表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
傾国の姫  作者: 安田鈴
33/75

第三十二話

 キールの町に入る前に荷物検査がある、とアーサーが言っていた通り、門の前には行商人の隊列がずらりと並んでいた。

 さすがに唯一の港町なだけあって、人の出入りは激しい。だからこそ検査することは重要なのだが、こうまで並ぶと人手をもう少し増やした方がいいのではないかと思う。

 遅々として進まない検問に、行商人たちはそれがわかっていて慣れているのか、寝泊まりするようなテントまで近くに張っている。

 その中で目立つのが、商魂たくましく検査待ちの旅人や行商人に品物を売ろうとしている町の人だ。待っている間の軽食や飲み物、町に入った後の宿の斡旋などをしているらしい。

 貧困層の厚い国などでは、そういった仕事をするのは主に子供でトラブルも多い。だが、このスリファイナは貧困層と呼べるほどの家庭状況にある者は少なく、比較的安全な斡旋業と言えた。

 声を張り上げ陽気に飲食物を売る者、その合間に宿屋などを斡旋する者、旅人や行商人たちの話し声、みな活気に満ちている。

「……すごい」

 感嘆として眺めていたが、さすがの彼らも王家の紋章が入ったこの隊列に不用意に近づこうとはしなかった。

 何を売ってるのか、と興味があったのに姿を見せてはいけないそうだ。

 はしたないことだと言われれば、不満に思いつつも従わないわけにはいかない。私一人の行動で王族の品位を疑われたら、他の王族の人が可哀想だ。

 馬車の小さな窓から精一杯外の様子を見る。それだけが私に許された好奇心の発散。

 しかし……

「……つまんない……」

 せめて止まった時、ランスを引きとめればよかっただろうか、と一瞬考えて……

 首を振った。

 それは駄目だ。アーサーが検査で離れなきゃいけないのに、この狭い馬車の中でランスと二人きりにされたらどうなるかわからない。

 危害を加えることは絶対ないとは思うけど、暴走したランスが別の意味で危害を加える可能性はあるのだ。

「……この私を撫でくり回したいって真顔で言いきるランスだもん……怖すぎる」

 怒り心頭と言ったアーサーが、有無を言わさず馬車からランスを引きずり出していった時、悪いとは思いつつもほっとした。

 それなのに今つまらないから、とランスがいたところで、今度は逆にものすごく疲れる思いをするのは目に見えている。

「普通にただ笑ってくれてる時はすごく安心するのになぁ……あの暴走さえなかったら」

 はぁ、と溜め息を吐き、膝の上で丸まっているシーを撫でた。

 相変わらずの美猫。触り心地は最高だ。この毛皮を売ったら一儲けできるんじゃないかとさえ思う。

 路頭に迷ったらこれを売ろう。

 私の悪意しかない考えに気づいたのか、シーは閉じていた目を嫌そうに開けてこちらを見た。

「……お前、今変なことを考えなかったか?」

「ううん。考えてないよ」

「……」

 あっさりと嘘を言う私に胡乱な眼を向けるシー。……ホント、毎度どうしてわかるんだろうか。

 さっと目をそらし、話題を変えることにする。

「ねぇそれより、やっぱり出て行っちゃダメ?簡単な検査って言ってたけど、これだけ待ってるんだもん。遅くなるよね?」

「そうだな、俺も飽きたところだ。付き合ってやる」

 同じく飽きているだろうと見込んだ通り、話に乗り気だ。

 よしよし。私一人じゃどうにもならないしね。

 出ていこうとすれば、間違いなく護衛の騎士に止められるだろう。王女の命令といえど、聞けない命令と言うものは存在するのだ。

「そうこなきゃ。じゃあリィヤ呼んできて」

「……俺を使うなんて百年早い、と言いたいが、まぁいい。呼んできてやる」

「言っとくけど、そのまま私を呼びに来なかったら、ピンクの大きいフリフリのリボンを尻尾に付けてやるから」

「俺の美貌に可愛さまで要求するのか、お前も欲深い奴だな」

「ふふ、あんたが人間になった時、どこにリボンが付いてるか調べようと思って」

「……あらぬ場所にあったらどうするんだ、この女は……」

 はぁ、と大きくため息を吐くシーににっこりと笑う。

「その時は大声出してランスを呼ぶわ」

「……」

 この言葉の効果は絶大だった。

 シーの顔が心底嫌そうな、苦み走った顔になる。

 きっと想像したんだろう。ちっ、と舌打ちの音がして私の膝から飛び降りた。

「……いい根性するようになったな。しょうがない、呼んできてやる」

「ありがとう。とっても嬉しいわ」

 ふふふ、今日は勝った!

 人生の総合では負けざるを得ないけど、こういうささやかな幸せを積み重ねるのよ。

 私が不幸になればなるほど嬉しいんだろうが、そうはいかないんだから!

 ぐっと小さく拳を握りしめてガッツポーズをする。

 シーは呆れた視線を私にくれ、そっと開けた馬車のドアから出ていった。

 あとはリィヤが来るのを待つだけね、と座席に座り直すと。

 コンコンコン

「ユリフィナ様、リィヤです」

「はやっ!」

「は?……ああ、いえ、シーナが呼びに来たのではなく、本当にレオヴィス様がお話があるそうです」

 ああ、なんだ。

 出ていったと同時に来させるなんて、どんな早業だと感心してしまうところだった。

「レオヴィスが?なんだろう……」

 不思議に思いつつ、ドアが開けられるのを待って外に出た。

 出た瞬間、検査を待つ行商人たちや旅人のざわめく声が消え、視線が自分に向けられているのを感じる。

 王家の紋章が入った馬車から出てきたのだ、注目されるのはわかっていた。

 リィヤが素早く私に薄いベールをかけてくれる。私の顔をはっきりと見れたのは数人だろう。

 恍惚とした顔で深く頭を下げる姿を横目で見た。

「……目立つわ」

「それは仕方ないでしょう。この隊列が着いた時から、ユリフィナ様が乗った馬車は注目されていましたから」

「そうなの?気付かなかった」

「まあ、これだけ騎士が周りにいて威圧感を出していれば、近寄りがたい上に視線を送るのも躊躇われたんでしょう。それにスリファイナの王族は、ファスカよりは親近感がありますが、やはり崇拝の対象として見られますからね。昔気質の民などは、直視しては不敬だと思っていたりもするようですよ」

 ふぅん、と相槌をして、私の姿に頭を下げる人々を見る。

 確かに、歳がある程度上の者は頭を下げ続け、こちらをちらりとも見ようとしない。これが若いと言われる部類になってくると、頭を下げつつも私の姿を見ようと顔を上げかける。子供はぺこりと一礼するだけで、興味津々にこちらを見て周りの大人を慌てさせていた。

 可愛いなぁ、と顔を紅潮させてこちらを見る子供に小さく手を振ってやる。

 きゃあ、と歓声を上げて子供がはしゃぐ姿に、ほのぼのとした。

「……ユリフィナ様はいい王族の見本ですね」

「え?」

「いえ、ああして気軽に民と関わろうとする姿は、民にとって喜ばしく思えるものです。自分たちのことを見てもらえている、と思えますからね」

「手を振っただけよ?」

「それでも、ユリフィナ様は崇拝の対象です。憧れてやまない人に見てもらったと思えば、そんなに嬉しいことはないでしょう?」

 まあ、確かに。

 何気ないことだったが、誰かを喜ばせられたのが嬉しくてもう一度子供の方を見た。

 まだ興奮しているのか、きゃあきゃあと走り回り、それを制止する大人たちを振り回している。

 久々に見た、ほのぼのとする光景。最近は殺伐としていたから、心が癒される。

「ユリフィナ、何を見てるんだ?」

 しばらくはしゃぐ子供の姿を見ていると、レオヴィスが声をかけてきた。

「あの子たちよ」

「……ああ、子供か。無邪気でいいな」

「レオヴィスも、王族じゃなければあんなふうだったんじゃないの?」

「王族じゃなければ、か……」

 似たような年頃だ。きっとああやって大人を振り回し、無邪気に遊んでいただろう。

 レオヴィスがふっと憧憬するように目を細め、やがて諦めにも似た笑みを浮かべて私に向き直る。

「……考えても仕方ない話だ。憧れはするが、それでどうする気もない。俺は俺の務めを果たす」

 強い視線。

 きっとそんな甘い感情などとうの昔に諦めてしまって、自分の立場をはっきりと自覚したのだろう。

 ……いつまでも迷う私とは違う。私は、彼のこの視線に少し弱いのかもしれない。

 盲目に信じて付いて行きたくなってしまう。

 でも……彼もまた、「傾国の姫」を願う者だ。

 私は慎重に見定めなければ。彼がどの国を傾かせたいのか、そのための手段はどうなのか。

 シーナの思い通りなんかにはもちろんなりたくないし、場合によってはレオヴィスだって私と意見が合わないこともあるだろう。

 人に揉まれて巻き込まれて流される人生だけど、最後の一線だけは自分の決断でありたい。

 そう思う。

「……ところで、私に話って?」

 空気を変えようと、当初の目的を思い出す。

 レオヴィスは、ああ、と相槌を打ってにこりと笑った。

「特に用はないんだ」

「…………はい?」

「ランスを引きずっていくアーサーの姿が見えたから、ユリフィナは今一人なんだろうと思ってな。俺もずっと馬車の中で飽きてきたところだったから、気分転換に話でもしようかと」

「なるほど。暇つぶしに私を呼んだと」

「そういうわけでは……あるか。身も蓋もない言い方だが、その通りだ」

 少しばつが悪そうな顔を見て、くすくすと笑いがこぼれてしまう。

「冗談よ。……そうやってわざとからかわれてくれると、とても九歳とは思えないわ」

「こちらのセリフだ。とても五歳とは思えない」

「まあ。わかってくださるの?私、本当は二十歳なの」

「そうだな、見た目がなければその言葉も信じられるな。普通、昨日の襲撃事件を間近で見れば、もっと取り乱してもいいはずなんだが」

 まあそうよね。特にランスが長剣を手にした辺りから、気絶したっておかしくなかったはず。

 人が死ぬ様をあの至近距離で見たのだ、パニックになってもっと泣きわめくのが普通の子供の反応だ。

 ……いや、二十歳でもそうなるな。私、思っていたより神経が図太いのか?

 ショックだ。そんなこと自覚したくなかったのに。

「危惧した魔力の暴走もなかったし、本当に自制のきく五歳だ。中身が二十歳だと思わなければ、不気味にも思うぞ」

 レオヴィスの言葉に、もう少し子供らしい言動を心がけよう、と態度を反省する。

 さすがに周りの人全てに、私の境遇を話して回るわけにはいかない。面倒だし、何よりその話を信じてくれる人は滅多にいないだろうから。

 頭がおかしい子だと思われるのは勘弁だ。

「おっと……検査が終わったようだな。王家の紋章を掲げた隊列を待たせるほど、この町の検問も度胸がなかったらしい」

 笑うレオヴィスの言葉通り、前からアーサーがランスを引きずったままやってくるのが見えた。

 じゃあまたあとで、とレオヴィスに声をかけて自分の馬車に戻る。

 その時、不意に春の暖かい風が吹いた。

 ざぁぁぁあ……っ

 木立をざわめかせ、風が吹き抜けていく。

「あっ」

 声を出した時には、私の頭からかぶっていた薄いベールは見る見るうちに空高く、遠く飛ばされていった。

「王女殿下!」

 前からやってきていたアーサーが慌ててそれを追おうとするが、その行方を見て溜め息を吐きながら首を振る。

 仕方ない。私もそれほど物に執着するタイプではないため、もったいないとは思いつつ苦笑した。

「……いいわ、もう行きましょう」

「はい。……お顔をさらしてしまうことになり、申し訳ありません」

「いいのよ、どうせまだ私は五歳なんだし。年頃の娘ならはしたないことかもしれないけど」

「ですが……ああ、いえ、こんなことを言っている場合ではありませんね。すぐに馬車に戻りましょう」

 こちらを呆けた顔で見ている人々ににこりと笑い、アーサーと共に馬車に戻る。

 その時ふと、視線を感じた。

 私に注目している行商人たちはまだ多い。その中の一つかとも思うくらい、ささやかな視線だった。

 だけど、私の中の何かが違うと主張する。

 反射的に視線の主を探そうと顔を向け、その先に一人の男がいた。

 歳は二十代後半から三十代前半。どこにでもいそうな顔立ちで、私と目が合う瞬間にはさりげなく顔を伏せた。

 気にする必要はないほど、何でもない人。なのに、どこか引っかかった。

 誰かに似てる?

 うーん……でも、私が知ってる人の中であんなに平凡な顔した人、いないし……

 見た目だけは素晴らしい知人ばかりが揃っているが、みなアクが強く個性的だ。

 平凡という文字は生涯似合わないだろう。

 あえて誰かに似ているとしたら……

「……リィヤ?」

 外見は優しげな美少年のリィヤに、何となく似ているかもしれない。もちろん、顔立ちのことではない。

 雰囲気、というか……仕草、というか。

 まあ、あえて似ているといったら、なので、あまり根拠はない。

 私が呟いた小さな声に、アーサーが耳聡く振り返った。

「リィヤ様が何か?」

「ううん。なんでもない」

 首を振って答え、馬車に乗り込む。

 不審、というほどでもないが、どこか引っかかりを覚えつつ、私はようやく入れるキールの町に思いを馳せた。

 その高揚感を台無しにされる出来事が待つとも知らずに。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ