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傾国の姫  作者: 安田鈴
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第六十二話

 人質。

 その一言がどれだけ残酷な響きを持っているか、目の前のこの少年は知っているのだろうか。

 もちろん、…知っているだろう。彼は知らないことを口に出すことはしないだろうし、知っているからこそ話したのだ。

 私に自分の立場を教えるために。

 そこに単純な優しさしかないと思えたら、私はもっと楽に生きられたのかもしれない。

 だけど私は疑うことを知っている。人は優しさを持ちながら、他者を付き落とす冷酷さを持っていることを、私は知っているのだ。

 そしてレオヴィスは、自分の目的のためならその冷酷さを隠そうともしない。

 彼は利己的で、とても人間臭くて、……誇り高い人。

 レオヴィスくらい頭がいいなら、優しさを装うことなんてカップに口を付けるよりも簡単だっただろうに。

 そんな手段を取らない目の前の少年は真摯に私に対しているのだと、怒りや悲しみや戸惑い、複雑に絡みあった感情を持て余しながら感じ取る。

 ……だからと言って、レオヴィスに対する私の感情がプラスに向くかと言えば、それはまた違う。

 私はこの少年に対して、もう二度と素直にはなれない。

 少なくとも、無条件に助けてとは言えない。私がレオヴィスに助けを求める時は、全ての手段がなくなってどうにもならなくなった時。私の運命を明け渡すと覚悟を決めた時だ。

 無邪気に好意を抱くことは……きっと、もう難しい。

 それだけ私は失望を、そして絶望してしまった。




 虚ろにレオヴィスを見やり、一つ瞬きをしてゆっくりとまた視線を合わせた。

「……その提案をしたのは、王妃様?」

「違うことにはなっているが、まあ、遡って行けば王妃の近くまで行くだろうな。確証は得られないだろうが。もちろん、即時却下された提案だから、お前の立場が人質とはっきりと決められたわけではない」

「でも、自由は限られる……でしょ?」

「そうだな。シヴァインに行くことが許されているのも、あそこが外界から切り離された場所だから、ということが大きい。入ることも、出ることも簡単にはいかない。自ら檻に入ってくれるようなものだ」

 下手に王宮などに留めておくよりも国内外に話は通しやすく、なおかつ私が自由に出入りできないことを知ってほしい者だけに思い知らせることができる。

 私のユーリトリア行きの名目は留学。入った学院は名門中の名門で、政治などの介入が一切ない全寮制の箱庭。

 自国の政治的圧力さえはねのける場所に、他国の政治が手出しできるわけがない。シヴァイン学院は本人に学ぶ意欲があれば、そしてその才能があれば、学院は例え国が滅びようとも生徒を差し出すことはないとさえ言われている。

 私は……はっきり言って、学ぶ意欲など半々だ。だが行かなければ私の実母とキールの町の二の舞になる。そうとわかっていて、学びたくないと言える度胸はなかった。

「……元々、自由になれるとも思ってない立場だもの。私の全身は民の血税で育てられたんだから、人生くらい国のためになることをするわ」

 私とレオヴィスが結婚すれば、これ以上ない政略的な関係が二国にもたらされる。実際、過去に何度かスリファイナはユーリトリアに王女を差し出していた。彼女たちが幸せであったかなどは知らない。……知ってもどうにもならないのが、政略的な結婚というものだ。

 私をこれまで育んでくれたスリファイナの国民たちに報いるためにも、レオヴィスと政略結婚しなければならないことは覚悟している。

 しているけれど、心は私のものだ。何人も私の心に口を出す権利なんてない。

 恋をすることくらいは許されると……思っていたい。

 もちろん婚約者になるであろうレオヴィスに恋することができれば、それが一番なのだろう。政略結婚に恋愛感情があれば文句のつけどころのない夫婦になれる。

 だけど、もう二度と素直になれないと絶望してしまった相手に、恋愛感情が抱けるものなのか。

 私にはわからない。

 前世でもそう大して恋愛遍歴などない、転生してからも今まで心の内で眠りこんでいた私には、もっと単純な恋愛がいい。

 でも……無理かな、とも思う。

 スリファイナでは親しくなれるような年頃の少年はいなかった。ユーリトリアに来てからも、レオヴィス達を除けば年頃の少年と知り合えたのはシグマ一人だけ。

 誰かと知り合うという機会が決定的に足りない。もしくは、そういう機会をことごとく排除されているのか。


 ……なんか、私って、根なし草みたい。


 ふと、そんなことを思う。

 スリファイナにいても、王位継承権や神話じみた話によってファスカに養子に出されるなんて話があって、そこから逃げるようにユーリトリアに来てみれば有力な王族のレオヴィスに婚約者扱いされて。

 それで落ち着くかと思えば、スリファイナの内情が一気に傾いて人質紛い。

 どこにも私の落ち着ける場所はない。知らない土地を移り変わらなければならずに、すり減る神経はすでに細い。

 安定した場所が欲しい。私が地に立っていると知覚できる、そんな場所が。

 誰かに支えてほしくてたまらない。腕を伸ばせば必ず手を取って抱きしめてくれる、そんな存在が。

 欲しくて欲しくて、心の底から欲しくてたまらない。

 ランスの言葉にどれだけ誘惑されたか。あのまま手に手を取って逃げ出したいと、心から思っていた。


 ずっと強く立ち続けられる力なんてない。私には(・・・)、ないのだ。




 ―――……いいや、ある。私は立ち続けなければ。ただひたすらに。この命が尽きても、立ち続けなければ。

 ―――私は王女。この命は国の未来の一端を背負う者。

 ―――弱い者を、見捨ててはならない。

 ―――強い者を、奮い立たせなければならない。


 ―――私は、王女なのだから―――




 ちかちかと頭の中で何かが明滅する。

 それは何かの映像のような、ただの色彩のような、取りとめもない何か。

 よく見ようとすればこぼれ落ちる水のようにさらさらと零れていく。

 私はそれを知っている気がして、この明滅があるといつも心臓が病気みたいにどくりどくりと鼓膜に鳴り響くのだ。

 だからいつも軽く頭を振って、その明滅を消し去る。

 もう二度と見ないように、と鍵をかけるようなイメージで。




 ―――……―――




 耳に蘇りそうになった音が酷く煩わしく、……どこか胸を引き絞られるような切なさがあった。


「ユリフィナ?」

「……う、ん。何?」

「いや……そんなに、私と結婚するのが嫌か?」

 苦笑いを浮かべる顔は、ほんの少しの自虐を含んでいた。

 珍しい、とそう思う。

 そう知り合って長くもないけれど、レオヴィスは自虐だけはしない人間だと思っていた。

 自分の信念を貫くために、誰かの犠牲を強いる。後悔はしない、だけど忘れもしない。自分が何をしたのか、理解して動く。

 およそ自虐なんてことはするタイプに見えなかった。

「嫌なわけじゃ……ない。レオヴィスは性格も目指す目標もよくわからなくて怖いけど、顔はいいし王子だし、持てるもの全部持ってるし……」

「褒められてる、のか?」

「褒めるところが外見とかでいいなら、褒めてるよ。……『私』を手に入れたい理由とか、まだよくわからないから」

「まあ、…そうだな。お前の人生を奪い取ろうとしているんだ、好かれるとも思っていない……」

 炎のような赤い瞳が居心地悪げにそらされた。

 やっぱり、珍しいと思う。

 何かしらの罪悪感があるというのだろうか。

 レオヴィスが、私に?

 ……それでもどこかで信じようと思えない私がいて、身構えてしまった。

「もうこの話はやめておこう。……どうもお前の後ろにいる奴に首を刎ねられそうだ」

 言われて気づく。背後から……特に右背後からのもの言わぬ威圧感ときたら、危険に疎い私でさえ感じ取れたほどだ。

 それを真正面から見る羽目になったレオヴィスに一抹の同情を寄せる。

 もしかしたら先ほどから珍しいと思っていた行動は、ランスの圧力がそうさせたのだろうか?

 ……そうじゃないと思いたい。その方が色々と精神的にいい。

 気遣ってくれているのだと思いたいし、それがレオヴィスの優しさだと感じたい。

 まさか、この危機管理に相当神経を使い、話を聞くだけでそれなりの場に居合わせたのだろうと思えるレオヴィスが、恐ろしいほど絶大な権力を持つこの大国の王子が、たかが属国の王女の護衛兼従者に威圧されたなんて……

 …………………とてもではないが、精神的にきつい。

 よし、考えない。

 一瞬で嫌な想像を回避して、レオヴィスを複雑に見ていた視線をぎこちなく外した。

「ともかく。―――議案は、即時却下された。属国の軍は必要ない、とな。もちろん、スリファイナ国民が騎士・兵士として成り立つ、立派な軍はある。……命令系統から武器の保管まで、すべて我が国に支配された駐在軍だが」

 レオヴィスは外した視線をそのままに、妙な空気を払拭するようにその目を厳しく眇める。

 数々の懸念が頭の中で飛び交っているのだろう。私にはその一端さえ分からない。

「だが、その議案を毎年繰り返し、即時却下された後にほんの少しずつ貿易を有利にされれば、それだけ利益がスリファイナに行く。その利益が毎年積み上がっていけば……」

 一年では少しでも、十年二十年になればかなりの額になるだろう。

 スリファイナは元々肥沃な土地で、最初こそ三割もの税を納めさせられていたが、その時でさえ貧困で国が傾いたことはなかった。その税も交渉に交渉を重ね、今では二割ほどにまで減税されている。

 つまり、それだけの利益が国に貯めこまれていることになる。

 従順な属国であるスリファイナは、それを許されるほどには信用されてもいるのだ。

「いや、利益などよりも、十年以上議案が提出しては即時却下され続け、そのことがスリファイナ国民に知れ渡ることにこそ危険がある。議論の余地を与えろ、と声が上がってしまえば……いくら属国の国民からの声とはいえ、無視することは難しい。そこから暴動になっても面倒だからな」

 数々の火種をすでに抱えているユーリトリアにとっては、それこそ致命的ともいえるかもしれない。

 レオヴィスの顔は険しい。

「今まで従順な属国として扱ってきたスリファイナの暴動は、何としても避けたい。いずれ議論の余地を与えることになるだろう。そこでまた却下され続け……もし、その時不満を煽る人間がスリファイナにいたら。おそらく、」


 最悪の結果が起こる。


 レオヴィスの言葉にしなかった続きを、脳が勝手に補完した。


 ああ、どうか。

 どうか嫌なことは想像させないでほしい。

 もしもの話が最悪の話だなんて……

 それを『私』が聞いてしまった、この意味を。

 今はまだ、知りたくない。

 知りたく、ないのに。




 きっと、その暴動を煽る人物に、私は接触している。

 私への恨みも、この世界の理不尽への憎悪も、

 そして……傾国の運命を持つ『私』に出会った、というピースが揃った、人物。




 私は、直感した。

 『彼』のことだ、と。

 あの瞳に貫かれた瞬間を、忘れられはしない。




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