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傾国の姫  作者: 安田鈴
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第五十八話

 その目に貫かれることを、半ば覚悟していたはずだったのに。

 現実は遥かに想像に厳しかった。


「ユリフィナ」


 びくり、と肩を震わせて壊れたおもちゃのようにぎこちない動きで視線を移す。

 そこには無表情ながらも、どこか労りの滲む端正な少年の顔があった。

「……これで、いいんだな?」

「……」


 いい、と言えるだけの強さが今すぐ欲しい。


 視界の端から注がれる強い非難の視線を振りきれるだけの、強い心が。

 小さく開いた唇は、けれど何も言えずに引き結ばれ、ゆっくりと首を振るだけだ。

 ―――肯定を意味するように。

 そんな私の、強情なほどの意思にレオヴィスは軽い嘆息をこぼした。

「……まあ、いい。これ以上話を長引かせても仕方ないしな。結局アレク兄上があの場に来たからには、軽い刑罰のままでは終われなかった」

「僕が来なきゃ、優しい優しいレオヴィスの望み通りになったのにね」

「兄上」

「おや、どうしたんだい?怖い顔をして」

 実に楽しそうに笑みを浮かべ続ける。

 その笑みを一瞥したレオヴィスが、微かに眉を寄せて視線をそらす。

 どこか意味深な言葉と視線だ。けれど動揺で混乱しているせいか、私はそれを深く考えられずに流してしまう。


 ……まだ、シグマがこっちを見てる。


 その視線が優しいものであったなら、せめて無感情なものであったなら。

 願っても変わらない、憎しみ混じりのそれに心臓が締め付けられる。

 憂鬱に顔を俯かせようとした時、アレクスシスがテーブル上にあった呼び鈴を鳴らした。

「赤ん坊用のミルクと食事、軽食を」

「かしこまりました」

 入ってきた侍女に告げると、彼はにこりと微笑んでこちらを見る。

「本当は昼食を一緒に摂りたいんだけどね、これから用事があるんだ。残念だな」

「……そう…ですか。今度は、ぜひご招待ください」

「うん、もちろん。こんなに可愛らしい姫君と食事の約束ができるなら、ちょっと面倒だけどこの仕事を任された甲斐もあるよ」

 またにこりと笑ってレオヴィスに視線を戻した。

「じゃあレオヴィス、僕はこれで。この件が片付いたらすぐに首都を出るのかな?」

「粗方の仕事は処理しましたから、そうですね、一週間もいないと思います」

「ふぅん。……叔父上によろしく伝えておいて。シーグィ領主の仕事は殊の外忙しいんだろうから、体にはくれぐれも気を付けてって」

「はい」

「うん。じゃあ、またね」

 最後ににっこりと特上の笑みを残して部屋から出ていく。

 外で待っていたのだろう彼の従者がちらりと見えて、扉が閉められた。

「……」

「そうして後悔するならなぜあんなことを?」

 聞かれ、俯きかけた顔を上げる。


 なぜ?

 それを言ったら協力してくれただろうか?

 この少年は、優しい。しっかりとした裏があって、私に優しい。優しくあろうとしてくれる。

 だけど、その裏と私の願いがいつも合致するとは限らないのだ。


「私は、私の願いをできる限り叶えたい。だから、ああしたの」


 酷い傲慢で我が儘な言葉だと思う。

 レオヴィスの怪訝そうな顔に薄く苦笑する。

 そう、たぶんこれでは理解されない。誤解される。わかっていても、私の思惑を素直に言ってしまうのは憚られた。

 突き刺さる視線。


 シグマ、その視線にさらされてもね、私は貴方をこの国に留めるのはダメだと思ったの。

 追い出す形になってしまったのが残念だけど……

 私は、こんなに後悔しても、貴方のこれからを後悔したくないと願っている。


 私の意思がある程度固いと感じたのか、レオヴィスは溜め息を吐くように息を吐き出した。

「……流されるだけかと思えば、頑固なところもあるとはな。覚えておこう」

 あまり覚えていてほしくないな、と複雑な顔をした私に小さく笑う。


 相変わらず、ドキリとさせられる。

 言動が大人びているせいか、人種の問題か、レオヴィスは私が知っている九歳とは全く違う。

 外見だけでも十二、三歳には見えるし、そこに下手な大人より冷静な言動が付けばそれよりもっと上に感じられることもしばしばだ。

 たぶん精神年齢で言ったら、前世で二十歳だった私より高いんじゃないかと思う。

 その上かなりの美少年だ。女の子のような美貌ではない、きりりとした端正な顔立ち。まだ幼い部分はあれど、数年もすれば子供などとは呼ばれないだろう。

 彼は地位も財力も美貌も才能も、これでもかというくらい神に愛された存在。

 リィヤはこれで性格が…とこぼすが、これ以上完璧になられたら周りが大変だと思う。劣等感は刺激されまくるし、嫉妬したくても嫉妬できるほど己の才能があるかと思えば空しくなるだろう。


 それに……と思う。

 それだけ無欠陥になれば、本人達がどうとも思っていないにも拘らず王位継承権問題がこじれたかもしれない。

 今の王太子に悪いところは聞かない。が、聞かないからと言って、いいと言うわけでもないのだ。

 王太子は穏やかで潔白な性格らしく、側室制度をことごとく拒否し、いまだ内乱の種がくすぶる地方には足しげく訪問しては話し合いをしている。国民への福祉にも力を入れようとしているらしいが、それらすべてが実となったかと問われれば……否と言わざるを得ない。

 側室は本人がどれだけ否と言ったとしても、数年待っても王太子妃に子ができなければ王家議会によって付けられる。

 地方訪問は国民から話を聞くのではなく、その地方領主から報告。

 貴族社会至上主義の国で、貴族に厚遇するでなく国民を、となれば、どれだけその主張が正しかろうと圧倒的多数によって提案は廃されるのだ。

 王太子だって必死に勉強してきただろうし、この国のことを知ろうとしただろう。統治する意味を理解し、潔白な性格のまま国家として正しい道を歩もうとしている。

 けれど。

 この世界は、特にこの国は、悲しいかな、貴族社会至上主義なのだ。貴族こそが正しく、何もしなくても貴族は偉い。貴族たちは自分たちが国民を養ってやっている、当たり前のようにそう思っている。

 彼らからすれば暑苦しい正義感を振りかざして、国民を厚遇しようとする王太子は煙たい存在だ。

 そんな王太子と、おそらくほとんど欠陥の見当たらない同腹の幼い第三王子。

 貴族たちが第三王子であるレオヴィスを遇し、ともすればいいように操りたいと願ったのだとしたら。

 ……レオヴィスの、無表情な顔も突出した状況把握も、凍りついたような周りの人間への不信感も、頷ける気がした。


 コンコンコン


「失礼いたします。ミルクと軽食をお持ちいたしました」

「入れ」

 私が考え込んでいるうちに時間が経っていたらしい。

 数人の侍女が素早くテーブルを整え、その上に軽食とミルク、赤ちゃんのための食事を置くと、一礼してまた部屋を出ていった。

 レオヴィスがシグマに視線を向ける。

「食べるといい。……警戒することはいいことだが、今食べておかないと次にまともなものが食べられるとは思わない方がいい」

 レオヴィスに促されても動かないシグマの代わりに、テーブルの上の籠に詰められたパンを手に取る。

 野菜とハムが挟んであり、とろりと溶けたチーズが食欲を誘った。

 それとミルクを手にとり、思い切ってシグマに向き直る。

「シグマ。私から渡されるものが信用ならないかもしれない。だけど、何かするなら罪と罰なんて決めないよ。……殺すなら、貴方をあのままにしておけば、何の手間もかからなかったもの」

 嫌な言葉。

 だけど、信頼がないのに、信じてなんて言っても意味がない。事実だけが彼の不信を少しでも和らげてくれると思ったのだ。

「信じられない?でも、……今はこれを食べなくちゃ貴方は遠からず死んじゃう。そのもっと早くにノエルが。今更死なせたくなんてないでしょう?」

 シグマの顔がぴくりと動く。

 揺らぐように視線が彷徨い、腕の中でか細い泣き声を上げるノエルに移った。


 彼の中で自身よりも比率の大きい存在のノエル。

 シグマにとって、もはやノエルは唯一の肉親だ。母はなく、実父も他界し、ノエルの父に至っては名前すら知らない。

 母の兄だと名乗った男の裏切りは、ノエル以外の肉親への絶望と諦観、嫌悪につながったことだろう。

 そのノエルが死ぬことは、彼にとってこの世に一人きりで取り残されることと同じ。

 もっと長生きして好きな人と家庭を作ればいい、と大人は言うかもしれないが、血のつながりというものはそう簡単に割り切れるものではない。自分の子は子供であり、自分のルーツには決してなりえないのだから。


 『生き延びた』のではない、『取り残された』もしくは『置いて行かれた』。


 その恐怖に打ち勝てる子供など、そうはいない。


「……食べるよ」

「そうして。……よかったらノエルのミルクは私があげるわ」

 一瞬戸惑い、やや抵抗のある顔をしながらも差し出されたパンを受け取って私を見つめる。

 じっと濃い茶色の瞳が私を試すように睨み、やがて一つ瞬きをしてノエルを差し出した。

 受け取ったノエルは酷く軽く、そして重かった。

「ありがとう」

「……オレは、別に信じたわけじゃない。だから礼を言われる理由もないし、言いたくない」

「うん、わかってる。……私が言いたいだけの自己満足だから」

 そう言うと、シグマは怒ったような、困ったような、複雑な顔で私を見つめてから、それを誤魔化すようにパンにかぶりつく。

 食べてくれたことに安心して、ノエルを抱きしめたままソファに座る。少しかさつき始めた小さなノエルの口に、ミルクの入った哺乳瓶を当てた。

「ノエル、飲める?ほーら、ミルクだよー……うん、上手だねぇ。おいしい?」

 幸いなことに飲むだけの力はまだ残っていたらしく、初めこそ弱かった吸う力がだんだんと強くなっていくことに心から安堵する。

 シグマは籠に詰め込まれたパンを躊躇うように手に取り、けれどすぐにその躊躇いも空腹の前には消えたようだった。

 貧困層では、プライドなど何の足しにもならない。

 意地汚くそこにある物に手を伸ばした者が生き残り、卑怯な手段でもそこにある物を使って勝たなければ搾取される。

 もちろん罠の可能性を十分に考え、どの方法が自分を生かすのか一瞬で判断し決断する。一種の賭けが常時行われるような場所だ。

 彼らが唯一持つ、命を賭けて。

 可哀想だと哀れむことなど誰でもできる。だけど、そんな哀れみが彼らを救うわけもなく、同情で施した微々たる物も金もあっという間に食い尽くされて、誰一人救われることなく闇に消えることなどざらにある。

 だからこそ、私はシグマにこの国にいてほしくないと思った。

 それがどんな方法であれ、この国にいる限り彼は貧困層の中で生きることになる。こんな幼子が首都から出たとして、保護者もいない、さらには赤ん坊などいれば、まず間違いなくまともな職に就くことなどありえない。

 万が一の可能性を祈って旅に出たとして、……万が一は、万が一、なのだ。

 それよりは犯罪者としてでも国外へ出て、違う文化の中で生きて見識を広げてほしかった。その道のりがどれほど辛くても。

 半強制労働を知らない私が考えるには、浅知恵としか言いようがない。

 後悔する。もっといい方法があったんじゃないかと。だけど。でも。


 ―――……思考が渦を巻いて、ノエルがすでにミルクを飲み終えていたことにも気付かなかった。


「あーあー!」

「っ」

「あー!」

「あ、…ご、ごめんね、もうミルク無くなっちゃったね、お腹空いた?もっと飲む?」

 侍女を呼ぼうと、レオヴィスの近くに置いてある呼び鈴を取りに行く。

 その動きを制するようにレオヴィスがこちらを見て手を上げ、

「……待て!」

 突然鋭い声で私を制止させた。

 驚いて固まった私にかまわず、立ち上がってつかつかと歩いてくると、まじまじと私の胸…いや、私の腕の中の、ノエルを凝視する。

 ノエルはお腹が少し満たされて機嫌が直ってきたのか、人見知りしない性格なのか、凝視するレオヴィスを見つめ返す。

 赤ちゃんとはいえ、かなり可愛い顔立ちのノエルに興味でも出たんだろうか。

 美貌のシーナと自分の顔を鏡で見飽き始めた私ですら可愛いと思うのだ、将来は有望だ。そう、あの変態魔法使いに見せられた、十年後の姿からしてさぞ男どもを魅惑するに違いない。

 しかしまあ……今の時点で魅惑されたら、そいつは確実に変態の仲間入りになる。怖いでしょ、赤ちゃんに興奮する男なんて。どんなに頑張っていい点を探しても、通報はする。そういう変態だ。

 まさかとは思うけど、レオヴィスは何を思ってこんなにまじまじと見ているんだろう。

 訝しんで見れば、レオヴィスはノエルの顔の一点を見ているようだった。

 信じられない、そんな顔で。

 ……信じられない?


「ユリフィナ……これは……この、子供は……」


 驚いた。

 心底、驚いた。あのレオヴィスが、声を震わせている。

 相当動揺しているらしい。ノエルの顔の一点……『目』を見て。

「レオヴィス……?」

「父親が……わからない、確か、そう、言っていたな……?」

「う、うん。ね、シグマ?」

 私の戸惑いに、こちらを見ていたシグマも困惑したように小さく頷く。

「……母さんが、ノエルの父親は二度と現れないって。だから誰がそう名乗っても信用するなって」

 その言葉を聞いて、レオヴィスがどこか狂気じみた目で空笑いをする。




「それはそうだろう。……この子供は、我が王家の一員だからな」




「は…何言って……」

 私の声が空しく部屋に響いて、静寂に包まれた。


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