第二十二話
「姫様!」
私を呼ぶ危険を知らせる声。
振り向く前に、誰かに強く腕を引かれて壁際に押し込まれた。
「……っ、な、に……?」
誰かの背中。濃いブラウンの髪が見える。そのやや斜め前隣には緊迫した顔のレオヴィス。
何が、起こったんだろう?
前が見えない。キィン、キキィン、と金属が打ち鳴らされるような音と、大勢の足音。時折人の悲鳴のようなものが聞こえた。
状況がわからない不安に、視線がさまよう。すると窓辺でじっと、私が見えない部屋の状況を見ていたシーがこちらに視線をくれる。
薄いブルーにも見えるグリーンの瞳。……それがなぜか、今は底知れない闇に見えて仕方ない。
ぶるり、といつもとは違う本物の悪寒に肩が震えた。
「リィヤ、しばらく持ちこたえろ。簡単な防御魔法ならすぐにできるんだが……」
「わかりました」
リィヤの背中が少し離れる。
そうしてようやく、部屋の状況が垣間見えるようになった。
「……な、にこれ……」
何人もの覆面をした男たちが武器を持っている。床に倒れ込んで動かない者の中には、明らかに死んでいるとわかる者もいた。
頭の中が真っ白になり、次いで恐ろしい言葉が浮かんだ。
―――襲撃。暗殺。
誰が?
愛妾?王妃様?それとも別の?
誰を……?
ここにはレオヴィスもいる。だからこの男達の目標が私とは限らない。だけど。
だけど……このスリファイナで、しかも私が同行している時にレオヴィスを襲うのは、不自然すぎないだろうか。私がいることで警護も強化されたはずなのだから。
それでもレオヴィスを狙う者はいるかもしれない。いるかもしれないが……
「……私、なの……?」
明後日にはスリファイナを離れる私を殺すのなら、勝手のわからないユーリトリアではなく国内で済ませてしまいたい。そう思うのは当然なのではないだろうか。
知能が上がったせいで、恐ろしいことばかりを考えてしまう。
足がすくむ。人が人を殺そうと動く、そのむき出しの悪意に立ち向かうのだと、決めたはずだった。
なのに、恐怖と震えるしかできない自分の情けなさに涙がにじむ。
「……よし!リィヤ、来い!!」
「はい!!」
レオヴィスの声にリィヤが戦っていた相手の腹を蹴りとばし、素早くレオヴィスよりも後ろに下がった。
その瞬間、レオヴィスの手からサラサラと零れるような光があふれ、私達を包み込む。
再びリィヤに視界を遮られてしまうが、震える足を叱咤して光に触れないように部屋の状況を覗き見る。
その途端、男が一人こちらに剣を振りかざして向かってきた。
声にならない悲鳴を上げるが、振り下ろした剣が光に弾かれて中には入ってこない。
何度も繰り返すが、どうしても光に弾かれてしまうため諦めたのか、踵を返し乱戦をしている中に飛び込んで行った。
「……これでなんとかしのげるだろう」
「それでも油断できないんでしょう?貴方は本来攻撃型の魔法使いなんですから」
「まぁな。炎や雷なら得意中の得意なんだが……ここでやったらさすがに味方を巻き込む。しかし、ユリフィナのあの従者……強い」
「そうですね。尋常ではないと言うべき強さです。騎士であればユーリトリアの騎士団にいても団長の座は夢ではないでしょう。……けれどあの戦い方……引っかかります。彼のあの力ならもっと押してもいいはずなんですが、防御にならざるを得なくなっていると言いますか。何か、本当の力を出せない理由でもあるんでしょうか」
リィヤの言葉に、部屋の中央で乱戦をしている中心に目を凝らす。
誰かがその男達と戦っている。
部屋にはだいたい十人くらいの男達が武器を振りまわしていた。その中心で、一人鮮やかに動く姿が見える。
あれは……
「……ランス!?」
短剣一つを片手に持ち、見る者を惚れ惚れとさせてしまうような動きで、次々と容赦なく襲ってくる攻撃をいなし、かわしている。
その顔にいつもの優しさなど欠片もなかった。
それどころか、血しぶきを浴び服は真っ赤に染まり、顔にも赤い血が散っていると言うのに酷薄な笑みさえ浮かべている。
誰、アレ……
私が呆然と見入ってしまったのは、その動きの鮮やかさもさることながら、あまりにも変わり果ててしまった優しい従者の顔。もはや別人と呼ぶにふさわしい。
「どうした!?……っ!!」
その時、騒動に気付いて駆けつけたのだろう、アーサーと他の騎士たちが部屋に飛び込んできた。
「アーサー!!」
ランスの声に、アーサーが攻撃をギリギリでかわしながら腰の剣に手をかける。
私はその時、アーサーも戦うのだと、そう信じて疑っていなかった。
しかし実際彼がしたことは……
「受け取れ!!」
その長剣を投げ渡したことだった。
「え!?」
戦わないの!?と誰もが思ったことだろう。
敵の中にはその行動に呆気にとられた顔をした者もいた。
だが、その切ってくださいと言わんばかりの大きな隙を、悪魔のような笑みを浮かべたランスが見逃すはずがなかった。
「……あっははははは!!いいねぇ、いいねぇ!血沸き肉躍る!これこそ俺の本領、本懐だ!!」
今まで防御に徹していた動きを、一気に攻撃に変えてそれこそばったばったと切り倒していく。
短剣はそのまま左手に持ち、右手の長剣で本当に容赦のない、確実な死をもたらしていく姿は悪魔か死神のよう。
襲撃してきた男たちは見る間もなく倒されていき、最後の一人を蹴りつけ笑ったまま長剣を振り下ろそうとする。
…………………はっ!ダメ、ダメよ!!止めなきゃ!!
変わりすぎてしまった従者に圧倒され、頭の中が理解不能で固まってしまった。
いや、だって、固まるでしょこれ。別人だもん。怖いもん。どっちが悪か、わかんないくらいだもん。
「だ」
「ランス!……そいつは殺すな。首謀者を吐かせる。それと、それ以上やったら確実に王女殿下に嫌われるぞ」
私の制止の声に被り、アーサーが冷静な声を上げた。
もう少しで首に刺さるはずだった剣がぴたりと止まり、男の胸に乗り上げた片足はそのままに、ゆっくりと剣を下ろしてくれる。
……止めてくれたのはありがたいんだけど、なんで私に嫌われる発言?
これ、私に何か飛び火しないよね?
戦々恐々としながら引きつった顔で、ランスがこちらを見るのを待つ。
正しくは蛇に睨まれた蛙のように動けず、待つしかできなかった、というべきなんだろう。
怖い。すごく怖い。だってあれ、もはや命を助けてくれた勇者と言うよりは、血に狂った悪魔だもん。
ランスの、光によって様々な色に見せるヘーゼルの瞳が私を捉える。
そしてゆっくりと、その顔に優しい天使の微笑みを浮かべた。
「……姫様、少し目をつぶってお待ちください。すぐに終わらせますから」
ひぇっ!何を終わらせるの!?拷問!?命!?その人の人生!?
どれにしたって怖い!!
真っ青な顔のまま固まる私を見て、アーサーがまたもや冷静な声でランスに注意する。
「ランス、その姿でどんなに優しく笑っても王女殿下を怯えさせるだけだ。常々言ってるだろう、お前の剣技と笑みは一緒に出すなと。悪魔の微笑みにしか見えん。きちんと後で謝罪しておくんだぞ」
言いながらランスに踏みつけられたままの男に近寄り、その足をどけさせる。
手早く男の手足を縛りあげ、出番もなく呆然としていたユーリトリアの騎士と部屋を出ていこうとする。
いやいやいや、ちょっと待って、アーサー!行くならランスを連れて行って!
ま、まだじっと見てるんだってばー!!
声にならなかったのでテレパシーが送れないかと必死に祈る。
その祈りが聞こえたのか、思い出してくれたのか。アーサーは足を止めてくれた。
「ランス。じっと見ているだけならこっちに来い。お前がいると王女殿下が怯えるし、この男の尋問にお前がいれば役に立つ」
そう、そうなの!アーサー、さすがね!
しかし私のその喜びもつかの間だった。
「いやだ。切り刻むなら行ってもいいけど、どうせ生かさず殺さずの手加減しろって言うんだろ?そんなの面倒だね。それに、それならお前のが得意だろ?」
と、得意!?生かさず殺さずが得意って……アーサー……?
あれ、どういうことなの。私が従者としてお願いした二人は、まさかとんでもなく問題児だった、とか言うんではないだろうか。
今からでも返品……できるわけ、ないよね。
「……仕方ないな。王女殿下、すぐにこちらに戻ってまいりますが、不肖の弟がもしかしたら暴走するかもしれません。危害を加えることは決してありませんので、できるだけ穏便にあしらっていただけますか。もしくは隙を見てその剣を取り上げてください。元に戻りますので」
暴走!?あしらう!?
隙を見てって、私が剣の達人だとでも!?できるわけないでしょ!
思わず目の前のリィヤの服にしがみついた。
「あ」
アーサーがまるでやっちゃった…と言うかのように視線をそらし、こめかみをもむ。
……え、なんでしょうか……?
その時強烈な冷気を感じた気がして、なるべく視線を合わせないようにしていたランスに目を向ける。
一瞬、だった。
三メートルは離れていたはずの、血まみれのランスが目の前に屈みこんでいた。
「……姫様、俺は貴方の僕。貴方の道具。貴方のためなら敵の首も己の命も捧げて見せましょう。でも……」
先ほどのようにゆっくりと顔が上がり、ヘーゼルの瞳が私を金縛りにさせる。
「忘れないでいただきたい。俺がこの世で一番、貴方を愛していることを」
……うっとりと告げられても、いやむしろその方が怖いー!!
ぱっとリィヤの服を離して後ずさる。その様子を見て、ようやく口の端が上がる。
わ、笑ってるけど……目が笑ってないよ……
こ わ す ぎ る !
もう、ダメ。
すぅ、と意識が遠ざかっていく流れに逆らわず、そのまま目を閉じた。
倒れ込んでいく私の背中を誰かの腕が優しく抱きとめ、微かに右手の甲に柔らかいものが押し当てられた気がしたけど。
それが何なのか、なんてわからないし、考えたくないのでシャットアウトさせて頂きます。
ああ……このまま眠っていたいよ、ホント……




