◆8話
初戦闘描写
上手く書けない
大和は自身に起こっている異状など全く気にしないまま、目の前の獣に戦闘を仕掛けた。ふわふわとした高揚感が体を包み、今ならどんな無茶だろうと簡単に出来る気がしてならなかった。
“在りえないこと”を“在りえること”にするだけの力が備わっているという錯覚が支配する。
だからなのだろう。自身の身に起こっていることだというのに、その異状を見過ごしているのは。大和にとって、むしろその異常は正常なものなのだと勝手に認識し、受け入れてしまっている。
「はぁ……」
戦う、殺す、勝つ、生き残る。
今、大和を動かすのは、かちかちとスライドショーのように入れ替わる短絡的な思考と、滾る力の奔流だ。
「……、っあああ!」
身を低くし、飛び出すように前進して距離を詰める。そしてその勢いを殺さぬまま、体重を乗せ、威力を上げた拳を獣の眉間目掛けて打つ。
みちりッ、と筋肉がうねりを上げた。
風を切るような音が耳を、鼓膜を襲う。
「っ!」
が、獣とて大和の速いだけのパンチを受けるほど鈍い生き物ではない。その拳を避けてみせ、バランスをほんの少し崩した大和の隙を突く。
飛び掛かり、大和の肩へ爪を突き立てる。
「い、ぐっぅ」
肉を突き刺される痛み。
痛みに怯む、しかしそれも一瞬のこと。
獣の爪が肩の肉を抉り出す前にその前足を掴み引き寄せる。そして追撃とばかりに噛み付こうとしている獣の鼻先にヘッドバットを見舞い、怯んだところを蹴り飛ばす。
吹き飛ぶ獣。
その姿を正面に捉え、構えなおす大和。肩の傷は右足のときと同じように再生を始め、瞬時に痕も残らないほどに完治していた。
獣は立ち上がり、ほんの一瞬大和を睨む。そしてすぐ、攻撃を仕掛けた。
――咆哮。直進する獣。
その速度は、大和がみせた瞬発力に劣らず脅威的だ。
鋭い爪を立て、大和に飛び掛る。
その跳躍が見えてはいるが、見てから動くため、やはり今一歩反応が遅れてしまう大和。また、ここでカウンターのタイミングを逃すのも経験のなさ故か。なんとか爪をガードしてみせるが、押し負けてそのまま押し倒されてしまう。
「くっ!……かはっ」
受身もなしに背中を床に叩きつけてしまい、僅かに呼吸が苦しくなる。だが休憩などあるはずもなく、すぐさま喉元に喰らい付こうと迫る牙を反射的に左腕で庇う。
「ぎぃ、ッ!」
左手首付近に、牙が食い込む。
大和の顔に降る、血と涎と生臭い息。
「このっ!!」
攻められ続けるわけにはいかない。
大和は喰い付かれていることを利用してそのまま地面に叩きつけた。
ズガッという鈍い音。
獣の口が僅かに開かれた隙に大和は自らの腕を引きずり出し、獣のどてっ腹に蹴りを入れてマウントポジションから引き摺り下ろす。
その後すぐに体勢を立て直し、飛び退くようにして距離をとった。
「はぁ、はぁ、はぁ、っ――」
戦えている。
攻撃をくらいながらも、ズブの素人が戦っている。
大和は確実に互角並みの戦いを繰り広げている。
その事実が、大和の根拠のない自信を確信へと変えていき、思考を麻痺させている。
大和の動きは、決して実戦に裏打ちされたものではない。その道の達人や、戦い慣れしている人物から見れば、戦いというのもおこがましい立ち回りだろう。
だが、今、相手取っているのは人ではなく獣だ。
獣の爪が迫ればかわし、反撃。
獣から攻撃が来る前に、攻める。
たったそれだけの稚拙な戦いだが、人間よりも遥かに高い身体能力をもつ獣に対して接近戦を仕掛け、互角に近い戦いを繰り広げることは、恐ろしく異状だ。
「――ふ」
その異状を経験している当の大和は、いまだ酔ったような高揚感の中にいた。
「ふは、はははっ」
その感覚に笑みすら浮かべてしまうほどに、その気分に酔いしれていた。
戦えている、という確信が胸の内で大きくなるにつれ、自分の中の得体の知れない力の使い方が解き明かされていくような。
そう、子どもの頃ヒーローごっこをして遊んだときの気持ちに良く似ている。
強大な悪に立ち向かうため、秘めた力が解放される。そして、その凄まじい力で、いともたやすく悪を討ち滅ぼし勝利を手に入れる。そんな、子どもの空想の中だけに許された、なににでも対抗できる力。
絶対的、力。
それが、今まさに現実として自身の内に滾っている。
……やれる。
これならこの犬モドキだけじゃなく、あの俺のそっくり野郎も。
「殺れる」
まずは手始めに、
「お前からだ、犬っころ!」
興奮して啖呵をきる大和。
対峙する獣は、反して幽鬼のように立ち上がった。
大和は気づいていない。
大和の異変もさることながら、獣にも変化が起きていたということに。
耐え難いほどの飢えに苦しみ、久しぶりの肉と血の味に全身がもっと寄越せと歓喜し、加えて生死の境を行き来するような戦闘。その中で獣も“生きる”という本能をすり減らし、研ぎ澄ましていた。
血の香まじる空気すら美味いとでも示すように、大きく息を吸い込んだ。狂戦士のそれを孕んだ、狂喜の咆哮は高らかに。己が四肢を震わせる。
「はハッ! どうしたよ、ワンコ。命乞いの鳴声はそんなもんか」
この咆哮の意味を大和は知らない。この状況下で見せる獣の変化を大和は捉えていない。――獣の目が濁っている。どこを見ているのか分からないその瞳が大和を睨み、鼻をひくつかせる。口の端から大量の血の混じった涎を垂らし、それすら美味いとでもいうように舐めとっては、喉を鳴らす。
意識などなくなっている。
あるのは本能、食欲という無尽蔵の欲望。
大和が獣の頭を叩きつけたことで、僅かに残っていた獣の理性が吹き飛んだ。
「……え?」
大和の口から僅かに疑問の声が漏れたのは、首筋から右肩にかけての肉が食いちぎられた後だった。
がくんと膝をつき、そのまま崩れる。
その拍子に床に大量の血が滴ったのが大和の目に映った。
「ぁぐ、……ぁ、あ」
見えなかった。
大和は愕然とする。
全く見えなかった。
決して注意を逸らしたわけでもなかった、油断したわけではなかった。けれど、目で追うことが出来なかった。
導かれる結論は、獣の速度が飛躍的に上がったということ。そして、先までの速度にやっと目が慣れてきていた大和にとって、その急な変化は不意打ちとなった。
「あ りかよ、そんなの」
顔を反らすようにして獣を見ると、ちょうど食いちぎった肉を飲み込んでいる瞬間だった。そして、食事の余韻など感じず、僅かな挙動で大和へ飛び掛る。
「っ!!」
反射的に転がって避ける。
が、爪が背中の一部を奪っていった。
「ちくしょっ!」
最大限に集中すれば見える。
しかし、避けるには反応も動作も遅すぎる。
「がっ!」
そして避けたと思って体制を立て直し終わる頃には、第二撃目が襲って来ている。
今度はわき腹に噛み付かれた。
捕まえようと手を伸ばす頃には、食いちぎって距離を保っている。
さっきまでの戦いの経験から本能的に接近戦は避けているのか、その距離を詰めようとはしていない。中距離から致命傷になる箇所を狙うように攻撃している。
「グギッ、ぃ!」
首の太い血管を食われ、腹部を噛み千切られ、それでも大和が絶命しないのは一重に不気味ともいえる超速再生のお陰にほかならない。でなければとっくに死んで獣の腹の中だ。
「……っ! ……ぅっ! ……っ! ……! ……ぁ!」
首、腹、腹、太腿、首。
次々に襲われ大和は必死に回避行動をとる。
が、完全に避けきるには僅かに間に合わず。体を傷つけられるか、食われている。
間に合わない。
対応できない。
「……っ、ぐぁ、……ふぅ゛!」
だが不思議と絶望が大和を覆うことはなかった。“不可能”を“可能”に出来るという、確信へと成長した気持ちが、大和に生き残るための術を探す支えとなっている。
目の中の炎を滾らせる。
対応できないのなら、強引に対応できるよう相手を引き摺り下ろしてやればいい。
動きが速すぎてついていけないのなら、どうにかして失速させてやればいい。
問題はどうやって足止めをするか。
「げぇ……、ぁっ……、……!」
かくん、と肩膝が折れて、また倒れそうになる体を支えるため、左手が血溜まりにつく。
左手?
あった。
一度だけ、相手の動きを止められる方法が。
アイデアをじっくりと思案する時間などない。
これで決める。
この方法で決着をつける。
集中し、相手の飛び掛りのタイミングを逃すまいと身構える。
――そして、その時がやって来た。
「ちっ」
迫りくる牙。
その牙を避けることはせず、大和はその口目掛けて左腕を突き出した。
その拳は、そのまま獣の口の中へと飲み込まれ、ぐじゅり、と喰われる。
「ふ、ぐぅ、……ぁぁ」
だが、すぐに食いちぎられることはない。
バキッ、ベキッ、と骨の砕ける音がした。このままにしておけば、あと5秒ほどで左腕は消える。その前に、大和は獣の全身を思い切り床へと叩きつけた。
「あ゛あ゛あ゛!!!」
マウントポジションを奪い取り、手を引き抜く。
聞いたこともないような音と共に出てきた左腕の先に掌は付いていなかった。骨を完全に絶たれ、皮だけで繋がっていたのを強引に引き出してしまったからだろう。
だが、そのことを気にして入られない。
生きるために左手を犠牲にしたのだ、もうここで息の根を止めなければいけない。
「――っ!――っ!――っ!」
獣の頭を殴る。
馬乗りになって、全体重をかけながら殴り潰す。
「――っ!――っぁ!――っっ!――っ!」
何度も、何度も、殴り潰す。
牙が飛ぼうが、顎が砕けようが、頭蓋が割れようが、獣の中身が飛び出そうが殴り潰し続ける。
「――」
やがて、獣の悲鳴がすっかり消えてなくなってだいぶ経ったころ、大和の手が止まった。
不恰好ながら、なんとか大和はこの訳の分からない戦いを勝利で収めのだった。