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傾国の姫  作者: 安田鈴
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第三十話

「……それでは王女殿下、私はこれで。お召し替えに侍女を呼んで……」

「いいの。……疲れたから、自分で着替えてそのまま寝るわ」

「かしこまりました」

 一礼して出ていくアーサーを見送り、大きくため息を吐いた。

「……なんなの」

 考えることは多い。国のこと。王妃様のこと。国王様のこと。これから向かうユーリトリアにレオヴィス。それに加えて、マーサまで。

 色々なことが降りかかる人生だとは思っていた。レオヴィスの変化も、その言葉も衝撃的だった。だけど、最後のマーサのことが一番堪えた。

「マーサが、王妃様と?」

 ファスカ出身だからと言って、つながっているとは限らない。

 けれど、可能性は十分にあった。

 もしも……もしも、本当にそうなら。

 あの優しさはなんだったのだろう?私を油断させるため?あの涙も言葉もあの優しい手も、全部私を騙すつもりだったのだろうか。

 全てがそうなのではないと思いたい。だけど本人に事実を確かめることもできない。

 マーサが王妃とつながっているのなら……まさか、あの毒殺騒ぎも……

「っ!」

 そんなことはない、と首を振る。

 彼女は泣きわめく私の手を握りしめて、私が寝付くまで傍に寄り添ってくれた。

 そんなことを、情のない相手にできるものだろうか?

 普通はできない。だから、マーサは関係ない。

 ……そう、信じ込みたかった。

「お前はまたどうしようもないことを悩んでるのか?」

「シーナ……」

 不意に話しかけられ振り返ると、そこには人間の姿になったシーナがいた。

 呆れたような顔。

 何度も思い悩む私を容赦なく叩き落とす、美貌の死神。

「悩むのが好きなのか、お前は?前にも言っただろう、お前に悩む暇などない。悩むだけ無駄だ。どうせお前の運命は、少しもがいた程度でどうにかなる運命じゃない。必要なのは覚悟一つだ」

「悩みたくもなるでしょ、優しかった人がホントは私の命狙ってたかもしれないなんて!覚悟なんてどうやってしたらいいのよ!」

 人を信じるな、とでも言うつもりか。

 ……言いそうだ。

 シーナはふん、と小馬鹿にした顔で笑い、額を指ではじいた。

 でこぴんされた!

「あのガキは優しくお前に教えてくれたじゃないか、覚悟が足りない、と」

 痛い、と文句を言おうとして口を閉ざした。

 覚悟。……傾国の覚悟?そんなものよほど頭がおかしくない限り、無理だ。

 国を傾かせるということは、国を支える民の多くを犠牲にする。誰かの大切な人が、私のせいで死ぬ。

 そんな覚悟、どうやってしろというのだろう。

「私を巻き込もうとする人に復讐したいわ。その人だけ困ればいい、だけど私を巻き込もうとする人はみんな下に人がいる。……普通、上に立つ人が困る時、下にいる人はもっと困ってる。関係ないのに!」

 上の思惑に巻き込まれるのは、決まって弱い立場の人たちだ。

 そして切り捨てられるのも、弱い立場の者からだ。

 ……どうしてそんな人たちを見捨てられるだろうか。

「踏みつけろ」

 ……今、なんて?

「な……」

「踏みつけろ。考えるな。一人前に正義感など振りかざしても、傾国の運命にあるお前にはどうしようもない。助けようとすれば、ますます国は荒れる。……お前が弱者に弱い、と知られるだけだからな」

「そんな……」

「言ったはずだ。俺もあのガキもな。お前は傾国の女。正義も慈愛も善悪も考える必要はない。お前がする覚悟は、ただ一つ。世界を変えることだ」

 世界を変える?

 いったい何の話だ、とシーナの顔を見上げる。

 神がかったようなその美貌は、私を静かに……まるで本当の神のように、厳かに、冷徹に、私という小さな存在を見つめていた。


「国が傾くと言うことは、一つの均衡が破れるということだ。……お前は言っただろう?世界は歪んでいる、と。世界が変わる時に、犠牲にならない命はない。全ての命が巻き込まれ、やがて生き残った命が新しい世界を育む。お前はその変革の役目を果たす存在としてここにいる」


 変革……

 突拍子もない話だ。

 そんな、神話のような話、いったいどうして私が?

 冗談でしょ、と言おうとして……総毛立った。

「……シー…ナ?」

 薄いブルーにも見えるグリーンの瞳。底知れない闇を孕む、美しい目。

 その目が、いつも愉快そうに笑っているそれが、……今は私を飲み込もうとするように迫っていた。

 引き込まれる。

 本能が警告を一度鳴らし、けれどすぐに聞こえなくなった。

 意識がかすむ。支配される、と頭のどこかで恐怖して……やがてそれも消える。

 一瞬、万華鏡をのぞいたような色とりどりの欠片が閃く。それが小さく千切られたいつかの記憶映像だとぼんやりと考えた瞬間に、バチッと静電気が走ったような痛みと共にあっさりとそれらは消えた。

「……ふ。ははっ!」

「な、なに……?」

 シーナの目が不意に細められ、私を開放するように笑いだす。

 今のはなんだったんだ、とまだ鳥肌の立ったままの腕をさすりながら、無意識に小さく安堵の息をこぼしていた。

 怖い……とは違う。不思議と包み込まれているような安心感があった。

 なのに、薄皮一枚向こうに死を連想させる恐怖がある。

 説明を求めて精一杯シーナを睨むと、そこにはいつもの笑みが浮かんでいた。

「聞きたいか?」

 一言聞くそれが、先ほどのことだとわかるのに一瞬の間が空く。

「……き、聞きたいに決まってるわ。なんなの?」

「教えてやってもいいが、あまりお前に多くを教えても面白くない。忘れておけ。少なくとも、今お前に必要な知識じゃない」

「そういって……結局教える気がないんでしょ」

「ははっ、そうだな、教えるかどうかは今後のお前の行動次第だ。……せいぜい愉しませてくれ」

「……世界を変える覚悟、ね」

「お前が迷えば迷っただけ、世界は混乱する。あのガキと同じ未来を思い描く必要はない、お前の思う世界を考えろ。邪魔なものは排除すればいい」

 あのガキ、というのはレオヴィスのことだろうか。

 先ほどからどうも、シーナの彼に対する……評価、というか、印象が悪い気がする。

 私が怪訝な目で見れば、シーナは片頬を歪めた。

「……盛大に威嚇していきやがったからな、あのガキは。俺にしてみれば赤ん坊もいいところだが……」

「威嚇?」

「……あのガキも、こんな鈍感のどこを気にいったのか」

「鈍感って何よ!」

 失礼な!

 憤然と抗議すると、シーナは不意にその手で私の顎をつかんだ。

 親指が頬を撫でる。

 ……そういえば……

 レオヴィスも私の頬を撫でていった。ちょうど、シーナが撫でた方の頬だ。

 なんなんだ、と更に怪訝な目でシーナを見上げる。

「……こんなちんちくりん」

「ち……!」

 ちんちくりん!?

 言うに事欠いて、そんな失礼な発言ってあるの!?

 この野郎、ホントにさっきからなんなんだ!!

「まあ、この百面相は面白いか。せっかく顔をよくしてやったのに、面白い顔にしかならないとは残念だがな」

「お……おも……!?」

「鈍感にちんちくりん。加えてせっかくの美貌を生かさない、残念な女だ」

「っっっ」

 声も出ない。なんなんだ、このド鬼畜野郎は!

 人のことを鈍感だのちんちくりんだの、果ては残念な女!?

 怒りで気が狂いそうだ!

「この……!」

「ふん。……最期は俺に奪われるとわかっていて、手を出したがるとはな。いい度胸だ」

「さっきからあんたなんなの……って、……何の話?いい度胸って、誰が?」

「お前には関係ない話だ。……寝るんだろ?」

「関係ないって、だって私の話だった……」

「お前は悩んでいるかと思えば、すぐに別のことで頭がいっぱいになるお気軽なやつだって話だ」

「嘘よ!そんな話じゃなかったでしょ……お気軽!?」

「……呆れるぐらい、操りやすい奴だな」

「あんたに言われると、目眩がするほど怒りでいっぱいになるわね、それ」

「事実だからな。可哀想な奴だ。……ほら」

「殺してやりたい!最低!」

「……そう言いながら、猫の俺を抱き上げるお前はなんなんだ」

「猫に罪はないわ!あんたは重罪だけど!」

「……お前は、ホントにこの姿の俺を俺だと理解しているのか?実はこれが嫌がらせだったりするのか?」

「猫が好きなのよ、悪い!?これが嫌がらせになるなら、一緒にお風呂に入って体中洗いまくってあげるけど!?」

「それは断る」

「おほほほ!じゃあ今度無理矢理やってあげるわ!!」

「……その時俺が人間の姿になったら、困るのはお前だろうに……」

「ん?なに?」

「いや。大物だと感心した」

「わかればいいのよ、うんうん。……じゃあ、おやすみー」

「ああ、寝ろ。そして早く賢くなってくれ」

 すーすー、と早くも寝息を立てた私に、黒猫は小さくため息を吐く。

 彼の小さな願いを込めた声は、しかし私の耳に届くことはなかった。

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