◆34話
序章2節の終わり
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騎士学校の前を通り、しばらくすると学校通いの見習い騎士が寝泊りする学校寮がある。それを横目に進み、またしばらくすると王都直属の騎士3大隊が過ごす兵営へといたる。兵営の奥へとたどり着けば、そこに建つのは軍事と国防を統合する場――、騎士の座と呼ばれる国防機関がある。この場で3大隊それぞれを束ねる各大隊長、そして全ての騎士の長たるレムナンスが、騎士の方針を決める。いわば騎士たちの頭脳にあたる場だ。
一台の馬車が止まる。ゴドウィンは馬車をから出で、次いで、ソフィアが降りた。
王城から騎士の座へ帰還する道中、2人は鍛錬に関しての言葉を交わさなかった。会話内容といえば、ハミルに関する問題と要点の整理。ことさらにソフィアは、そこから話題を逸らさないようにしていた。
ゴドウィンはそれに気づいていた。なので彼は――、
『陣頭に立つことは可能だろうよ。しかし、父親である武王のように前線で武器を振るいつつ指揮をし、戦場全体を見渡しての指揮は、信頼できる幕僚長に任せる。……なんてことは無理だな、彼はまだまだ青い。やれて陣頭指揮まで。それで精いっぱいだな』
――と、今回の鍛錬からみえた王子の評価をまくしたて、話題の転換を図った。だが、対して返ってきた言葉と言えば、
『そうですね』
のひと言のみ。これはダメだと、僅かな時間を設けることにした。そして今にいたる。
「……」
時間をもうけるという選択の正否は分からない。それきり彼女は口を閉ざしてしまうだろうか? 主への不信を増大させただけの結果に終わってしまうのか?
彼女の表情に目をむけ様子を窺えば、平静そのものだ。
「……なにか?」
「ああ、いや」
実際に闘ってみて、何か感じたかい?
そう、そろそろ訊ねてみてもいい頃合いだろうか。思案しつつゴドウィンは騎士の座の正面扉を開く。使用人たちが恭しく頭を下げるので、片手をあげて答えてぎこちなく表情をくずした。このとき同時に、彼は疑問を口にする機を手放してしまった。
「はは、……おう、ごくろうさま……」
そそくさと使用人たちの前を通り過ぎ、
「……いやはや、どうにもかなわん」
彼らに聞こえないよう、距離がひらいたところでゴドウィンはぼやいた。
「部下に接するように、堂々としていればいいでしょう? いつまでも馴染めないままでは、格が落ちますよ」
「とはいっても彼らは俺の部下でも、まして使用人でもない。全員レムナンス家に給仕する方々だ。横柄に接するっていうのも、どうにも違うだろう?」
確かにここの管理権はレムナンス家がもっていますけれど……、そう静かに嘆息するソフィア。含まれるものは2つある。ゴドウィンが、長所である豪放さを、横柄と取り違えたこと。そして、またこの話か、という変わらないことへの好ましさと呆れ。
「大隊長が横柄だなどと、大半の人間が想像しえないでしょう。また、今後そうなることも。ただ大隊長は豪放なだけです」
上司の妙にかしこまった態度は、何度か目にしてきた。平民の出だからか、権力というものにどうにもむず痒さを拭えないらしい。親しまれるのは好きだが、敬われるのは嫌いだとも言う。そんな姿を好ましく思う反面、大隊長なのだからいつもの凛々しい雄姿をみせてほしい、とも思う。
「こせこせした態度での挨拶は大隊長の身の振りとして失格です」
「手厳しいな、……」
そんなの相手の捉え方次第だろう、とゴドウィンは胸中僅かばかり消沈した。
「いつも通り、部下に接するようでいいんです」
「そりゃ、どうも。もう少し努力をしてみるよ」
「ええ……。その点だけ、アンドルフ大隊長の十分の一程度でいいので見習ってほしいですね」
王都直轄騎士第二大隊、大隊長オリバー・アンドルフの名前を彼女は例に挙げた。
自信に満ち溢れた、ともすれば傲岸である27歳の若き天才騎士、オリバー・アンドルフ。
若さゆえの無鉄砲ともとれる指揮をすることもしばしばだが、翻ってそれは、部下の実力を信頼しているからこそかもしれない。――そう多くの部下は語る。実際のところはアンドルフ本人にしか分からないが、少なくとも幾人かにそう好印象を抱かれているという事実は存在する。
「ふむ。あいつは、いずれレムナンスを継ぐと思ってる野心家だ」
ゴドウィンが彼に抱いていた印象は、彼の部下の証言ほど芳しくはなかった。彼を嫌ってこそいないが、扱いには困っている。なにせアンドルフは、人の言葉には取りあえずでも反論する男だからだ。
「ここの使用人も未来の自分の所有物だとでも考えてるんだろう。だから粗雑にもなれる」
レムナンスがほしい、ではなく、レムナンスは俺のもの。――アンドルフの言葉だ。
レムナンス、というのは称号だ。その家名を名のるには、実力で勝ち取る。――他の契約四家は定かではないが、ゴドウィンの知る限りレムナンスという家に結ばれた契約はそうして受け継がれてきた。
虎視眈々とその座を狙うアンドルフにとっては所詮、自らの実力を誇示するものの1つに過ぎず、使用人など付属品かなにかのよう見えるのだろう。
一方で、そのあり方から、レムナンスを尊敬の対象と考えるクレイ・ハビット大隊長とは馬が合わない。
打って変わって、クレイ・ハビットは繊細だが物怖じしない、どこか神経質とも評される男だ。齢35、かつての戦争ではゴドウィンの指揮のもとにいたこともある。攻めるべきときには豪胆に、引くべきときには迅速に。彼の小隊はゴドウィンの功績を影ながら支えていた。
彼の指揮の根幹にあるのは、本人の卓越した力量もさることながら、情報を重要視する点だ。今も昔も変わらず、いつの間にか間者をしのばせ、斥候を必要以上ともとれるほど動員し、退路の状態を逐一気にしていた。
ある意味、今回の事態で一番歯がゆい思いをしているのはハビットかもしれない。彼は、いま一歩思い切りよく行動できずにいる。最も重きを置いていた情報に足を取られているも同じなのだから。ハビットがこのところ不機嫌な原因は、そこにある。
オリバー・アンドルフとクレイ・ハビット。考え方の違いに性格の不一致も相まって、そこから衝突が生まれるのは必至だ。
『引き際ばかり気にする臆病者』とアンドルフが言えば、『脳に筋肉が詰まっている小僧』とハビットが言う。――2人の関係は、これだけの文章に集約されているともいえる。
最低限、公私を分けることができている2人といっても、潤滑剤になる役割を負わされる身にもなってほしい、とゴドウィンは辟易していた。
彼は、ふと頭に浮かんだ懸念を傍らの副官に打ち明けた。
「……まさかとは思うがソフィア。お前、俺にアンドルフのようになってほしいのか?」
「ご冗談を」
冷ややかに、一笑に付された。
「私はその点だけ、と言いました。それ以外は別です、ぜひとも反面教師として捉えてください」
「ああ、俺もそれがいい」
ソフィアはアンドルフに口説かれて以来、冷ややかな態度で一貫している。
「……、ん」
おや? とゴドウィンのうちで疑問がもたげた。それから、建物内に入るときに手放したきっかけを手繰りよせる糸口を発見した気分になった。
「ソフィア」
「はい」
「アンドルフには冷たいな。その理由は?」
「軽薄だからです」
にべもない、即答だった。
「もう少し、掘り下げて」
「……」
なぜそんなことを訊きたがるのか? 無言でも、目はそう訴えていた。それでも、彼女は返答した。
「……大きな力をもった子ども、とでも言いましょうか。自分が他人に与える影響力の強さに対し、その使い方が見合っていない。他者の上にたつことを生きがいとし、なかでも弱者は自らの元に傅くのがもっとも有益であるとのいう思考の根幹には、虫唾がはしります」
いち度口に出してしまえば、言葉は雪解け水のように、さらさらと淀みなく流れ出した。しかし、ゴドウィンが「似ているじゃないか、王子と」。 そう言った瞬間に、はじめて閊えた。2,3秒の間をおいて、彼女ははぐらかすことなく答えた。
「そう、かもしれません。執務室に乗り込んできたときなど、特に」
「認めたな。じゃあ、そこに疑問が生まれるんだが――」
ここぞとばかりに、ゴドウィンは話題をふった。
「王子とアンドルフではなにが違う?」
「……はい?」
「野放図で向こう見ずなところがあるのは2人とも同じだ、お前が嫌うのも分かる。……けどな、どうして王子にたいしては激情むき出しの態度なんだ。アンドルフのように、冷ややかにやり過ごせなかったのか。いったい2人の何が違う?」
切り込むように鍛錬の話を突きつけると、ソフィアは間誤付いた。僅かばかり伏し目がちになり、それから細い声で、「自信の違いです」と言った。
「アンドルフ大隊長には自信があります。大隊長という責務を担う重みや誇りとは別の、自分自身にたいする自信が。……対して彼は、……王子は」
言葉を途中まで零し、「――いえ……、違います……。これでは結論に梯子をかけていっているようなものです」
「と、いうと。その自信云々ってのは後付に思えるんだな、お前には」
肯定の返答、それから低い声で吐露した。「――結局のところ、私にもわからないんです」
「彼の評判は前々からあれでしたので、色眼鏡で見ていたことは確かです。そして、その見識がおそらく間違っていたのだと、今日の様子を見て気づかされました。……しかし、そこはどうでもいいことです。彼の人間性がどうであれ、職務は職務ですから」
そこで一区切りつけて、彼女はゴドウィンを見上げた。その瞳の弱々しさたるや、……。けれども言葉は、強く。
「鍛錬場で言った言葉が、きっと全てなんです。――私は、彼が怖い。自分の失敗を、彼を通して見せつけられるようで、堪らなくなる。――見たでしょう? 彼が空中で剣を投げ捨てたことで、私は自制心にヒビが入りました。……あれは、私がウォレフ兄さんを殺めた場面、そのものなんですよ」
「……」
今度はゴドウィンが言いよどむ番だった。かろうじて出た言葉は、
「……お前は、ウォレフを殺してないよ」
それきり、無言。
執務室へ向かう道すがら、2人の間を沈黙が流れた。そして執務室扉前、口を開いたのはゴドウィンだ。
「なあ、ソフィア――」
◆◆◆
ジークと大和、2人は王族の寝室にいた。例の屋根裏がある、部屋だ。
服装はかわり、大和は普段のボロをまとっている。水浴びを許されたので、土埃と汗を落とすことができたのは幸いだった。疲れからか僅かに背筋が曲がり、乾きかけの前髪がたれる。その隙間から、クードに衣装直しされているジークを睨めつけた。
「どうして、もう1人来ることを伝えてなかったか。そう聞きたいんだな」
詰襟を直されながら、彼は大和を見流す。大和は肯定し、理由を求めた。しかし返答はない。ジークは、ふふん、と愉快そうに喉を鳴らしただけだった。苛立たしさに眉が跳ねあがる。
「女騎士が来るとはきいてない。まして、あんな性格の!」
「ああ、いい刺激になっただろう?」
刺激、刺激だと! 大和の怒気にもジークは飄然としていた。その様子をみて大和は、この男は俺を隠し通す気はあるのか、と余計に苛立った。そんな彼の様子などおかまいなしに、ジークは着つけを終えると、ゆったりと椅子に座り、大和へ向きなおった。
「理由か。教えてやるよ、九柳大和。俺はお前に、彼女にたいして関心をもってもらおうとしたんだ」
「どういう意味だ」
「そのままの意味さ。……ああ、好いた惚れたの話じゃあ、ないぜ」
そこでいったん、喋りにくいのか詰襟と首の隙間に指をさしこんで息苦しさを緩和させた。
「予定外の人間がでてきたら、お前は必ずその人間に注意の目をむける。どんな関係や間柄なのか、どういう話題なら疑問を抱かれないか、どういう態度で接すればいいのか。注視して思考を巡らすうちに、お前は勘付いたろ」
「……、なんの、はなしだ」
「似ていただろう? 彼女は。お前に」
その言葉を聞いた瞬間に、大和は思い切り顔をしかめた。そして彼の顔をみたジークは、してやったりといった風に片頬をつりあげた。
「彼女は二度、家族を壊した身だ」
次いで聞かされた言葉に、大和は居心地が悪そうに眼をそらし、空気を固形物かなにかのように喉を鳴らして腹の奥におしこめた。
「一度目は他人の理不尽によって。そして二度目は、自らの浅慮によって、だ」
「……もう、いい」
「どうだい、お前とそっくりな経歴をもっているだろう? ソフィア・ローレルという女騎士は」
「疲れたんだ、聞きたくない」
「お前と同じような経験をし、正反対の生き方を選んだ人間にであった感想はどうだった?」
そう、問いかけたにも関わらず、ジークは答えなど分かりきっているかのようにすかさず述べた。――みじめだったろう? と。
「いや、怖気がしただろう、脅迫的な信念をもとに形づくられた人間というものは。……実際、どうかしてると思うぜ、ああいった生き方は。――自分のために犠牲になった人に報いるために、自分の生き方を頑として固定する。変革を許さず、折れず、曲がらず、剣でも鍛え上げるかのように人生を痛めつける。そんな生き方なんてな」
――自分のために犠牲になった人。
言葉が大和を貫いた。脳裏で過去がおどり、何人かの顔が浮かんだ。
「九柳大和、お前だってそうさ。お前の生き方を見たが、お前の意志はどこにある?」
無言をかえす。その様子にジークはため息をついた。そこには明確に嘲笑の響きが含まれていた。それから静かな調子で、あやすかのように彼は言った。
「犠牲はどこまでいっても犠牲でしかない。結果残った者がそれをどう捉えようと、犠牲以上にも以下にもならない。……それでも、生きている限り客観的かつ論理的な理由が欲しいんだろ? 彼らが死んでしまった訳と、自らが生き残っている訳。それを区別する明確なものが欲しいんだろう、違うか?」
原因は。――そう、あるべくしてあった。
結果は。――そう、なるべくしてなった。
こんな説明じゃ、あまりにも不条理で。「起こってしまった」のひと言で片づけるには、あまりにも納得できない。それでは、自らを苛む負の感情と折り合いがつけられない。
「“こういう原因で、こういうことが起こった”なんて型枠に押し込んでおけば、恰好がつくもんな。――貴方のことでこんなにも苦労している、苦心している、片時も忘れていない。だから私は、こんな自罰的な生き方をしています。ああ、これで許してもらえるでしょうか、貴方が死んだ意味たり得るでしょうか」
途中から台詞でも読み上げるかのように言葉を紡ぎ、舞台上であるかのように抑揚過多に述べた。その締めくくりは、
「まあ、こんなの誰だって大なり小なりある感傷の一種さね。人としてまっとうな感性だ、気に病むことはないさ」
肯定の言葉だった。
「……は、お前は役者になれるよ」
「いいや、俺に役者の才能はないよ。成れて演出家さ。……なあ、九柳大和」
くだらない軽口を即座にかえす。なるほど三文演出家が好みそうだ。
「お前は間違いをおかした。だけれど、罪を犯したわけじゃない」
続いた言葉も、半ば出来損ないの言葉遊びのようであり、しかし確かに大和にとっての真実だった。そして、
「自慰もほどほどにしておけよ、目の毒だ」
大和やソフィアの生き方を、自慰行為も同然だとジークは言い切った。手首を薄く切り、傷跡を残すことだけを目的とした、つまらない自傷行為と同等だと。
「余計な世話だ、放っておいてくれ」
大和からすでに怒気は消え、かわりに逃避と確固たる拒絶がふくまれていた。ジークの反応を待たず、隠れるように屋根裏へと姿をけす。ジークは閉じた屋根裏扉を見やり、それから息の塊をひとつ吐き出した。
今日のところは、まずまずの成果が得られたかな。瞳をとじ、自身に問いかけるように天を仰いだ。
ソフィア・ローレルをだしに使う筋書きは、たしかに大和へ話したとおりだが、その他にも思惑はあった。それは、咄嗟のことでもジーク・フェイ・ルナヘイルを演じることができるかの試すことだ。結果は上々で、予期せぬ客人はあったものの、状況を乗り切ってみせた。気持ちはどうであれ、大和は現状打破にむけてすべきことは心得ていて、しっかり心に留めているということを、ジークは確認できた。
「今日の経験から彼は、今後、多少の無理は甘受できるでしょう」
「そうだな。感情が折れてしまわないため支え、つまり鍛錬に精を出す理由だが。それを与えてやるのは、ついでのつもりだったんだ。でもまあ、御の字だ。……鍛錬に精を出す理由、か。さしずめ、ソフィアに屈したくないってところだな。加えて、いま自分を鍛えている騎士程度には強くならないと元の世界に還れない、という意識もはっきりしたろう」
そこまで言うと、頭をふった。思い浮かべるのは、先ほどの大和の態度。逃げ腰の、自己保身の姿。
「でも、今ひとつ足らないんだよ、アイツには。――この世界で戦うためにアイツには、後生大事にしている“普通”からはみ出してもらわなくてはいけない」
最近、読書欲が湧きだして他の趣味が疎かになっている私です。
特にSFが面白くて仕方ない今日この頃。
目下の目標:今年中に序章を完結させる(無理かも)
とりあえず、ここまで。
次はいつになるか分かんないです。