第二十四話
レオヴィスの地位の力。
このコルダー大陸最大の国、ユーリトリアの第三王子にして王位継承権第二位。ユーリトリアの国庫とも、玉座の地方とも揶揄されるシーグィ地方次期領主という絶大な権力だ。
彼がそう名乗るだけで、周辺の小国などは贅を尽くした宴を開き、貢物を送るだろう。スリファイナの今の国内情勢と国王がさせないだけで、娘を差し出そうとする国は多い。
王太子である彼の兄にはすでに婚約者がいて、仲睦まじく今年の初夏には盛大な式が予定されている。側室という制度もあるが、彼はそれを拒否することを公言しているため、年頃の娘を持つ有力貴族や周辺諸国はレオヴィスの動向を探るのに躍起になっているのだ。
もっとも、当の本人はそんな周りの暑苦しいまでの「うちの娘はいかがですか」攻撃にうんざりし、婚約者という言葉が出た途端、不機嫌も露わにする。
ユリフィナが「おやすみなさい」と言ってしまったあの事件も、本来なら彼はブリザード吹き荒れる眼差しでリィヤ達を黙らせ、ユリフィナに「怖い人」という印象を残したはずだった。それがなかったから、周りは余計に盛り上がってしまった感もあったのだ。
レオヴィスのあの反応からして、ユリフィナのことを好意的な目で見ている。
あの場にいた全員がそう思ったはずで、そしてそれは今も変わらない。ユリフィナの立場が今後変われば、レオヴィスはユリフィナを妻に、と望むだろう。確信に近い思いがリィヤにはあった。
ただ……
それが恋愛感情であるかは、正直、リィヤにもわからなかった。
レオヴィスは目的のためならば自分の感情など二の次にして、どんな役さえも演じてしまえる。それが大国ユーリトリアの王族に必要なことだと言われてしまうと、複雑な思いが込み上がった。
傍目で見ていてさえ、その重圧はすさまじい。もし自分に代われと言われたら、たとえ一日でも無理だと首を振るだろう。
若干九歳。圧倒されるほどの強い意志と空恐ろしい知能、謀略を常としなければ生き残れなかった環境が、彼をここまで育て上げた。
可哀想だと言うのはたやすい。そしてとても残酷で浅慮だ。
レオヴィスを哀れむことは、産んだ母親でさえ許されない。その運命を彼に下した神でさえも。
唯一それができるのだとしたら……それはきっと、彼を愛し、癒すことができる、何も持たない女だけだろう。
そんな女はこの世のどこにもいない。この世に生まれ落ちた瞬間から、人はみな何かを持って生まれる。血脈がその代表だ。
だから、悲しい。
ユリフィナが一国の王女であること。このままなら、いずれ国を背負う者であること。その血脈が途切れてはならないものであることが。
レオヴィスが唯一、おそらく初めてであろう好意を持った女が、……ユリフィナであったことが。
彼を崇拝し、命を捧げてもいいと思えたリィヤにとって、彼女の存在は喜ばしくもあり、同時に酷く悲しくもあったのだ。
彼女を愛する打算を考えなければならない、主の環境が……
酷く、口惜しいと思った。
「……えーと……」
言葉を詰まらせる私を、レオヴィスは変わらず真剣な顔で見つめている。
本気、なのだろうか?
レオヴィスの協力があれば、たいていのことはその名の力だけで済んでしまう。言ってしまえば、この大陸の国々に影響を与える、ユーリトリアの政治に口を出せるほどの力だ。それだけのものを、最大限私に貸す。
……いったい見返りはなんだろう、まさか国だろうか、と恐れてもおかしくはない発言だった。
レオヴィスはじっと言葉も返せない私を見つめて、不意にその視線を侍女たちに向ける。
侍女たちはびくりと肩を震わせた。
「私は彼女と話がしたい。……そうだな、アーサー、君はここに。ランス、聞いているな?入ってこい」
呼ばれ、ランスがそっと顔をのぞかせる。
言うまでもないが、剣を持っていない状態のランスは憑き物が落ちたような優しい表情で、私と目が合うと小さく笑ってくれた。
いつもこれなら、ホントに安心するのに……
あの状態のランスを知っただけに、その落差が物悲しい。
侍女たちはレオヴィスの意向を悟り、一礼をして出ていく。それと入れ替わるようにリィヤと、その足元には黒猫のシーが部屋に入ってきた。
「シー!」
呼ぶと、黒猫は視線をこちらにくれ、ニヤリと笑う。
侍女の足音も聞こえなくなると、その姿を変えた。
「……俺の玩具は最高の環境を整えつつあるな。惚れ惚れする」
「……そんな玩具を作れた自分に、でしょ」
「ははっ!わかってるな。お前は最高の女だよ、この長いだけの退屈な時を最高に面白くしてくれる」
無邪気に笑う顔が存外に子供っぽく、そして無駄な色気が加わって複雑な気分にさせた。
……ホント、顔だけは満点なのよ。たぶんこれ以上の顔なんて存在しないくらい、完璧なのに。
神は二物を作らず。その性格が直しようがないほど破綻してるのが、ちょうどバランスがとれていいのかもしれない。
呆れたような、少し複雑な顔をした私と、この世の美を尽くしたと言っても過言ではないシーナの会話に入ってきたのは、顔を強張らせたアーサーだった。
「お、王女殿下?これは……私の目が、おかしくなったんですか?この男は、いったい……猫、猫はどこに?」
あ、そういえば。
レオヴィスとリィヤが平気な顔をしているのは、たぶん今まで話をしていたからだろう。その前に猫じゃないって、馬車の中でも言ってたしね。
見ればランスも驚いた顔をしていた。
「えーと……簡単に言えば、シーは、猫じゃないの。中身はこの通りで、でも人間でもないの。理由があって私に……えーと、そうね、取り憑いてる……」
ちらりとシーナを見ると、片眉を上げて首を振る。この説明ではダメらしい。
不服ですか。……その通りなのに。
ひやりと冷気が漂った気がして、慌てて言い変えた。
「私の人生に協力してくれてるのよ、うんうん!」
ああ、今すぐ閻魔様に舌を切られたい。
なんでこんなド鬼畜野郎の弁護をしなければならないのか。
もしやこれすらプレイの一環なのか。ドSの心根はどこまで人に対して真っ黒なのか。
私には計り知れないし、もうこれ以上知りたくもないのに。
シーナはニヤニヤと笑っている。…満足してくれたようだ。
アーサーは腑に落ちない顔をして、ランスは優しい顔に悲しげな色を見せる。
……うん。アーサー、その通りよ。ランス、ホントにありがとう。
遠い目をする私を、言葉もなく慰めてくれる二人に感謝して溜め息を吐いた。
「……えーと。それで、レオヴィス、さっきの話に戻るけど……」
「あ、ああ。……ユリフィナの状況は少なからず耳にしていたし、先ほどこのシーナに話を聞いた。俺の力を貸すことは悪い話ではないと思う」
うん。私もそう思う。
だけど、その見返りが私には想像もできなくて怖いんです。
そんな私の心の声に答えるように、レオヴィスは続けた。
「たぶん、ユリフィナを戸惑わせているのは、どうして俺がこんなことを言うのか、だろう?……俺はこれから、お前がまだ五歳だということを考えずに話をする。きっとまだ理解できない世界情勢もあるだろうが、賢いお前になら納得できると思う」
「う、うん。頑張る……」
賢い!うーん、前世の時すら言われたことのない褒め言葉。
言われると気持ちがいいもんなんだね。でも、ちょっと不安が先立つんですけど。
期待に応えられるといいんだけどな……
不安げな私に、レオヴィスは小さく笑ってくれた。
「大丈夫だ、お前はきっと俺と同じ視界を持っている。……ユリフィナ」
「は、はい?」
「お前の目に、この緊迫した世界はどう映る?」
どう映るって言われても……
戸惑う私をレオヴィスは静かに待っている。その過度ともいえる期待。……重圧をあえてかける、その意味が気になった。
「……私は、この世界が本当にそんなに緊迫しているのか、まだよくわからない。でも、本で習っただけでも、その歪さはおかしいと思うわ」
大国ユーリトリア。属国のスリファイナとファスカ。周辺諸国はいつユーリトリアに攻められるかと、軍部を強化せざるを得ない。……実際、ユーリトリアが狙っているかもわからないのに。
そしてユーリトリアの内部でも、歪みは争いへと成長している。内乱と言う、火種を抱えたままだ。
一番は、属国スリファイナという国の歪さ。
争いを好まないスリファイナの王族の性質が、属国であり続けることを黙認しているのかもしれない。だが、それにしても今の国庫の状況を鑑みれば、争わずとも独立は勝ち取れる気もするのだ。兄弟国の同じく富を蓄えたファスカもそれに加われば、内乱の火種をそこかしこに抱えているユーリトリアにとってその主張は妥協せざるを得ない。
なぜしないのか。
そしてなぜ……ファスカから二度も姫を王妃に戴いたのか。
一人目の王妃を深く愛していたから?だから二人目はその妹姫をと?
愛妾はついでのように存在しているが、彼女はスリファイナの有力貴族の娘だ。何もファスカから二人目の姫を戴くよりも、彼女を王妃にしてもよかったはずなのに。
二人も姫をスリファイナに手放したファスカ。二人ものファスカの姫を王妃に、と望んだスリファイナ。
この二国が、直系の娘である私にさえ歪んだ関係で結ばれているとわかる、異常な婚姻だ。
それはきっと、この婚姻を知った他国の者であればあるほど、眉をしかめずにはいられなかっただろう。
「……世界は歪んでる。ううん、どこかを突いたら簡単に爆発しちゃいそうなくらい、何かが膨れ上がってる。……私は、そんな風に思うわ」
悩んだ末に、それだけを言葉にすれば、レオヴィスは満足そうな、嬉しくてたまらないといった様子で微笑んだ。
「そう、やっぱりお前は俺と同じ視界を持てるのか。……嬉しいよ、俺は初めて人と意見しあうことができる気がする」
言って、レオヴィスはその笑みを不意に曇らせた。
「……だからこそ、ユリフィナ、お前が現在実質的な王位継承権第一位であることが残念だ。今のままなら確実に……」
「……確実に?」
言い淀むレオヴィスに首を傾げ、続きを促す。
それが、失敗だったと私を後悔させることも知らずに。
「確実に、俺のものにはならない。……いっそ、スリファイナを攻め滅ぼしてしまおうか」
そうすればお前は一国の王女ではない、ただの女だ。
炎のような赤い目が、甘く危険な色を含ませて微笑む。
その言葉を脳が理解した瞬間、ひっ、と声にならない悲鳴が喉の奥に詰まった。
怖い、と感じることもできないほど、レオヴィスの目に囚われてがんじがらめに縛られてしまう。
……そんな、倒錯した思いにさせられる目だった。




