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傾国の姫  作者: 安田鈴
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第三十四話

「あ、これ可愛い!」

「ええ、姫様は実に可愛らしいです」

「……。これ何かな?ブローチ?綺麗!」

「はい、姫様はとてもお綺麗です」

「…………。これ、私に似合うかな?髑髏の首飾り」

「もちろん、姫様の美をもってすれば……」


「似合ってたまるか!!」


 にこにこと優しく笑うランスの、際限ない私への賛辞はかれこれ十数分は続いただろう。

 露店の主人も最初はランスに乗っていたが、次第に商人魂のこもった鉄壁のその笑顔が引きつり始めた。そりゃそうだ、商品ではなく私しか褒めていないのだから。

 私はその様をずっと見る羽目になった。いつ主人が怒りださないか、冷や汗をかきながら。

 ……初めは、露店を覗き始めた頃は、どの主人もにこにこと本物の笑顔だったように思う。

 まず私の顔を見て驚き、一緒にいるランスも見た目は優しげな好青年で、どちらも庶民の服を着ていても垣間見える上品さに、お金を持っていそうなことを瞬間的に見抜いたのだろう。商人たちは非常に好意的だった。

 しかし。私はいくつもの露店を冷やかすことになった。全てはこのランスの私至上主義の賛辞のせい。

 もっとじっくりと見たかった店もある。もっと売っている商品について、話を聞きたかった店もある。欲しいと思った商品もあった。

 なのに……

 じろり、と恨みがましい目でランスを見上げると、彼はうっとりと私を見ていた。

「……ダメだ。何言っても無駄って感じがする……」

 私の小さな呟きに、笑顔を引きつらせていた主人が同情の視線をくれる。

 ああ、わかってくれるんですか。ありがとう。でももう行ってくれとも思ってるんですね。

 はぁ、と溜め息を吐いてランスの袖を引いた。

「……もう行こう。ごめんなさい、ご主人。また今度寄らせてもらうわ」

「ええ、その時はぜひ!」

 やっと行ってくれる、と嬉しそうなご主人。……まさか商人にそんな顔をさせる日が来るとは思わなかった。

 それでも外で自由に買い物が楽しめるのは嬉しい。久々の開放感を感じていた。

 賑やかな町の通りは露店がひしめき、甘い匂いや香ばしい食べ物の匂いがどこからか流れてくる。みな自分の買い物をしている中、私をふと見た人たちは一瞬息が止まったかのように硬直し、やがてランスのうっとり顔にも負けない羨望の眼差しで見つめていく。

 それは老いも若きも男も女も関係なく、まるで私が歩く美術品か何かになったような気分にさせた。

「……やっぱり、私の顔目立つかな」

「姫様はどんなお姿でも輝くようです」

「…………うん、ありがと。聞いた私が馬鹿だった。ところで、ランス」

「はい」

 私が呼びかけて見上げると、ランスは嬉しそうににこにこと笑っている。私からしたらその笑顔も輝くようよ、ランス。ちょっとドキッとさせられるもの。

 ふぅ、と息を吐いて一度散ってしまった言葉をもう一度かき集める。

「……あのね、私、お忍びでしょ?だからランスの姫様って呼び方、おかしく思われないかな?」

「そうですか?姫様くらい可愛ければ、不思議ではないと思いますけど」

「可愛ければいいってか。……うーん、やっぱりランスも結局貴族の感覚だし……変に思われてなければいいけど……」

 今のところランスがおかしいということが大きく見えるせいか、それほど怪しまれてはいない。

 怪しまれたところで、まさか王女がこんなところを無防備に歩くはずがない、しかもお供一人で、と勝手に納得しているようだった。

 ……事が上手く行きすぎてる感じが、なんとなく嫌な予感につながっていたりもするのだが。

「まあ、心配してもしょうがない。でも、やっぱり一応その呼び方は変えとこう。ユリフィナ……じゃ、まずいから、うーん……」

「フィナはどうでしょう?巷では姫様の名前をあやかって、そう名付けた親は多いと聞きますよ」

「うん、ならそれで!あんまり変えても、私が反応できなきゃ意味ないしね」

 私が頷いてランスを見上げると、彼は蕩けそうに甘い顔で微笑んでいた。

「フィナ」

「っ、……いきなりね」

 思わず耳を押さえそうになった。

 じんわりと耳が赤くなって、顔が熱くなってくる。たった一言、しかも私の正確な名前じゃなかったのに、腰が砕けそうな甘い声だった。

「嬉しくて。姫様…フィナの名前を呼べるんですよ?これが嬉しくない男がいたら、そいつは不能です」

 いや、そこまで言ったら過剰だと思う。

 ……まあ、自ら五歳児相手に不能ではないと言い切ったのだ。私が人目のないところでランスと二人きりになるのはやめようと思ったのは、仕方ないことだと思う。

 そんな私の決意も知らず、ランスはにこにことさらに締まりのない顔で道を歩く。

 その顔に呆れながら、再び露店に視線を戻して冷やかしにしかならない買い物をそれなりに楽しんだ。


「結局買えたのはこのブレスレットだけかぁ」

「フィナの可愛らしさには負けますが、美しさを引き立ててくれるいい買い物でしたね」

 もういい加減、この褒めちぎらずにはいられない口調にも慣れた。慣れて、聞き流せば買い物をするにはスムーズになることもわかった。いちいち反応するから、露店の主人はどちらに付けばいいのかわからず迷って困っていたのだ。

 それを理解するのに何十という店を冷やかすことになったのだが、社会経験には失敗が付きもの。

 そう思うことにする。

 ランスは真剣に服や装飾品を選ぶ付き添いには不向きだが、こうして町を歩いて楽しむだけの時にはいい。彼は甘い。甘過ぎると言ってもいいくらい、何でも買ってくれようとする。

 そう……私にはお金がない。まあ、お忍びで出てきたくらいだ、しかもお小遣いなんてものにも無縁な生活の私には、現実的なお金がない。

 ないゆえに、どうしても欲しいものがあった時はどうしようかと思っていたのだが、ランスはそんな私にドロドロに甘かった。

 私が手に取ったもの、目を留めたもの、視線をそちらに向けただけでその先にある商品すべてを買おうとする。……これ以上ないパトロンだが、彼は私に好意を持っている。そんな男から何かを買ってもらうのは危険ではないかと勘ぐってみたものの、実にさっぱりとしたものだった。

 ランスは相当お金に無頓着なのだ。それがはっきりしたのも、つい先ほどのことだった。

「……まさか自分の給料に無頓着で、袋に貯めるだけ貯めたらかさばらない宝石に替えて持ち歩くなんて……」

 彼の財布代わりの袋には、様々な大きさの色とりどりの宝石が詰まっていた。

 私が先ほど買ってもらったブレスレットは、傍目にも民衆向けでそれほど高くないとわかる。細い銀の輪が何本もつながっていて、それを束ねると一本のブレスレットになる。ただそれだけの仕組みが不思議で、束ねた時に表面に浮き上がる模様が綺麗だった。

 あまりにも私が欲しそうにしていたのを見て、ランスが財布代わりの袋から取り出したのが一粒の小さな赤い石。

 これで支払いを、とランスが言った時、露店の主人は初め冗談を、と笑い飛ばしていた。

 そして冗談のつもりで主人はその石を手にとって鑑定すると、みるみるその顔が青ざめ、そして興奮で赤くなっていった。

 こここここここれで支払ってもらえるんで!?とかなりどもりながらランスに詰め寄る主人に、あっさりと頷いた。……おそらくこのブレスレットには不釣り合いな価値の石だったに違いない。

 主人はにこにこと他の商品もいかがですか、と薦めてきたが、私はその一連の動きを見て首を振った。

 当たり前だ、そもそもが自分の金ではないのに、それ以上ランスに損をしてほしくない。

 その代わり、と私はにっこりと笑って口元に指を一本立てる。

 このことを秘密にしてもらうことを約束させた。これが噂になって、これから行く先々でカモにされてはたまらない。

 主人が一も二もなく頷いたのを見てから、手を振ってそこを離れた。

 それが、つい先ほど冷やかさずに私が露店で初めて買い物をした時のことだ。

「……ランス、あなた買い物する時はいつもああなの?」

「俺は買い物したことないです。一応貴族ですから、家にいる時は執事に言い付ければいいことですし、でなくてもアーサーが全部仕切ってますから」

「アーサーが?……もしかして、お金を宝石に替えるなんて発想もアーサーが?」

「ええ。金にきっちりしてるあいつが使う宝石商に、いつも替えてもらってますね。事前に言わないと用意できないっていつも怒られるんです」

 宝石商が事前に言われないと用意できない宝石って何だ。

 量か質か、それとも両方か。なんて恐ろしい……

 ぞっとしながら歩いていると、道の端を埋め尽くしていた露店が途切れた。

 どうやら町の端まで来たらしい。

「引き返しましょうか。今度は露店ではなく、ちゃんとした建物のお店が並ぶ通りを行きましょう」

「そうね。露店も楽しいけど、お店も見て回りたいし」

 確か一本向こうにお店が並ぶ通りがあった、とそちらへ足を向けた。その通りに行くには、人通りのまばらな路地裏を通るのが早いと思ったのだが。

 その時。

「……お嬢さん、面白いものがあるんだ。こちらへおいで」

 いかにも怪しい恰好…ではなかったが、怪しい言葉で私を誘う。お面のように張り付けた笑顔の男が、私とランスの前を立ちふさがった。

 歳は二十代後半から三十代前半。どこにでもいそうな、平凡な顔立ちだった。

 その顔を見て、あれ、と記憶に引っかかる。

「……あなた……どこかで」

「っ、…仕方ない、おい!」

 どこかで見たことがある。そう呟きかけると、男は張り付けた笑顔をそのままに、路地裏から仲間と思われる男たちを呼び寄せた。

「一緒に来てもらいましょう」

 にやりと笑う男は、自分たちの数の優位を疑ってはいなかった。

 そうだろう、そうだろう。二人、しかも一人は五歳児。パッと数えただけでも十人はいる男相手に、何ができると思っているんだろう。

 しかしまぁ……ランスにはそんな数、多勢とは言えない。

 ちらりと傍らを見上げると、優位だと思っているだろう男よりも凶悪な笑みを浮かべていた。

 彼は笑いながら、すらりと腰に差した長剣を抜く。宿を出る前に、さすがに何かあってはまずいと護衛の騎士から予備の剣を奪っ……借りてきていた。


「……へぇ。俺のフィナに何の用だ?事と次第に寄らなくても、その首つながっていられると思うなよ」


 事と次第に寄らないんだ、なんて理不尽で無慈悲なの。

 ランスのあの悪魔のような、人外と言われても仕方ない身体能力を知っているために、私の精神は比較的落ち着いている。

 信じている、と素直に言えればいいが、……あの地獄絵図を見てしまうとどうも言葉が詰まる。

 男は予想外に私が落ち着いていて、ランスの狂気的な余裕の笑みに一瞬顔を強張らせた。

 しかし自分たちが優位だと信じているのか、そのまま周りの男たちに命を下す。

「……やれ。男はどうでもいい、あの娘を捕まえろ」

「ハハハ!いいねぇ、とりあえずお前は生かしてじっくり切り刻むことにする!」

 ランスの狂気的発言は聞こえなかったフリをして、私はそっと離れる。まだ通りからはそんなに離れていない。今戻れば誰か助けを呼べるかもしれない、とちらりと後ろを振り返る。

 誰もいない。

 もう一度ランスを見ると、笑いながら返り血を浴び、あっという間に十人はいた男たちを次々と切り伏せていた。

 笑顔の仮面を張り付けていた男は、さすがに顔を引きつらせてランスに注視している。

 今だ。

 そう思って振り返った、その瞬間。

「きゃ……っ!!」

 黒いフードを目深にかぶり、顔も黒い布で隠した二人組が私の目の前に立っていた。

 小さく上げた私の悲鳴を聞きつけたランスの動きが止まる。

「フィナ!?」

 男たちを片づけ、あとは私に声をかけた男一人だったランスが、すぐにこちらへ駆け寄ろうとすると、それを制し、フードの一人が私の腕を捕まえた。

「いやっ、離して!」

 精一杯暴れて離れようとするが、所詮五歳児の私には無理な話というものだ。しっかりと捕まえる腕は大人の男の手のようだった。

「暴れるな。殺しはしない」

 顔まで隠す黒い布が声をくぐもらせるが、やはり男の声。やけに理性的なそれに、一瞬戸惑う。

 見えないとわかりつつも、その顔を探ろうとフードの男を見上げる。ちらりと垣間見えた目。

 青い目……フードをかぶり、さらには暗がりの路地裏だというのにはっきりとわかる、深い青の目だった。

「……その手を離せ」

 私がその目の青さに気を取られていると、背後から聞いたこともない低い声が響く。

「ランス……?」

 腕を取られたまま振り返ると、ランスは浮かべていた狂気の笑みを消していた。

 無表情だ。何の感情も感じられない。……なのにヘーゼルの瞳だけは私を…私の腕をつかむ男の手を凝視している。

 そしてふっ、と空気が揺れた時には、ランスの右手に握られた長剣が私の目の前を通り過ぎていた。

 いつの間に、なんてものではない。まさに人外の動きだった。三メートルは離れていただろう距離を、一瞬で詰めてきたのだ。昨日の襲撃の時にもその片鱗はあったが、まさか見ていてさえ見えないなんて、と目の前のランスを呆然と見上げてしまう。

 フードの男は私を捕まえていた腕を押さえ、素早く後方に下がっていた。

 ぽたぽたとその腕から血が滴り落ちる。

「……面倒な……」

 言いながら、フードの男が何事を呟き始める。

 呪文みたいだ、と思った時には、その効果は表れた。

「っ……」

「……ランス?」

 うめくような声が耳元で聞こえ、見上げると。

 そこには苦痛に顔を歪めたランスがいた。

「ランス!?」

「……ふぅ、やれやれ。どうなることかと思いましたが……どうやら上手くいったようですね」

 苦しむ体を支えようと手を伸ばし、その手を別の手がつかむ。

 それをたどれば、私に声をかけてきた男だった。

 もがいて逃れようとすると、すぐ後ろに人が立つ気配がする。

 はっと見上げれば、フードの男がもう一人を連れて背後に立っていた。

 逃げられない。絶望感が心を占める。

「安心するな。即死の魔法をかけているのに効かないんだ、こいつ魔力がない」

「ないとは……さすがスリファイナの民です。困りましたね、では苦しんでるうちに殺してしまいましょうか」

「効かないだけでしばらくは動けないと思うが……好きにしろ。用があるのはこの娘だ」

 ご苦労だった、と笑顔の男を労い、フードの男は私を連れていこうとする。

「いやっ!離して!……ランス、ランス!」

 叫ぶ私の声が気に障ったのか、フードの男が舌打ちをした。

「うるさい娘だ……」

「私が後で連れて行きましょうか?なに、近しい者が死ぬ姿を間近で見れば大人しくなるでしょう」

「……そうだな。では先に戻る」

「ええ、これを片づけたらすぐに参ります」

 フードの男から私を引き渡され二人組が去ると、男は叫ぶ私を見下ろし、張り付けた笑みを冷たく変えた。

「……すぐに叫べないほどの絶望を味合わせてあげますよ」

 言い、男は左手で私を捕まえたまま右手にランスの落とした長剣を持つ。

 何をする気だ、などと考えるまでもない。

 まさか……

「まったく、あの輩たちにいくら払ったと……。手こずらせてくれた」

 その長剣を振りかざす。

 ……やめて。

 いや。

「ふふ、……私を切り刻む前に、自分が切り刻まれるなんてね」

「……いや……いや……やめて……」

 息が止まりそう。

「お嬢さん、よく見ておくといい。人はあっさりと死ぬものだよ」

 息が。

 胸が苦しい。何かがぐるぐる這い回ってる。

 いや。いや。

 やめて。

 剣が振り下ろされる。


 ざしゅっ。


 血しぶきが、頬にかかる。


「―――っ!!!!」


 声にならない絶叫がほとばしり、私のお腹の底から何かが噴き出した。

「なっ……」

 私の視界が真っ赤に染まる。

 ぐるぐる、ぐるぐると、私の中から竜巻が飛び出ていく。

 そして、そこから先の記憶はない。

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