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傾国の姫  作者: 安田鈴
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第四十三話

 私がそれに気づいたのは、シーナとの会話に疲れお茶にしようと侍女を呼ぼうとした時だった。

 不意に、ゆらり…と奇妙に部屋が歪んだ気がしたのだ。

「あれ……?」

 貧血の時の目眩にも似ていたが、偏った食事を摂った覚えも無理なダイエットで食事制限をした覚えもない。毒を仕込まれる危険はあっても、今の生活で貧血になる理由など一つも見当たらなかった。

 なら、なんだろう?

 見間違いか気のせいかと首を傾げ、手に持った呼び鈴を鳴らす。

 ……来ない。

「おかしいな……何か用事が出来たのかな?」

 だが、彼女たちは私の世話をするのが仕事だ。

 一人が席を外したとしても、全員がいなくなるということはない。

 迷惑極まりないアレのことでレオヴィスに呼ばれたのかな?

 散々送りつけられ、今もドアの傍にあるランプシェード。煌々とガラス細工を煌めかせるその光源のことを思い出すと、全身に震えが走った。

 そうだ、お茶を用意してもらうついでにあれを外に出してもらおう。

 でも女の人だし、可哀想だから男の人がいいか……騎士の人、外にいるかな?

 考えながら、ランプシェードを気にしつつそっとドアを開けてみる。

 ……ん?

 …………あれ?

 ………………おやぁ?


「ここ……どこ?」


 ドアの外は、私が確かに昨日見て通ったはずの廊下が消え、見知らぬ部屋へと続いていた。

 壁の棚を埋め尽くし、床さえも占領せんばかりの本。

 古い本特有のほこり臭さやインクや墨の匂い。

 棚などをよく見ればしっかりとしたつくりで、精緻な彫刻や飾りがその価値を示しているにもかかわらず、積み上げられた本やどこか陰気臭く暗い部屋が全てを台無しにしている。

 そう、この部屋を一言で言うなら。

「なんか……怪しい実験室みたい」

 魔女の秘密の部屋のような、闇の気配がぷんぷん漂っていた。

 ここはどこ。

 ドアを開けたまま、ただただ呆然と見知らぬ部屋を見つめる。

 背後で上がった笑い声に、頭の血管が切れそうだった。




「っ!?」

「……レオヴィス様?」

 ばっ、と顔を上げ信じがたいといった険しい顔で壁を見つめる主に、リィヤは戸惑い、そしてすぐに何かを察したように足早に部屋を出て行く。

 一連の動きを困惑しながら見ていたアーサーが躊躇いがちに声をかけた。

「……あの、何があったんですか?」

 スリファイナでは身分の低い者が高い者へ声をかけることは不敬だとされる。規律正しい性格のアーサーがあえてそれを破ったのは、ひとえにレオヴィスが見つめる壁の先がユリフィナの部屋だったからだ。

 不安は的中してほしくない時にこそ的中する。

 持論としてそう考えているアーサーにとって、すでに何かが起こってしまったのだと嫌な予感を覚悟した。

「……ユリフィナが……」

「大変です!ユリフィナ様がいません!」

 レオヴィスの言葉を付け足すように、部屋に戻ってきたリィヤが青い顔でそれを告げる。

 ひゅっ、と自分の喉が小さく音を立てたのを、アーサーは他人事のように感じた。

 いない……いない?

 また抜け出した?

 そんなまさか。先ほどランスは別室へ連れて行かれた。協力者がいないのに、五歳のユリフィナに抜け出す技術もそんな勇気があるとも思えない。

 ただ部屋から出ただけなら、ドアの傍で護衛していた騎士が見ていないはずもない。

 ならば……本当に?

「いや、それどころかこの宮……王宮内にもいそうにないな……まずい」

 苦々しい顔で首を振るレオヴィスは、自分の胸元を見下ろしている。アーサーやリィヤには見えないが、魔力があればそこから蜘蛛の糸のように細い光が伸びているのが見えただろう。

 その光はまっすぐに窓の外に伸び、眼下に広がる丘の下……首都の町へと消えていた。

 レオヴィスの視線を追い、それを察したアーサーが呆然と呟く。

 なぜ。

 アーサーの頭に巡ったのは、その一言だけだった。

「……どうやって……ここは、レオヴィス様の宮でしょう?私にはわかりませんが、魔法で何重にも結界が張り巡らされているのですよね?なおかつ、王宮の結界を通り抜けてしまったとでも?そんなばかな」

 ありえない。そんなことができるわけがない。

 いくら魔力が高いとはいえ、ユリフィナ自身にもそんなことは不可能だ。

 魔道を習っていない彼女には結界を破る方法がないし、ましてやレオヴィスの様子からして一瞬のことだった。

 彼女自身がそれをやったのではなかったとしても、一瞬で人一人を遠くへ飛ばす魔法など、そうやすやすと使えるものなのだろうか?しかも何重もの結界を突き抜けて。

 魔力などないし、ユリフィナに付くことになってから勉強し始めた浅い知識だが、それでもこれが異常な事態だとわかる。

 レオヴィスはわからない、と首を振り険しい顔のままドアへ向かう。

「どうやったかはこの際後回しでいい、すぐにでもユリフィナを探す!」

「お待ちください、それも重要ですが、まずは王宮と王城の結界の強化を魔法省に通達しなければ」

「ああそうか、そうだな、やつらを今すぐ登城させろ。俺達も王城へ急ぐぞ。……くそっ!こんな時に魔力がある協力者が近くにいないとは……」

 リィヤもアーサーも、そしてランスも魔力がない。

 一人でも信頼できる魔力のある者がいれば、自分の胸から伸びている光を追わせられるのに。

 彼女の周りには、魔力という点においても極端な者が集まっている。完全にないか、高すぎるほどあるか。彼女の魔力と運命を思えば、そのどちらかでなければならなかったのかもしれない。

 運命……

「……シーナ……シーナはどこに?」

「シーナもおりません。……一緒に連れ去られたか、独自に動いているのか……もしくは」

 リィヤが優しげな美貌に似つかわしくないほど冷たい顔で言葉を区切る。

 後の言葉は言わずともレオヴィスにはわかったようだった。

「それはない、と思うがな。……どんな理由があるのかはわからないが、ヤツの目的は決まっている。ユリフィナを傾国の姫にすること、死なせはせずにその人生を傍観し、最期に命を刈り取ること。なぜそんなことをするのか、皆目意図がつかめない男だが、ユリフィナの生死にかかわらない限りは決して手出しはしないことも確かだ。本当に、ただすぐ近くで傍観しているだけ……彼女の意思を操作しようとしたことも見受けられない」

「ですが、意図がつかめないと言うだけでも危険な人物です。ヤツが動くだけで、こちらは振り回されるしかないのですから」

 リィヤの意見に苦笑しながらも同意した。

 確かに、シーナが動くだけで事態は思いもよらないところへ行こうとする。

 死神という特性上、人の生死が動く時に最も活動するようにも見える。レオヴィスは、普段、彼が猫の姿のままユリフィナの膝で寝ていることが多いのは、その時に何も起こらないからではないかと推測していた。

 それだけにその動向を注視していれば、ある程度の未来が予測できる。

 今回彼がどう動いていたか。贈り物騒ぎを見て朝から笑っていた、とアーサーは言っていた。

 特に発言した内容もないし、楽しげにニヤニヤとユリフィナをからかっていたようだ。

 なら、今回大きく人の生死が関わることはないのか?

 考えつつ、楽観はできないと戒め部屋のドアに手をかけようとした時。

 バンッ!

 盛大な音を立ててドアが外側から開け放たれた。

「アーサー!!姫様はどこだ!!」

 血走った目を部屋の隅から隅まで見まわした後、まるで悪鬼のごとくこちらを見た姿にレオヴィスは珍しく自分が激しく動揺していることに気が付いた。

 心臓が早鐘を打ち、知らず下がった足は少しでも彼から離れようとしているかのようだ。

 そうだ……久しく感じていなかったこの感情。

 これはもしかして、恐怖、というものではないだろうか。

 まだ九歳という若輩者という自覚はあるが、それでもその辺の大人よりは事が起こっても冷静に対処できる自信があった。

 心身ともに鍛え上げたつもりだ。少なくとも、目の前の青年よりはよほど感情をコントロールできる。

 それなのに、今、自分はその青年に恐怖を感じた。

 ……鬼気迫る、とはまさにこのことだろうな。

 激しい動悸を感じながら、レオヴィスは頭の隅で半ば呆然としながらそんなことを考えていた。

 そんなレオヴィスには気付かずに、青年…ランスは掴みかからんばかりにアーサーに詰め寄る。

「姫様はどこだ!隠すと碌なことにならないぞ!!」

「……そうだな、もう碌なことにはなっていないようだな。この……馬鹿が!!」

 ガツン!

 かなり痛い…いや、死んでもおかしくない音が部屋に響き渡る。

「とっさに致命傷を避けるのはさすがの身体能力だ。お前にはほとほと感心させられる。王女殿下がいないことをどうして知った?動物的勘か?お前らしいな、その勘を存分に発揮して未然に防いでほしかったものだ」

 頭を抱え、身もだえるランスを見下ろしてアーサーが冷たく言い放つ。

 口角だけ上げて笑みを作っているが、それが彼の怒りの深さを表していた。

「……んなこと言ったって……あの嫌がらせにぶっつりキレちまったもんはしょうがないだろ?お前だってそうじゃねぇか」

「ああそうだな、私もその点では同罪だろう。だが、お前は警護の従者としての意味合いが強いことは自覚しているな?ならばどんなに腹が立つことがあっても、王女殿下の御傍を離れるような事態になることは避けろ。それができなければ無能だと言われても仕方ないと思え」

「……わかったよ。で、姫様はどこだ?ここにはいないんだろ?」

 渋々といった様子で頷くランスを一睨みし、アーサーは一つ息を吐いてからレオヴィスに向き直った。

「……愚弟が無作法な真似を致しましたことをお許しください。そして分を弁えないこととは思いますが、一つお伺いいたしてもよろしいでしょうか」

 完璧なユーリトリア式の敬礼に内心驚きながら、レオヴィスはその先を促した。

 許可されたことに礼の言葉を尽くし、アーサーは顔を上げる。

「王女殿下はここにはいらっしゃらないと仰っていましたが、おおよその場所はわかるのでしょうか」

「ああ、だいたいはな。首都の、…この位置ならおそらく三番街と五番街の境目といったところだろう。……あまり治安のよくない場所だ」

「それだけわかれば、王女殿下のことはこのランスに任せてしまった方が早いかもしれません。ご存知の通り腕は相当なものです。キールでの失態から、ある程度の耐魔法道具を身に付けさせました。それに加えて、コレは不思議なほど勘が鋭く探し物や探し人には困りません」

 なんという超人なんだろうか。

 レオヴィスは淡々と告げられた内容に、呆気にとられる思いだった。

 身体能力は人並み外れ、体は不気味なくらい頑丈で、傷の再生は人の許容範囲ギリギリで速い。魔力はないが、それだけに魔法に左右されることがほとんどない。特殊な魔法…キールでかけられた即死魔法などといったものならある程度効くが、それを道具で防いでしまわれるとほぼ身体異常の魔法に関して無敵と言っていい。

 さらに勘まで鋭いとなったら、いったい彼を殺せる術はなんだろうかと思う。

 並大抵の人数で囲んでも勝ってしまいそうな身体能力、魔法使いとも五分以上の戦いができ、暗殺も無理とくれば他に何が。

 まさに超人。その一言しか彼を言い表せないと思う。

 そんなランスを従者として傍におけるユリフィナを羨ましいと思い……すぐに首を振った。

 いや、羨ましくはないな。強いという点ではこれ以上ないが、その他がごっそり欠落してる従者なんて面倒なだけだ。

 冷静に分析できた自分が、ようやくランスの登場から今までしっ放しだった動揺を抑え込めた事に気づく。

 ふぅ、と小さく息を吐いていつもの冷めた顔に戻る。

「そうだな、それならランスに任せよう。だが、魔法に関しては不安なところもある。私が信用できる魔法使いを一人呼びよせるから、そいつと一緒に行くといい」

「ありがとうございます。……ランス、わかったな?」

「了解」

 ぶすっとした顔で頷くランスに眉根を寄せながら、大きくため息を吐くアーサー。

 本当に、こうまで性格から動作が違うと、同じ顔だというのによく似た兄弟としか思えない。

 ユリフィナが道中感心していたように、レオヴィスも内心苦笑しながらそう思う。

 部屋を出て足早に廊下を突き進みながら、ふとよぎった懸念に顔をしかめた。

「……魔法省のやつらにしてみれば、このまま失踪したことになってほしいんだろうな」

 レオヴィスの言葉にアーサーがぴくりと肩を震わせる。

「……そこまでするものですか?ユリフィナ王女は、正式にスリファイナから留学という形で手続きを取っているはずです。ユーリトリア国王陛下も御承知したお話ではないですか」

 アーサーの眉根を寄せた顔に小さく苦笑した。

 確かにそうだ。普通ここで失踪したということになれば、ユーリトリアの責任問題になる。どれだけの不測事態が起こったとしても、警備に不足があったということになるからだ。

 例え彼女自身の意思と力で消えたのだとしても、それを防げなかった落ち度はこちらにある。

 スリファイナも愚かな国ではない。誰もが仕方ないと思う理由があったとしても、国としてそれを認めないだろう。認めれば、国民は王族に不審を抱く。そしてなぜ大事な王女を留学させたのかと糾弾されかねなくなる。

 王族をいまだに深く神聖視している国民もいるのだ、厄介では済まされない事態が両国に起こるだろう。

 だが、そんな外交の話など奴らは毛ほども気にしない。

 むしろスリファイナ国内が混乱するのだから交渉が簡単になるだろう感謝してもらいたい、くらい言ってきてもおかしくない。

 それを言う馬鹿どもの姿まで見えるかのようだった。

「感謝などできるか」

 思わず吐き捨て、アーサーに怪訝な顔をされる。

「……ああ、なんでもない。こちらの話だ。……そこまでするか、という話だったな。するだろうな、奴らなら。魔法しか興味がない、気が遠くなるほど愚かな頭の集団だからな」

 まったく、今スリファイナにほんの少しでも付け入る隙を与えるわけにはいかないというのに、そんな事情などまるでわかっていないアホどもの相手をしないといけないとは。

 スリファイナ国内が荒れる前に、ユーリトリア国内が荒れることになるのがなぜわからないのか。

 そもそも、今のユリフィナから目を離すのはこれ以上ないくらい危険なのだ。彼女は魔力の連結をしているだけで、封印はしていない。連結は離れれば離れるほど効力が薄まる。

 これがどれだけ危険なことなのか、なぜ理解できない。

 下手をすれば首都が壊滅する。上手く抑え込めたとして、傍にいる自分たちこそ町一つを巻き込んだ魔力の暴走に巻き込まれるのだと……なぜわからないのだろうか?

 考えても、やはりレオヴィスには魔法省は理解不能な集団だとしか思えなかった。

 ため息が漏れる。

 気が重かった。これからそんな連中と会話をしなければならないことに、頭痛さえ覚える。

 この際小規模の暴走を起こして、面倒な奴らを減らしてくれたら楽になるな。

 ユリフィナが聞いたら目を剥きそうな呟きを心の中でこぼし、足早に首都にある王城へ向かうべく用意された馬車に乗った。

 胸から伸びる光は、いまだに細いまま丘の下の首都に続いていた。

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