第二十八話
ランスの暴走により話が一度飛んだことで気が抜けたのか、レオヴィスが一度お茶にしようと提案する。
私も妙な疲れをとるべく、それに乗った。
侍女たちは下がらせてしまったので、リィヤがその代わりを務める。男性がお茶の支度をするのはスリファイナでは珍しく、そしてユーリトリアでもやはり珍しいらしいが、レオヴィスがリィヤ以外の人間が用意したお茶には一切手を付けないことから、達人級にまでその腕を上げたらしい。お茶に添えるお菓子まで手作りすると言うから、女の私ですら尊敬する。
聞けば食事も彼がいない状態では食べず、毒見係、料理人から食料の仕入れ先まで管理はリィヤが任されているそうだ。
ここまでくると、私の毒殺未遂なんか比ではないくらい危険にさらされてるんだなと、聞くだけでひしひしと伝わってくる。
恐ろしや、ユーリトリア王宮……。
そこに今から行かなきゃならないなんて、誰か嘘だと言ってほしい。
溜め息を吐きつつ、お茶を一口飲む。
リィヤの淹れてくれたお茶は微かにハーブの香る、疲れと荒んだ心に沁みる、最高の一杯だとしみじみ思いながらアーサーに視線を投げた。
「……アーサー、ランスは二重人格なの?」
床に倒れ込んだランスが邪魔だと、アーサーはきびきびとその体を壁際に引きずっていた。
雑に扱っているのが日頃のその苦労を如実に表している。
かわいそうに……アーサー。そんな、ゴミにして捨ててしまいたいって本気で考えてそうなくらい、雑にして……
ここでランスを可哀想だと思うのは、被害のない、この場だけを見ていた傍観者だけだ。
アーサーはもとより、私は獲物として狙われている被害者で、レオヴィスとリィヤはあからさまに関わりたくないと見て見ぬふりだ。確かに、関わった時点で面倒しかないことはわかりきっていることだけど。
これから被害者候補となりそうなシーは、全身で拒否を示している。
……面白いからもっと近づけてやろー、と密かに笑う私を睨みつつも、最後は私に逃げ込めば安全なためにいまいちシーナの視線は弱い。
いい気味だ、とますます笑う私。シーナの報復は私の運命。……あれ、これって私の分が悪い?
自分の立場の弱さを再認識して泣きそうになった。
泣いちゃダメよ、私。頑張れ、私。
アーサーは私の問いに、そうですね、とため息混じりに答える。
「二重人格、というよりは普段の感情の起伏がそれほど激しくないために制御を失う、と言った方が正しいです」
「普段の感情……」
うーん、確かに暴走してないランスは穏やかに笑ってるし、あんなに激しい感情持ってるようには見えない。
だからって、アレなの?
私の声には出さなかった言葉を読み取り、アーサーは乾いた笑みを浮かべた。
「ええ、私も初めてあれを見た時は言葉も出ず、固まってしまいました。なぜああなるのか。普段からもっと感情豊かにしてやれば落ち着くんじゃないか、と色々試したんですが……」
結果は言わずともわかっている。
「……普段もそれなりに感情の起伏はあるんです。どうも厭世感が強いらしく、とりあえず笑っていれば面倒事は過ぎ去ると思っているから感情を抑え込んでしまう。そして何かに夢中になると、タガが外れて極端になる。例えば、戦っている最中。……あれは、本人にしてみれば一番自分を出せる最高の時間なんです。邪魔されるのを一番嫌っていますし、実際邪魔する人間は敵味方関係なく切り伏せます。あの状態になったランスを倒せる人間は、おそらくこの大陸中をどれだけ探しても十人といないと思いますよ」
アーサーの言葉に絶句していると、横からレオヴィスが確かに、と頷いて話に加わる。
「あれは強いな。俺もあれだけ動ける従者がいれば、どれだけ助かるかと考えた。……まあ、国として動けばランスの意思など関係なく、こちらに来させることはできるんだが……」
ちらりと私を見る。
……ええ、ダメですよ。あれは、どんなに色々な意味で危ないとわかっていても、私の従者として付いたんです。私のもの。……甘い感情は入ってないけど、独占欲くらいあるんだから。
ダメ。絶対。
と目に力を込めて見返せば、レオヴィスはやや複雑そうな顔で苦笑した。
「……ダメか。まあ、あの暴走さえなければ優秀な護衛だ。これからのユリフィナの未来を思えば、アレくらいの従者がいなくては話にならないだろうからな」
私の未来はそんなに暗雲立ち込めてますか。
……従者も何もかもいらないから、その未来を平穏なものにしてほしいと神様にお願いしたい。
無理だけど。神は神でも、死神っていう最低最悪な神様憑いちゃってるから、どう頑張っても私の未来は暗雲どころか真暗闇の大嵐ですけど!
膝の上で悠々と眠るこの黒猫に、いつか復讐できるチャンスがくると願って耐えよう。
頑張れ、私。負けるな、私。
再び涙が出そうになるが、ぐっとこらえて話を進めた。
「ホントに、王妃様は反乱を起こすの?」
私の言葉に空気が引き締まる。
レオヴィスはカップをテーブルに戻し、一つ息を吐いて頷いた。
「……まず間違いないだろう。ファスカは昔から属国の扱いに不満を持っていた。宗教色も強い、気位が高い国だと俺は印象に持っている。スリファイナはその点、柔軟な考え方はするし、属国であることのメリット・デメリットも上手に使う。国として遥かに優秀なんだ。……こう言ってはなんだが、ファスカなどよりよほどスリファイナが独立すると宣言してきてもおかしくない。おそらく今、そう宣言すれば、独立が果たせるだろう。大金と引き換えにな。我が国としては、属国の独立を許すと内乱の火種を活発化させて非常に痛い思いをするが……」
それでも止められない。
スリファイナの立場は思っていた以上に、優位にあるらしい。
そもそもが豊かな国だ。その上外交手腕も上手いとくれば、ほぼ無敵な状態なのだろう。
私の予想通り、独立は夢ではない段階にあるようだ。
「でも……しない、のよね。スリファイナは」
「ああ。俺もなぜしないのかと不気味に思うくらいだ。属国であるメリットなど、今やないも等しい状態だろうに……なぜか、しない。推測だが……おそらく、ファスカの存在があるからではないかと思う」
「ファスカが?どうして……だって、国庫の状態としては、同じようなものでしょう?」
一緒でなければいけないなら、一緒に独立の交渉をすればいい。
そう思う私に、レオヴィスは、いや、と難しい顔で首を振った。
「……ファスカは確かに豊かな国だ。スリファイナと同じような状況にある、と誰もが思っている」
誰もが思っている?
そうではないと、言うのだろうか。
「ファスカの国庫はそれほど潤ってはいないのかもしれない。さっきも言った通り、ファスカは気位が高い。国としての姿勢がそうだと、民も自然とそうなる。……対外交渉がさほど上手くないんだ」
「でも……ファスカの絹織物や工芸技術は高いと聞いてるわ。それにファスカの作る果実酒は破格の値が付くって……」
「そうだな。ファスカは何かを加工する技術が高い。安く原材料を仕入れて、加工し高く売る。その技術は随一だと言ってもいい。ファスカの名が付くと物の値が一ケタ違うとまで言われているからな。だが知っているか?ファスカは必ずスリファイナを通して物を買い、売りさばく。そうした方がより安く手に入り、より高く売れるとわかっているんだろう」
だが対外交渉をスリファイナに頼ってしまいがちになるから、いつまで経っても外交手腕が上がらない。
結果、貿易では黒字になるが、外交で失敗することが多く不利な立場になっていく。
土地が豊かなためにさほど苦しむことなどないが、将来に不安は強く残る要素だ。
「それなのに、独立したいと言うのだから……こちらとしてはまるで子供を相手にしている気分だ。しかもスリファイナと一緒でなければ嫌だと言う。こうなるとこの国はわがままを言う子供を上手くなだめる大人、と言ったところだな」
他国を相手にしなくてよかった昔ならいざ知らず、今はユーリトリアもファスカに手を伸ばせる距離にいる。鎖国ばかりもしていられない。外交手腕を上げることは、ファスカにとって急務であるはずなのに。
まさかファスカの外交官も、そのことが分かっていないわけではないだろう。
「ファスカはどうしても独立したいって言ってる子供……。それなら、上手くなだめようとする大人をどうにか操っちゃおうって思っちゃうのね。だから、王妃様はあの目なんだ」
「そういうことだろう。……ここ一年、いや、二年か……あの王妃がスリファイナに輿入れをしてきた頃から、中立だったスリファイナの態度がややファスカ寄りになった。当初は輿入れした王妃に気を遣ったんだろう、と安易に考えていたが、最近は国王が王妃の言葉をそのまま鵜呑みにするところがあるらしい。これはおかしい、とスリファイナの王宮に滞在している政務官が、ユーリトリアにそれを報告したのが三か月前。王妃はファスカの王族らしくほとんど表には出てこず、調査ははかどらなかった」
特に、魔法使いの前には一切顔を出さず、ユーリトリアでは珍しい魔力のない政務官の前でしかその姿を現さなかったという。
そこまですれば確かに怪しいって言ってるようなものね。
いくらファスカの王族が人前に顔を出さないとしても、会う人間の取捨選択をしている可能性が高いなんておかしい。
国王様は……そんな王妃様をどう思っているのだろう。
もう自我は薄くなっているのかもしれない。
もう……私は自我のある「父親」に会えないのかもしれない。
遠い存在だったけれど、それでも愛してくれた記憶がある。私の自我がないことを悲しんでくれた。
父親を、そして母国を飲み込もうとしている存在がいる。
それを許せないと思うのは当然ではないか。
「……私は、少し前までは王妃様が国王様を操ることに、そんなに危機感を持ってなかったわ」
だって夫婦だ。そこに政略があったとしても、お互いを尊重しあうくらいはできるはず。いくらなんでも、王妃様もそれをわかっているはずだ。そう、思ってた。
さすがに愛がどうの、とは言わない。でも他人と他人が一緒に暮らすことの弊害くらいわかるはずで、それが避けられないものなら、なおさら嫌いあったりせずにいられる方法を考えるべきなのだ。
確かに、国王様と王妃様は嫌いあったりなんかしてない。でも、王妃様が国王様を操る未来に争いが待つのなら。
「王妃様を止めなきゃ。……その時には、もう国王様に自我がなくなっていらっしゃるとしても……」
最低限の魔道を習って帰ってくるのに、どれほどかかるのだろうか。
なるべく早く帰りたい。帰れば王妃様との全面戦争になるとしても、その難局を乗り越えなくては母国が危うい。
せめて、スリファイナだけでも無事に取り戻したい。
……できるだろうか、自分に。
不安が顔に出ていたのだろう。レオヴィスが小さく微笑みながら、静かに、けれどしっかりと私に力をくれる。
「言っただろう?俺は、ユリフィナが望むなら、俺が持つ力を最大限貸してやる、と」
「レオヴィス……ありがとう」
お礼を言う私に、レオヴィスはやや苦い顔をして首を振った。
「いや。……お礼はいらない。条件があるからな」
「条件……?」
そうだ、と炎のような赤い目でひたりと私を見つめる。
魔法の目ではない。なのに、視線を外せなかった。
「俺の力を最大限貸そう。だから、お前を利用させてくれないか」
少なくとも、俺の父にお前を婚約者として紹介させてくれ。
そう言ったレオヴィスに、私はただ目を見開いて驚くしかできなかった。




