように尻尾がパタパタと私の足を叩いた。
なんだやっぱり死神にもいいところが……
「で、センチメンタルはもう終わりでいいか?次の説明行くぞ」
……ねーよな、ホントにこのド鬼畜ドSにド悪魔の死神様はよぉぉお!
いつか復讐してやる。涙なんか出てないよ、これは怒りの結晶だ。いつか、いつかこいつに大粒の涙を流させてやる。泣いて土下座させてやるからな、本気だぞ!
そして自分!もういい加減こいつに見切りをつけるのだ!こいつは非人道をいく奴なのだと。優しさなんていう甘い感情など、吐いて捨てて唾かけてさらに靴底で踏みにじってきた奴なんだと!
にじんだ視線を足元の黒猫に向け、呪われてしまえと心の中で呟く。
所詮、こんなことしか実際にはできない私。ああ……根性無し。
そんな私のことなど気にもせず、死神は話を再開した。
「進言した後、猫に姿を変えた俺が都合よく王城に迷い込んできて、色々検査された後お前のもとにやってきたわけだ。んで、叩き起こした」
とことん鬼畜な死神様。それに慣れ始めてきた私。
……おそろしや、私調教されてる気分よ。こんな環境、早くどうにかしないと、知らなくてよかった未知の体験ができてしまう。
身震いして、黒猫を見下ろした。
おや。そう言えばもっと基本的なことを忘れてる。
「あ、ねぇ。死神様は何て名前なの?」
「……お前、色々突っ込みどころのある一言だな、それ……。もしかして調教されたいのか?」
だから様付けなのか、とニヤリと笑う黒猫に激しく首を振った。
調教なんかされたくない。そんな人生歩みたくない、断じて!!
小心者の私には、尊大でドのつく鬼畜S悪魔のあなたを呼び捨てできなかっただけです!
必死に首を振る私に、ちっ、と舌打ちを一つする黒猫様。
そんな恐ろしいこと考えないでいただきたいよ、ホント。
「まあいい。俺の名前ねぇ……死神様で十分なんだが、猫の姿でそれも変だし、時々は人の姿で現れたりもするから必要か」
「必要かって、ないの?名前」
「ないな。俺は存在した時から死神だったし、名前なんぞ自分につけたところで名乗る相手もいない。上司…は、いるが、そいつも一人しかいない上に役職名だし、管轄が確立しているから同僚に会うこともない。やはり必要ないな」
上司。いるのか、上司!
この上から見下ろすことしかないような男が、上司なんて逆らえない相手がいるのか!
というか上司!こいつの性格をどうにか矯正しようと思わなかったのか!!
「……お前、考えてることが顔に出過ぎ。言っとくが俺の上司は俺以上に鬼畜だぞ」
「ええ!?」
これよりも鬼畜って、もう私の想像力じゃ具現化できない。奥が深いぜ、死神……
見たことも聞いたこともこれから知ることもない死神の世界に恐れをなしつつ、黒猫を拾い上げた。
そのまま元いた部屋に戻り、テーブルに猫を置きソファに腰掛ける。
スカートの裾をさばき形よく整える様は、優雅で高貴な生まれだと一目でわかる美しさだった。本人は全くの無意識だったが。
考え事をしていた由梨花…ユリフィナは、黒猫が抱きあげられた時驚いて体を固くしたこと、そして今は何かを探るような目でこちらを見ていることに気づかない。
「……根性があるのか、鈍感なのか、天然なのか、はたまたただの馬鹿なのか……」
「え?」
「いや、お前の奥深さを考えてたところだ」
「はい?」
奥深いって、私が?いやー、死神の世界には負けると思うんだけどなぁ……
はて、と首を傾げる私をしばらく見つめた後、ばかばかしいと呟いてため息を吐かれた。
なんなんだ。
「……名前だが、猫の時はお前の好きなように呼んだらいい。ただし、俺の美貌にふさわしい名前をつけろ。人の姿でお前の前にやってきた時は名乗るから気にするな。それで、普段だが……」
「タマとかはダメってことかー」
「……やっぱり孤独死がいいのか、うん?」
ひぇ!にっこりと笑うお顔がとってもスパイシー!!……口は災いのもとだわ。気をつけよう。
「死神様でもいいが、そうだな、……シーナとでも呼べ」
「シーナ?シーナね。わかった。あ、それなら猫の時はシーちゃんでいっか!」
「……好きにしろ」
タマよりはマシだと思ったんだろう。ネーミングセンスは確かにないけど、いい名前だと思ったのに。
思いながら猫の背中を撫でる。
うーん、やっぱりいい毛並み!これをモフモフしながら寝たら最高だろう。
想像して口元が緩む。今からでもベッドに連れて行って……
「お前、まさか俺と寝る気か」
「え?ダメ?だってこんなにきれいなんだよ?つやつやサラサラ、お腹の毛なんか最高にモフモフしがいのある毛並みじゃない」
「……」
「何かしらこのふわふわの毛は!けしからんぞ、このこのぉ!はぁ、幸せ……」
うっとりと語る私は気付かない。黒猫が体中を触られ、その毛並みについて語られるごとにだんだん複雑な顔になっていくのを。
ひとしきり撫でまわした後、黒猫がポツリと呟く。
「……俺は猫でいるべきなのか、どうにかして男のままこいつの傍にいるべきなのか……」
「ん?」
「……いや、俺の立ち位置を今更考え直していたところだ」
深いため息をつく。
何の話かわからないが、何か問題でもあったのかもしれない。私としてはぜひ猫のまま傍にいてほしいと思うんだけどな。
首を傾げていると、コンコンコン、とドアが叩かれる音がした。
驚いて返事ができずにいたのに、返事がないことに慣れたようにドアが開く。
ガチャ。
え、開いちゃうの?私、王女様だよね?そんな簡単に、返事がないのに開くものなの?
「姫様、朝でございます。今日は天気がようございますよ……姫、様?」
「は、はい……」
「……」
「……」
沈黙。
え、姫様って、私だよね?王女だもんね?返事してよかったんだよねぇ!?
パニックになる私。
そしてたぶん、相手もパニックだったんだと思う。
穴が開くほどまじまじと見つめられ……
「ま、まあまあまあまあ!姫様!!お気を確かになさったのですね!姫様、少々お待ちくださいませ、人を、人を呼んで参ります!誰か、誰か!!姫様が!!」
突然入ってきた、私の前世の母よりも少し年上の女性は、喜びも露わに再び部屋を出ていく。
呆気にとられる私に死神…シーナは始まったぞ、と笑った。
「これで、お前の新しい人生の始まりだ」
私の新しい玩具の人生。
やるしかない。……簡単に玩具になんか、されないんだから!