◆3話
死霊のような顔をした人間たちに這い寄られ、体の自由を奪われる大和。
爬虫類に這いずられるような感触が体じゅうにある。まるで蛇の大群が蠢いているようだ。
次々と伸びてくる新しい手が、大和の体のどこかに触れるたび、ぞわり、と悪寒が駆け抜ける。加えて、その触られたところから何かが体内に入り込み同化してくる感覚と、力が抜けていく感覚の両方が襲ってくる。
――いや、だ……
生きる気力が奪われたかのように脱力感が体を覆い、思考が真っ白になっていく。
体が勝手に生きることを放棄するかのように、呼吸が小さく困難になっていく。
――死に、たく ない……
人間たちに埋もれていく中、辛うじて働く頭で必死に願った。
これ以上ない疲労を振り払い、人間の手が少ない右手を虚空へ突き上げる。
――誰か、 助 け て ……
その右手はなににも触れることはないはずだった。
その右手はなにも掴むことはないはずだった。
しかし、右手はなにかに触れた。
ぐにぃ、というゴムで出来た風船のような感触で、右手を押し戻そうと微かな反発を持っている。
そして、右手はなにかを掴んだ。
ゴムのような感触をもつ壁を引っ掻くように、右手を握り込んだ。
次の瞬間。
――バシャッと水風船が割れるような音と共に、大和は投げ出された。
◆
どさっ、とまともに受身も取れずに全身を地面に叩きつけられる大和。
「――ぐ、げふっげほっ!」
溺れた人間が岸に打ち上げられた時のように、口の中の液体を吐き出し、大きく息を吸ってはその反動で咽る。
「げほっ、がほっ、……っ、……、……」
ままならなかった呼吸が落ち着き、浅い呼吸が戻ってきた。
「……、……、……」
ひどい倦怠感が大和の体を包んでいる。指の一本も動かしたくないほどだ。だらしなく半開きになった口から涎が垂れでて、頬が触れている石のような感触の床を濡らす。
そんな状態でも、なんとか意識を保っている。
眠ってしまいそうな意識を必死で巡らせ、脳に情報をおくる。
今度は、なんだ……。
ここは、部屋、なのか?
壁に掛けられた松明のような物や、その光に微かに照らされるレンガで造られた壁。
鼻をつく錆のような匂いと、口に残る鉄の味。
体に纏わりつくぬるりとした液体のような感覚。
大和は降りてくる瞼を懸命に開き、目玉だけ動かして周りを見た。
――コツ、コツ。
突如、足音が聞こえた。近づいてきているようだ、と音の大きさと反響具合から察してその方向へと顔を動かそうとしてみる。
しかし、体はいうことを聞いてくれなかった。生まれたての動物のように、未発達の筋肉がプルプルと震えるだけで、力が入らない。
――コツ、コツ、ピシャ、ピシャ。
床を反響する音が、水溜りを歩いたような音へと変わる。そして、這い蹲るような格好の大和の頭あたりで止まった。
足音の主は大和の左腕を掴み、力任せにうつ伏せから仰向けへと大和の体勢を変える。見下ろすような形で真上にある足音の主の顔は――
「ハッピーバースデイ、俺」
――大和と瓜二つだった。
予想だにしない人間が立っていたことで思考はオーバーヒートを起こしたかのように、プツリとそこで途絶える。思考の海に投げ出された大和は意識を失ってしまった。
◆◆◆◆◆
「クード!」
「――ここに」
魔術鉱石が心もとない光を提供する部屋の中。男が呼びかけると、壁の隅の暗闇からにじみ出るように男が現れた。
男の名はクード・アニエル。王家ルナヘイルの腹心として代々忠誠を誓うアニエル家の人間である。
クードは、視線の先にいる主の横顔を見た。
名はジーク・フェイ・ルナヘイル。王家ルナヘイルの第二王子であり、2つ年下の幼馴染。そして、自分が命を掛けて守る唯一無二の主は、神妙な顔で言った。
「……上手くいったぞ」
「では、計画の変更はないのですね」
ジークは、あぁ、とひと言だけ述べる。
視線の先には、ジークと見紛う顔の1人の男が仰向けに転がっていた。
「……」
クードは静かに見やり、そして意識を失っている男から目を反らす。
それを察して、ジークはあからさまに話題を変えた。
「しかし、ひどい血の匂いだろ」
ジークは小さな部屋に満ちる匂いに、眉根を寄せ、悪戯っぽく鼻を啜る。
その言葉にクードはふむ、と辺りに目を向けた。
部屋の床と壁は、一面に大量の血をぶちまけたかのような有様だ。その中に、妙な方向へ捻じ曲がった四肢や、本来あるべきものが全て削がれてしまったかのような顔といった、人間だったモノが不気味に散乱している。
「アドゥルの民の血肉を使った召喚の儀が、これほどのものとは……」
「まるで、虐殺のあとみたいだろ? 儀式の最中は、文献の文章を読むよりも、なかなか刺激的な光景だったぜ」
ニヒルに笑う反面、先ほどの光景にジークの胃は絞めあがっていた。
部屋の魔方陣の中に立たされた10人のアドゥルの民が次々に痙攣を始め、全身から血を吹き出す姿。それだけでなく、絶命して倒れた彼らの上に、彼らの血で出来た球体が発生し、大きくなるにつれ、倒れている彼らの体が千切れ、顔が変形し、干乾びていく。
ジークの脳裏に焼きついているそれは、御伽噺の地獄を思い起こさせる光景だった。
魔術鉱石に照らされ微かに確認できる人間だったモノは、よく見ると霧のように霧散を始めていて、仰向けに倒れる男に吸収されていくのが確認できる。
「アドゥルの死体処理は、どのように?」
「このままにしておけば、1時間も経たないうちにこの人間の血肉になるさ」
「……そうですか」
表情を変えないジークにクードは声を掛ける。
「……幼馴染として発言をお許しください、主」
「なんだ」
相変わらずこちらを向かないジークにクードは従者としてでなく、友人として言葉を掛けた。
「悪役を選ぶのか?」
「……どうだろうな」
ほんの僅かに顔を顰めたあと、ジークはそう答えた。振り返ってクードと顔を合わせる。
「ルナヘイルは今、漠然とした不安が蔓延している」そして、「こんな生気のない国を、俺は変えたい」
仄かに部屋を照らす魔術鉱石の明かりに照らされた顔に、表情は無かった。
整った顔立ちと、猛禽類を思わせる強い意思の宿った目。王族の証である抜けるような蒼穹色の瞳は淡い光のせいか、微かに揺れているようにみえた。
憂いを帯びた表情。が、すぐに破顔した。まるで、茶化すように。
「まぁ、なかなか上手くはいきそうにないかもな……。親父は不治の病に病死し、兄貴は殺され、王位継承者の第一候補が『放蕩王子』ときちゃ、それも無理ないか」
「……放蕩王子などと、国民が流した言葉を自分で使うなジーク」
僅かにだが、声を荒げるクード。友人として、ジークが自分のことを卑下するのは腹が立った。しかし、力強くジークは笑って「そう思われることをしてきたから仕方ないだろ」と言う。クードとしてはなにか言ってやりたいが、本人がこの調子ではなにも言えなかった。
「さて、」とジークが言う。
「予定通りことを進めるためには、この人間の力が伝承通りか確かめる必要がある」
「……使用する場所は、予定通りカラード地下実験室で」
「ああ」
ジークは振り返って、気絶している自分と同じ顔をした異世界からの人間を見つめた。
「こいつへの対応も予定通りにする。記憶の吸収の魔法陣を、すぐに」
「余計な感情を持たせないために、ですか」
「ああ。コイツの記憶から、コイツが『帰りたい』とだけ思うような対応を考える。それ以外余計な感情を持ってもらっては、交渉を持ちかけることが出来ないからな」
それからジークは、ぽつり、と独り言のように呟いた。
「国民は力を持った王を求めている」
絶対的な安心を提供してくれる王という象徴を。
「それが俺の仕事であり役割なら引き受けてやる。……そのための犠牲になってもらおう、異世界の人間」
ジークは飄々としていて生真面目な人間ではない。しかし、民よりも貴族の闇を見据え、貴族よりも民の苦しみを見て生きてきた。
表舞台に立つ気などなかった。自分よりも、統治者として潔白な道を進むことが出来る力をもった兄がいたから。しかし、こうして自分に役が割り当てられてしまった。王族として荷を背負えと突きつけられてしまった。
なら、力ある者として力を振るおう。
自分の両手が広がるなら、役割を引き受けよう。
「自分の大切なものを、大切な人を守ることができるのなら、何だろうと利用してやる」
悲哀ともとれる覚悟を含んだ声音にクードは、従者としてこの主を見続け、友人としてこの幼馴染の傍にいようと、密かに決意を新たにした。