第三十七話
大まかに私が気絶していた間に起こったことを説明され、シーナが白猫になった理由にも納得した。
……これで二度、私の可愛がっていた黒猫が死ぬと言う不名誉が与えられたことなんて、全然気にしてないですよ。黒猫が死ぬなんて不吉すぎやしないか、それが二度続くってどうなの、絶対これを知ってる人は私のことを不吉な女だと思うわ、なんて思ってない。全然思ってないよ、うん。
シーナは自分の黒髪に対する美にはこだわりがあったらしく、白猫になることに大変ご立腹だった。
始終不機嫌そうに尻尾を振り回し、撫でることも抱き上げることすら許してくれなかった。これは八つ当たりだ。私がやったんじゃないのに。
船がユーリトリアに着けば、そのどさくさに紛れていなくなった、ということにして、また再び黒猫としてやってくるそうだ。そこまでして黒がいいのか、正直、黒でも白でも同じ美猫なんだからいいじゃないと思ったことは賢明にも口にしなかった。……自己防衛反応が働いたのよ、言ったら恐ろしいことが起こるって。
そしてアーサーは、一通りのその説明が終わると同時に、私ににこりと微笑んで怒涛のように説教を始めた。
……悪夢として夢にまで見るほど長く、精神を深く鋭くピンポイントにえぐる辛い時間として私の記憶に刻まれた。
二度とお忍びなんて馬鹿げた真似をしない、という誓いを立て、ようやく解放された時には船はユーリトリアに着いていた。
前世を含めて、人生初の船旅は寝て起きてドッキリをされて説教で終わるという、ある意味思い出に残る旅だったと言えよう。……もう一度味わいたいかと聞かれれば、即座に首を振るけれど。
そうしてその後は取り立てて何もなく、一行はユーリトリアの首都、世界に冠たる都エミリアに着いた。
「うわぁ……綺麗ね!」
「まあ、各国の寄せ集めのような街並みではあるがな。不思議と調和するから、この都に人が集まるんだろう」
レオヴィスは皮肉げに言うが、人が集まらない都ほど寂しいものはない。
人が集まるからこそ多くの知識や知恵がそこかしこに散りばめられ、また都を盛り立て大きくしていく。求心力のない場所など、どんなに工夫を凝らそうとただ廃れていくだけなのだ。
首都エミリア。昔丘の上に広がっていた元王都エミュレリアの裾野から大きくなり、やがて行政や立法、司法機関や各研究機関などが集まり、およそ250年前首都となった。
王都だった丘の上には宮殿とそれに付随する建物が残っているが、今は丘全体が王族の所有地となっていて許可なく入ることはできない。
謁見などは首都に建てた城があり、そこでするのだという。
そう説明してくれたレオヴィスは、エミリアに近づいてから少しピリピリしている。これまでは時折見せてくれた笑顔もなくなり、私にも必要最低限でしか近寄らなくなった。
初めは嫌われたのかと戸惑ったが、そうではないんです、とリィヤが力説していったお陰で落ち込まずに済んだわけなのだが……
なんでも私の暴走の原因を招いた男たちはレオヴィスを狙っていた可能性があるらしく、私はそれに巻き込まれた形で襲われたようだ。どこかで私とレオヴィスの会話する姿でも見て、使えると思われたのだろうと。
なので人目のある場所や自分の領地以外で親しげにするのはできるだけ避け、私を巻き込まないようにしてくれているらしい。
ちょっと前の私ならばなんていい人!大好き!!と思っていただろう。……裏があると知った今は、さすがに大好きとまではいかない。頼むから気が変わらないでくれと思う。
そうして、エミリアに入った私とレオヴィスは同じ馬車に乗っている。
どうしてだ、さっき言ったことと違うじゃないかとお思いの諸君、私もそうだ。
しかしピリピリしているせいか、冷めた顔がさらに冷たく感じられる今のレオヴィスに気軽に話しかけられる人がいるなら、そいつはきっと空気が読めないか、あえて読まずに我が道を行く奴だ。
私は残念ながらそこまでの境地には至っていない。
ああ、残念だ。そんな境地に至っていたならもう少しシーナにも反抗できたものを。
聞くに聞けないこの状況から目をそらすために、私は窓の外に目を向けるしかなかった。
意気地なしと罵るならば罵れ、私はこんなドでかい運命を背負わされてなお、小心者であることを卒業した覚えはないのよ。
できるもんならしたいけどね!いちいち悩まず突き進んで「あーやっちったー。てへっ。さっ、次いこー!」なんて言ってみたいよ。遠い夢だけど。
ふぅ、と小さく息を吐いて、窓の外から自分の膝に視線を移した。
……今日も今日とて麗しい黒猫様が鎮座していらっしゃる。
ハハハ、私の傍にまた黒猫が現れたことについて、スリファイナから一緒に来ていた騎士や他の使節団の人達の目がどれほど痛かったか。
また黒猫!?なんてものじゃない。大丈夫かこの姫は、って顔をしてたわ。あからさまに。
優雅に眠る黒猫。
撫でれば、特上の毛並みが私の節くれだった心を癒す。……くっ、これさえなければ野良猫よと追い立てるのに!!
複雑な気分でしばらく撫でていると、レオヴィスが私を呼んだ。
「ユリフィナ、あれが宮殿だ」
「え……?」
レオヴィスの指す方へ目を向け、視界に入った建物に唖然とする。
時刻は人々の仕事も終わる夕刻。赤く染まり始めた街並みと空。その合間に、夕日にさらされ赤く燃え上がるような色で圧倒する、豪華絢爛なお城がそびえ立っていた。
丘の上ということもあり、まるで街を睥睨するかのようだ。そしてそれが嫌味なく当然のようにも思える豪然さ。
大きい、とかそんなありきたりな感想では収められない迫力のあるお城だった。
「今日は宮殿で謁見する。普通は王族の仕事場でもある王城でするのだが、王の意向でこちらになった。なんの偶然か、自分の領地にいるはずの第二王子まで来ているらしいから、どこかですれ違うこともあるかもしれない。一応、気を付けた方がいい」
「気を付けるって……作法を?」
首を傾げる私にレオヴィスは小さく息を吐いた。
「……第二王子は……そうだな、何と言ったらいいか……。顔は母親に似て、甘い顔立ちの美形と呼んで差支えない。口もダンスも上手い、一般的に見て男の敵の色男だ。だが、とても気が多い、というか……熱しやすく冷めやすい、というか」
ああ……なるほど、惚れっぽいんだ。そしてすぐに飽きちゃう、と。
最悪の男だな。近づいたら女として身の破滅だ。
しかし私一国の王女だよ?さすがに手は出しにくいんじゃないかなぁ……五歳だし。
私のそんな考えはお見通しなのか、一つ頷いて溜め息をついた。
「まあ、普通の男なら五歳の、しかも一国の王女に手を出すなんて馬鹿な真似はしない。俺もそうだと思いたい。だが……限りなく真実に近い噂によると、十二歳の隣国の第三王女に甘い言葉を囁いたとかなんとか……」
「…………」
「実際には何もなかったんだと双方言うが、そんな言葉を囁いた時点でどうかと俺は思うし、まさかとも思うが、未婚の女は口説くのが当たり前だと考えてるんじゃないかと窺える節も多々あってな」
「………………………」
「ここまで言えば分かると思うが、未婚の娘を持つ親の敵そのものの男なんだ」
うん。
ぜっっっっっっったいに、近寄りたくない。
私の固い決意がにじみ出ていたのか、レオヴィスはほっと安心したように口元を緩めた。
「……さすがに、将来婚約者として父に紹介したい女性を、兄に口説かれるのは俺も嫌だ。なるべく鉢合わせしないようにするが、もし会ったとしたら距離に注意してくれ」
「距離?」
「さりげなく距離を詰めるのが、もう異常としか思えないくらい上手いんだ。神業かと感心してしまうくらいにな。そうだな……宮殿の中ではアーサーかランスを前にして、人見知りの王女を装ってくれ。そうすればばったり会ったとしても、距離を詰め寄られることはない」
「それはかまわないけど……失礼にならないかな?主国の王子に挨拶もきちんとできない王女、なんて思われたら……」
「大丈夫だ」
きっぱりと断言された。
「本人はそんなことを気にする類の人間ではないし、周りは逆に一刻も早くお前を引き離したがるだろう。これ以上外交問題になりそうなことをしてほしくないからな」
それって……そんなことがあったってことよね?
しかも一度なんかじゃないくらい。
ある意味、すごいわ。見てみたい気もするよ、そんな問題児。
「まったく……決まった婚約者もいない、いつまでも間違った王族の見本のような真似をして。俺が王ならとっくに王子の身分を剥奪して放り出している」
ぶつぶつと苦りきった顔で呟く。
身分を剥奪するほどの悪行ではないような……いや、外交問題にもなればそうかもしれないけど。
どうやらレオヴィスは第二王子のことがあまり好きではないようだ。
私も今のところ好きになれる要素はないな、と見たこともない第二王子を思う。これで実際会ったら全然そんなことなくて、すごくいい人だった、なんてギャップでもあればいいかもしれないが、レオヴィスがこうまで言うのだ。おそらく、ろくなものではないことは確かだろう。
ふぅ、と溜め息を吐く。
視線をレオヴィスから窓の外の宮殿へ、そして自分の膝に移す。
シーはいつの間に起きたのか、私の顔を見上げてニヤリと笑った。
……嫌な予感がするのは、私だけでしょうか。
真っ赤に夕日に染まった宮殿は、私を何かに巻き込もうと待ち構えているようにすら見えた。




