第二十六話
「け、傾国……?」
自分で言うのもなんだが、この顔は確かに人を恋に狂わすくらいはできると思う。
もう少しミステリアスな感じになれば完璧だ。ランスがあんなにとち狂って愛を告げるにふさわしい容姿は、確かにしている。他人事だったならさぞ私は「私」に同情したことだろう。
しかしだ。思うに王族とか貴族たちは、ある程度の美形を見慣れている。着飾った本物の貴婦人たちの見た目の美しさは、まだ少女で飾り気のない私とは格が違う。
……まあ、だからこそいいって言う人もいるのだろうけど……
それは少数派だ。大多数は前者を恋人として選ぶ。後者を恋人として見れる者を、世の中では変態と言うからだ。
今現在の私はさすがに「傾国の」とはならない。では将来なら?
……考えるのも恐ろしいが、数年後ならば、シーナの言葉は現実味を帯びてくる。
それも、私の背景を考えるとさらに重みを増して。
「ちょっと待って、ちょっと待ってね、傾国の?私が?国を傾かせたいなんて、微塵も思ってない私がなんでそんなことに?そんな物騒で野蛮なことに巻き込まれるって言うの、私が?」
迷惑極まりないんですけど。
自分を落ち着かせようと必死になるあまり、ぶるぶると震える手がこの動揺を如実に表している。
それを見て、レオヴィスがやはり労わりの眼差しで同情を示してくれた。
「俺もそう思ってはいたんだが、おそらくユリフィナの意思など関係なく周りが動く。巻き込まれる、という表現はすごく的確だな」
レオヴィス……そんなこと、感心してほしくないよ……
恨めしげな私の視線に気づき、ややばつの悪そうな顔をして軽い咳払いをした。
「……俺は本来、人の言うことは半分以下で聞く。よく知らない者からの話など、自分で確証が得られない限りは女の噂話より真実味がないと思っている。だから、シーナからそれを聞いた時、いつもなら馬鹿らしいと取り合うこともないはずだった」
その歳でまだ知らなくていい、人の黒い部分を熟知した発言だね。
うん、掘り返しちゃいけない、スルーしときます。
引きつりながらも頷いて話を聞く私に、レオヴィスは苦笑しながら続けた。
「だが、今のユリフィナの状況は、その容姿でなくとも「傾国の」と呼ばれる可能性が高い。それを説明するために、この国の情勢を他国の目から見て意見したいと思う」
まず、と前置きをしながらリィヤに合図してテーブルの上に地図を広げた。
主にスリファイナとファスカを中心とした大陸地図で、大きな町の名前などが書かれている。
しがみついたままのアーサーと共にそれに近づき、広いテーブルを囲むように六人が集まった。
「スリファイナとファスカが共に属国になって、……189年か?随分と長い間、この国は属国と言う立場に甘んじてきた。対外交渉を覚え、富を蓄え、ユーリトリアにとっては痒い存在ではあるが、属国の義務を忠実に守り、ファスカとの仲立ちをしてくれるありがたい国でもある。できることならファスカを手放してもいいから、この国だけは手放したくないと思うほどだ」
実際、ファスカから独立したいと言われたら、ユーリトリアとしてはその条件でなら、と返すつもりでいるらしい。
だがこれは本来おかしな話だ。
この二国がいかに兄弟国で異常とも言える結びつきがあるからといって、独立という国の尊厳に関わる話になればそんな条件など、条件ではない。友好関係が崩れる以外に、ファスカにダメージはないのだから。
「だがファスカはスリファイナと共に独立することを要求してくる。地理的にファスカは他国と接触するにはこの国を通るしかないから、ここを犠牲にして独立すると孤立することになる。安易に考えればだからか、と思うが……、ファスカが生活に困ることはほとんどないだろう。恵まれた土地だからな。一部の贅沢品や技術などは伝わりにくくなるだろうが、それだけだ。共に独立しなければならない理由ではない」
レオヴィスが地図を指しながら説明してくれる。
それを見ていてどうしても気になることがあった。
「……ねぇ、どうして海を使わないの?この大河を渡れるなら、浜辺に沿って船で行く方が簡単でしょ?」
私の発言にレオヴィスが一つ頷いて、海で途切れた山脈の端からぐるりとスリファイナの南端までを大きく取り囲む。
「正確な位置ではないが、簡単に言えばこんな形で巨大な岩礁群があるからだ。今はだいぶ海図ができてきたが、これらを避けられる規模の船は百名程度の客船が精一杯だろう。それも満潮時でないとぶつかる可能性が高い。……国を攻めるような軍艦が、満潮を待たなければ岸にも近づけないなど滑稽すぎる。昔ファスカとスリファイナが、北の山脈、南の大河、海の岩礁群によって他国の侵略を阻んできたことから、この二国は神が加護する楽園なのだと言われてきた」
神が加護する楽園。
まあ、ここまで揃えばそう言われても仕方ないか。神様の恩恵受けまくってる感じだもんね。
土地は恵まれてるし、他国の侵略に怯えなくていいし、うはうはだ。
うんうん、と頷く私に話は続けられた。
「……そんな土地柄だからか、この二国は宗教色の強い国だった。今のスリファイナは緩んできたがな。ファスカは現在も強い宗教色を残している。いや、神と王族の神秘性を尊ぶ…といった感じか。今もって国王以外の王族の顔が世間一般に公表されない。おそらくユーリトリアの使者も見た者は少ないと思う。王宮の奥で謎に包まれたまま一生を過ごすと聞く。だが、何事にも例外がある。その唯一の例外が……」
レオヴィスがまっすぐに私を見る。
「スリファイナの王族だ。おそらく、この世界で唯一ファスカの全王族の顔を知っている」
「な、なんで……?」
「それは俺にもわからない。なぜファスカがスリファイナの王族の前には姿を現すのか。兄弟国だから、という単純な理由ではないことは確かだろうが……この点について、アーサー。お前は何か知っているか?」
視線を私からアーサーへと切り替えたレオヴィスは、冷めた顔も相まってとても九歳とは思えない。
厳しい目は心の奥まで見透かすようだった。
「……私が知っていること、とすれば……伝承の類です。この二国を密接にする唯一にして、最大の理由だと言えましょう」
アーサーは静かに話しだした。
「昔この二国が建国される時、二人の兄弟がこの恵まれた土地を分け合ったのだそうです。今のファスカを兄が、スリファイナを弟が受け持ち、仲良く互いを支えあった。それを感心した神が、その娘の女神一人を兄の妻として下げ渡し、弟にはこれから生まれる子供に力を分け与えた。これを喜んだ二人は、せっかくの神からの贈り物を、どうにかより長く後世に伝えられないかと考える。……ならば、兄と女神から生まれた子を、力を賜った弟の子供と結婚させよう。その約束は果たされ、その二人から生まれた子供は神秘的な美貌と力で国をさらに盛り立てた、というお話です」
区切るように一つ息を吐いて、アーサーは私をどこか悲しげに見下ろした。
「……ユリフィナ様は、この伝承に則ってお生まれになった方。血を濃くするのはよくないと、それ以降は五代ごとにファスカとスリファイナの王族の方がご結婚されています。……前王妃様と国王陛下が、その代でございました」
ああ……だから、ファスカは二人の姫をスリファイナに……
伝承なんて、本当にあったかどうかもわからない話なのに。
……あれ、でも待って。その話だと……
「アーサー、兄と女神の子供を弟の子供と結婚させたのよね?それで、そこから生まれた子供が国を盛り立てた……どっちの国を?」
普通、生まれた国を母国として愛する。いくら親の国だとはいえ、できる限りの尽力はしてもどちらかが得をする場面になれば、自国を優先する。
それを解消する手立てがあるとすれば……
「まさか……生まれた子供の一人を、養子に?」
ある最悪の未来がその先にあって怖いが、私はそれを聞かなければ。
どこか縋るような目になってしまったのだろう。アーサーは悲しげだった顔をさらに曇らせた。
「……はい。現在ファスカが貰い受けるべき子がユリフィナ様お一人。しかしこの国にも二国の血を引く御子を残さなければならないので、現王妃様が御輿入れされました。現王妃様がこの先ご懐妊されない、もしくは御子が王女であった場合、ユリフィナ様がスリファイナに残り、第二王女がファスカへ行くことになります。ですが……」
「……うん。生まれたのが王子だったら……私が、ファスカに行くのね?」
アーサーは黙ったまま私を見下ろしている。
……頭が痛い。私には問題しかないのか。自由はないのか、せめて好きな人くらい自分で決めさせてくれると信じたい。
大きなため息を吐く私に、レオヴィスが難しい顔でさらに私を追い詰めてくれた。
「……いや、その話が本当なら事態はもっと深刻になるかもしれない……」
「え!?」
「俺がさっきユリフィナに試した操作魔法だ。ユリフィナはあの魔法が掛けられた目を、他に知っているな?」
言われ、脳裏に蘇ったのは冷たい蛇のような王妃様の目。
シーナはあの目に対抗するために、私の目に魔法をかけたのだと言っていた。
「……王妃様……」
呟いた私の言葉に、アーサーとランスが驚いた顔をする。
「そうだ。……俺に察知されるのを避けたのか、ユリフィナが執務室に呼ばれたあの時まで俺の前に姿を見せなかったがな。あの時まで疑問に思っていたことが、アレを見ていくつか解消された。その一つが、最近の国王の変化だ」
最近の国王……
現王妃と二年前に結婚し、その王妃の目には人の意思を薄弱させる操作魔法がかけられている。
二年間、操作魔法にさらされてきたであろう、国王の変化。
……嫌な予感しかしない。
レオヴィスはそんな私の予感を後押しするように、重い口調でそれを話した。
「近い将来スリファイナはファスカの言いなりになるだろう。国王は病気で伏せっている、とでも言って現王妃が表に立つ。……ユーリトリアへ反乱の挙兵も起こりうる。その旗を手に取る役は……」
レオヴィスは私を見ている。
その意味を、わかりたくもないのにわかってしまう。
「わ、私……?」
そんな馬鹿な。
首を振る私にレオヴィスはなおも静かに言葉を重ねる。
「いいや、ユリフィナ、お前なんだ。…二国の伝承の通りに生まれた、神秘の存在として確実に祭り上げられる。そこにお前の意思はない」
拒否すれば、スリファイナで生きる場所を失うだろう。
私はただ呆然と、その無慈悲な未来を聞くしかなかった。




