◆26話
「だからぁ、リリシアさんに会わせろって。話分かる?」
「お昼は営業時間外でして、……お会いになる場合でしたら、あらかじめアポイントメントが必要で」
「リリシアが望んでいるんだ、必要ないだろう」
「望んでいるって……。本人、今日はあいにく約束が入っていますし」
娼館『麗しき夜』の扉をあけたジークの目に飛び込んできたのは、受付カウンターで喚いている男の後ろ姿だった。困った顔で対応している受付の男は、ちらりとこちらに目を向ける。そして、申し訳なさそうに会釈をした。
受付の男の態度で店に新しい客が入ってきたことに気付いたのか、わめいていた男はわずかに後ろを振り返る。が、すぐに視線をもどした。
「おい、あんなみすぼらしい男の相手より、僕の話がまだすんでいないだろ」
思慮のかけらもない言葉だった。
顔見知りの受付は思わずジークに視線をむける。それに手を振って気にしていないことを示が、その意思が伝わる前に受付は男の対応に引き戻されてしまう。男がワザとらしく大きなため息をついたからだ。
「ゲイツ家って、お前わかんない?」
「いえ、存じておりま」
「そうだよなぁ、仮にも王都に住んでるんだから」
ぐいと顔をちかずけて、言葉を遮る。
ゲイツ、――ジークももちろん知っていた。中流貴族で、元をたどれば仕立て屋を営んでいた家だ。
「僕はそのゲイツ家の息子、チャールズ・ゲイツ。……わかる?」
その男の馬鹿な様子を見ながら、ジークは待合のソファに腰かける。
この場所からなら男の恰好がよく見えた。
白地に金の細工がひかるスーツを着ている。値の張る一張羅だと一目でわかるが、いかんせん似合っていない。もっとがたいのいい長身が着れば似合うだろうが、典型的お坊ちゃま風体のため衣装に着られている感がいなめない。服で名を上げた家系が、とんだ笑い話だ。
横でカウンターの上に置かれている花束がかおる。おそらくチャールズがもってきたものだ。多少離れていても匂いがわかる、香のきつい種類。むせ返るような赤や紫は、娼館の雰囲気にあってはいるが……。
「リリシアは、淡いほうが好きなんだけどね」
と、ジークは呟いた。
色しかり香しかり、彼女は淡い系列を好む。さらに言うなら、花より団子。彼女は甘いものに目がない。
ともあれ、それを指摘してやるほどジークは酔狂ではない。そんなどうでもいいことは鼻で一笑し、ゲイツのバカ息子を見やる。
最後にあったのはいつだったか、と首をひねる。思い出されるのは夜会で徒党を組む姿、ジークの兄にむかって媚びる姿、エトセトラ。
そして今度は、娼館でごねる姿だ。
貴族が聞いて呆れる。
「リリシアとの時間をお求めでしたら、営業時間内にしかるべき手順を踏んでいただきませんと」
「うるせぇよ、こっちだって忙しい身だ」
「とは言われましても……、彼女にも予定が……」
「僕よりも大事な用事なのかよ、それ」
「いえ、ですからプライベートなことですので」
乾いた笑いも起きない。思わず軽蔑じみたため息がでた。もはや貴族云々より、22歳のいち成人男性が聞いて呆れる。しかしそんなジークの態度に目もくれず、ふっくらした頬を揺らし、ぽちゃりとした唇をゆがめて笑う。
「大切な話があるって、彼女には昨日伝えたんだ」
「は、はぁ」
「そしたら彼女も、楽しみにしてるって」
「そう、ですか」
「あなたとの時間を心待ちにしてるとも言ったぞ」
「……なるほど」
「つまり、リリシアさんにとって一番に優先されるのは僕のはずだ。だから僕はこれからリリシアさんに会う、彼女もそれを望んでる。これ以上の理由が必要か? 要らないだろ」
頭が痛い。
そんな受付の言葉が聞こえてくるようだった。
自分の主張はまったく正当だ、とチャールズの語気は荒い。リップサービス程度で、よくそこまで自惚れることができる。まるで大きな子どもだ。育ちが透けて見えるようだ。
「今日は僕が彼女をもらい受ける、記念すべき日なんだ。いち娼館の受付風情が興をそがないでくれるか」
「いえあの、ですから……、正式なアポイントメントがない場合……」
会話が振出にもどったところで、二階に人影。位置の関係上それに気づいたのはジークのみだった。そして呼び掛ける。その人影は件の、
「元気か、リリシア」
「おっす、あはははは」
「飲んでるのか?」
「んふふ、ちょっと」
熱にうかれた風に目元がとろんと垂れ下がり、青い瞳はうるんでいる。少し着崩れたワンピースからのぞく白い肌も今は赤く色づいていて、若い色香をはなっている。それでもだらしなく見えず、支えてあげなければと男の心に訴えるのは、彼女がもつ生来の自然な魅力ゆえだろう。
「流石ナンバー1」
「なぁーに、きーこーえーなーいー」
「昼間から泥酔するなよ酔っ払い、って言ったんだよ」
「固いなぁ、ベンジャミンは。……ん、ベンジャミン? アルベルト?」
ジャック、だったけ? それともカイル?
ジークの使う偽名を羅列して首をかしげる。
「ベンジャミンだよ、ベンジャミン・ベル」
「あぁ、そう。……そうだった、そうだった」
二階手すりから身をのり出して、リリシアはにへらと緩く笑う。灰色の髪が一房、はらりとながれた。
「リ、リリシアさん!」
「んえ?」
「僕だ!」
呼ばれて、初めてチャールズの存在に気づいた素振りをみせるリリシア。それから酔いのまどろみの中を彷徨うように頭が右へ左へとゆっくり動いて、目の前の人物を記憶の中から揺り起こす。ほどなくして、
「ああ、ぇと……ゲイツ家の、チャールズ、さま」
「そうだよ僕だ!」
彼女の言葉の語尾にはクエスチョンマークが付属しそうなものだったが、自分に心地いい音しか聞こえない耳をもっているチャールズには関係なかった。そればかりか、
「僕に会いに出てきてくれたんだね!」
とうとう受付の口から、溜息がもれた。直後、まずいと思ったのかすぐに襟を正したが、要らぬ心配のようだった。チャールズは二階のリリシアが見える位置まで動き満面の笑みを浮かべていて、他は眼中にないよう。
受付の、疲れのやどった目がジークとあう。ジークがやれやれといった具合に肩をすくめると、受付の彼もやや控えめに苦笑いをかえした。
「あははっ、面白いこといいますね」
「喜んでもらえて嬉しいよ!!」
「そうですか~」
「そうだとも」
酔っ払いと大きな子ども。
噛み合わない会話を繰り広げてケラケラ笑うさまは、いつか収集がつかなくなりそうなものだった。気づかぬうちに話が拗れそうなものだから、受付は気を揉み始める。ジークとしても、茶番にも満たないやり取りに付き合う時間もなかったので、助け舟のつもりで話をすすめることにした。
ソファから腰をあげ、受付カウンターへと歩く。
「よう、フランク」
「ああ、ベンジャミンさま。……申し訳ありませんね、慌ただしくて」
「見てればわかるよ、大変だな?」
「事情を一方的にまくしたてる人は、まぁ、多いですけどね」
雇われ、受付の仕事を始めてから今年で3年。
娼婦に入れ込み身請けさせろと言うくせに、接するときは自分の都合を押し付けるばかり。そんな人間なら、いくらでも見てきた。ことに金持ちには顕著だ。
受付の男――フランク・バーンは、嘲笑するような憤るような感情を一瞬ちらつかせた。
「でも、頭がいたくなったのは久々です」
「ははは、お疲れさん。……で、今日取り付けてあった約束なんだけど」
「ああ、はい、承知してます。リリシアとでしたよね。……では、こちらにサインを」
いつものように手続きを済ませながら、傍で美辞麗句を並べ立てているチャールズにどう介入するべきか考える。さて、どうしたものか。頭の中で腕ぐむが、解決策は必要ないとすぐにわかった。
「ねぇ、ベン。終わったらはやくきてー」
間延びした声で、本人から催促がきたからだ。
「今やることやってるだろ、見て分かってくれ」
「こっからじゃ見ねぇよぅ。ねぇ、それよりも時間確認したの? 約束より遅れてるよー」
「悪かったよ、ほんとすまん。」
「ん、本気に捉えないでよ、気にしてないから。それよりほら早く、飲もぉー!」
「昼間っから飲まねぇよ」
手続きを終え、目を横にむける。すると口をあけたまま止まっているチャールズの顔が視界にはいった。声をかける道理もないので、無視することにする。
「……はい、確認しました。ごゆっくり」
「ううん、今日はあんまりゆっくりもできないんだ。あぁ、あと」
声をひそめて、
「あの貴族さまがいろいろ口うるさくなるだろうから、対応頑張って」
「はい……、お気遣いありがとうございます……」
ジークはリリシアの待つ二階へ行こうと、チャールズの脇を通り過ぎる。顔を盗み見ると、まだ事態が把握できないのか、呆けたままだ。その間抜け顔から視線を外すし階段上をみると、リリシアが緩んだ顔でジークを待っていた。
「にへへ、久しぶりだね」
「再会を語るのは、2人きりになってからでいいんじゃないか?」
階段をのぼりきると、手をとられた。そのまま踊るような足取りでリリシアはジークを引っ張っていく。
後方から、「お、おい! あの男は誰だ!? リリシアとどんな関係だ!!」という取り乱した怒鳴り声。
ジークはフランクにむけ、静かに合掌した。
◆
リリシアのプライベートルームに入る。それと同時に、繋がれていた手が解ける。ジークは振り返って今しがた入ってきた扉に鍵をかけた。「……なぁ」と、リリシアに声をかけながら、もう一度振り返ると、
「……っと」
抱きしめられた。崩しかけたバランスを立て直すため、すぐ後ろの扉に背を預ける。首にゆるく絡まったリリシアの両腕がジークを引き寄せるように動いた。それはちょうど、猫が甘えてすり寄ってくるのにも似ていたが、愛らしさに勝る情欲が見え隠れしている。
「……ねぇ」
酔いのせいかどこか舌足ったらずで蠱惑的な音色の声が、部屋にシンと染み込んでいった。