第十四話
フィリップは困りきった顔で私を見ている。
いい大人を困らせている自分が酷く幼稚な気がしてならないけど、それでも決めたのだ。
私は、マーサの家族まで犠牲にしたくない。私のわがままで誰かが救えるかもしれないなら、とびっきりのわがままを言う。
……本当は、一番救いたい人を救えない自分が嫌で、その穴埋めを探してる。そのことから目を背けたいだけの、間違った正義感なのかもしれないけれど。
「……王女殿下……。お分かりかと思いますが、規則にないだけで従者は男の貴人に付ける者。王女殿下に付けるのであれば、従者ではなく侍女がそれに相当します。従者に御身のお世話を任せるなど……」
なるほど、女の私に男の従者が付いたら問題があるってことね。
でもそんなこと、私には些細な問題だ。命狙われる問題の方がよほど重要ってものよ。
……うら若き乙女の周りに男がいることを、些細な問題だと言い切ってしまえる私の環境って、けっこう悲しいものがある。
一瞬遠い目をして、すぐに気を取り戻す。
ここで踏ん張らねば、誰がマーサの家族を助けられるのか。
「筆頭侍女はまた新しく付けられるのでしょう?それに、こんな騒ぎがあった以上警護も増える。でも私、ぞろぞろと団体で歩きたくないわ。そんなもの周りの迷惑でしかないでしょう?だったら男の従者が二人もいれば警護は増やさなくてもいいし、第一に筆頭侍女が私の安全を最優先にするというのなら、それこそ男の従者がいいわ。それに……」
言うのをためらう。
ちらりとマーサを見やり、気を引き締めた。
「それに、マーサの息子なのだから、私の従者になることに異論などないだろうし、私に対してこれ以上ない忠誠を尽くしてくれることでしょう」
これを言うのは、卑怯だ。
処罰されたマーサ。その息子を私の傍に侍らせる。
誰もがその息子の異例な配置を恩赦だと思うだろう。王女たる私に仕えさせるのだから。
そして強制的にマーサの息子は私に絶対の忠誠を誓う。私の安全に、この王城にいる誰よりも気を遣うようになる。
……これを卑怯と言わず、何と言うのだ。
マーサの顔は見れなかった。私にあんなに優しくしてくれたのに、仇で返したようなものだ。
それでも。
「……王女殿下、本当にそれでよろしいのですか?」
「いいわ。何が悪いというの?私はマーサの息子たちを救済してあげたのよ、その見返りが命でなくては話にならないわ」
「……わかりました。では、私一人の判断ではそのお話を通せませんので、国王陛下にご報告申し上げます」
そう言って、フィリップがマーサを連れて部屋から出ていく。
「……姫様、姫様にお仕えできたこと嬉しく思います。どうかお健やかであられますよう……」
出る間際、そう囁いてくれた。
けれど私はマーサの顔を最後まで見ることができなかった。
申し訳なくて、これ以上の考えが浮かばない自分が情けなくて、悔しくて、涙で視界がにじむ。
前世なら、無力であることが武器になった。無力な者を保護してくれる環境があった。でも、ここでは無力であることはただひたすらに悔しい思いをするだけ……
でも、泣かない。泣いても何も変わらない。私はただ、国王様が私の話を認可してくれることだけを祈らなくては。
私は初めて、大きなものを犠牲にした。
せめて踏みにじった温かなものが、私の記憶から消えてなくなってしまわないように、涙をこらえてこの犠牲を心に刻みつけた。
しばらくして、何事もなかったように食事が用意された。
もう朝食どころか昼食の時間も過ぎていたらしい。だけど、昨日の夕食から何も食べていないのに、いっこうにお腹がすかない。あんなに泣いて疲れていたと言うのに。
さすがの私も精神的なダメージが大きすぎて、脳内が麻痺を起こしているのかもしれない。
突然死して、死神に玩具にされて転生して、起きた矢先に色々なことが起こった。
たった一日だ。こんなに密度の濃い一日を過ごした人間などいるだろうか?
食欲など脳の片隅に追いやられてしまったらしい。
「……はぁ。もう、何が何やら……」
誰が私を毒殺しようとしたのか。王妃様だろうか、愛妾だろうか。
それとも私がまだ把握してない勢力だろうか。
正直、私を狙う価値はありすぎる。もし反対の立場なら、小心者の私ですらあわよくば、と思ったりするだろう。
並べられた食事。
……これで昨日の騒ぎを思い出さない図太さは、私にはまだない。
「……もういいわ、下げて」
それでも一口も手を付けないのは料理をしてくれた者に悪い気がして、なんとかスープだけでも飲みほした。
もうこれ以上は無理。言外に告げて、料理を運んできた侍女たちに手を振る。
最小限の音しか立てずに食器を片づけていく彼女たちを、見るともなしに眺めた。
私の食事を部屋に運んで並べるのは侍女。廊下まで持ってきて、持って帰るのは女官。女官から雑用を任されるのが使用人。
従者や侍女は身分のある貴人の娘や息子がなるもので、女官は身分は低いが教養を学んだ者がなり、そのさらに下の使用人はいわば雑用係と言って差し支えない。それでも、王城で働けるだけの身元があるのが最低限の条件だ。
王女の私に近づけるのは、せいぜい女官の中でもトップの者まで。
朝私の部屋に入ってきた女官は、間違いなく女官たちを統括する立場にある者だろう。
筆頭侍女のマーサはクビになり、おそらく女官も何人か処罰が下された。料理人も毒見係も、私の耳に入らないだけでクビになったか刑罰が下されたか。
この騒ぎで何人が巻き添えになったか、私には知りようがない。毒を入れた犯人が悪いだけなのに。
私を殺そうと誰かが動けば、それだけで巻き添えになって職を追われる者が出る。なんて残酷な話なんだろうか。
私にもっと力があれば……少なくとも、私にもっとうまく立ち回る力さえあれば。それができるだけの人間関係と発言力があれば。
こんな騒ぎにもならず、内々で処分なりなんなりできたんじゃないか。
……私には、力がない。たった五歳で全てを思い通りにできる力など付くわけがないけれど、今のまま漫然と過ごすだけでは、私の思う力など付かない気がする。
私は……知るべきなのかもしれない。
私の立っている危うい地位を。
周りの人間の目的を。
この国の姿を。
できるだけ客観的に見てから、私は私の敵と戦わなくては。
でなければ、今回みたいな無駄な犠牲が出る。そんなのはもういや。
―――決心をする。
上手くいかないかもしれないが、もしかしたら今回の騒ぎや私がまだ五歳だということが、事を運んでくれるかもしれない。
いや、うまく運ばせよう。
そのためなら、どんなものだって利用する。
例えば……
「……シーナ!いるんでしょ?話があるの」
侍女たちは料理を下げた後、もの思いに沈んでいる私に一礼して出て行った。
部屋には私一人。出てくるなら、きっと今だ。
「……勘が良くなったな。それに、……なんだか面白そうな展開になってるみたいだな。俺がいなくても面白くしてるなんて、これまでにない上等な玩具だ」
笑う美貌の死神。
私の目の前に当たり前のように現れたこの男を見上げて、口を開いた。
……頼みごとをするなんて、ほんとーーーーに、いやだ。だけど、これは彼にしか頼めない。
もう二度とこの男に頼みごとなんてしなくて済むように、私は力を付ける。
そのための、第一歩だ。
「……あのね、頼みたいことがあるの」
「ふぅん。……面白い話なら、もっと面白くして頼まれてやるよ」
そんなことは微塵も期待してない。ニヤニヤと笑うこの男の顔面を、いつの日か足蹴にできる日を夢見て。
私は計画を打ち明けた。
「私の存在を、ユーリトリアの魔法省に密告してほしいの」
私はこの無力な私を最大限活用する。




