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傾国の姫  作者: 安田鈴
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第四十九話

 レインは私のお願いを速やかに叶えてくれた。

 シグマを綺麗にすること、ノアを私の部屋に移動すること、それから他の細々とした我が儘すらうっとりとしながら聞いてくれる。

 代わりに、私の自由は叶えてはくれなかったけど。

 なんでだ。

 ……当たり前だけどさ。

 チクチク嫌味を言ってもますますうっとりとするので無視すると、それはそれでいいらしく、悶絶してたのが視界に入ってげっそりした。

 もうアレだ。ここまで来ると確信できる。

 あのイケメン気取り、相当の変態だ。SM的な意味で。

 私に罵られるのも好きで、その私を不快にさせるのも大好きなんだろう。周りに彼を罵るような女がいなかったから被害がなく、知られることもなかったのだ。

 最悪だ……本当に、なぜあの時教育的指導をしてしまったのか悔やまれる。後悔先に立たずなんて、身にしみてよくわかったから時を戻してほしい。

 戻れたなら言われるがまま傷つく、か弱い五歳の少女を演じきってみせるのに。

 私の不遇な運命とこんな運命のもとに転生させたド鬼畜の死神様を心の底から呪いつつ、私ばかり不快な思いをさせられるのは腹が立つ、とあの男に嫌な顔をさせるにはどうしたらいいのか懲りもせず考えていると、やけにウキウキとした顔でレインが部屋にやって来た。

 大きな鏡を持って。




「……なんですか、それは?」

「ふふ、姫君に喜んでもらえるものはないかと探していたら、面白い魔法を見つけたので」

 面白い魔法。

 ろくでもないんだろうな、と半眼の眼差しで見つめていると、レインは頬を染めて私を見つめ返す。

 ぞわぞわぞわっ、と鳥肌が立ち、視線をそらした。

「これはですね、未来の姿を映す鏡です。何年後でも調節はきくのですが、今回はきりよく十年後にしました」

 満悦した顔で説明するレインを横目に、私はノアを膝に抱き上げる。

 シグマは私の後ろで不安そうに体を強張らせている。ノアの世話はシグマがしていたので、ノアについてくる形でシグマも私の部屋に来たのだ。

 お風呂に入ってきてさっぱりした姿は、予想通り整っていた。

 さすがに栄養が行き渡っていないので髪の艶はそれほどないが、さらさらの黒髪にバランスよく配置された目鼻立ち、垢を綺麗に落とした肌は少年らしい張りがある。

 庶民が着る一般的な新しい服に着替え、これならば誰も彼が貧困層だとは思わないだろう。

 鏡に映った自分とノア、シグマの姿に満足する。

「……今のところ、歳相応の姿に見えますが?」

「今から最後の呪文をかけるのです。いきますよ……『未来視』」

 レインの言葉に反応して鏡面がぐにゃりと歪み、ぐるぐると渦を巻いていくと、まるで別の世界がそこから現れるかのように何かの姿を映し始める。

 その鏡面を見ながら、ふと、シーの姿が気になった。

 アレは死神が変化した猫だ。猫の寿命は前世だと十年以上あったけど、この世界ではそれほど獣医学が進んでいない。十年も生きれば立派な長寿、化け猫と呼ばれてもおかしくない。

 単純に今の姿から十年後を予想するのか、それとも十年後を予見するのか。

 後者であるなら、シーを鏡に映すのは厄介なことにならないだろうかと顔をしかめた。

 別にシーが怪訝な顔をされても私にはまったく関係ないけど、化け猫を飼っている王女などと言われたらへこむ。いっそアレは猫じゃなくて魔法で造った使い魔です、と開き直ってみようか。

 ……化け猫も使い魔もそれほど差がないな、と気づいて嫌になった。

 ふぅ、と息を吐いて周りを見ると、シーはいつ私の傍を離れたのか、鏡の後ろで私をじっと見ている。

 一人焦っていた私が馬鹿みたいじゃないか。面白がるような顔が小憎たらしい。可愛いけどね!

 複雑な気持ちのまま鏡面に視線を戻すと、

「っ!?」

 そこには驚いた顔をした、絶世の美少女がいた。

 清涼な滝のようなブルー混じりの髪が背中に流れ、どこか憂うような目は煌めくエメラルドグリーン。ほんのりと色づいた唇は正視することを躊躇わせた。

 触れれば神の怒りが降ると言われてもおかしくないほど、清廉な乙女。なのに仄暗い気持ちを湧き起こさせる。

 男の征服欲を掻き立てる、といえばいいのか。白いものを自分の手で汚したい、まっさらなものに自分を刻みつけたい、そんな思いに囚われるのではないだろうか。

 女の私すら心が引きずられる。鏡に映ったその姿は自分だというのに、だ。決して組み敷きたいとかではなく、どうにかしてこの美しいものを手に入れたいと考えてしまう。こっちは物欲に近い。

 美しさならばエシャンテ様だってそうだが、私のこの姿を見ると何かが狂うような気分になる。

 何だろう……私はこれを知っている気がした。

 目の前の鏡に映る美少女が思考を邪魔する。まるで心を支配しようとするかのように……

 ふっ、とその時レオヴィスの顔が思い浮かんだ。

 滴るような甘い声と微笑み。その目は誘惑に満ち、私を取り込もうとしている。


 ……ああ……そっか。あの時のレオヴィスに似てるんだ。


 私の目に義母である王妃様の目から逃れるための魔法が掛かっていることを試した、あの時のレオヴィスの目にそっくりなのだ。十年後の自分が。

 魔法、なのだろう。そうでなければ説明が付かない。こんなおかしな気持ちにさせられるのだ、魔法でなくてなんだというのか。

 でもなぜ?

 今の私ではなくなぜ十年後の自分なのだろう?成長しなければ発現しない魔法なのだろうか?

 そして私の目はシーナによってその手の魔法は効かないはずなのに。

 姿だけならば、どこまでも澄み切った清廉な少女。

 なのに強烈な引力を感じずにはいられない。

 相反したそれは、人の心を狂わせると言われてもおかしくないくらい危険に見えた。


 ―――さ、さすがナルちゃんの死神様が作り上げた美貌ね。あいつの横に立てばこれ以上ないくらい似合いそう。


 息も止まるような動悸と戸惑いが薄れ、徐々に冷静さを取り戻した。

 なるほど。これなら傾国の女だ。今の私は色気のいの字もないのでいまいち実感がなかったけど、これが十年後の姿なら納得する。

 その私の膝には十歳ほどの少女が嬉しそうに笑っていた。健康的に日焼けしたような肌、柔らかなウェーブを描く黒髪に、艶めいた黒目は勝気そうで可愛らしい。光の加減で赤く見える瞳は魅力的だった。

 私の後ろに立っているのはこれまたイケメンだ。少女に似た顔立ちが色気を含ませ、精悍な表情をしながらもどこか妖しい雰囲気にさせている。

 なんてことだ。この兄妹の母親はかなりの色気持ちの美人だったのではないだろうか。ただの美人ならその辺にもいるが、色気があるとなると数は限られる。

 仕草などでそれを出すこともできるが、何もしなくても色気のある顔というのは珍しい。天性の踊り子だったのだろう。

 一度お目にかかってみたかった……と鏡の中の兄妹をしげしげと見ながら思っていると。

「……これは……」

 鏡を覗き込んだレインが驚愕の表情で絶句していた。

 私の将来の姿などある程度予想できていただろうに、何をそんなに驚いているのか。

 ……そうか、ノアとシグマの姿に驚いているのか!と爽快な気分になる。

 どうだ、お前が馬鹿にしきった子供は将来美形になるんだぞ!もっと崇め奉れ!

 自分を含めて周りも美形だらけの私だが、前世の平凡さが美形を神のように思わせる。厄介な運命さえなければ、レオヴィス辺りには「神様私ごときの前にご来臨なされて恐悦至極にございますああ本当にかっこいいですね将来が楽しみですね私なんぞを視界の端に入れていただき本当にありがとうございます」ぐらい言っていたかもしれない。

 ……馬鹿丸出しだな、私……

 ここでシーナを崇めないのは当然だ。絶世の美貌をもってしても、そのねじ曲がった性根の前では何もかも塵や霞に等しい。

 私はレインが驚き見つめているのが、ノアとシグマだと信じて疑っていなかった。

 鏡を凝視していたレインがゆっくりと振り返り、私を見つめた後、何かが外れたような狂気じみた笑みを浮かべるまでは。


「姫君は……スリファイナの第一王女でしたね……。そうか、だから(・・・)……!」


 その後の言葉は続かなかった。いや、続けられなかった。

 バタバタバタッ、と走る足音が廊下から聞こえ、何事かと部屋にいる全員が扉に視線を向けた。

「姫様!!」

 バターンッ!と扉が乱暴に開かれ、長剣を握りしめ血走った目で正確に私を見つめるヘーゼルの瞳。

「ランス!?」

「ああよかった、姫様お探ししました……!」

 一瞬で私の傍に駆け寄り跪くその姿は、しばらくぶりに見るランス本人のものだ。

 助かったんだ、とじわじわと喜びと安堵が胸に広がる。

 両手でその首にしがみつこうとして、ノアを抱き上げていたことに気が付いた。

「あ!そ、そうだ、シグマ!今だよ、逃げなきゃ!」

 シグマは一瞬戸惑って、すぐにこくりと頷く。

 レインに用意させたショルダー型の鞄を肩にかけ、私の腕の中のノアを抱き上げる。

「ユリフィナ様……ありがとう!ホントに……」

「いいの、わかってるから、だから早く行って!ランス、この子は見逃してあげて!」

「姫様のお心のままに」

 シグマはノアをしっかりと抱いて一目散に部屋から飛び出していく。後ろを振り返らない潔さは貧困層で生きてきた者特有のものだ。少し寂しい気もしたが、そうでなくてはこれから生き残ることはできないだろう。

 シグマを一瞥したあと、にこりと私に笑って、何かを待つようにじっと私を見上げる。

 私もなんだろう、とじっとランスを見つめ……

 あ、と思い出してしまった。

 私が思い出したことにランスは気付いたようで、じぃっと期待に満ちた目で私を見上げる。

「……」

「……」

 い、今更再会の喜びをもう一度湧き起こさせるのは厳しい……!

 そう言えたらよかったのに、ランスのヘーゼルの瞳は私に言い訳を許さないかのようにひたりと向けられている。

 渋々目をつぶって自分の心に暗示をかけた。

 まだ私は助かってなくて、あの男の酔狂に付き合わされている。ああいやだ、同じ変態でもランスの方が幾分かマシな気がする。そう、マシなんだ、目を開けたらそのマシな変態の…いやこの際変態は考えない、マシなランスがいる!助けに来てくれたのだ、その胸に飛び込まなくてなんとする!

 哀れな羊の気持ちでオオカミに向かっていくのだ!!

 だいぶ失礼すぎる暗示だが、自分の貞操観念をどうにか納得させる言い分になった。

 ……いや、なってないけど、ここでランスの機嫌を損ねるとどうなるかわからないから無理矢理納得させる。

「ランス、助けに来てくれてありがとう」

 両手を広げてぎゅっとその顔を抱きしめると、最高に幸せそうなオーラを感じた。

 言葉に出さずにこれだけ幸せなんだな、と感じさせるランスに、正直申し訳なく思う。こんなに好かれているのに恐怖で避ける私が悪女のようだ。

 これから考え直そう……と反省していると、私の腕をそっと外してランスはゆっくりと立ち上がった。

「ランス……?」

 なんだろうと小首を傾げて見上げる。

「姫様、少しあちらを向いていてください。今から視界が穢れるかもしれませんので……」

「?うん」

 言われた通り後ろを向きかけて、はっと気付いた。

「ま、ままま待って!ランス、まさかここでその男を……」

「殺す気ですが?」

 にっこりと天使の微笑み…もとい悪魔の笑みを浮かべたランスの目は本気だった。まず間違いなく一ミリも迷いなく本気だ。

 惨劇をこの目でなくとも、音などで想像してしまうことを考慮に入れてくれないだろうか。

 ……くれないだろうな、ランスだし。

 むしろ入ってすぐ血祭りにしなかっただけ理性があるのだろう……たぶん。

「俺の姫様をさらったんですよ?一度や二度死んだくらいでは許せる気にもなりません」

 いや、人間一度死んだらそのままだから。二度目ないから。

 ちらりと見ればレインは鏡の陰で恐怖に固まっていた。

「な、なぜ……門番は、護衛のやつらは……」

 うん、そんなのランスにかかれば一撃だったと思うよ。この世に留まっていたらけっこうな奇跡だと思う。

 鏡は元のただの鏡になっていた。十年後という不思議な映像を見せてくれた鏡の魔法。できたらもう少し詳しく見ていたかったが、仕方ない。

「……ランス、今この場で殺してしまうよりも、ちゃんと罪を償わせてから死んでもらいたいな、私としては」

 私の言葉に固まるレイン。

 ……なぜ死刑宣告で頬を染められるのか、私に理解できるように説明してほしい。理解したくないけど。

「王女殿下の仰る通りだ。……ランス、レオヴィス殿下もいるというのに、一人で行くとは……」

 待ち望んだ声に開け放たれた扉を見ると、アーサーが氷のような微笑みを浮かべていた。

 ひぇ、アーサーが笑ってる!……ランス、御愁傷さま。きっと説教という名の体罰は長くなると思うよ。

 その微笑みの冷たさにこの後の地獄を見た。

 きっと長いぞ……夢に見るなんてレベルじゃないかもしれない。

 南無南無と心の中で手を合わせていると、その後ろからレオヴィスとリィヤが呆れた顔で現れる。そしてもう一人。

「……うん?」

 誰だろう……なんか、すごく軽そうな男だ……

 金髪というよりはクリーム色の髪、深紅の瞳に軽薄そうに浮かべる笑みは愛想笑いのように心がない。歳は十四、五歳と言ったところか。

 地味に見えつつも高そうな服を着ているので貴族だと思うが、貴族がなぜこんなところに来るのだろうか。誘拐事件の現場など、見て面白いものは何もないと思うのに。

 綺麗な深紅色の目だ、とまじまじと見てしまう。レオヴィスと並んでいるとどこか似通っている気がする。

 ……あれ、似通っているっていうか……似すぎじゃない?

 レオヴィスは冷めた顔が硬質そうなイメージで、反対にこちらは浮かべる笑みが軽すぎてレオヴィスと違った意味で思惑が読み取れない。顔立ちは似ていないのに、その赤い目と醸し出す両極端な近寄りがたさが類似している。

 ますます誰だ、と眉をひそめた。

 その視線に気づいたのか、レオヴィスがああ、と疲れをにじませたような声で彼を紹介する。


「これは第二王子のアレクスシスだ。……この騒ぎを聞きつけて無理矢理付いてきただけだから、あまり気にするな」


 気にするなと言われて気にならないほど軽い人物ではない人物の登場に、二の句が継げなかった。

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