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傾国の姫  作者: 安田鈴
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第四十八話

 出てすぐのところで待っていたシグマについていくと、そう歩かないうちに一つの部屋に辿り着いた。

「ここ?」

「そうだよ…です」

 人質はすぐ近くに置いておくってことか。子供が子供抱えて逃げれるわけもないだろうに、用心深い男ね。

 眉間にしわがよりそうになるのを防ぐために、別の話題へと変えた。

「この家、結構広いのね」

 最初にいた部屋からレインがいた部屋まで、遠いとは言えないまでも、それなりに歩いた。部屋数もかなりの数があるし、慣れなければ迷いそうだ。

 シグマはこくりと頷きながらも一つ訂正をする。

「家というか……地下だからだと思う…思います。ここは地下に造られてて、えっと、場所は言えないんだけど警邏が治安に手を焼いてる地域なんだ。だからこっそり好き放題に造ったみたい。あ、みたいです」

 何度も言いかえるシグマに、小さく苦笑した。

「主人の前ではしょうがないけど、私の前ならいつも通りの口調でいいよ。話がしにくいでしょ。いやなら無理強いはしないけど……」

 シグマは私の言葉にだいぶ躊躇った後、おずおずと頷く。

 身分というものをはっきりと感じる場面があるとすれば、こういう会話の時だ。口調一つで刑罰が下った、なんてよくある話らしい。馬鹿らしいとも思うが、権威を簡単に表せるのが言葉なのだそうだ。

 この世界は王侯貴族の権力が根付いている。民主化など考えたこともないのだろう。

 私には民主化を!なんて発起する余裕も暇もないから、いつか誰かがしてくれることを願うだけ。

 まあ、傾国の女になる運命だし、その誰かと知り合いになることはあるかもしれないな。面倒なことになりそうだから、そんな出会いは断固拒否したいけど。

 ふと視線を感じて腕の中を見ると、シーがじっとこちらを見上げていた。

 ん?

 ……あれ、まさか……?

 まるで私の考えを見通すような目にいやな予感が募る。焦り始めた私を見上げ、満足げに目を細めた。

 まさか……まさかそんな馬鹿な!私にはそんな人と知り合う予定なんてないのに!

 こいつの予告は残念ながら今まで外したことはない。だとすると、もうその予定は組まれている。いったい誰だ、そんな面倒なことを考える奴は!と絶叫したい気分に駆られた。

「……あの、ユリフィナ…様?」

 扉を開け、こちらを見ながら首を傾げているシグマの声に慌てて視線を戻した。

「あ、うん、ちょっと考え事。……そっか、地下か……だから窓がないのね」

 ぐるりと周りを見回して、ここにきてからずっとあった違和感の正体がつかめた。家ならばあって当たり前の窓がない。だから魔女の秘密の部屋のような印象がぬぐえなかったのだ。

 謎が解けた気分でもう一度シグマに視線を戻し、部屋へ入っていった。

「今は……あ、ちょうど起きてたみたいだ」

 部屋にはやはり所狭しと本が積み上げられ、大半が埃を被っている。せっかくの質のいい調度品も台無しだ。

 その部屋の中央に揺り籠のような小さなベッドが置かれていた。

 シーを床に下ろしながら覗きこむと、それなりに綺麗な服を着ていて、シーツもちゃんと洗い立ての物を使用されていた。おそらく自分が多少なりと触るからこうして綺麗にしたのだろう。

 そんなことを推測してまたもイライラする。これくらいの気をシグマにも遣えばいいものを。

 いやな男だ、と何度思ったかしれない印象を再認識し、こちらを不思議そうに見上げている赤ちゃんを見つめた。


 ……可愛い……すっっごい可愛い!


 シグマも汚れてさえいなければ整った顔立ちをしてそうだし、きっと踊り子だったという母親はかなりの美人だったのだろう。

 ぱっちりとした目は少し赤みを帯びたような黒目。薄く生えた髪も少し癖のある黒髪。これで目鼻立ちがはっきりしていなければ、元日本人として懐かしささえ感じられる。

 元々十二歳も離れた弟を可愛がっていた私にとって、子供は無条件に愛せる存在だ。どんなに小憎たらしいことを言われても、背伸びしちゃって、と微笑ましく思える。

 その子供がさらに可愛さまで備えたら、もはやそれは強力な武器だ。ノックアウトは当然だ。こちらの標準装備で赤ちゃん語が出るのは仕方ないと思う!

「可愛いね~!おめめパッチリでちね、私のこと気になる?気になる?ママ…じゃないな、お姉ちゃんでちよ~よろちくね~!」

 ヤバい、鼻血出そう。弟は当然のことながら男だった。男の子もやはり可愛いが、私としては妹を存分に飾りつけたりしたかった。

 妹を持つ友達は「妹なんて生意気だよー、弟の方がいいよ、絶対!」というが、その生意気さ加減も可愛いじゃないか。

 しばらく私をびっくりした顔で見ていた女の子は、次第に機嫌よく「あーうー」とおしゃべりを返してくれる。それにまた悶絶して同じように喋り返していると、何とも言えない表情でこちらを見ている視線に気づいた。


「……」

「……」


 重苦しい沈黙を打開すべく、私は乾いた笑いを浮かべる。

「……あ。あ、あは、あははは…か、可愛いね!」

「……赤ん坊が好きなの?」

 いたたまれなさにしどろもどろになっている私に、シグマは心底不思議そうな顔で聞く。

 そ、そんな純粋な目で見ないで……ますます自分のしてたことが恥ずかしい!

 別に赤ちゃんをあやすことくらい何でもないことだけど、赤ちゃん語を人前でするのはさすがに恥ずかしい。

 これが母親になったことがあればそんな恥などないのだろうが、私は前世でも母親という存在になったことはない。母親代わりなことはしていたけど。

「そう、ね。赤ちゃんは好きよ。可愛いでしょ、何もかもちっちゃくて」

 そっとベッドから抱き上げてみる。

 う、結構重い……五歳児にはつらかったわ……

 でも抱き上げてもらって嬉しいのか、女の子は満面の笑顔。思わずこちらも笑みがこぼれた。

「ホントに可愛い!御両親はきっと美男美女だったんでしょうね」

 何気なく言った言葉に、シグマはふと表情を曇らせる。

「……妹の…ノアの父親は、わからないんだ」

「え……」

「オレの父さんは母さんの幼馴染で、でもオレが三歳の時に病気で死んじゃった。もうあんまりよく覚えてないけど、優しい人だったと思う。でも……ノアの父親のことは、母さんは死ぬまで言わなかった。母さんは『誰が父親だと名乗ってきても信用するな、ノアの父親は二度と私達の前には現れない』そう言ってたから」

 悲しげにうつむく。

 私は「そう……」と相槌を打ち、沸き起こった疑問に頭がいっぱいだった。

 ノアの父親は二度と現れない?

 なんだか意味深な言葉だ。まるで簡単には会えない人のようではないか。

 それともノアの父親もまた死んだという意味なのだろうか?

 いや、でも、シグマは自分の父親は死んだということを理解している。母親が子供に心的負担をかけないように、父親が死んだことを誤魔化した言葉という風には考えにくい。

 だとしたら、やはり会えない人、というのが最有力なところだろうか。

 会えない人。もしくは……会ってはいけない人。

 罪人などでなければ……どこかの貴族の落とし胤なのかもしれない。

 踊り子だったという母親が一夜の相手をしたのかもしれない、と自分の腕の中の小さな赤ちゃんを見つめてやり切れない思いで溜め息を吐いた。

 シグマが母親が死んで途方に暮れている、という話をした時、父親の存在が出なかったのは、単にシングルマザーだったのではなくこういうことだったのか。

 それならばノアの父親が名乗り出てくるはずもないし、母親の言葉にも頷ける。

「……ねぇ、シグマ。ノアはお母様に似ている?」

「え?うん……似てると思う。母さんは南の国の出身らしくて、髪と目は黒で肌の色は濃かった。オレはこの通り黒髪に目は黒に近いブラウンだし、肌の色も黒っぽい。妹も黒髪に黒い目だし、肌の色はオレと比べたら白っぽいけどユリフィナ様ほどじゃない。ノアの父親がどんな人なのかは知らないけど、ほとんどの特徴は母さんにそっくりだよ」

 ただ……と言葉を濁す。

「なんか、ノアの目が赤っぽく見える時もあるんだ。たぶん、それがノアの父親に似てるんじゃないかな」

「そう……。うん、でもそれだけなら平気か」

 呟くとシグマは首を傾げている。

 理由を説明するのは躊躇われ、緩く首を振った。

「何でもないの。それで、シグマはここから出れたらどうするか、考えた?」

 ゆっくり考える時間はないだろう。いくら魔力の糸が切れたとはいえ、レオヴィスは私がいる場所をすでにおおよそ把握している可能性が高い。

 聞いても何もしてあげられないことの方が多いが、それでも聞いてあげたいと思った。自分より妹を、と訴える姿に好感が持てたからだ。

「オレは……今まで通りの生活がしたい」

 迷いながら、平凡な生活を望むその心が切なかった。

「今まで通りって言うと、女将さんっていう人のところで働く生活?でも……」

「うん。わかってるんだ。きっとそんなのもう無理で、この町からは出て行かないとまずいってこと。どんなに利用されたんだって言っても、オレみたいなのに味方してくれる人なんていない。……この町から、出なきゃ」

 悲壮な顔で、諦めたように笑う。

 上手い慰めの言葉も思いつかない私に、シグマは独白のような話を続けた。

「オレは何もしてない。ただ妹が欲しいと言われて、それだけはできないから他のことを手伝うと言っただけなのに。どうしてオレが出てかなきゃいけないのかな?」

「シグマ……」

「ユリフィナ様を責めるつもりはないよ。無理矢理連れ去られてきた人だもん。責めたってしょうがない。だけど……どうしてオレはこんな生まれなんだろうって」

 貧困層にさえ生まれなければ。せめてもう少し人並みに暮らせる生まれであったなら、こんなことにはならなかったのに。

 そんな恨みさえこめた声が聞こえた気がした。

「……シグマ。あのね、こんなこと言っても無駄に期待させちゃうだけかもしれないけど……」

 迷って、それでも少しでもシグマの気持ちが明日に向かえばいいと思いながら口にする。

「お母様、南の国の方って言ってたよね?この大陸の南に小さな国があるの。その国もこの国の属国の一つなんだけど、他とはちょっと違うところがあるの。その国はね、王制…王族や貴族が政治を行うんじゃなく、民衆から選ばれた人が政治を行うんだって」

「……民衆から……?」

「そう。私としてはもう少し改良の余地があると思うし、結局属国だからこの国の方針と違うことはできないんだけど、それでも民が政治に関われるの。すごいと思わない?」

 私の言葉にシグマが目をパチパチと瞬く。

 きっと想像もできないことなんだろう。意味もよくわかっていなさそうだった。

「民が政治に関われるってことは、本当に民のためになる政治ができるってことだよ。身分もなくて、たぶん明日の食べ物に困るような生活をする人も少ない、そんな国。すごいでしょ?」

「……」

 呆然としていたシグマも、じわじわと私の話が理解できるようになってきたらしい。

 本当は、民主化された国ではあるけど、僅かながらに身分は残っている。貧困層もないとは言えないが、シグマに希望を持ってほしかった。

「……そんな国が、ホントに?」

「うん。…といっても、私はそう教えてもらっただけだから本当のところはわからないけど」

「そうなんだ……そんな国が、あるんだ」

 正直に告白しても、シグマはどこか夢見心地で期待を萎ませはしなかった。

 いつか、と夢見てくれたらいい。それがこの人生で叶わなくとも、自分の子や孫がそんな世界に生まれるかもしれないと思ってくれたら、私はそれで充分じゃないかと思う。

 そっと小さく笑って、腕の中の赤ちゃんに視線を落とす。

 あどけない顔で笑う赤ちゃんは、希望や未来がたくさん詰まっているかのようだった。

「……オレ、その国に行ってみたいな」

「うん?……南の国に?」

「行って、見てみたい。オレ達みたいなのが夢見れる国っていうのを」

 子供が夢を見たいと、諦めたような顔で言うなんて。

 なんだか胸が苦しくなった。

「……そっか。それなら、この町から出て、お金を貯めながら旅していくのもいいかもしれないね」

「お金か……」

 私の言葉にはっと我に返ってしまった。

 夢を見過ぎるのもいけないが、シグマに関してはもっと夢を見てほしかったのに。

 水を差した自分を呪いたくなった。

「あ、あーと、……そうだ!旅をするなら字も書けるようになるといいよ。ここから逃げ出す時に一冊か二冊くらい懐に入れちゃいなよ」

 民の模範となるべき王族の言葉ではないが、いいアイディアだと思った。

 周りを見回し、赤ちゃんをベッドに戻すと埃をかぶった本を数冊手に取る。

「えーと…『古代魔法の発見と魅力について』?これはダメだ。こっちは…『すぐに使えるマナー』…まあ、いいかも?えっと、これは『魔王はいるか』……いないよ。ダメ。『楽しくわかる世界史』これはいいね!」

 なんだかすごくぐちゃぐちゃな分類の本達だ。

 あの男は綺麗に片づけるというセンスもないらしい。救いようがないな、と呆れながらも三冊ほど選り分けた。

「一つは子供が初めに読むような童話。旅をするならやっぱり世界のことは知らないといけないから、世界の歴史について簡単に書いてある本と、接客業してたなら要らないと思うけど、一応は身に付けておくと便利なマナーの本。少しでも身分が上の人は、気にするからね」

「マナー……」

「身につけて損はないと思うよ。知識は、あればあっただけ自分を助けてくれるものだから」

 ありすぎても危険だが、よほどの研究者にでもならない限りそんなことはないだろう。

 あまり乗り気ではなさそうなシグマに、はい、とその三冊を渡す。

「でも……オレ、読めない」

「世の中子供には甘い人もいるんだよ。子供の向学心に感心してくれる人もね。……だけど、そんな人を見分けるコツは自分で見つけなきゃいけない。よく観察して、いろんな人に話しかけてみて。それも貴方の糧になる」

 人との付き合い方は人それぞれだ。経験がものを言うこともある。時には騙されたりすることもあるけど、それが人生経験になるのだ。痛みは少ないに越したことはないが、痛みを知らない人間は人として大切なことも知らない。

 シグマがどんな人生を歩むのかはわからないが、周りの人間に愛される人にはなってほしい。

 ほんの少し彼の人生に関われた者として、そう願う。

「逃げる準備はしておいて。……残念だけど、私はシグマがこの町を出るまでの手助けはしてあげられないから」

 せいぜいがここから逃げるのを見逃してくれ、とレオヴィスに縋ることくらいだ。

 それと、と自分の小指にはめられた細い指輪を抜いた。

 小さな緑の輝石が一つあるだけの、ごくシンプルな指輪だ。五歳の子供の小指にはまる指輪は、玩具のように小さい。

「この首都から出る時にお金が必要だったらこれを売って。売る場所や人もよく選んで。こんなに小さくても、しばらく食べていけるお金にはなるはずだから」

 成人するまでは首から上に装飾品の類は付けられないが、腕や指には一つずつ付けてもいいことになっている。腕にはランスが買ってくれたブレスレットがあり、この指輪はアーサーが目をかけている宝石商が持ってきたものだ。

 シグマは手に持たされた小さな指輪と私の顔を、困惑しきった顔で交互に見る。

「私にできるのはもうこれくらいしかないの。私はこの国ではそんなに力がないから。シグマを絶対に助けてあげるとは言えないの。ごめんね、こんな…中途半端で」

 指輪を持たせたシグマの手をぎゅっと握り、悔しさにうつむいた。

 シグマの困惑する気配が強くなる。困ったようにもう一つの手を私の肩にかけようとして、躊躇い、おそるおそるポンポンと叩いてくれる。

 それがまた無性に自分の情けなさに追い打ちをかける。

 涙は出なかった。そんなことをしたら、この優しい少年がもっと困ると思ったから。

 しばらくして手を離し、泣き笑いのような顔でシグマに微笑んだ。

「ありがとう。……部屋に案内してくれる?シグマはお風呂に入ってこなくちゃいけないし」

「うん……」

 シグマは魂が抜かれたような顔でからくり人形のように頷き、指輪を握りしめたままぎくしゃくと足を扉へと向けた。

 ノアは抱き上げてほしそうにしていたが、その小さな手を握り、またね、と声をかける。


 後であの男にノアを私の部屋に持ってきていいか聞いてみよう。こんなところで一人でいるなんて、可哀想すぎる。


 扉のところでまだ半分視線がさまよっているシグマに首を傾げつつ、部屋を出た。

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