◆30話
あれからどれだけ打ちのめされただろうか。
転んで、立って、倒されて、剣を構えて、投げ飛ばされて、身構えて……。体中を汗と砂利に塗れさせながら大和は今、再びゴドウィンに切っ先を向ける。
「ハァ、ハァ、……、ハァ」
口内が粘ついて唾をのむのも億劫だ。さらに舌の上では砂の味がする。不快感を感じるも、それを腹の底に押し込んで奥歯を強くかみ合わせた。
「ッ!!」
――来るッ
目の前のゴドウィンが加速した。
「ちッ」
この初撃で、大和は何度地に伏しただろうか。その度に積み上げてきたものの差を実感させられる。しかし、だからといって剣撃の痛みを甘受するのか。
大和の答えは、当然否だ。
超速回復があろうがなかろうが、痛いものは痛い。涙が出そうになるほど、痛くて、つらい。他人から傷つけられることを、仕方ないで済ませてはいけない。
右へ、跳ぶ。
根拠はない。強いていうなら勘だった。
見えないから、迎え撃てない。迎え撃てないなら、避けるほかない。
「……!」
課題の初撃は回避に成功する。
だというのに、
「ッ、ぐ」
なんで、二撃目に転じるのがこんなに早いんだよッ!
左から襲いくる剣。
受けると、その衝撃に膝と腕が悲鳴をあげた。魔術による強化を施しているのにもかかわらずだ。
呻く、その暇すらない。
右に左に、剣の煌めきが乱れる。
「くぅ゛ッ、ッ」
ビリビリと腕の筋肉に、骨に振動が伝わってくる。感覚と握力が、削ぎ取られていく。
――気張れ、手放すなッ!
腹の下のほうに力を込めて、わらう膝をなおも酷使する。
「! っ」
ゴドウィンからの拳撃。軌道はストレートか。
右頬を刈り取りにくる瞬間、上半身を斜め左後ろに引くようにしてやり過ごす。
それも束の間。
正眼に振りかぶるゴドウィンを目にして、本命はこの面打ちだと悟る。
受けるか、避けるか。
大和の選択は回避行動。バックステップを使って距離をとる。
だがその選択は読まれていたのか、振りかぶるポーズから一転、上段突きの構え。そして、
「ひッ、――ぁ!?」
大和の跳躍に合わせてゴドウィンも踏みこみ、大和の喉仏を穿つ軌道を描く。もちろん、直前で剣は逸れて首横すれすれを通っていくが、
「ぁ、……ぁあ」
反応できなかったことを思えば、今回もゴドウィンの一撃に殺されたことになる。
大和は力なく尻もちをついて、そのまま寝転んでしまった。
ふと考えた、死んだかと思ったのはこれで何度目だろう。答えは、きっとこの地面に倒れた数と同じだけだ。短い時間に短い間隔で、その“死ぬかと思うような感覚”に襲われてきたが、慣れる、ということはなかった。
「ハっ、ハっ、ハァ、ハァ……、はぁ……、はぁ」
大和の耳奥で、ざっざっと血流が激しく流れる音と押し出す心臓の音が響く。まだ、生きていると実感させる音だ。
そのまた奥で、ほらまた駄目だったじゃないか、と聞こえた。
――周りに流さて、こんな状況じゃないか。
――なのに足掻いてる。強制されたと喚いてる。
――結局、お前は何を受け入れたくなくて、何で周りの言いなりになってるのさ。
――まったく、みっともない。
「はぁ、はぁ、……ッ」
大和はもう一度、剣を杖にして立ち上がる。
その表情は相変わらず、冷えて醒めて真っ直ぐ前だけ見ていた。
――痛いのは嫌だ。つらいのは嫌だ。
――なんで、誰かの思想を貫くための犠牲にならなくちゃいけない。
――いやだ、いやだ、いやだ、いやだ。
「……ッ」
考えるな、というひと言で自分の頭の中の雑踏を叩き潰す。
従っておけ、というふた言目で自分の行動原理に納得する。
そう、今はそれだけでいいのだから。
それさえしておけば、一々涙する必要もなくなるのだから。
「……すぅ、……はあっ、……次だ」
「……」
大和の言葉と同時にゴドウィンも構え直す。その瞬間に鐘の音が響いた。それはつまり、鍛錬が本格的になってから丁度1時間が経過したということだ。
「本日の私の役目はここまで、ですな」
「……え?」
ゴドウィンが剣を降ろした。
「残りの時間はソフィアが担当することになっております」
「ああ、魔術のほうか」
大和も兜を脱ぎ去って、肉体強化の魔術を解除する。「っ、だめですッ!!」と、ソフィアの制止が聞こえるも、ほんの少し遅かった。
「ぁ、れ?」
「王子っ!」
カクン、と糸の切れた操り人形のように地面に、
「……っと」
倒れる寸でのところで、いつのまにか近寄っていたソフィアに腕を掴まれて事なきを得た。
「急に肉体強化を切ってはいけません、王子」
「そ う なのか、ゴド ウィン」
返答してから違和感に大和は驚く。
口が思うように回らない。そればかりか、ふらついて以降足にも腕にも力が入らない。だというのに、心臓だけはドッドッドッ、とやかましくなっていく。
「とりあえず腰を下ろしてください」
「ああ、す ま ない」
ゆっくり降ろされ、ソフィアの腕が離れる。
へたり込んで、だらんと腕を弛緩させたまま、この状況を尋ねようとして、
「説明は後です。まずは呼吸を整えて、弱くでいいので肉体強化をもう一度行ってください」
「ん、……」
「強すぎます、そんなに全力で施さないでください」
大和自身はごく普通に施したつもりだが、ソフィアに注意された。
「落ち着いて、肩の力を抜いてください」
「分 かっ た」
今度は慎重に、それほど強いイメージをせず、体を支える程度の肉体強化をもう一度発動する。たったそれだけで、立ち上がることもできなかった状態から脱した。試しに伸びをしたり、その場で小さく跳ねてみたりしてみても、なんともない。心臓も、軽い運動後程度のような心地よい鼓動へと落ち着きを見せ始めた。
「……、ずいぶん変わるもんだな」
ゴドウィンは兜を外して「ええ」と首肯するも、すぐに窘めるような口調で、
「今後、鍛錬が終わってもしばらくは肉体強化を解除しないようにしてください」
「ああ……、なんとなく理由に察しはつくんだけど、説明を頼めるか」
「はい。……簡単に言えば、肉体の疲労と精神の疲労、その2つにズレが生じるためと説明ができます」
だいたいは大和が思い描いた通りだった。
頭の中で要約するまでもない。実際に酷使した肉体の疲労と、肉体強化というフィルターを通して精神が感じていた疲労が違いすぎ、いつもの感覚で体を動かそうとしても体がついてこないという症状を引き起こすとのことだ。
「騎士学校で座学を受けたことのあるものなら、周知のものなのですが」
「その先は言わなくていい。俺も至らないところはあった。……それで、いつまでも肉体強化を続けているわけにもいかないだろう? どうやったら解除できる」
「ああ、それなら難しいことはありません。徐々に肉体強化を弱くしていき、肉体が訴える疲労に精神を慣らしてやればいいだけです」
ふぅん、と返事を返して大和は自分の手を動かしてみる。じわりと染み込むような痛みを筋肉が訴えた。さっきまでは確かに感じなかった痛みだ。なるほど、意識しておくことは大切だ、とひとり納得する。
「少し気になるんだが……。さっきの俺みたいな状態になる他に、どんな症例が確認されてる? 代表的なものでいいから、教えてくれ」
「あぁ……、っと……」
無精髭に片手を伸ばし、口ごもるゴドウィン。そこですかさず補佐に回ったソフィア。
「骨や関節、心臓が異常をきたす、など。最悪死亡したケースもあります。……肉体強化を併用した鍛錬とは、想像するよりも危険が伴います。なので回復魔術の使える者を最低一人は傍に置いておかなければなりません」
「あぁ、説明ありがとう。……というと、回復魔術を使うことができるのか?」
「はい。基礎、基本に限りますが使えます」
「そうか」
肉体強化は元々、日常生活を補佐することに重きをおいて作られた魔術だと、起源が魔術の本に書いてあった。そこから大和が推測するに、肉体強化が強化兵紛いのことに使われるようになったのは、その副産物であり、当然と言えば当然のことでもあったのだろう。
精神を置いてけぼりにして肉体を限界まで酷使しよう、なんて日常ではまずない。戦いが生んだ肉体強化の副作用だ。
「……、参考までですが。とある領主が異常発生した魔物から領地を守るため、騎士に加えて土地勘のある領民を有志で兵に募った時のこと。見事魔物を駆逐し、兵として参加した領民が初めての肉体強化を施した長期の戦いから解放された途端、肉体強化を解除してしまい、一斉に倒れ、そのほとんどが死んでしまったと」
「それは、また、なんと言うか……」
大和は苦笑し、
「老騎士が語る昔話のうちの1つです」
「え?」
「この話に求めるのは信憑性ではなく、こういう事態も場合によってはあり得るから気をつけろという教訓、ということです」
最後には愛想笑いにも似た、よくわからない声を零した。
「これから己を鍛えよう、そう考えている者なら知る機会の多い話だと思うのですが。……1から10まで人に頼れば万事上手くいく、などと思っている人はどうなのでしょう」
暗に、やる気があるのかと聞いている。口よりも何よりも、目がそう言っている。
ほんの少し、居た堪らない気持ちになった。だから大和は、土埃を払うふりをして俯き、目線を逸らす。――自由に知識を手に入られる立場じゃない、単に知る機会がなかったんだ。心にわだかまる言葉は、真実でもあり幼稚でもあった。
ソフィアから見えない位置で、声を出さず口だけ動かし弱音をこぼした大和。
「……」
なにも知らないくせに、と。
「そうか、心に留めておいて損のない話だな」
それから顔をあげるころには、ジークの仮面をかぶり終えていた。
そして心の中でもうひと言呟く、――陰険め。これは、自分かソフィアか、どちらに対しての言葉か。考えたら被った仮面が脆くも崩れ去りそうなので、大和は無理やり笑ってみせた。
「……ええ、私も回復魔術の知識はあれど専門ではありません。万全な治療をいつでも受けられると思われたままでは困りますので」
「最初から無いものと思っておくさ。大丈夫、こうみえても体は丈夫なほうなんでね」
一切逸らすことなく、けれどどこか相手を直視していないように感じる視線。それは冷たいのか、痛いのか、何と形容したものか。しかしその形容しがたいものこそ、大和とソフィアが互いに相手に抱いている印象だった。
相手を嫌う直接的なものは、なに1つ無いというのに。いや、そもそも嫌いという感情で表すのは間違いなのかもしれない。
「おほん」
コミカルな咳をしたのはゴドウィンだ。わざとらしさには、2人の注意を引くためと窘めるための両方が込められていた。
「第三者からみての感想を手短に頼めるかな、副官くん」
「は、……はい。まず、剣に関しましては素人のように見受けられました」
合っている。大和は剣とは程遠い人生を歩んでいたのだから。
「しかしこれにつきましては、実際に立ち回っていた大隊長のほうが適格な考えをお持ちだと考えます。なので、私の受け持ちである魔術に関して……」
大和に視線が再び向いた。
「失礼を承知で申し上げますが、自身の魔力に振り回されすぎているように思えました」
「というと? コントロールはそこそこできていると思うんだが」
「言わんとしていることは分かりますが……、そうですね、コントロールというと語弊があるかもしれません」
実演を交えたほうが分かり易いでしょう。
そう言うとソフィアは、数メートルほど離れたところに魔術で土の壁を作り出す。同じものをもう1つ。
それで実演のための下準備は終わったのか、再び講釈をはじめる。
と、その前にゴドウィンが離れていく。
「なあ、このままお前の番に移るのなら、俺は監視にまわってるぞ」
「……はい、そうですね。了解しました」
「いいのか?」
「今回の評価など、あとで時間を見つければいいだけの話です」
さて、話を戻しましょう。
ソフィアはさっさと話を進めていく。
「魔術の展開と発動、効力ないし威力。術者がこれらを定義するために必要なことは、それぞれ似ているようで少し違います。……まず展開と発動に関して、なによりも先に魔方陣を書くために必要な基本技術を知っていなければなりません」
「人的魔力をムラなく均一に出し続けること。それから自然魔力を正しく適用できるよう、込める意味の繋ぎ方と並べ方に気をつけること。……こんなところか」
「はい、それを理解しておけば問題はありません」
それから、手元に魔方陣の外枠を作るソフィア。
「仮に小さな水球を作ろうとしても、そのために必要な意味の並びがめちゃくちゃだと……」
あえて間違った意味の並びで魔方陣を作ってみせる。そして、中心部に求む属性を書き込んだ途端、霧散した。
「このように魔術は成り立たず、魔方陣は自壊します」
「ああ」
特定の意味を単体や繋げた状態で代入するごとに、どんな効力を発揮するのかが確定する。それを初めて知ったときは、関数にどことなく似ているな、と大和は苦手だった数学を懐かしんだものだ。
「出力する人的魔術が一定でない場合も、同様です」
再びの実演。今度の魔方陣は形にすらならず、線が揺らぎ波打ち、しずかに消えていった。
「その2つの条件を満たすことで初めて、自然魔力を受け入れる人的魔力のみの魔方陣が出来る、つまり展開されるわけです。その後、最終段階として中心に属性を求めることで自然魔力が流れ込み、発動となります」
「ああ理解してるよ、魔術の効力中で一番重きを置きたい部分を属性として求めることもな」
火属性=燃える、という概念から“破壊すること”に重きに置いた魔術の場合に求める。
水属性=変化する、という概念から“状態を変えること”に重きを置いた魔術の場合に求める。
風属性=動く、という概念から“事象を操ること”に重きを置いた魔術の場合に求める。
土属性=育む、という概念から“作り出すこと”に重きを置いた魔術の場合に求める。
今ソフィアが話したことは、大和の中で何の問題もないものばかり。知識として記憶しているだけでなくキチンと使えることを、いまさっきゴドウィンとの手合せで示したはずだ。
「問題なく魔術を発動していただろ?」
「ええ、見ていたので分かります。問題はここからです。……魔術におけるの魔力量について、基本の考えは知っていますか?」
「『意味が1つの魔術と10の魔術では、後者が強い。
しかし、意味が1つの魔術に、10の魔術に使う分の魔力を込めたら威力は等しくなりうる。』
――その言葉くらいは目にしたことがあるな」
「そう、そこから分かる通り、最終的に威力や効力を決めるのは適用された魔力の量に依存するわけです」
魔方陣を展開し、発動。
水弾が、あらかじめ作っておいた土の壁の片方に着弾する。すると弾丸は貫通することなく、壁に蜘蛛の巣のような亀裂を刻んだ。
「これと同じ魔術を今度は倍の人的魔力を込めて展開し、倍の自然魔力が許容できるようにして発動します」
展開、発動、射出、もう一方の土壁に着弾。
鈍い炸裂音。
「っ!?」
水弾は貫通し、直径10センチ程度の穴を開けた。
「このように魔術は、均等に魔力を出力し、なおかつ意味の配列を考えることで魔方陣が展開発動、込めた意味の数が効果を生み、込めた魔力の量がその威力効力を決定する、というプロセスを踏んで成功するわけです」
ふう、と一息つく。
それから、大和にむかって言った。
「貴方の魔術は粗い、です」
「粗い、のか」
「そうです。……魔力の出力を“操作”、出力する量を“調整”としましょう。貴方の操作は目を見張るものがありますが、調整のほうは疎か。牽制で放つ魔術に120パーセントの力を使っているのですよ、現段階で」
さっきの肉体強化もそうです、と言われ納得する。大和は確かに、調整を気にかけていなかった。なるほど、操作と調節の2つで初めて魔力の統制ができる、ということだ。
「……むず」
「説明されるよりも、実感したほうが早いでしょう。私の土壁にむかって魔術を放ってみて下さい」
「ああ」
一方は普通に放ち、もう一方には抑え目で放つことを意識して臨む。
「……、ふっ」
その結果は。
大和は2つとも、盛大に破壊した。
この物語は、序章→1章→2章→3章(終章?)の予定と決めました。各章の節はそれぞれ、15~20話にします。……長い。主人公が冒険にすら出ていない。
あと、誤字脱字がひどいです。度々読み返して手を加えているのですが、見つけた方は、お手数ですが指摘して下さると助かります。他にもひと言(例:この話必要だったの? etc)あれば、お気軽にどうぞ。(我がまま言ったうえに強請るようで、すみません)