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傾国の姫  作者: 安田鈴
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第六十六話

「あとは…そうね、長期休暇の時には申請して許可が下りればこの島から出られるわ。許可の条件は大体は成績で決めているみたいね。まあ、成績が悪ければ担当教科の先生に合格が出されるまで勉強させられるから、どの道出れないけど」

「成績が良ければ、誰でも出られるの?」

「ユリフィナは行きたいところがあるの?そうねぇ……誰でも、って言いたいんだけど……たまーに、トップクラスに入るような成績の人が申請しても出れない時があるって聞いたことがあるわ。どうしてなのかはわからないけど。政治介入はないはずだし、成績も素行もいいのになぜか許可されないんですって。まあ、そんなことはたまによ。私達が知らないだけで、その人も与り知らない何か理由があって許可されないんでしょう」

 ミネアはそう言って笑うが、私は上手く笑えなかった。

 理由なら、私にはあるのだ。この島を檻として事態が沈静化するまで、もしくは最悪の場合に重要な人質として使うという、極めて重大な理由が。

 政治介入ができないからと言って、あのレオヴィスが手をこまねくことなどないだろう。学院長と面識があるような口ぶりだったし、もしかしたら何らかの取引をして私を出さないようにしているかもしれない。

 一度長期休暇の際に試してみたいけど、その前に私は自分の成績を心配しなければ。そもそも成績が悪ければ申請なんて段階も踏めないのだから。

「学院の生徒なら、休暇中にユスカでちょっとしたアルバイトもできるのよ。許可された人の半分がユスカで社会勉強としてのアルバイトをして、将来の自分の道を固めてるわ。上手くすれば卒業してそのまま就職もあり得るからね」

「社会勉強……」

「ああ、でもアルバイトできるのはせめて十二歳になってからかしら。働く場所によっては十八歳以下は駄目なところもあるの。そう言うところは大体専門知識と技能が必要になってくるから、アルバイトを常時募集してたりはしないんだけどね」

 十二歳になってから……

 ミネアは楽しそうにどんな仕事があるのか語ってくれていたが、私の頭はその言葉でいっぱいだった。

 いや、言葉、というよりはその言葉で思い出してしまった少年だ。


 シグマ……


 今はもう半強制労働を強いられる場所に着いただろうか。もう働かされているのだろうか。

 苦しくはないだろうか、泣いてはいないだろうか、……恨んで、いるんだろうな。

 たった七歳の子供が妹のために働いて、あんなに追い詰められていた。シグマの『働く』という言葉と、ミネアが言う『働く』は似ているようで全く違う。

 シグマの『働く』には純然な生死が関わっているのだから。

 それとこの学院の生徒のアルバイトを比べてはいけないのは、わかっている。わかるけれど、なぜこの世界は狭い中ですらこんなにも不平等なのだろう。身分に罪はない。格差にも、たぶん罪はない。ただあまりにも、弱者には辛い現実だ。

 生まれ持った魔力で格差が生まれるのなら、持たざる者はどうあがけば這い上がれるのか。魔力は知能をも持たせる。持たない者は持つ者より何倍も努力して、ようやく同じ量の知識を身につけるのだ。

 なんて残酷な現実なのだろうか。生まれながらに将来が決定する、そんなことがこの世界ではまかり通るのだから。


 シグマ、あなたは将来きっと私の前に現れるんだろうね。その時私は……何を言えるだろう。


 頭が痛い。胃が苦しい。

 くらくらする……


「―――姫様」


 微かに囁く声が耳朶をくすぐって、私の背中に暖かな手が添えられた。

「申し訳ありません、ミネア様。荷物の整理などもあるのでそろそろ失礼してもよろしいですか?」

 右背後から手が、左背後から少し硬質な慣れた声がする。

 その圧倒的な安堵感は、上手く言葉にできない。ただ、私は二人の物言わぬ想いに心を掬いあげられた気持ちで満たされていた。

 私にはこの二人がいてくれる。シグマにはいない。罪悪感は今も胸を締め付けて、忘れるなと怨念のように絡みつく。

 だけど。

 何も返せるあてのない私を、二人は支えてくれているのだ。私がここで全てを投げ出してしまったら、支えようとしてくれる二人の気持ちはどうなる。


 ―――前を向かなければ。せめてこの二人がいてくれる限りは、人として恥じることのない大人になりたい。


 それでもシグマの前では恥じるものがあるかもしれない。だけどせめて。せめて、前を向いてあの憎しみに染まった瞳を受け止めたい。

 私は一人でこんな世界どうにでもなれ、といじけた子供のままでいたくない。


 ミネアは私の顔色がよくないことに気が付いたのだろう。はっとしたように眉尻が下がった。

「ごめんね、来たばかりだものね。部屋の鍵はこれ。起床は自由だけど、朝食が八時までだからそれまでに起きてきて。夕食は六時で部屋の中以外の消灯は十時。細かいことはまた後でにするわ」

「ありがとう……」

「ううん。少し休んで。夕方に学食を案内するわね」

 にこりと笑い、後ろの二人に視線を投げた。

 二人が今どんな表情をしているのかはわからないが、ミネアはほのかに視線を揺らしうっすらと頬を染めてそそくさと去っていく。


 ……気持ちはわかる。自分やレオヴィス、シーナの容姿に慣れてしまって忘れそうになるが、ランスとアーサーは十分にかっこいい。十四、五の少女が恋愛感情を向けるにふさわしい年齢で、かつ護衛という職からして安全だと思いがちだ。

 だが。

 この二人は安全なようでいて、極めて危険な人格をしている。それこそ人殺しも厭わないような、自分の目的のためならどこまでも冷酷になれるのだ。

 これを知っていれば従者になどしなかったのに、と何度後悔したことか。

 内面を知ろうとさえしなければいくらでも恋をしてくれていいと思う。本性を知った時、その恋心がそのままであるなら本物だ。文句はない。

 ……文句、ないよ。うん。ちょっともやもやするのがなんとなく嫉妬みたいで嫌だけど。


 ミネアは途中のドアから顔をのぞかせた少女に声をかけられ、何事か話している。その少女もこちらをちらちらと見ているから、おそらく一か月遅れの新入生とその護衛に興味が尽きないのだろう。

「王女殿下、鍵を」

「あ、うん。……あ、私がやらないといけないんだった」

 渡そうとして、思い直す。

 二人は今日からただの護衛なのだ。自分のことは自分で。それがこの学院のモットーなのだから。

 部屋の鍵を開けて入ると、すぐ横にドアがまた一つあり、絨毯の上にはいくつかの荷物と机の上には教材がどんと積まれていた。

 一人用のベッドが一つ、大きな窓の下に机が一つ。寮の部屋としては案外広いんじゃないかと思う。まだカーテンも何もない状態だから非常に簡素に見えるが、それはこれから綺麗に飾ったりしていけばいいだけだ。

「……ってベッドが一つ?あれ、ランスたちの寝る場所は?」

「ああ、こちらのドアのようですね。……問題ありませんよ」

「そう?どんな感じなの?」

 好奇心に駆られて覗こうとすると、アーサーが顔をしかめる。

「王女殿下、護衛とはいえみだりに男の部屋を見ようとするのはおやめ下さい。立派に淑女として成長なさるのが国王陛下並びに国民のため、……将来の婚約者様のためでもございます」

「俺は姫様の婚約者なんて認めない!」

「馬鹿は黙ってろ」

 辛辣な一言にもものともせず、軽く肩をすくめただけでにこにこと私に笑顔を振舞う。

 ものすごく嬉しそうだ。……私とドア一つしか隔てないこの寮の部屋にご満悦なのだろう。

「王女殿下、よろしいですか。無駄かもしれませんが、このドアには決して近寄りませんよう」

 無駄かもしれない、とどこか諦観したようなアーサーに同情する。私とアーサーに多大な心労と危惧を抱かせている本人が、心から楽しそうにしているのになんだか理不尽を感じた。

 ものすごく不安だけど、信じるしかない。ランスの良識…は期待できないから、私の嫌がることはしないと。

 ……ミネアの言っていた機能、簡単に設定できるようならこの部屋の中だけでも使った方がいいかも。

 夕方聞いてみよう、と心の中にメモをして荷解きにとりかかった。







「そういえば、ノエルは?まだ審査中?」

 粗方荷物を片づけて聞くと、アーサーが小さく頷く。

「はい。何も問題なければ今日の夜にはこちらに来る話でした」

「そっか……シーナ…シーも?」

「ええ。まあ、寮生活ですからね。猫だけならまだしも、まさか赤ン坊まで一緒にと言われるとは思わなかったでしょうし」

 それはそうだ。

 シーナとノエルはユスカで学院に入れるかどうかの審査をしている。教育機関である学院に、猫はともかく赤ちゃんを連れてくるのは問題だった。

 しかしレオヴィスが何か口添えしたのか、裏で手をまわしたのか。病気の有無などの審査をすることを条件に、学院に入れることを許された。

 ……どうやれば学校に赤ちゃんを連れてこれるのか、レオヴィスは決して言わなかったけれど、よほどのことをしたのだろう。もしかしたらそのせいで学院長はあんなに厳しい顔をしていたのかもしれない。

 そう考えると私のあの緊張はすごく理不尽な気がしてきた。

 気がしてきたけど、それでレオヴィスに詰め寄れるほどの剛毅はない。一応謝ってもらったし、と思い直しベッドに腰掛けた瞬間。


「王女殿下、この際ですから淑女としての振る舞いを覚えて頂きます。まず、護衛だろうと何だろうと、男性の前でむやみにベッドに座らない触らない視線を向けない。いいですね?」


 アーサーの厳しい叱責が飛んできた。

「え、だって……」

「そこにイスがちゃんとございます。ベッドに腰掛ける意味など皆無です。……少なくとも、しかるべき年齢にしかるべき相手と御結婚なさり、その夜を共にされる時までは、全く意味も必要もございません」

「よ、夜って……」

「ご説明は要りようですか?」

「い、要りません……」

「ようございました。さすがに今の王女殿下に上手く説明できる自信はございませんでしたので」

 嘘だ。いや、嘘じゃないかもしれないけど、例え今の私が五歳児であろうが赤ちゃんであろうが、アーサーなら淡々と『夜』の説明をしたはずだ。それも誤魔化すことなく具体的に想像できるように、詳しく説明するに違いない。

 そんなことをされようものなら羞恥で死ねる。何を間違えてこの精悍で生真面目な青年に淡々と『夜』のことなど説明されなければならないのか。周りは五歳だと思っているだろうが、私は一応中身は二十歳だと思っているのだ。精神年齢は二十歳だと……思ったっていいよね?レオヴィスの精神年齢のことを考えると涙が出そうだけど。

 正直『夜』のことはほっといてほしい。年齢が上がれば否応なく学ぶことだし、学院の教育にないにしても女の人から教えてもらいたい。

 周りに同じ年頃の女子がいるのだから、耳に入る情報にその類のものがないこともないだろう。

 ちょっと心配なのが、そんな下ネタ的な話をする友達ができるかどうか、だけど……

 ……ああ、いや、だいぶ心配だ。無理だ諦めろと頭の中で天使が首を振っている気がする。

「では王女殿下、私はこの寮の構造と周辺を見て参りますので、どうぞしばらくお休みください。……もし馬鹿…ランスが何かしましたら、遠慮なくレオヴィス殿下の鈴を鳴らして下さいませ」

「あ、うん……」

「失礼いたします」

 できるできないと脳内の天使と格闘しているうちに、アーサーが鮮やかな動作で一礼をし、部屋を出ていった。その後ろ姿を見送りながら、何か言わなきゃいけないことがあったような、と首を傾げ……


「―――姫様」

「っ!!」


 耳から鼓膜を犯し、脳を直接弄るような甘い囁き声に総毛だつ。

 ……ああ、そうだ。そうだった!


「姫様、二人きり、ですね」


 満面の笑顔を浮かべたランスに振り返り、絶望と共に衝撃の事実を思い出す。




 ふ、ふふ……ねぇアーサー、レオヴィス……私、どうやって鈴に魔力を込めたらいいの?




 ユリフィナ・エール・ユン・ダ・スリファイナ。五歳。

 まだ魔道を習ったことのない、魔力の有無さえ自分で感じ取れないシヴァイン魔法学院の新入生です。


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