◆25話
――リンゴン、と鐘のなる音が聞こえた。入れ替わってから2回目の鐘だ。
ジークはその音に導かれるように城の方向を見る。
自分の計画の進行具合はどうだろう、と少し心が陰ったそのとき、突風が草木のにおいを巻き上げながらジークを背中から包んだ。
しゃきっとしなさい!
そう叱責された気になるのは、この敷地内にいて、他でもないあの人の前にいるからなのだろう。
「……っふ」
都合のいいことを考えて己を奮い立たせる自分自身に、呆れともとれる溜息がもれた。――しかしすぐに、あの人の前だぞ、しっかりしろ! と思い直して背筋をのばす。
抱えたシエルの花束をさしだし、
「この花、さ……」
穏やかに話し始めるジーク。
「ジャックとニナっていう兄妹のお陰で買うことができたんだ」
腰をかがめ、目線は下に。
どこまでも優しく、ほんの少し泣きそうな口調で、大理石に刻まれた文字を読み上げる。
「『旅人よ、歩みを止めるな
死の領域に戸惑おうとも、生の楽園に息詰まろうとも、決して
ここに眠る人々はみな、人生の絶頂を生き、大きな悲しみに送られて亡くなった
永久に静まりし声は、涙のなかで語るだろう 「私たちは未だ歩みを止めることはない」
道が分かたれ、たとえ交わることはなくとも 「私たちは未だ、共に歩みを進め、止めることはない」
死を悼め、生を尊べ
旅人よ、歩みを止めるな』」
読んでいるうちに、息が苦しくなった。
何度か、声を詰まらせそうになった。
「生者は雄弁だな。死者の口すら借りる」
ルナヘイル国民、ここに眠る / 王都リュニア教区の教会墓地
そう締めくくられている大理石のプレート横で、ジークの花束が風に揺れる。供えられている他の花に紛れていようとも凛と薫る姿に、たいせつな人の姿がジークには見えた気がした。
けれど、あの人の骨はここにはない。
この下には、だれも眠っていない。
共同墓。
墓地をつくることによって起こる土地不足を解消するため、そして墓を作ることができない人のために作られた墓だ。
墓は、貴族が死後に生前の威光をしめすための、一種のステータスとして扱われていた。そのためか、規定された大きさの大理石に、自分の格言を所せましと残したり、意匠のこった模様を刻んだり、といった加工が墓作りビジネスの中心となり、庶民にはおよそ手の出せないものとなっていった。
墓を残せない人をせめてでも弔うために、と作られた共同墓だが、ひも解いてみればそんなものだ。墓は貴族のもの、という価値観が生まれたから、それに代わるものを作っただけだ。
手をあわせる場所ができただけで、そこに自分が弔いたい人は眠っていない。
墓を作れない場合は、死者を火葬したあと、骨を砕き、家族が海へと撒くのが一般となっている。けれどそれで納得できない人も多い。ジークもそんな1人だ。
死後くらいゆっくりできる場所をあたえてあげたい、そう考えるのは間違っているだろうか。
だというのに、こんな有象無象ひっくるめて「これで満足だろ?」なんてやり方は腹が立つ。人ひとりの死がどんなものであれ、そこにはひとりの人間として尊厳と安らぎがあっていいはずだ。
他人にとっては何でもない人でも、家族や友人には大切なひとであり、自分でも気づかないようなところで自分の大切な人と他人の大切な人が繋がっている。そうして僅かでも人と人とが、大切な人として繋がってできるのが国ではないのか。
「――」
ジークは奥歯を強くかみ合わせた。
この国は歪だ。
貴族のような権力者たちは、人を見下し、あるいは野心を燃やし、本来顧みるべき人々を真正面から見ようともしない。そればかりか、無理を強いて自らの我を押し通している。
誰かが誰かの上に立つな、とはいわない。それは人間や国としての歩みを止めているだけだ。
しかしだからといって、上に立つということは、下を見下し、好きなようにやっていいというわけではない。他者になにをしても構わないわけない。
――そうか、なら誰一人として他人の人生に手を加えていい道理なんてあるはずがないよな?
「……」
自分によく似た声が聞こえた気がした。幻だとわかっていても、ジークは全身の産毛が逆立つような、皮膚が粟立つ感覚をおぼえる。異世界人から向けられる怨嗟の瞳は、たとえその場にいなくとも、いつだってジークの肌を焼いていた。
「すう……、はぁ……」
1度深く息を吸い込んで、そしてゆっくり吐く。
「悪い、なんて言わない。……自分で決めた道だ、歩ききってみせるさ」
そうさ、九流大和。
お前の記憶でみたあの事件がどれだけお前を苦しめていようとも、お前が自身の価値や世界の価値に翻弄されようとも、だ。
俺はお前のように、生きることを他人任せにしない。
「“結果より過程を考えろ”“自分がやられて嫌なことは他人にやるな”、……そんな言葉で二の足を踏んでちゃ、なにも変えられないんだよ」
そう言い切って、そして、なんだか言い訳くさい締めくくりだなとジークは自嘲した。
「それじゃ、頑張るよ俺。……いってきます、――」
これからは忙しくなる、だから気ままに墓参りにすらこれないだろう。
そう思って、いってきます、と声をかけた。しかしジークは最後の最後で言葉に詰まった。自分に、あの人に呼びかける資格などあるわけがないと、思ってしかったから。
踵をかえして、歩き去る。
またしても風に包まれたが、今度は都合のいい言葉はきこえてこなかった。
◆
「クード、いるんだろ」
「ここに」
右後ろからの声。それに続いて、
「アタシもいるよ」
シャーロットも声をあげる。
クードはいつものことながら声音に感情が見当たらない。続いてシャーロットだが、意外なことにどこか沈んだような声色だ。その理由は、ジークの態度が関係している。
「首尾は?」
固い雰囲気をまとい、粛々と弁をすすめていく。無駄口をたたくこともなく、軽薄な笑みを浮かべることもなく、ジークはただ短い言葉を吐き出す。
「問題なく」
「いまのところ予定通りだよ」
「そうか」
「異世界人は、現在剣の鍛錬をはじめました」
「マリアンヌ・アイゼンフリードとの対話では、特に問題を起こしてないよ」
簡単な報告。しかし、それ以上深く聞くことはせずにジークは、
「わかった。クードは異世界人、シャーロットはマリアンヌの監視を続けてくれ。全部おわってから、改めて報告をきく」
「わかりました」
「……うん」
2人は返事をかえして、しかしすぐに去ったのはクードのみだった。シャーロットはとぼりとぼりと言葉なくジークのすぐ後ろをついていく。振り返ることのないジークだが、探るような視線は嫌でも感じられた。気遣っているつもりなのだろうか、だとしたらそれが無性に苛立たしい。
「あの、さ」
遠慮がちに声がついてくる。
「これから、会いに行くの?」
誰に、とは言わない。それを口にしてはいけないと知っているから。シャーロットは、自らの主の踏み入られたくない領域にずけずけと踏み入っていくほど愚かではなかった。ジークもそれは知っている。
しかしだからこそ、領域の境界線ぎりぎりを撫であげるような言動が苛立ちをつのらせた。
歩みをとめる。
「なにをしている、行けと言ったはずだ」
「うん。……で、でもね、予定くるっちゃったんだったら手助けしてあげようかなって。ほら、アタシを使えば3秒もあれば着くでしょ? あ、場所は知ってるよ、娼館通りの「シャーロットッ」――っ」
怒号とまではいかない。しかし静かに荒んだ声は、確かな怒りをぶつけてきた。
「俺の言葉は理解しているか」
「は、い……我が主」
「ならなぜ、お前はここにいる」
シャーロットは俯いた。
その沈黙を答えとうけとったジーク。短く息を吸ったあと、
「去ね、シャーロット」
「……」
物音も、返答もなかった。しかし、シャーロットが消えたことは背中越しにでもわかった。次にチラと首を後ろに向けて目でたしかに消えていることを確認する。
――ああ、クソ。
悪態を心のなかで漏らし、大きな息の塊を吐き出した。
震える膝を折り頭をかかえてしまいたくなるほどの自己嫌悪。それに耐えるように抱えたパンの袋に力がこもり、地面を踏み抜かんばかりの足取りで歩き始める。止まってなどいたくはなかった。
クソ、クソ、クソ……。
「クソったれ」
足取りは早まり、そしてついに走り出す。
心の中で自分を罵りながら、加速する。
お前は誰だ? ――『ジーク』だ
『ジーク』はなにをする? ――『王』だ
『王』にはなにが一番必要だ? ――『覚悟』だ
覚悟?
笑わせる。
何が覚悟だ。
口だけのくせして。
勝手にへこたれて、勝手に感傷に浸って、あげく人にあたる。
直情的で、感情に流されやすくて、子供じみた駄々をこねる。
その口で覚悟をほざくな。
それともなにか、兄に言ったように「影でいい」なんて逃げ口上を叫ぶか。
腹をくくれ、人に頼るな。
もう計画は後戻りできないのだから。
冷静になれ。
冷徹になれ。
英断をくだせ。
犠牲を厭うな。
なぎ倒してでも前に進まなければ、奪われるばかりになるぞ。
王よ、産声をあげろ。
でなければ俺は本当に、誰に報いることも、なにもない、無能に成り果てる。
「……ッ」
いまはただ、ジークは走る。
心根を悟られぬよう、前だけを向いていればいいから。
目標100ptを掲げ、すぐに達成。ありがとうございます。