第五十四話
ノックの音が部屋の緊迫した空気に水を差す。
そこへすかさず…たまらず、と言っていい声音でアーサーが話に割って入ってきた。
「……畏れながら申し上げます。そのお話、もう少しお待ち頂けないでしょうか。王女殿下はいまだ勉学の途にございます。おそらくはレオヴィス殿下ほどには、世界を見聞しておられません。今すぐ危機が訪れる、というお話でないのであれば、今しばしのご猶予を頂きたく思います。―――重ねて申し上げます。王女殿下、今結論をお出しすべきではありません。少なくとも切迫した状態ならば、殿下はお話することもなかったでしょう。深謀遠慮する時間は足りないとしても、世界を見聞する時間は多少なりとございます。魔力の制御を覚えてからでもお返事は遅くはありません」
片膝をつき、深く首を垂れる姿を一瞥したレオヴィスが一瞬瞑目し、小さく息を吐く。
アーサーの提言を受け入れたかはわからなかったけど、耳を貸すくらいには話として間違っていなかったようだ。私も協力するとは言いながらも不安はあった。それを見抜かれていたようで、少し居心地が悪い。
その複雑な空気を払拭するように、レオヴィスの入室を許可する声が響いた。
「―――入れ」
優雅な一礼をして入ってきたのは二人の男。別件なのだろうが、一人は深刻そうな顔をし、もう一人はやや困惑しているようだった。
「優先順位は?」
「私です。イ・ヤードからの報告ですが……」
深刻そうな顔をした方が、ちらりとその視線を私に向けたような気がした。
…気のせい?
自分を見た、とはっきり言えるほどには強くはなかったけど、自然な目線の流れとは思えなかった。
首を傾げていると、レオヴィスはリィヤを男のもとへ向かわせる。それによって内容が部外者には話せないことなのだと知れた。
どことなく不安な気持ちになって見ていると、男はリィヤに一言二言ほど話してレオヴィスに一礼して部屋を出ていった。
指示はいらないのだろうか。そんなことを思いながら男を見送り、レオヴィスに視線を戻す。
「例の議案が提出されたそうです」
「そうか」
レオヴィスはそれだけ聞くと、考えを巡らせるように視線を宙にあげる。
が、すぐに、
「そちらは?」
考え込むことはせずに、もう一人の使いに顔を向けた。
説明をされなかったことに眉尻が下がる。いい報告ではなかったのだろう。先程の目線のことを考えると、不安と緊張が増すのは仕方なかった。
使いの男は入った時から困惑していたが、ここにきて複雑になった部屋の空気に更に戸惑っていた。
「……あの、昨日の件に関係あるのかは判断が付かなかったのですが、ご報告と確認事項が」
「なんだ」
「今朝、ある露天商にスリファイナ王家の装飾品を買い取って欲しいと、赤子を連れた子供が来たそうです」
「っ!」
思わずソファから立ち上がりそうになり、震える手をぎゅっと握りしめて使いの男を凝視する。
その様を見逃さなかったレオヴィスが片眉を上げたことなど、驚いていた私に気づけるわけもなく。一瞥でその視線が指輪をしていたはずの私の右手に止まったことも、やっぱり気づくことはなかった。
「……その子供は?」
「主人が機転を利かせてその場に留めた後、小間使いがそれを王宮に知らせにきたので捕縛しました」
「それは―――お前の指輪だな?ユリフィナ」
「ぁっ!」
小さく悲鳴を上げて慌てて右手を隠す。が、そんなことはもう意味がない。
レオヴィスはその装飾品が、私の指輪であると断定してしまった。確信すらしているだろう。
でも、なんで?
たかが指輪一つだ。子供には分不相応だったとしても、親の形見なりなんなり、シグマは理由を言い繕ったはずなのに。
なぜ、その指輪が私の…スリファイナ王家のものであると、顔も知らないただの露天商が気づいてしまったのだろう。
「王女殿下…それは本当ですか?」
アーサーが少し厳しい顔で、困惑している私に問いかける。
私は疑問と不安でいっぱいになりながら、こく、と一つ小さく頷いた。
あれはアーサーが用意してくれた指輪だった。ランスが買ってくれたブレスレットに合うように、スリファイナを出る時に私に持たされた宝石箱からちょうどいい物を選び、ここへ来る途中で指輪として加工してくれたのだ。
嫌な予感がひしひしと迫る私に、苦い顔でアーサーは告げる。……私の無知を。
「王女殿下、あの指輪は、…あの指輪の宝石はもちろん、お持ちになっている宝石全てに、スリファイナ王家の紋章が特殊な方法で刻み込まれています。御身を飾る宝石は、その加工がされていないものでないと許されません」
「え……」
「宝石類を鑑定する際の道具を使えば、紋章が刻まれていることが簡単にわかります。王家の紋章はどの国においても貴いもの。知らなかったならまだしも、知っていて値段を付けたとしたら厳しく処罰され、またその加工を外すためには特別な許可と技術者が要るのです。……あれは、売るなどということのできない、商いをする人間からすれば手間と時間ばかりがかかる、真っ当な価値の付かない装飾品なのです」
説明をせずに申し訳ありません、と頭を下げた。
アーサーのせいじゃない。頭を下げる必要なんてない。
そう、言いたいのに。
顔を蒼白にし、次いで力なく項垂れた私はしばらく呆然としていた。
いつの間にか使いの男は退室していて、何事か考え終わったらしいレオヴィスが口にした言葉は私の混乱を更に掻き混ぜてくれる。
「助けたいか?」
「―――え?」
「助けたいか、と聞いた」
それは、助けたいに決まっている。
だけどそれを素直に言っていいものかわからない。
目の前に悠然と座る少年は、打算に優しさという付加価値を付けてこちらがそれを買うかどうかを見定める、冷徹な商人の顔をしていた。
シーグィ地方という、大国の貿易・財源の要を統べる次期領主として申し分ない姿。
……それが、私に頷くことを躊躇わせた。
「助けたいんだろう?俺ならそれができる。お前が望むままに」
「……わたし、が……望むまま……?」
「どうする?」
頷いてはならない。理性はそう警告する。
頷いてしまえばどんな見返りを求められることか、と。
……でも……でも!
思い浮かぶのは戸惑ったようにぎこちなく笑う、まだあどけなさの残る少年の顔。
助けたい。
だけどこのままレオヴィスの手を借りるのは……。
どうしたらいいの?
途方に暮れた顔で、それでも考えることはやめられなかった。やめれば、そこで終わりだから。
このままだとシグマは罰を受けることになる。他国の王族を浚い、その事実を隠した。例え王族だったと知らなくとも、誰かに知らせたくても自由に出入りできなかったのだとしても。悪いことにシグマは、見張りと一緒だったとはいえ一度外に出ている。おそらくそれが不利に働いてしまう。
本当に、自分が嫌になる。お風呂を、なんて言わなければ。いや、もっと上手く言っていれば。
―――だけど過去はどうあがいても変わらない。
今を、これからをどうにかしなくては。
たぶん、シグマの言い分を私が後押しして、減刑を言えば命は助かるだろう。普通ならばよくて即時処刑、酷ければ拷問の末の公開処刑だ。平民、しかも貧困層。シグマに罪など見当たらなくても、関わったこと自体で罪になってしまうのがこの世界の法律。
現代日本に生まれ育った私からすれば、信じられないほど曖昧な罪状と惨い罰。
ここは良くも悪くも王族を頂点とした、貴族社会至上主義なのだ。
そう、貴族社会至上主義だからこそ、レオヴィスのような人には驚くほどの特権が与えられている。例えば、罪状を認定される前の罪人の恩赦。
法務官と呼ばれる人に法に沿った罪状認定をされてしまえば手は出しにくくなるが、その前ならばレオヴィスの身分だけで罪人を解き放つことは可能だ。
だからレオヴィスはこともなげに私に問うのだ。助けられるだけの力があるから。
でもそれじゃダメ。恩を返す時に何を求められるかわからない。
そんな計算をしなければならないのが悲しいけど、レオヴィスにはレオヴィスの考えがあって、その人生がある。それを酷いとなじるのは簡単で、だけどどんなことよりも彼を傷つける気がした。
私は、私にできる力でここを切り抜けなければ。
この国において私の力など大したものはない。とてもではないが、レオヴィスのようにこの国の罪人に口を出せるような特権はないのだ。
罪をもみ消すことはできない。
それなら、
……罰になら口を出せるだろうか。
ふと、考え付いた。
レオヴィスには頼れない。私の身分もシグマを助けられない。
それなら業腹だが罰を受けてもらうほかない。その罰の内容ならば、私にだって口を出せるのではないだろうか。なんといっても、私は彼に『助けてもらった』のだから。
もし口を出せなくても、レオヴィスに罰の種類をお願いすることくらいなら、見返りを要求されてもそれほど怖くない。だって、彼は罰を受ける。私の要求は彼の無実だけど、それを妥協する代わりに私の望む刑罰を。
……この決断は自分勝手なもの。
シグマは恨むだろう。私がレオヴィスに頼めば無罪放免で終わったものを、理不尽な罰を受けさせるのだから。
だけど、レオヴィスにはレオヴィスの、シグマにはシグマの人生があるように、私にだって私のための人生がある。そして、私が選ぶ運命は決して全てを救うような結果にならない。ここでシグマを助けたことで、より多くの人の人生が狂うことだって十分あり得る。
それが、美貌の死神が用意した、私の人生なのだ。
本当に、泣きたくなる。全て放り出してしまいたい。
だけど……
一瞬、ぎゅっと目を瞑り、ゆっくりと開く。
―――交渉は必要だ。ここからのさじ加減で、ねじ曲がったシグマとノエルの運命が更に大きく変わる。
「何かいい案でも浮かんだか?」
レオヴィスは感情の読めない顔で私を見つめた。
「……私、その子に…シグマに『助けてもらった』の。彼は何もしてない、無実そのものよ。あの男にだまされて利用されただけ……。だけど罪は罪なんでしょう?そんな罪、どうかと思うけど……それが、法なら…仕方ない、と、思うの」
本当に、こんな罪を認める法律なんてどうかしてる。だけどしょうがない、これがこの世界の『常識』で、この世界を成り立たせる重要な部分でもあるのだから。
私がそれを直そうとしてもすぐにどうにかなるものではないし、私の一生をかけたところで私が望むレベルになることはない。前世の歴史がそれを証明してる。独裁者ですら、長い年月をかけなければ法の整備も民の意識向上も叶わなかったのだから。
だから私が頑張らなくちゃいけないことはそう言うところじゃない。
彼の未来を変えられる力があるなら、最大限いい方向へ変えてあげる努力、だ。
「法律に従うのか。よくて即時処刑ものの犯罪だ。だが『助けた』というのであれば……そうだな、永年流刑か数年の強制労働……または期限付きの国外追放か。減刑とはいえ、身元不確かな貧困層の刑罰は軽いものじゃないぞ」
平和な前世と、王族として生まれ育った私にその刑罰がどれだけ恐ろしいものなのか、想像さえつかなない。
それでも、命がないよりはマシだと……その刑罰の恐ろしさを知らない私は、そう思うしか、ない。
「……それなら、期限付きの国外追放を」
そう言った私を、レオヴィスは不可解そうに片眉を上げて見た。
「なぜ?」
「国外追放って、私にはどういうものかよくわからない。他国へ追放するのよね?」
「そうだ。……敵対関係にある国へ追放するのが本来の意味なんだが……今はあからさまな敵対関係にある国がこの大陸にはないからな、属国へ追放し、そこで半強制労働だ」
敵対関係にある国に追放、と聞いてこの刑罰の意味をうかがい知る。
普通、敵国から追放処分の罪人が来たら、どう転んでもそこで生きていくのは難しい。
罪人である以上に、敵国の人間にいい感情を持つ人間は少ないだろうから。
名前は追放処分、だけど実際は直接手を下さないだけの処刑だ。
万に一つの生き延びる可能性があるにしても、相当な運と苦労が必要になる。
他国へ追放するだけ、なんて安易に考えていただけに怯んでしまう。
だけど、
「……半強制労働…って、どういうもの?」
「……王女であるユリフィナには想像もできない、辛い労働だ。半、が付くだけマシと言えばそうかもしれないが」
「そう……」
レオヴィスが言い淀むだけの、過酷なものであることは間違いないようだ。
でも、生き延びて自由を掴むチャンスは、おそらくこれしかない。
永年流刑に未来はないし、半も付かないような強制労働など七歳の子供にはきつすぎる。
となれば期限付き、という言葉が気になった。
「……今回の場合だと、あの子はどれくらいの期間追放されるの?」
その問いにしばし考え、
「そう、だな。十年ほどか。もっとも担当した法務官の良し悪しで年数がぶらつくが」
「良し悪し?」
「過去の判例で決めていくのが常だが、法務官が必要ありと認めれば処分年数は延びる。……まあ、情状酌量を認める良心的な法務官が担当すれば、もちろん十年よりは短くなるだろう」
まさかの人選の賭け。
順当な法務官なら十年。性格の悪いヤツなら延びて、良心的な人なら短くなる。
私のこの運命で、順当な人に当たることはない。
となれば。
賭けだ。まさしく、運命の二択。
そしておそらく、その結果は私を僅かなりと苦しめる。シーナの望むように。
膝の上で心地よさそうに眠る黒猫。
艶やかで、どこまでも愛らしく美しい猫は、私の視線を感じたのかゆっくりとその目を開け、ぱたりと尻尾を揺らした。
「……迷ってるのか?」
「……迷うわよ、それは」
当然なことを聞かれ、顔をしかめる。
そんな私をシーは嘲るように鼻で笑い、優雅に尻尾を振った。
「ふん。無駄なことを」
悪辣な微笑みを浮かべ、シーはぱたり、ぱたり、と尻尾を揺らしては私の膝を打つ。
「お前がどれだけ悩もうが迷おうが、所詮人間であるお前にその選択の未来は見えないだろう?俺はお前が苦しんで苦しんで、血を吐く思いで選択する姿を見て愉しみたいが、その先はどうでもいい」
なんて鬼畜なことを堂々と言うのか。
絶句する私に黒猫様は色気すら感じる目を細めた。
「お前の運命でただ一つ変えようがなく決まっていることは、傾国の運命だ。どんな選択をしようが、お前の運命の先は人の不幸が積み重なっている。それが多かろうが少なかろうが、知人であろうが他人であろうが、お前が苦しむことは間違いない。全てを救える選択肢など、あっても俺が握りつぶす。だから心ゆくまでもがき苦しんで、俺を愉しませろ。それが、お前の運命だ。迷うだけ余計な時間が過ぎるだけだ」
鬼畜だ。Sだ。悪魔だ。
それぞれにドのつく、これ以上ない発言。
もはやこの猫…この死神様にかける言葉など見つからない。
「……そう、ありがとう……」
精神的にどっと疲れた。もう不貞寝したい。
自虐的に感謝すれば、優美な黒猫様は満足そうにまた目を閉じた。
「感謝していいのか、そこは?ユリフィナ、俺が言うのもなんだが、それに感謝できるところなんて欠片もないと思うぞ」
「うん、そうだけど。なんか……すごく変わった激励にも聞こえたから」
「…………………ユリフィナ、疲れさせて済まない。学院に着いたら一週間ほどゆっくりするといい」
正面に座る哀れんだ顔のレオヴィスとリィヤに乾いた笑いを返す。
頭がパンクしそうだ。きっと彼の言う通り私は酷く疲れてる。
だけどもう少し、頑張らなくては。
「レオヴィス」
呼びかけて、表情を改める。
「今の話で、お願いできる?」
「……構わないが、法務官の人選は俺がしなくていいのか?」
「うん。……きっと、シーナの言う通りなの。私がどんなに悩んだって、私は将来苦しむんだと思う。長くなっても短くなっても、たぶん…私の望みは叶わない。平穏無事な、少しでも豊かで平凡な幸せをシグマはきっと送れない……」
もしくは、彼自身の意思で送ってくれなくなる可能性だってある。
―――私への恨みで。
シグマは、意外にキーマンなのかもしれない。私の運命を揺らす、一振りの剣。
その刃が私を貫くために鋭利に研がれているか、または、可能性としては低いけど、私を守るのか。
きっとそのために彼は私と出会わされた。間違いなく、何の意味もない命ではなかったのだ。
彼は生かされた。それが、答え。
「それと、シグマの妹…ノエルはどうなるの?一緒に付いていくことになるの?」
「……さて、どうかな。それも法務官の裁量次第だ。ただ、滅多なことがない限りは付いていくことになる」
その分では身内もいないのだろう?
こく、と小さく頷いた。
「たぶん……いないと思う。お母様の兄とやらがいたらしいけれど……シグマたちに残してくれた遺品を持ってどこかに逃げたらしいわ」
唾棄すべき卑劣な男。他者を容赦なく踏みつけなければ生きられないのだとしても、あんなに幼い子供から生きる術を奪うなんて。
見たこともない男だが、見つけられたなら可能な限りの償いをしてもらわねば。それがなければ、貧しいながらもシグマたちは今もそれなりに暮らしていけたはずなのだから。
眉根を寄せて憤慨する。
そんな私の耳に、信じられないほど冷たい声が届く。
「伯父でない可能性もあるわけか。不憫なことだな」
白々しいまでの無感動さで呟くレオヴィスを、まじまじと見つめてしまった。
「……レオヴィス?」
「……俺が非情な人間に見えるか?だが、そうなんだ。そうでなければこの国で王子などやれない。お前もじきに……いや、お前はできそうにないな」
冷たい表情が微かに人間味を帯びて苦笑する。
「ど、どうして?冷たい人間になりたいわけじゃないけど、できそうにないって決められるのは……」
「決めつけるわけじゃないが、お前はいつまでも悩んでいそうだ。誰を救えるか、誰なら自分の手で救えなくても何とかなるか、どんな方法ならより多くの人を助けられるか。考えるだろう?」
考える。
それは、考える。だって、私の行動一つで助けられるかもしれないなら、そうしたい。
自分がちょっと苦しいことくらいなら頑張れる。だって私にはいろんな助けが周りにある。
だから、私はいつまでも悩む。……レオヴィスの言う通りに。
確かにそうだ、と納得して笑った。
「―――お前は、それでいいのかもしれないな。いや、それがいい」
「え?」
「何でもない。それで、話は決まったならその少年のところへ行こうと思うが、ユリフィナはどうする?一つ言うが、牢は淑女が入るような場所ではないぞ」
「恩人に会うために行くの。私が行ってはいけないなら、牢から出してくれる?」
「叶えられるが、いいのか?」
「……。叶えて欲しいよ、見返りはなしでね」
その言葉に苦笑して、レオヴィスはソファから立ち上がると私の前に立って優雅に手を差し出した。
「では、見返りが必要ない程度で協力してあげよう。俺のお姫様」
「っ!?」
「驚くことか?少なくとも、王宮と、この王城で働く者たちはお前を『私』の未来の婚約者として見ているだろうよ。多くの思惑を持ってな」
「なんで……」
「いまだかつて、『私』と同じ馬車に乗って王宮に来た女性はいないな。片時も離れず傍に置くのもな。様々な政治的思惑を見て取っても、『ユリフィナ』は『私』の婚約者として見られる。―――だから安心してこの手を取るといい、『俺のお姫様』」
全然安心できない!
だけど、ああだけど、私にこの手を拒む権利もなければ度胸もない。せいぜい引きつった顔で微笑むくらいだ。
「レオヴィス……私、もう少しいい思いしてもいいと思うんだけど」
「なんなりと言うがいい、『お姫様』?だが『私』はきっちりといい思いをさせた分は取り立てるがな」
にこりと爽やかに微笑まれてぞっとしてしまった。
正義は常に自分にある、むしろなければ毟り取る。そんな微笑みだった。
引きつった笑顔が更に引きつった気がする。
私の至上命題は顔の筋肉を鍛えること、かもしれない……
魂の抜けた私をエスコートする王子様の後ろ姿に、そんなことを思った。




