◆31話
「慣れですね」
ソフィアは言い切った。
その返答のあまりの潔さに大和は、
「……、慣れ」
オウム返しただけだった。
「そうです。訓練だけでどうこう出来なくはないですが、咄嗟の時に対応するには自分の全力がどの程度か、7割はこの程度、5割はこの程度、など感覚で理解できるレベルにならなくてはいけません」
「……そうか。言われてみれば納得できるけど、慣れ、か」
件の調整に、大和は苦心していた。そこはかとなく求めたアドバイスの返答が、これだ。苦労もせず一朝一夕でモノに出来たら、それこそ物語の主人公にでもなれるのかもしれない。
「何かの拍子に、あるいは唐突に出来るようになった、なんて意見も耳にしたことがありますね」
「へぇ、どんな拍子な――」
前方で魔方陣の光が煌めいた。
「っ!」
目の前の地面から射出音。
上空に飛び出した物体をすかさず目で追って、形を見る。四角形だった。判断、そして発する魔力からどれほどの力が込められているのか、規模を推測。
大和は魔術を展開、発動。
『火炎』『鏃形』『発射』――求めるは、風属性。
空気を裂いて、火弾が舞う。目標物はしっかり捉えられ、爆散した。
「口を動かしながらでも、対応はできますか。……しかし、やはり調整は疎か、と」
「それを何とかするための、これだろうよ」
大和の言う、これ。それは、魔力の調整を体得するためにソフィアが提言した、目標物を撃ち分ける訓練のことを指している。それが、現在進行形で行われている。ソフィアが円形か四角形の土プレートを不規則な個数、強度、タイミングで射出。それを大和が読み取り、撃ち分ける。円形なら貫通させ、四角形ならヒビ入れる程度、といった具合にだ。さながら、色々と規則の増えたクレー射撃といったところか。
「それで、話を戻すけど。なにかの拍子に突然できるようになる、とか言ったろう?」
「ええ。……有り得ない話ではないと思いますよ。煮詰まっていたものが、ある日何かのきっかけで解決したり、なんて似たような経験は誰にでもあるはずです」
インスピレーション、ひらめきという奴だ。
「運、ですよ。当てにするものではありません」
ソフィアが言い終わるが早いか、魔方陣が煌めいた。今度は3つ、土プレートが打ち上がる。展開から発動まで、驚嘆に値する速度だ。
魔方陣展開の速さの秘訣は、逐一魔方陣を書くのではなく、魔方陣の完成形を頭の中で想像しておき、そのまま投影するのだと本で読んでいた。大和も召喚補正と屋根裏での努力により、やっとのことで高速展開レベルには達している。
振り回されている、というソフィアの評価にはどこか納得ができていた。
召喚補正によって大和が手に入れたのは、自己のすべての能力の向上、膨大な魔力、超速回復、その3つだ。この間まで常人の道を歩んでいた大和が、こんなモノを丸投げされたところで、能力を100パーセント扱えるわけがない。これでは恩恵ではなく、ある種の重荷だ。
「……っ」
だからこそソフィアが積み重ねてきた経験を、地に足着いた努力を思い量れる。そしてゴドウィンとの鍛錬と同じように、従っておくべきだとも思える。――強くなることで死を免れるため、ひいては元の世界に還るために。
『火炎』『鏃形』『発射』――求めるは、風属性。
目標物、円形、円形、四角形。それぞれへ外れることなく着弾した。結果は全て爆散。
「……、初めから運を頼りにする気はないさ」
「そうですか」
間髪入れずに、再度魔術を展開発動。
2つ射出された土プレート。
それを撃ち落とす、……ことは、またも出来なかった。目標物は粉みじんに砕け散る。
「魔力を鍛えることにおいて、1つ興味深い話があります」
「なにが」
ふい、と。訓練の最中見向きもしなかったソフィアが大和のほうを見た。
「臨死体験をしたことがある人間は、なぜか魔力の統制が上手くなった」
一辺、死にかけてみろ。そんなことを言っているのか。
「……質の悪い冗談だな」
「……」
ふ、とソフィアが息を抜いた。それきり、また視線を逸らす。
そんな態度に眉をひそめながらも、大和はふと考えた。この堅物が自分に対して冗談を言うか、と。横顔を盗み見ても、なにも教えてはくれない。
「……」
なので大和は気にするだけ無駄だと結論付けた。自分も必要以上に干渉する気はなかったためだ。相手も、こちらの気を引こうとしているわけでは、間違ってもなさそうだ。
無言で黙々とこなしていく、訓練に戻る。
「……」
「……」
そう遠くない未来、大和は知ることになる。ソフィアは事実を語ったのだと。
◆
それから幾ばくか経った。
何度目かの土プレートを破壊した大和。ソフィアが再び口を開いたのは、そのあとだった。
「……、また失敗ですか」
事実を客観的に述べているだけの口調。別段、言葉の裏に呆れや侮蔑めいたものは感じられなかった。しかし、その言葉に大和は思わず鋭い目つきになってしまった。鍛錬などという慣れないことを行っている疲れからだろうか。それとも、こんなことをやらせるように仕向けた、ジークへの日頃の鬱憤からだろうか。
「悪かったな。……どうせ、才能がないよ」
気づくと、捻くれた言葉が口を突いて出ていた。
「そうですか」
相変わらず、棘ついた言葉が返ってくる。
無視すればいいものを、とソフィアのうちで自分を制する心が声を挙げる。しかし、柄にもなく反応を返してしまう。
「才能、ですか」
「なにさ」
「あると思いますよ、才能。大隊長との戦闘訓練ではよどみなく魔術を使用していましたし、人的魔力を常に全力の状態で発動を続けていたので最大量が少ないということはないでしょう。……十分に恵まれた才を授かっているではないですか」
褒めている、わけではなさそうだった。かと言って慰めているわけでもない。大和のほうを見ようともしない態度だ。しかしそれは大和も同様で、どうにもソフィアを見れなかった。
「嫌味か」
「はい」
肯定の返事は、ソフィアが内心驚いてしまうほど躊躇なく述べられた。
態度が許せなかった、のではないとソフィアは思う。他人を自分の物差しで測って許すか否かを定義するなど、無駄な行為であって、必要がないからだ。そうやって生きてきたのだ。
しかしそれではなぜ、
「そんなことだから、放蕩王子などと噂されるのです」
言葉の自制が利かないのだろうか。
「周りから与えられる立場にいて、それでなお不満を述べるだけ述べて、結局自ら変える気がない。都合が悪ければ、やれ才能がない、仕方ないなどと、自分を正当化する。……そんな貴方の姿が透けて見えるようです。詰まる所、おんぶにだっこで甘えているのではないですか、貴方は」
「……、うるさい」
「図星ですか」
「っ」
大和は下唇を噛んだ。
自分のことを指して言われているのではない、ジークに言われているのだ。そう思っても、恥ずかしさや悔しさ、そして熱をもつような怒りが湧いた。そう、分かっている。分かっているのだ。自分がどんな人間かくらい自分でも嫌になるくらい。
「不敬罪にでも処しますか? しかし貴方は私たちのこういうところを、貴方の言葉を借りるなら“良くも悪くも信念が強い。だから、王族にも物怖じせず堂々と自分を主張できる”ところを理由に指南役に抜擢したのではないですか? 貴方の炯眼は正しく見立てましたよ、まったく私はこんな人間です。だとして、それを理由に自分の言葉の責任を放棄しますか? それこそ、王家という立場を利用して」
「うるさい」
「そうやって他人の腕の中から、庇護される場所から、物事を斜めに見れば済む立場にいて。それでもひと度放り出されたら、自分は弱い人間なんですと声高に語って回る。それを当然のこととして生きてきたのではないですか?」
「うるさいって」
「どうにもならないことに、出生もある意味才能の1つです。それでも、他人が羨むものを気ままに振りかざして貴方は生きているのですよ。それを自覚してもいないのに、やれ才能がどうと、他人に無い物ねだり。……いい機会です。身の振りを思い起こして顧みては……? そういったことを」
「あんたに俺の何が分かるんだよッ!」
平坦な口調に、大和は堪らず声を荒げた。吐いたのは、拒絶の、逃げのひと言。
「ええ、何も分かりません」
しかしソフィアの言葉は口調そのままに相変わらず続いた。
「分かるわけがありません。では、貴方には私の何が分かるというのですか」
「……っ」
大和はなにも言い返せない。
冷血女、嫌味な女。表面を侮蔑する言葉なら浮かんでも、ソフィア・ローレルを語れる口はもっていなかった。
「人には人の心の底が分からない、だからこその他人です。確かに人の心に中には、人には語れないものや触れられたくないものはあります。しかしそれを盾にして、察してもらって、自分を肯定し他人を否定する言葉を吐くのは、他でもない自分が否定した他人に甘えているではないですか」
「ああ、……ああ、そうだな、分かってるさ! それでも、自分の中ですら折り合いがつかない、そんな事は幾らもあるだろ!!」
「だからといって、自分の内で処理できないものを人に求めるのですか」
「それはっ」
そう、それではまるで子供の駄々だ。
「今一度、思い出してください。ゴドウィン大隊長の剣は貴方に何を問うたのですか、突きつけたのですか、示したのですか。……それを、無駄に終わらせるようなことだけは」
「はぁーい、そこまで。ストップだ」
暢気なゴドウィンの声がすぐ後ろでしたかと思うと、
「うわっ」
「ひゃっ」
がしり、と2人は頭を掴まれ驚きの声をあげた。そして、そのまま柔らかい力で顔の向きを動かされ、大和とソフィアは顔つ突き合わせることになった。
初めて互いの顔を真っ直ぐに見合わせる。些細な衝突の直後だからか、2人とも胸中の雑多加減が仄かに表情の中で見え隠れしていて、しかしそれでも、何故か相手の顔に非難めいた感情が見えないことに同時に気づいた。
気まずさから目を逸らす2人に、ゴドウィンは手を放して大きく息を吐いた。
「まったく、細々と単調なことばっかりやってるから色々考え込むんだ。体を動かせ、体を。そんでもって、体で覚えろ。息詰まったのなら体を動かすのが一番だ」
「えっ、ちょっと」
そう言うとゴドウィンはソフィアの背中を押し運んで行き、大和と距離を取る。
「王子、ご準備を! ソフィア相手に手加減は無用。剣でも魔術でも使って、本気でやらなければ」
「あ、ああ」
大和に笑みをひとつみせ、それからソフィアにしか聞こえないほど小さな声で、
「頭を冷やさんか、らしくもない」
「……はい。申し訳ありませんでした」
「俺に謝ってどうするんだ」
「……そう、ですね」
ほんのわずかに俯いた。それを見てゴドウィンは背中を押すのをやめ、並び立って歩くことにした。
「責めている訳じゃない。ただ、ちと不思議に思うよ。なぜそんなに食って掛かる」
「分かりません。ただ――」
ただ、なんなのだろうか。
口をついて出た言葉の先が、すぐには見つからなかった。
だからソフィアは、ちらりと後ろを振り返ってみる。身につけた半甲冑を調整して兜のバイザーを下した大和の姿を、一瞬だけ捉えてすぐに視線を戻した。
国を担う者の姿に、自分は何を感じているのか。
好ましい人物と感じていたかといえば、ソフィアの答えは否だった。それは噂に聞いていた風体が起因している。そして鍛錬の話を持ちかけてきた態度から、きっとその通りの人間なのだとの考えに至った。
しかし、今は――
酷く屈折しているが、頑張っているように見える。もがいて、足掻いているように見える。
少なくともソフィアには大和がそう感じられていた。そして、その姿にどこか既視感をおぼえる。同時に彼から感じる、幼さや未熟さ、甘さといったものにも。
既視感が呼び起こすのは、足掻きの行き着く先。
挫折や失敗、後悔と苦悩。……なんてことのない、心を深く抉る失敗譚。
「――怖いのかもしれません」
――過ちを繰り返されるのが。 そう、心の中で自分が呟いた。
それきり無言になって、立ち止まる。大和より数メートル離れて相対するソフィアの顔は、どこか昔の景色を見ているようにゴドウィンは感じた。
ソフィアは癖を、――髪留めに手を伸ばし触る。
「……」
ゴドウィンは思う。――大和とソフィアは正反対。だからこそ似ているのだ、と。まるで反対だというのに同じように足掻きながら前へ進もうとしているその姿が、鏡写しのように。
怖い、か……。
その言葉からは、過去に蝕まれたままの心が大いに見れる。だからこそゴドウィンはなにも声をかけなかった。
とどの詰まり、ソフィアが大和に抱く感情は苦手意識だ。過去の失敗の焼き直しを見ているようで、どう接すればいいのか分からないだけだ。ひも解いて見れば簡単な結論なのに、その紐が自力では解けないくらい自分を絡めてしまっている。だから四苦八苦する。
ソフィアもまた、大和と同じように今も足掻いている。己の過去に。
「王子、よろしいですか!」
「ああ!」
「彼はきっと強くなる。それを確かめて来い」
「……はい。あくまで、鍛錬ですから」
それからゴドウィンは離れていく。
ぶつかり合うこともまた、コミュニケーションだ。頭で理屈こね続けるより、よっぽどすっきりする。――そんなゴドウィンの機転は、足掻きあう2人には図らずもいいきっかけだった。
今は云わば、磁石の同極が反発しあう状態。それがそのまま同族嫌悪に陥るか。なにかの拍子に師と弟子の信頼関係ある主従になるか。どう転ぶかは2人次第となる。
程なくして、遠くでゴドウィンが声を張った。
「両者、構えっ!!」
大和くん寄りのイジイジ話を続けるのも疲れるので、ソフィアの態度を少し軟化させる、その準備の話。一応ヒロインの1人なんだから、いつまでもつっけんどんでは困る。それでも、いがみ合いはなくなりません。ああ、デレるまではほど遠い。