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傾国の姫  作者: 安田鈴
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昔話




「さて。粗方の種を撒いたところで、一つ昔話をしようじゃないか」




 どことも知れぬ暗闇の中で青年はうすら笑う。

 弧を描く唇は完璧な形をして、鼻梁はすっと通り美しい。蠱惑的な瞳は底知れぬ闇を孕んでいた。

 完璧な、神の施した気まぐれで二度とない美。それを体現したかのような美貌はあまりにも神々しく、しかしそれと同じほどに禍々しい。

 誰もがその姿に目を奪われ、誰もがその声に耳を奪われ、誰もがその超然とした全てに心を奪われるだろう。それほどに、青年は神秘的でいて退廃的な美を持っていた。

 彼は気取った風に腕を広げ、言葉を続ける。




「昔々、全ての世界を創った一人の神がいた。彼はとても自己中心的で、気まぐれに慈悲を、たいていは悪戯のような気分で人間を翻弄しては、絶望の淵に追いやることを愉しんでいた」




「人間はそんな彼の機微など知らない。ただ神からの試練だと恭しく首を垂れ、ひたすらに耐え抜くドM……おっと、計り知れない忍耐の性質でもって神への崇拝をやめはしなかった」




「ある日、一人の女がそんな彼の目を引いた」




「女は美しく、強く、誇り高く、慈悲深い聖女のような女だった。よく人々に慕われ、神である彼への崇拝よりも熱心な信者まで現れるほどだった」




「神は人間からの崇拝などなくなっても構わなかったが、ふと思いつく。この女の目映いまでの魂を黒く染めたらどうなるのだろう、と」




「世界を創ることにも人間にも飽き始めていた神にとって、それはとても愉しい余興に思えたのだ。神はすぐに彼女の運命を書き換えた。陰惨で悲劇的な人生を送るように」




「ある時は一人の男を、ある時は国王を狂わせ、ある時は不可抗力とも呼べる天変地異を起こさせ、ある時は一つの国を破滅させ、そして多くの人間をその人生の犠牲とさせた。彼女の子供でさえその災禍から免れることはなく、むしろ子供であるがゆえにおぞましい運命を辿らせたのだ」




「しかし彼女の魂はそれでもなお眩く輝き続けた。一点の曇りもなく、苦しみ喘ぎながらも魂を闇に堕とすことを頑なに拒絶した」




「神は愉快だった。これほどまでに抗う魂はついぞ見たことはなかった」




「ならば、と神はその世界へ自分自身で降り立ち彼女をその手で汚すことにした。もはや神にとって世界を創ることよりも他の人間を絶望の淵に追いやることよりも、彼女の魂をどうやって黒く染めてやろうかと考えることの方が愉しかったのだ」




「神は彼女の心の隙をつき、入り込むことに成功した。そうして深く深く彼女の心の中へもぐり、次第に支配していく。……彼女は彼に恋をした」




「甘やかな蜜月。いずれ生まれ来る尊く小さな命。誰もが不遇の人生を送る彼女の祝い事に言祝ぎを告げる。強く美しく誇り高く慈悲深い女。彼女の周りにどれだけの骸が転がろうと、彼女自身は聖女の気質を決して堕としはしなかった。その彼女の選んだ夫はさぞ素晴らしい男であろう、と」




「しかし彼はこの時を待っていた。彼女の人生が一番に輝く、この時を」




「周囲からの篤い信頼を受け、女に深く愛され、愛らしい子供が生まれた瞬間に、彼は悪魔へと変貌した」




「酷い暴力と裏切り、彼女の名誉を傷つけるような暴言を周囲にまき散らし、彼女の心に深い傷を作ったのだ。決して癒すことのできない傷を」




「……彼女は狂い泣き叫びながら命を絶った」




「それでも彼女は自らの愛しい子供らを、永久の眠りに連れていくことはできなかった。彼女は狂いながらも、やはりその魂を黒く染め上げることはできなかったのだ」




「永久の眠りに就いた彼女の魂を拾い上げた神は、たった一滴しかない黒い染みに不満を持った。あれだけ手をかけても一滴しか黒くならない魂に、強く執心した。それは執心と呼べる限度をとうに超していたが、もうそれ以外に愉しいと思えることが見つからなかったのだ」




「自己中心的な性質はなおも相変わらずで、彼女の運命を書き換えたことによって狂わされたその世界の歪みを更に捻じ曲げた」




「そして彼女が手にかけることのできなかった子供らの血筋に、抗うことのできない運命を書き足した。……多くの神の手が付いたその世界は、皮肉にもその神の手なくしては保っていられない状態だった」




「これ以上は干渉できない。すればこれ以上彼女の魂で遊ぶことができなくなる。そう思った神は、ひとまずその世界の歪みが自分の干渉を許せるほどに回復するまで眠りに就くことにした。それには、ある程度の管理がなければ簡単に滅んでしまう世界のために、自分の代わりを果たせる部下を作る必要があった」




「そして幾人かの部下の一人に彼女の魂を預けた。私が起きるまで壊れぬ程度に遊んでもいい、と言い置いて」




「神はあれだけ手を尽くしても一滴ほどしか穢れなかった魂が、部下などに黒く染められるわけがないと嘲笑っていた。……部下は創造主である彼の性質を受け継いで、自己中心的だった。なら遠慮なく遊び尽くして黒く染め上げてやろうと嗤った。そのために彼女の魂が壊れても構わないとばかりに」




「部下は何度も何度も失敗と試行錯誤を繰り返した」




「ある時ふと……ほんの一時の戯れに彼女を愛してみようと思った。神のような狂気じみた執心ではなく、ただ穏やかに出会い育む愛とやらを体験してみようと思ったのだ」




「その時ばかりは自己中心的な性質を抑え、彼女に安寧と平穏を与え、慈しむ愛と優しさを受け取った。それは、部下にとって奇妙なものだった」




「部下は瞬きのような彼女の人生に寄り添い、その人生を看取った」




「―――不思議な心地だった。しかし神に造られた部下にとって、自分の自己中心的な性質は直せるものではない。そして愉悦以外の感情は持てあますだけで、すぐに切り捨ててしまった」




「またしばらく、彼女の魂で遊んだ。休息のない転生は魂の劣化を進める。彼女の魂は徐々にもろくなっていった」




「やがてそうしているうちに、神の目をも引きつけるほどに目映かった魂は輝きを失った。あれほどに強く美しく気高く慈悲深かった彼女の気質は、その魂の劣化とともに平凡なものになった。いや、その魂の輝きがなくなったからなのか、自らの気質を隠すようになっていった。必死に森に隠れようとする神木の枝のように」




「かくしてもろく崩れやすくなった彼女の魂は、部下の手によってある運命に落とされた。部下は気付いている。神の目覚めが近いことに。眠りながらも部下のしていることを知っている神が、この事態を不愉快に感じていることも。……これが最期の遊びになることも」




 そこまで話し終えると、美貌の青年は広げた腕を下ろして含み笑いをこぼす。

 それはやがて哄笑へと変わる。




「―――だが、それがなんだ?あの強大な力を持った世界の創造主に歯向かうことが、自分の命を縮めることだと知っている。人間にとってみれば部下もまた計り知れない力を持った『神』の一人かもしれないが、あの神の比じゃあない。視線一つで消し飛ばされる運命だとして、……それがなんだと言う?」




 にんまりと笑う。

 彼には愉しみしかない。もとより神の眠っている間の世界の管理をするためだけに、適当に造られた命。それを大事に思う感情も倫理感もなかった。

 彼にあるのはただ、自分が愉しめればそれでいいという極めて自己中心的で快楽主義の思考だけ。

 あの神が造ったにしては稚拙で、しかし実にそれらしいと言える逸品の駄作だと笑った。




「さぁて、彼女の魂は部下の手によって踊らされ無防備にも付け入る隙を与えた。あとは部下の手がなくとも周囲によってその魂を穢されていく。神の目覚めを待つことなく、黒く染まっていくだろう」




 にぃ、と深く弧を描く美しい唇。




「悪いのは神か、部下か、周囲か、それとも抗いきれぬ弱さを身につけてしまった彼女か」




 暗闇がじわりじわりと彼の輪郭をぼかしていく。

 飲みこまれているのか、自ら闇に消えようとしているのか。

 判然としないのは、底知れないその瞳が闇よりも深いからだ。




「昔々の、いつとも誰とも知れぬ、愉快でつまらない話はこれにて終い……」




 果たして青年の姿は消えた。

 彼のいた証とばかりに、哄笑がどこかでいつまでも響いていた。

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