第六十四話
「我がシヴァイン魔法学院へようこそ、ユリフィナ。末端の学院では貴族が横行闊歩しているようだが、この学院では貴族も貧民もありはせぬ。生徒はすべからく学業に専念すべきだと、初代からの教えだからの」
たっぷりとした口ひげとあごひげが喋るたびにもそもそと動く。
話す言葉は柔らかく歓迎しているのに、表情は固く強張ったまま厳しい。
もし視線が形になるとしたら、私は鈍器で殴られ剣筋鋭い刃で滅多刺しになっていることだろう。どうしてそんなに厳しい顔をしているのかわからないまま、引きつりそうな笑みを返す。
「はい。素晴らしいです」
「うむ、気兼ねなく学問に身を捧げ、友情に涙し、心身を成長させるとよい」
厳し過ぎる視線がその言葉通りの叱咤激励に聞かせてくれない。
恨まれるような事をした覚えはないのに、いったいどうして。
もしかしてその顔のまま固まっているのだろうか?気苦労の多い人生でも送ったのか。
魔法使いのお爺ちゃんそのものの風貌をしているだけに、その顔の厳しさになんだか涙が出そうだった。
「これからのご教授をよろしくお願いします」
必死に作った笑顔で一礼し、学院長室を出た。
一拍の後。
「ちょっとレオヴィス!なんで私を一人で放り込むの!すごい緊張したよ!」
すごい怖い顔で睨まれたままだったし!
扉一枚を隔てたところに人がいることを考慮して声は抑え目で、しかしその代わりにきつく睨みつけてしまう。
権力怖いとか言ってられるか。切実に心臓を吐き出したいくらいドキドキしたのだ。せめてあの学院長先生が優しく笑ってくれてたらよかったのに、ずっと顔は厳しいままだった。ものすごく怖かった。
責められている本人はどこか楽しげなのが信じられない。
「仕方ないだろう?用がある者以外は、基本学院長はお会いにならない。私が入ったところで追い出されていた」
「だからって、その説明もなしにここに入って挨拶して来いの一言だけっていうのもおかしいよ!?」
「これから私はお前の傍にいることはできないからな、自分で何でも対処できるようにならなければ大変だろう?」
その言葉に喉を詰まらせる。
レオヴィスとリィヤはこれから研究員とその助手としての仕事がある。生徒である私の傍にいることはおろか、そうそう会うこともできなくなるだろう。
だから、確かにレオヴィスの言うように自分で何でもできるようにならないといけないのだ。今までは狭い対人関係だけで済んでいたけど、これからはむしろ進んで人とコミュニケーションをとっていかなくてはならない。
これからほとんど会うことのない学院長との挨拶くらいできなくて、他生徒と対人関係など夢のまた夢だ。
理屈はわかる。
わかるけど、この場合その理屈で納得できるのは半分くらいだ。
怨念さえ込めた恨みがましい目を向ける。レオヴィスが微かにたじろいで赤い目を揺らめかせた。
「レオヴィス……その気持ちはありがたく受け取るけど、説明する時間くらいあったよね?私に心構えをさせてくれる時間くらい、絶対、あったよね?」
「……何事も早めに終わらせられる方がいいだろう?」
「ぜっったい、そんなの今考えた言い訳だよね?」
「……。さて、お前の寮の部屋まで案内する人間がそろそろ来るはずなんだが」
「レオヴィス?」
「……………。まあ…なんだ。そう怒るな」
「レオヴィス?」
「あー……。その、だな。少々……思うところがあってな。学院長に会うわけにはいかなかっ……」
「レオヴィス?」
「……………………すまなかった」
ようやく欲しかった言葉が聞けて大満足の私は、にっこりとほほ笑んで若干顔を引きつらせていたレオヴィスから視線を外す。
ふと、その外した視線の先に廊下の角を曲がってきた少女が見えた。
少女はこちらと目が合うとぎょっとしたような顔で固まり、数秒してようやく我に返ったのかごほんと非常にわざとらしい咳を一つして近づいてくる。
あごのラインで切りそろえた栗毛色の髪に、同色の猫のようなつり気味の目、歳は十四、五歳と言ったところか。
おそらくレオヴィスの言っていた案内人が彼女なのだろう。
「こんにちは。私は女子寮の寮長、ミネアよ。今回入ってきたのは貴女ね?」
視線を合わせるように中腰になって笑みを浮かべる彼女に感動する。
これはまぎれもない、普通の優しい人だ!と。
……良くも悪くも、私の周りは普通とはかけ離れていて、こんな何でもないことに感動できるほどには私は荒んでいた。
もう一生普通の人と関わることができないんじゃないかと思っていたのだ、心の底から私は彼女に感動し、救われたような思いでいっぱいだった。
その思いのままに感情を表現したのが間違いだったのに。
「はい、ユリフィナと申します。よろしくお願いします」
とびっきりの笑顔で、この姿になってから初めての心からの笑みで、挨拶し一礼する。
その姿がどれだけ人外の美しさを振りまくか、私はまだ知らなかったのだ。
だから……
「………………………………………」
無言でこちらを凝視しているミネアに小首を傾げた。
途端に、
「っっっっっっ!!!!!!!!」
背中を向けて何かに悶えるようにぶるぶる震えてから、首が千切れるんじゃないかとこちらが心配してしまうくらい首を振り、何度か大きく肩を上下させてこちらに振り返った。
笑顔だ。
不自然なくらい、彼女は笑顔だった。
「……じゃあ案内するね。案内しながら色々寮のこととか学校のこととか話していくから、わからないことがあったらすぐに言って」
「う、うん……」
私の答えがいささか不安気味になったのも仕方ないと思う。
本人は必死に隠そうとしているようだけど、栗色の目は爛々と獲物を狙うように光っていたからだ。
なんだか……そう、なんだか、こんな感じの人を見たことがあるような、身近にいるような……
いや、それは彼女に失礼だ。彼女は、ミネアは普通のいい人なのだ。決して変態と同じようにしてはいけない。
目が尋常じゃない気がしたのも、私の気のせいだろう。気がしただけなんだし。うん。
……うん。
私がそうして現実逃避をしている間、アーサーとランスはぎらりと監視するようにミネアを見、レオヴィスとリィヤは大きく一歩私達から離れていた。
「……レオヴィス様、しっかり釘を刺しておかないと大変なことになりますよ」
「……私が釘を刺せばユリフィナの学友はできないぞ」
「この際いいのでは?おそらくあの双子がいることで覚悟もできているでしょうし」
「まあ……それは確かに」
「それでも近寄ってくる人間から友人を選べば気兼ねない御学友となるのでは?」
「あー……まあ、な」
「いっそ御学友などユリフィナ様には必要ないと思いますけどね、私は。お忘れではないと思いますけど、これからエシャンテ様もこの学院に入ってこられるのですよ?」
「……」
「どう考えても、ユリフィナ様から積極的にいかない限りは御学友などとてもとても……」
積極的に行っても避けられるかもしれない状況に固められていることを、彼女は気付いているのだろうか。
いないだろうな、と即座に否定する。
姉は気に入った人間を傍に置きたがる。あの父すら彼女を気にいっていたのだ、すでにロックオンされていることだろう。
人間の人間による人形遊び。この悪趣味な趣味を、姉はやめようとはしないし諌められる者も数少ない無常をユリフィナは身を持って味わうことになるのだ。
「釘を刺して、それでも近寄ってきた人間はエシャンテ様自ら振り分けてくださるでしょう。交友関係を把握するのはあの方の常套手段です」
きっぱりと、しかしぶるりと肩を震わせて言うリィヤに一抹の同情も浮かぶ。
最下層の奴隷があの姉に見出され拾われて、それから数年、姉の気まぐれで自分に与えられるまでこの年上の幼馴染は振り回されてきたのだ。
恐ろしさもひとしおだろう。
一つ頷いて、こそこそと話していたこちらに気づかない少女二人と青年二人に視線を向けた。
その視線がいささか同情にあふれすぎていたのは、これからの面倒事から目を背けたい一心だったのかもしれない。
しかしまあ、約束したものは仕方ない。姉の暴走を止める手段はここにないが、姉も自分の暴走を制御するくらいはもうできるだろう。できてほしい。
レオヴィスはそんなことを考えながら、面倒事を一つ一つ片付けるために口を開いたのだった。




