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傾国の姫  作者: 安田鈴
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第三十六話

 ふと、体を優しく揺らされているような、心地よさとほんの少しの目眩にも似た感覚で目が覚めた。

 ぼんやりと見上げた天蓋から涼やかな薄い青のベールが自分を囲っている。

 就寝用の分厚いベールは開けられていたので、もう起きる時間は過ぎているのだろう。滑らかな肌触りのシーツやちょうどいい温かさの布団が起きることを鈍らせるが、あまり侍女たちを困らせてはいけないと体を起こした。

 そして首を傾げる。

「……あれ?」

 おかしい。宿の寝室の内装はこんなだっただろうか。

 それになんだか……揺れているような気がする。二日酔い?いや、お酒を飲んだ記憶はないし、自分だけが揺れているというよりも、この部屋全体が揺れているような……

 ……まさか。

 まさかまさか。まさか!

 思い当った理由にばっと布団から飛び出して、寝ていた格好のまま寝室のドアを勢いよく開ける。

「シーナ!」

 自分に起こる出来事の全てを知っている者の名を叫びながら部屋を見渡し……

 パタン

 ドアを閉めた。

 ……あれ?

 おかしいな、ここ私の部屋だよね?おかしいよね……どうして部屋着で寛ぐレオヴィス様がいらっしゃるのかしら?

 ひょっとして話があって来てたのかな?

 それなら悪いことした……

 とドアをもう一度開けようとして、やはり閉める。

 いやいや、用事があって私の部屋に来たなら、せめてもう少し出歩くような服に着替えてくるはず。

 レオヴィスだって王族だ、誰かしらの目がある外に出るのなら着替えるのは当然だと知っているだろうし、そもそも傍の者が主を部屋着で出すわけがない。

 あれ……私の部屋だと思ってたけど……まさか違うの?

 でも違う部屋に寝させるかな?特に常識としてアーサーが。……ランスは違う意味で文句を言うだろうし。

 どういうこと?どうしてこんなことに?

 それとも私の見間違いだったのかな?

 そうだ、そうかもしれない、ともう一度ドアを開け……

 パタン。


 ……………………目の前に微笑むレオヴィス様が立っていらっしゃったわ。


 どうしよう、怖い。

 なんだかよくわからないけど、ああして微笑むレオヴィスは怖い。

 ……。

 うん。寝よう!

 もう一度寝て起きたら、全部悪い夢だったかもしれないし!

 そう思い、ドアからそっと離れようとすると……

「ユリフィナ」

 無情にもドアは開けられ、普段は大人びて冷めた顔しかしないレオヴィスが微笑んでいた。

「ひぇ!」

「……なんだ、その声は。不審者にでも遭ったようだぞ」

「だってその通り……ごほごほ」

 思わず心の中の声をそのまま言葉にしてしまった。

 顔から血の気が引き、恐る恐るレオヴィスの顔を窺う。

「俺が不審者か。確かにこの状況ではそうだな。……お前は面白い」

 喉でおかしそうに笑う顔は、やはり九歳らしくあどけない。容姿が整っているのもあって、不意のその顔にいつも心臓が動いてしまう気がする。

 顔がいいって得だよなぁ……としみじみ眺めてしまった。

 ……って違う!

 何を私は呑気にレオヴィスの顔を眺めてるんだ!眺めたくなる美少年だけど、ここは違うだろう!

 ぶるぶると首を振って、気持ちを入れ替える。

「どうしてレオヴィスがここにいるの!?」

「俺の部屋だからだ」

「ああ、なんだ俺の部屋……………………何で俺の部屋に私が寝てたの?」

 思考が一瞬停止して、だいぶ間を空けてから聞く。

 聞きたくないと心底思いながら、聞くしかなかった。

 するとレオヴィスはにこりと笑って、


「事実上の未来の婚約者を泊めただけだ。不服があっても俺を窘められるのは父と兄くらいなものだな」


 ……私に抵抗と言う言葉を強制排除させた。

 理不尽だ……理不尽の権化が、シーナ以外にここにもいた。

 まあね、前々からそんな匂いはぷんぷんしてたけども、信じたくなかったよ、レオヴィス。

 この世にシーナみたいなのが他にもいるだなんて、死んでも信じたくなかった。

 未来の婚約者を泊めただけ?

 ダメだろう、そんな理由!いくらなんでもそんな理由、無茶だ!

 淑女って言葉の意味を知らないのか!

 ……知ってて、やったんですよね、そりゃそうですよね。知らないわけないですもんね。

 え、なに、ということはよ?

 確信犯で私を自分の部屋で寝させたってことですよね。たとえ未来の婚約者だと誰もが知ってても、その事実がなかった女を泊めたってことよね。しかも同意なしに。これで晴れて事実ができて、私は誰もが認めるレオヴィスの未来の婚約者?っていうかそうなるしかないよね、何もなかったとしても誰が男の部屋で寝た女を妻にと望むだろうか。

 ……おい、ユーリトリアには性犯罪を取り締まる法律はないのか。もしくは女性の人権を尊重する法律や風潮は。

 これは犯罪だ。これを犯罪と言わずしてどうする。

 そう思いレオヴィスに反論しようとするが、その口をぴたりと閉じる。

 ……そうだった。レオヴィスは王子様だった……

 この世界の王族は王族らしい王族だ。つまり、法律なんぞあっても無きに等しい。彼らは最低限、人の上に立つ気概と品格と知性があればいい。裏で何しようが、国家のため、国民のために従事し裏切りさえしなければ、それでいいのだ。

 しかもレオヴィスはユーリトリアの第三王子、王位継承権は第二位。身内を除けば、誰がその行動を止められると言うのか。

 なんてことだ。一人の女が性犯罪に巻き込まれていると言うのに、泣き寝入りしかないのか。

 呆然とレオヴィスの顔を見上げる。

 ひどい。こんなひどい話ってないよ。王女として生まれたんだから、もう少し権力ってものを振りかざしてみたいよ、私は!

 何で振りかざされなきゃならないんだ!

 苦悩する私を見ながら、やがてレオヴィスはくくく…、と笑いをかみ殺す。

 そして、私が訝しげに眉を寄せると堰を切ったように声を上げて笑い始めた。

「ははは!……ユリフィナは……とてもからかい甲斐があるな。特に悩んでる顔がいい。いつまでもからかっていたくなる」

「なっ……」

 なんですと!?人がこんなに悲壮に悩んでたのに、どういうこと!

 きっ、と睨むとレオヴィスがくすりと小さく笑った。

 ……くぅ、やっぱり顔のいい奴なんて結局顔で誤魔化すのよ!誤魔化されそうになる私も私だけど!

「いや、ホントにいいな。シーナがユリフィナを手放さないのもわかる」

「手放さないって……変な言い方をしないで。あれは、私を玩具としていいように使っているだけよ」

「そうか?俺にはそうは思えない。……考えたこともないのか?なぜあいつはああもお前を生き延びさせようとしているのか……」

「?玩具だからでしょ?人を玩具にするのなんて、そうそうできることじゃないだろうし」

 160番目の玩具。……キリがよかろうと名誉でないことは確かだ。

 そういえばそのシーナはどこに行ったんだろう。また何かを企らんでるんだろうか。

 シーナの姿を探して部屋を見回す私に、レオヴィスは薄く笑ったまま呟く。

「……玩具なら、取り換えがきく。労力を払ってまで助ける必要はない」

「え?」

「いや。……ところで体はどうだ?だるいとか、熱があるような兆候は?」

 呟いた言葉をもう一度聞かせるつもりはないのか、話を変える。

 しかし。

「………………レオヴィス、私に何かしたの?」

 そうとしか聞こえなかった。

「何かって……ああ、いや、違う!俺は誓ってお前に手を出してない。出すならあと十年は待つ!」

 さすがに大人びているレオヴィスも、こういう話題は得意ではないのか頬をうっすらと赤くする。

 首を振って否定する姿に、冗談半分だった私もほっと息を吐いた。

 うんうん、可愛いものね。まだそこまですれてないようでよかった。

 ……十年後は絶対に気をつけようと思いつつ。

「なら、どうして?この通り元気よ」

 その場でぴょんぴょんと飛び跳ねてみせると、レオヴィスは苦笑した。

「……いや、想像以上だな。あれだけ放って、これだけ吸い取っているのにだるくもならないとは」

「何の話?」

 話の内容が理解できない。

 詳しく聞こうと首を傾げると、苦笑したまま彼は告げた。

「魔力が暴走したのを覚えてるか?それを抑えるために、お前の魔力と俺の魔力をつなげたんだ」

「ぼ、暴走!?」

「ああ。……魔力をつなげて、いっそ枯渇してもおかしくないくらい使い放題使ってるんだが……」

 困ったように笑う。

「……まさか、この船一つをお前一人の力で全て賄ってなお体に異常もないとは、恐れ入る」

 この船を動かすのに、普通魔法使いが十五人もいると言うのに。

 レオヴィスの困った顔が新鮮で、ぱちぱちと瞬きをする。

 えーと、十五人の魔法使いが必要な魔力を、私一人の力で賄ってるってことよね。うん、それはすごい。さすが神の恩寵レベル。

 どれだけすごいことなのかいまいちよくわからないけど、十五人分だもん、すごいのよね?

 そんな私の様子に呆れ混じりにレオヴィスが息を吐いた。

「……船を見ていないからよくわかっていないのか?まあいい、降りればわかる。そんなわけで、お前と俺をある一定の距離から離すと、魔力のつながりが切れてまた暴走し始める可能性があるからお前をここで寝かせていた。ちなみにすでに船は出港している。膨大な魔力のお陰で一日もかからずに着きそうだ。……それで、他に質問などはあるか?」

 聞かれ、そういえば、と記憶を思い返した。

「暴走したって言ってたけど……もしかして、キールの町で?あ、ランスは!?」

 変な男たちに襲われ、目の前で切られたランスはどうなったのだろう。

 あの時上がった血しぶきさえ簡単に思い起こせるほど、鮮烈な記憶だ。お腹の底から妙な圧迫感がせり上がってきて、ランスが切られるのを見た瞬間、ぐるぐると渦を巻いて飛び出していった……その後の記憶は全くないが、もしかして暴走と言うのはそのことだろうか。

「ランスは無事だ。アーサーの言葉通り、不死身とさえ思える回復力ですでにベッドでの療養は要らないと言われた。……普通、一週間は寝ていなければ傷口が開くと思うんだがな……」

 不思議だ、とレオヴィスが首を傾げた。

 ……さすがね、ランス。もはや同じ人間とは思えないわ。

 呆れて半眼になった私に苦笑し、話を続ける。

「だいたいは思い出したんだろう?俺はキールのあの宿で大規模な魔力の暴走を感じた。それで駆けつけてみれば、案の定お前だった。……お前を襲っただろう男たちは、全員死亡が確認されている」

 その言葉に、ひゅっと私の喉が悲鳴にも似た音を出した。

 死んだ……

 私の魔力の暴走で、人が死んだ。

 母に続いて、また。私の魔力が制御できていれば、もっと違う結果になったかもしれないのに。

 ……しかしそんなもしもを考えたところで現実は変わらない。変わるわけがない。

 私はそれでも前に進まなければ。

 生きたい、それが罪になるかもしれない運命だが、それでも死にたくない。もっと生きて、楽しいこと、嬉しいことを知りたい。

 そして前世ではあまり縁のなかった、恋をしてみたい。女ならば一度は考える夢。

 うつむいた顔を上げ、レオヴィスに視線を合わせる。

 ほんの一瞬、驚いたように赤い目が瞬きをし、やがて満足感たっぷりに微笑んだ。

「それでこそだ。……ユリフィナ、お前の未来は些細な夢さえ傲慢になる運命かもしれないが、それでもそれはお前のただ一つの人生だ。気に病んで自己犠牲に走ることはない。精一杯謳歌すればいい。お前が自分でその運命を定めているわけではないのだから」

 ……レオヴィス、貴方ってホント、カッコいいわ。こんな運命でさえなかったら、もっとちゃんと貴方に恋ができたかもしれない。

 普通に恋をするのは、傾国の女には荷が重い。あのド鬼畜の死神が、トラウマになった高笑いをしてそんな運命を蹴り飛ばすだろうから。あの美貌の顔を憎たらしく思える女なんて、この世に私くらいなものではないだろうか。

 そんな私の頭をそっと撫で、長いブルー混じりの銀髪がさらさらとレオヴィスの手からこぼれ落ちる。

 静かな時間。空気が穏やかに流れていることさえ感じられた。


「―――あのー…とってもいい雰囲気のところ本当に申し訳ないんですけど、そろそろいいですか?」


 突然、その静寂は破られる。

「っ!?」

「後にしろ」

 驚き、実際に数センチは飛び跳ねただろう私と、煩わしそうにそちらを見たレオヴィスは実に対照的だった。

「レオヴィス様、無茶言わないでください。私がいつまでもアーサーとランスを抑えていられると思いますか?」

 いい加減無理です、とげんなりした顔のリィヤの後ろには、わなわなと肩を震わせるアーサーと、笑った顔のままアーサーの腰の剣を抜こうとしているランスの姿があった。

 ……あ、これはまずい。

 瞬時に悟り、私は開けられた寝室のドアを閉める。

「ユリフィナ!」

「あーと、……着替え!私、寝てた服のままなので、侍女を一人呼んでもらえますか」

「逃げたな!?」

「……いえいえそんなまさか。アーサー、お願い、侍女を呼んできて」

「ついでにランスを止めろ!」

「さすがに主国の王子を殺さないと思うけど……ランス、聞こえるなら落ち着いて。あ、シーナを探してきて?」

「姫様……俺の姫様に何をした!?」

「ランスー、何もされてないからねー?誤解を招く発言はやめて」

「お可哀そうに、姫様……主国の王子だからと、文句も言えないとは!」

「いやまあ、言えないけどね。実際何もなかったから。それより聞いてた?シーナは?」

「シーナなど今は問題ではありません!」

「問題にしよう、そこは。してくれ、頼むから。シーナがいないと色々不安なの、私は」

「……おのれ、あの顔だけ男が!俺の姫様を惑わすとは!!」

「あー…言葉間違えた。まあいっか。じゃあ探してきてくれる?」

「見つけて八つ裂きにしてくれる!!」

「……生きてここに連れてきてほしいんだけどな。まあいいや、死なないよね」

「……誰が死なないだと?」

 急に耳元で聞こえた声に、ぞわっと悪寒を感じて振り返る。

 そこに全く笑っていない目をした、美貌の笑顔があった。

「……し、シーナ様……」

「俺がいないと不安か、永遠に不安にならない方法を教えてやろうか?」

 ひぃっ!目の中に「死」って書いてある!

 ぷるぷるぷるぷるっ!と激しく首を振ると、シーナは獲物をいたぶる肉食獣のごとき残酷な目を細める。

 こ、殺される……

 恐怖で固まった私を救ったのは、後ろのドアを控えめにノックする音だった。

 コンコンコン

「……あの、お召し替えを……」

「ああああ、はいはいはい!今開けます!」

 慌ただしくドアを開け、もう一度振り返った時には不機嫌そうな白猫が一匹。


 ……ん?何で白?


 その疑問が解決したのは、私が服を着替えて、アーサーの気も落ち着き、ランスを止めるために腕に抱きついて怒りを鎮めた、その後だった。

 ……かなりの時間がかかったことは言うまでもないと思う。

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