◆5話
光球を男が掴んだ瞬間、今まで感じたことのないほどの激痛が、全身を駆けた。
「う゛ぁ、ぐあ゛あ゛っ゛っ゛!!!?」
体が支えられず、床を芋虫のように転がる大和。
先の胸の痛みなど蚊に刺された程度にしか感じないほどの激痛だった。まるで神経を剥き出しにされて刃物で擦られているような、まるで皮膚を剥いでいくかのような、表現できない痛み。
体が引き攣るようにエビ反りを起こし、手足が痙攣する。
視界が涙に滲み、喉が引き裂かれるような絶叫を繰り返す。
激痛。――痛い
鋭く激しい痛み。――痛い!
意識が刈り取られる――痛いっ!
けれど気絶さえ許してはくれない――痛い゛っ゛!
足元でもがく大和を見下ろしながら、男はぐっと光球を握る力を強めた。
萎縮する筋肉。流れ出る涙、鼻水、涎。ぶちぶちと音を立てる意識
――い゛た゛い゛、 い゛た゛い゛、
い゛た゛い゛、 い゛た゛い゛、 い゛た゛い゛、 い゛た゛い゛、 い゛た゛い゛、い゛た゛い゛、 い゛た゛い゛、 い゛た゛い゛、い゛た゛い゛、 い゛た゛い゛い゛た゛い゛い゛た゛い゛ い゛た゛い゛ い゛た゛い゛い゛た゛い゛い゛た゛い゛い゛た゛い゛い゛た゛い゛い゛た゛い゛い゛た゛い゛「い゛っ゛っ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぁぁぁぁっぁあ゛っぁああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛、 、!! ! !」
男は沈黙したまま、大和がもがき苦しむ様子とその経過を観察し、確かめるように握る力を強めていく。「あ゛が、っ ぐあ゛あ゛あ゛、、、っ!!! う゛ぇ、がぁっ ! あ゛あ゛あ゛あ゛っ! 」
「い゛だっ、、い゛でぁ゛い゛ッ!!」
「や゛めでっ、ぐッ、、!! あ゛がぁ゛ッ、、、!!」
「ッッ゛、、あ゛あ゛、ぐッ!!! ぐぇ、ッ、だずげ、、だずけ、で!!」
「 、ッ゛ 、 、 、 、 ッ゛、 、 、 、 、 、 、ッ゛ 、 、 ! ! ! ! ! 」
もう叫び声さえでなかった。
食いしばった歯の隙間から、壊れたスピーカーのような喉の音が流れ出るだけだ。
そして。
「……よし、と。これだけの効果を発揮してくれているなら上々だな」
男は一言そう呟く。
その成果を見て納得が得られたのか、握った手を離した。それと共に、掌の上の光球も消え去ると、大和を襲っていた激痛も嘘のように無くなった。
「がぁ゛っ、ぁ゛、ぁぅ゛、……ぁ゛、……、……」
少しのあいだ余韻に呻いたあと、荒い呼吸が大和に戻ってくる。
肺が萎んでいたかのように空気を求め、必死に息を吸い込むと、今度は胃が捩れるような感覚が到来して、軽く嘔吐した。横たわっていたためか、鼻のほうにも胃液が逆流したが、そんなことどうでもよかった。ぼやぁっと歪む景色をただ収め、必死に息をすることで精一杯だったからだ。
「九柳大和」
頭上から投げかけられる男の声に、ビクッ、と大和は反応する。痛みによる恐怖で、男を見る大和の目に怯えが混じっていた。
「ここでは、これが俺とお前の力関係だ」
男が見せ付けるように手を伸ばし、再び掌の上に光球を出現させる。
「ぐぅっ!」
ビキィッ、と耳の奥で嫌な音が響き、呼応するようにして、男に掴みかかろうとした時と同じ痛みが同じ場所にはしった。
な ん、だ…… こ れ?
さっきは頭に血が上って気づかなかった。しかしよく見ると大和の全身に、まるで拘束するかのように楔形文字にも似た模様が淡く光る光球と同じ色で発光し、浮かび上がっている。元を辿ると大和の胸元に集約されていた。
左胸、心臓の辺り。そこには掌大の魔方陣が浮かび上がっている。
まるでアニメのような光景だ。
だが、現実味がありすぎていて夢だとは思えなかった。
激痛で頭がぼんやりとしていて、思考する力が上手く機能していないだけかもしれないが、それを差し引いてもだ。
「分かったか、九柳大和」
男が光球を握る素振りをしてみせたため、慌ててゆるゆると首を振り、肯定の意を示す大和。
それに満足したのか、男は光球を消した。体にあった魔方陣も同じように消えていく。
「さて、」
シニカルに笑って男が言う。
「色々と思ってることもあるだろうが、まずは服を着て落ち着けよ」
どの口が言うんだ、と大和は噛み付こうとして、寸で言葉が喉から出てこなかった。反抗すればあの激痛をまたこの男が与えてくるのではと思ったら、従っておこうと心が萎縮してしまった。
「俺はここを出て左に直進したところの部屋にいる。落ち着いたら、聞きたいことを聞きに来るといい」
それだけ言い残して男は部屋から出て行った。
◆
1人残された大和は、しばらく動けずにいた。
体の痛みはとっくに無くなってはいるが、幻の痛みに体が反応しているかのように、時々筋肉が在り得ない方向に引き攣っては、動こうという気持ちを削いでいく。
その回復を待つために少し今後のことを大和は考える。
頭を巡るのは、あの男は何者だということ。
次に、ここはどこだということ。
最後に、自分はなにをされたのかということ。
男は聞きに来いと言った。言い換えればそれ以外の選択肢はない、と半ば強制のような台詞であり、大和が逃げるという選択肢を取ることがないと思っているかのような態度だ。
実際、大和は逃げようという考えを浮かべ、真っ先に取り消した。
痛めつけはしたけれど殺しはしなかったということは、人質といった利用価値が向こうにあるから。なら、警察に期待したほうが一番助かる可能性がある。
加えて、あの魔法ような力で激痛を与えることができるのだから、どれだけ逃げようとも動きを封じてすぐに見つけ出されてしまうような、嫌な予感がしたからだ。
――魔法……?
大和の中にある1つの可能性が生まれる。
「そんなわけ、……」
しかしすぐに、そんなはずはないと、その中学生の空想のような在り得る筈がない可能性を否定した。
「……く、そ」
そろそろ動いてみようとして、ぐっと体に力を込めて立ち上がろうと踏ん張る。
間接がぎりぎりと軋みを上げ、内臓がぐにゃりと動いた。
「うっ、ぐうぇ、げほ、げえ、うえ」
さっきよりも大量に逆流してしまい、すっかり胃の中が空っぽになる。吐瀉物の中には少量の血と食いしばったときに欠けたのであろう奥歯が混じっていた。
「くそぉ」
涙やらなにやらで汚れた顔を拭って、なんとか立ち上がる。が、上手く力が入らなくて大和はベットに仰向けに倒れこんでしまった。
「なんなんだよ……」
弱音半分愚痴半分の言葉が零れる。
どうして大和がこんな目に会っているのか。その答えをあの大和と瓜二つの男は知っているはずだ。そして聞きに来いと言ったということは、少なくとも答える気はあるらしい。
しかし、信用してはならない。
現状だけで考えれば、大和にとって危害を加えてくる危険人物であり敵の可能性がとてつもなく高い。
男が正しい答えを言うとは限らない、都合のいいように捻じ曲げて教えてくるかもしれない。
けれど、大和には圧倒的に情報がないことに加え、反抗する術がない。映画の主人公よろしく相手の虚を突いて優位に立ったり、逆転の一手を打ったりなんて出来っこないこと、考えずとも分かりきっていることだ。
出来ることが限られている、と、大和は呻いた。
可能な限り相手を刺激せず、その上で自分の知りたいことを聞き、相手の要求を聞く。
「――無理だよ……」
考えを纏めた言葉は弱音だった。
そんな交渉の真似事、一介の高校生には荷が重過ぎる。
そして、何より怖かった。
相手は正体不明で。
十中八九犯罪者で。
単独なのか、複数なのかも分からなくて。
方法は分からないが、簡単に大和を痛めつける力がある。
「そんなの、どうやって相手にするんだよ……」
1人で、しかも、持っているものといえば学ラン制服一式に、ハンカチ、メガバーガーのみ。これといった武器らしき物もなければ、武道の経験なんて体育の時間に少々経験した程度だ。
硬いベットの上で大和はぎゅうと赤ん坊のように体を丸めた。心から、夢なら覚めてはくれないだろうか、出来ればこのまま消えてはくれないだろうかと願う。
◆
5分ほど経っただろうか。バスッ、と、大和は布団を殴りつけた。
こうしていても何も変わらない、と恐怖心に見てみぬ振りをし、無理やり自分を奮起させて制服を着るためにベットから起き上がる。
あの男の下へと行くために。