第三十三話
キールの町は異国情緒あふれる賑やかな町だった。
心地よい喧騒が飛び交い、港町特有の潮の匂いで満ちている。
スリファイナでは珍しい建築の建物、行きかう人は肌の色の違いから着てる服まで様々だ。
並んだ露店には見たこともない色彩の服や装飾品、食べ物に果ては家具まである。売る者も買う者もみな溌剌と声をかけたり吟味したり、値段の交渉をしていた。
「いいなぁ!楽しそう」
うきうきと馬車の窓の外を眺める私に、シーはやれやれ、と言いたげな息を吐く。
「……見てるだけで楽しいか?」
「そりゃ見てるだけじゃなくて、歩いてみたいわよ。でもダメかなぁ、無理かなぁ、お忍びで行かせてくれないかなぁ。ランスは私が行くって言えば自分も行くって言うだけで、止めはしないと思うの。レオヴィスとリィヤは……うーん、一応止めるか、もしくはレオヴィスが案内するって言ってリィヤを慌てさせるって感じかな。問題は……」
そうだ。おそらく私のこの野望を叶える最大の壁は、彼しかいない。
アーサー。彼が止めねば誰が止める、といったカオスな知人達の唯一の常識人。…表面上は。
そしてだからこそ、その壁は何より高い。
「……どうにかアーサーの目をかいくぐれないかなぁ……」
隙などなさそうだが、人間誰しも完璧とはいかない。
必ずどこかに抜け目があるはずだ、と野望を膨らませる。
そんな私にシーはしばし考え込むように黙り、やがてニヤリと笑った。
「……お前がどうしても、と言うなら……協力してやらんこともない」
「どうしても!」
「……即答すぎないか?」
お前は馬鹿なのか、と呆れた視線で私を見る。
一瞬ひるむが、負けじと見返した。
「い、いいのよ!どうせ何かあるっていうんでしょ?厄介なことが。でも考えたの。私が動けば国が傾くとか、命を狙われるとか、もう今更よ!動かないわけにはいかないんだし、ランスがいればたいていの刺客は追い払えるし、人通りのある道ならそこまで心配することもないでしょ」
楽観的だ。
自分の命が惜しいなら、もう少し慎重に動かなければならないことはわかっている。何せ、どこで死亡フラグが立つかわからない人生だ。今この瞬間にも危機は迫っているかもしれない。
しかしだからと言って、引きこもってばかりなのも精神的にも肉体的にも悪い。
どうせ狙われるのだ。どうせ何かが起こる。
ならばその事態を引き起こして、首謀者を引きずり出していくのも悪くないと思うのだ。
我が身を犠牲にしかねない、極めて馬鹿な浅知恵だとも思うが、それ以上に考えて悩んでいるばかりで動けない自分が嫌だ。
きっ、とシーを睨みつける。
もとはと言えばこいつが私の人生をめちゃくちゃにしたのだ。こんなことくらい協力してもらわねば、割に合わない。
「……周囲の人間に守られる人生の選択もあるだろうに」
「そんなの、いいように使われて終わりでしょ。私は私の人生を真っ当に……は、無理だろうから、精一杯好きなように謳歌することに決めたの。危険な目に遭うって言うなら、私を利用したいやつらが私を守ればいいのよ」
「自衛することも大事だと思うが?」
「まだ五歳の私にどうやって自衛しろっての。……引きこもってばっかりの毎日なんて嫌なの。誰かをいちいち疑ったりするのも面倒よ。どうせ私に群がるのは、私を利用したいやつらなんだから。その中で自分が信じてもいいと思える人を探すわ。たとえ裏切られても、それならしょうがないと諦められるもの」
ふん、とシーが馬鹿にするような息をこぼす。
何よ。どうせ馬鹿よ。それでも私は私の人生を他人にとやかく言われたくない。
「……まあ、お前がそのつもりなら俺も十分愉しめる。いいだろう、お前のお忍びに協力してやるよ」
「ホント!?」
「言っとくが、途中でバレても俺を責めるなよ。……あの双子は、関わるとどうも厄介な気がしてならないからな」
それはわかる。すごくわかる。
でも私はあんたと関わった方が厄介だと思う。
……言っても鼻で笑われるだけだろうけどね!
「姫様、楽しそうな計画ですね」
「……き、聞こえてた……?」
「はい。一応声はひそめていらっしゃいましたけど、俺や地獄耳のアーサーには十分聞こえますよ」
「……」
もうダメだ。まさか計画を立てた瞬間にバレるとは。ある意味すごいよ、私。
褒めたところで全然嬉しくないけど!
はぁ、と重いため息を吐く私に、ランスは楽しそうに笑いながら私に希望をくれた。
「姫様、運がいいですね。あの地獄の耳のアーサーがこの場にいたら大問題でしたが、あいつは今諸々の確認をしに先に宿に行ってるんです。その計画、俺も一緒に行っていいなら乗りますよ」
よし!と思うと同時にある種の不安に襲われる。
この私が運よく外に出かけられる。この、人を不幸にしたくてたまらない死神に取り憑かれた私が!
……出かけちゃまずいんじゃないだろうか。ふとそんなことを思う。
が。
「……まあいっか!なんとでもなる!うん、ランスも協力してね?」
「もちろんです。もしダメだと言われてもこっそり付いていく気でしたから」
「……それは……どうかと思うな、私」
ははは、と乾いた笑いをしてストーカーになりかねない……むしろもうなっているような気がする青年から少し距離をとる。
そんなことをしても無駄だと思いつつ。
「お前も愛されまくって幸せだな」
シーの含み笑いにギロリと睨みつけた。
畜生!声が聞こえるってわかってそんなこと言いやがって!下手に否定できないじゃない!
窓の外には上機嫌なランス。
膝の上では不気味に上機嫌なシー。
……楽しいはずの計画が、嫌な予感しか感じないのはなんでだろう。
遠い目をする私の視界に、一際大きく立派な建物が見えた。
入口から赤い絨毯が敷かれ、馬車の速度が徐々に遅くなる。
今日の宿はそこなのか。
思うと同時に、図った様に宿の前で直立不動をしていたアーサーが腰を折り、それに続くようにずらりと並んだ立派な服を着た男の人や、宿の従業員と思しき人たちが頭を深々と下げる。
自国の王女と、主国ユーリトリアの王子を出迎えるにふさわしい、仰々しさ。
道を行きかっていた人々は何事かとこちらに視線をやり、王家の紋章にざわめく。
スリファイナの民は深々と頭を下げ、他国の商人や旅人たちなどはユーリトリアの紋章に目を瞠っている。好奇の目にさらされた二国の王家の馬車は、ゆっくりと宿の前で止まり、そのドアが開けられるのを今か今かと期待されていた。
私は町に入る前にあらかじめアーサーに渡された、絹のような光沢の糸で編まれた精緻なレース織りの薄いベールを頭からかぶる。
先ほどのように事故や偶然でもなければ、やはり素顔をさらしてはいけないらしい。
馬車のドアが開けられる。アーサーが恭しく礼をし、私が手を伸ばすと優雅にその手をとった。
私が姿を現すと、周りのざわめきが歓声に代わる。
その歓声に戸惑い照れながらも小さく手を振ると、辺りは空気が震えるほどの大歓声に包まれた。
「……王女殿下、お早く。このままでは何が起こるかわかりません」
耳元で言われてアーサーの声がやっと聞こえるほどだ。頷くと、アーサーは素早く私の体を宿の中へと導いた。
「……すごかった……」
自分でやっておいてなんだが、まさかあれほどの騒ぎになるとは思わなかった。
ふぅ、と大きく息を吐いて、傍らのアーサーを見上げる。
そこにあったのは、静かな笑みだった。
こ、こわい……
「……王女殿下。やってしまったものは仕方ありませんが、もう少し危機管理と言うものを覚えていただきたいと思います。あのような場面で、もし民衆が興奮して駆け寄ってきた場合どうなるか、お分かりになるはずです。民衆に親しみを込めるのは大変いいことですが、御身の安全を図ってからにしてください」
「はぁい……」
「もちろん、御身の安全は私どもが万全を期するものですが、王女殿下のご自覚があるだけで大きく変わります。くれぐれもお忘れくださいませんよう」
「わかりました。反省します……」
なんて言っておきながら、お忍び計画は改める気がない。
私って、相当なマゾの気でもあるのかもしれない。……いやだなぁ。
「では、お部屋にご案内します」
アーサーは殊勝なフリをしている私をそう疑うこともなく、あっさりと話を切り上げた。
その背中を追いながら、これから騙すことを心の中で謝っておく。
……バレないといいなぁ、と望みの薄い希望を持って。
「だ、大丈夫かしら?」
「大丈夫ですよ。姫様はどんなお姿をしてもお美しいです」
「いえ、そうじゃなくて……ああ、もういいか。それで、これが普通の人が着る服なのね?」
「はい。俺も一応貴族の部類に入る人間なのでよくわかりませんが、ごく一般的な子供の服と言うとそういうものみたいですね。実に可愛らしいです。持ちかえりたいです」
「持ち帰るのはやめてね、いろんな意味で怖いから。……それにしても、シーナのあの変身には驚くわね」
そそくさと人ごみにまぎれて宿から離れていく。
心臓は高揚と不安でドキドキしっぱなしだ。
ちらりと振り返ると、もう宿は遠く、屋根が少し垣間見えるだけだ。私の身長が足りないせいもあるが、それでも大分離れたと言える。
「シーナの変身ですか。……うーん、姫様はもっと可愛らしくて素敵だと思います。あれは美しいだけで、姫様の魅力が何一つない」
「……うん。わかったから。それでも、似てたじゃない」
「まあ、そうですね。ほとんどの人にはわからないでしょうね」
シーナの「協力」は考えていたよりずっとすごかった。
女にも変身できるとは言っていたが、まさか私の姿にも変身できるとは思わなかった。
他人の目で自分の姿を見ると、改めてその美少女ぶりがわかる。思わず抱きしめそうになったくらいだ。
そんな暇はなかったのでしなかったが。……惜しいことをしたかもしれない。
「でも……あれでは、アーサーを騙すのは難しいでしょうね」
「えっ」
なんだと?
鏡で見るようにそっくりだったのに!?
「俺はもちろん、アーサーも、顔にも態度にも決して出しませんが姫様が好きですからね。顔や姿がどれだけ似てようと、もともと俺達は双子の自分を見てますから。微妙な違いがはっきりわかるんです」
そうか!
アーサーとランスは双子だ。それも、個々の表情や仕草を消してしまえば、見分けが付かないくらいそっくりな双子。
お互い、鏡で見る「自分」と似ている「自分」の違いを幼い頃から見ている。
「私」と、私に似ている「私」の違いがわかっても不思議ではない。
「……も、もうバレたかしら……?」
「どうでしょう。しばらくは宿の人間と細かい話があるはずですから、バレないとは思いますが」
もう一度宿の方を振り返る。
……バレていないことを切に願った。
「……あの……馬鹿がぁ!」
案の定、宿の王女の部屋では怒髪天を付くような低い声が響いていた。
「……まあ、言っても無駄だと思うが、あまり怒ると血管切れるぞ」
「これが怒らずにいられるか!……あの馬鹿は半殺しにするとして、王女殿下はどうしてくれよう……」
「殺さなければ好きにしろ。バレたらどうなるか、わかってただろうからな」
シーナはあっさりとユリフィナの処遇をアーサーに任せる。
その姿が、ユリフィナのままなので非常に複雑な思いもするが。
「見つけ次第、じっっくりとお話させていただこう。……お前は探すのを協力しそうにないな」
「ない。……俺はここで、面白いショーを見させてもらう」
「面白いショー?……まあいい。せいぜい他の侍女たちに本物の王女殿下だと思わせておいてくれ」
「それくらいは任せておけ」
薄く笑うシーナの顔に、アーサーはぞくりと悪寒が走るのを感じる。
彼の言う面白いショーが何なのか。
わからないながらも、嫌な予感を感じた。




