◆24話
大和の鍛錬に移らなきゃなー
そう思いつつ、できたのはジークの話でした。次の話もジークの続きになる予定。
2人からの言葉に、ゴドウィンはふと我に返ったようだった。
「あっ、いやその」
「んっん゛!」
弁明をさせる暇さえあたえない、とでもいうようにソフィアが咳払いをした。目元がほんの少し朱を帯びている。あれだけ持ち上げられれば、誰でも気恥ずかしくなる。それは、氷の美女と揶揄される彼女とてかわらない。まして敬愛する父からだ。
はやく本題に移って、と目で訴える。
「……はぁ」
一方、大和はなんだか毒気が抜かれたような気でいた。
感情がぐちゃぐちゃになりそうななか、仮初めの人間関係を築こうと抑圧を重ねている自分。たいして目の前の熊男は、壁などそうそうに取り払って気持ちいいくらい穏やかな対応をしている。あげく娘自慢を始めるときた。
気負っているのは、自分だけだ。そう思うと、いったい自分はなにをしているのかと、手さぐりをしている気さえしてしまう。
心を濁らせ、望まぬ力に振り回され、この世界にいいように馬鹿にされ、いったい自分はなんなんだ……。
そんな気持ちを振り払うきっかけをくれたのは、図らずもソフィアの言葉だった。
「大隊長、時間がないのは承知でしょう? はやく始めましょう」
「……ああ、俺も賛成だ」
2人のその言葉にゴドウィンは気まずそうに髭を掻いて、同意した。
◆◆◆◆◆
ジークは予定の変更を強いられていた。マリアンヌ・アイゼンフリードが想定外の王都来訪をしたためだ。髪と目の色を変えているとはいえ、万が一鉢合わせるような事態は避けたい。たとえ相手が馬車で移動していようともだ。計画になんらかの不和が生まれる可能性を含んだ要素は取り除くに限る。
彼女が王都を来訪した理由を列挙し、次に彼女が訪れそうな場所をあげていく。
結果、王都中央通りから離れ、かつアイゼンフリード別邸と彼女の叔父にあたるエトワール邸宅付近は避けてとおろうと結論がでた。
けれど、この考えをもとに動いた場合、もともと予定していた行動ルートをほぼ逆行することになる。
「んん、まぁ、しゃーないか」
焼き立てのパンは諦めてもらおう、と昔馴染みの顔を思い出す。ちくりと胸が痛んだ気がしたが、右肺の上あたりだから、きっと心とかじゃないのだろう。
弱弱しく、ジークは笑ってみせた。
「よし、予定変更と決まれば、早く行動に移すが吉だ」
今いる裏路地をぬけ、教会方面へと向かおうとして、ふと足が止まる。
何か忘れている、そう感じた。
のど元まで出かかっているのに出てこない。
頭のなかで霞がかって不明瞭なまま。
「……花」
そう、花だ。
ジークはやっとのことでそれだけ思い出した。
一週間前、あの研究所で消してしまった記憶が訴える。
ただ、花とだけ。
「買わなきゃ」
ただ。
……花とだけ。
それだけで、中央通りにもう一度足を運ぶ理由には申し分なかった。
色も形も、記憶から消えてしまって分からない。
けれどそれは、絢爛に気取った色ではなかったはずだ。
けれどそれは、印象に残らないような形だったはずだ。
ああ、忘れたくない。
ジークはしぜん、早足になった。
ボロボロに砕けた記憶の断片が、寄せ集まって形をなしていく。
『こ■■ね、お■■■■好■な■■
■ん■■■■たな■け■■、■■に生■■る■■■じ■して■き■■。
■■て■■の高■■風■■■る■との■い■■■■花。あ■■と■■■■なの■、■■■』
なんでも犠牲にする覚悟はできていた気でいた。
しかし、まだ足りないとのことか。
これでは、あの異世界人に言えた口ではない。
こんなにも、手からすり抜けていく記憶をもとめているのだから。
わぁっ、と中央通りの喧騒げ耳をついた。それがきっかけで、ジークの視界が急速にひらけていく。
動く力が抜け落ちていくかのように、前へと進むことをやめた。
その時――「うあっ!!」、男の子の声と足に軽い衝撃。
「ぇ」
「ぃってぇ」
目を向けると、まだ10歳にもなっていないような男の子が尻もちをついていた。あたりには、子どもが抱えられるくらいの茶色い紙袋から飛び出たオレンジが、ころころと転がっている。
「悪い、大丈夫か?」
さっきの声はこの子だったのかと思い、屈んで手を伸ばすと同時に、その男の子の後方からさらに幼い女の子が駆け寄ってくるのが見えた。
「まってよ、おにぃちゃん……」
妹のようだ。
兄がジークに手を引かれて立ち上がる状況に、言葉がだんだんと尻すぼみになって聞こえてきた。
「怪我は?」
「へーきっ」
大事ないようで、ジークは微笑みかける。妹のほうにも同様に。
そして、屈んだままオレンジを拾いあつめ、表面を手のひらで磨いてから紙袋へと戻し、男の子へかえす。幸い皮の厚い種で、食すに問題はなさそうだ。
「ホント悪かったな、俺の不注意のせいで」
「ううん、オレも前みないで走ってたから。にーちゃんだけのせいじゃないよ」
こちらを見あげ、にししと白い歯をみせる。
その横へ、おずおずといった具合に妹がよってきた。その手には――
「っねぇ君、花束、その花どこで売ってる!」
間違いない、記憶の断片の影で揺れるのは、この花だ。
白くて、背が高くて。
「教えてくれないか!?」
ジークの変わりように男の子は面食らったように目を白黒させ、妹のほうはビクッと肩を震わせると兄の陰にかくれてしまった。
その2人の様子に、ああしまった、と我に返るジーク。
いつもの調子で、口元に微笑みを浮かべてやりなおす。
「ごめんな、驚かせて。
えーっと、名前を教えてくれないか。俺はアルベルト。アルベルト・カーフマン」
目線を下げ、相手と合わせる。
そしてまずは兄に聞き、答えを待つ。
「オレは、ジャックだよ。 ジャック・スワン」
「おう、よろしくジャック」手を出して、その小さな手をとって握手をする。最初は驚いたようだけれど、すぐに握り返してブンブンと元気よくゆらしてきた。「そっちの、……妹ちゃんは?」
笑いかけると、するりと顔をジャックの背に隠してしまった。しかし、ジャックが「挨拶は返さないと、おかーさんに怒られるぞ」と窘める。
「この間おかーさんに叱られただろ、また怒られたいのか?」
「や」
「じゃ、できるよな」
年上に物怖じしないやんちゃ坊主かと思えば、以外にもしっかり者の兄でもあるらしい。そんなジャックに後押しされ、おずおずといった具合に妹は顔を出した。といっても、半分はあの白い花の束に隠れてしまっているが。
「ニナ・スワン……、です」
「よろしくな、ニナちゃん」と手を伸ばすが、逃げられてしまった。その様子に苦笑して、行くあてを失った手のひらを握手の代わりにニナの頭を撫でるためにつかった。「……さて」
ジャックに視線を戻して、
「俺さ、その白い花を買わなくちゃいけないんだ。どこで買ったか俺に教えてくれないか?」
「シエルの花のことか? なら、ここからちゅーおー通りをまっすぐ王都入り口のほうまで下って、2つ目の角をまがってすぐの花屋に売ってるよ」
白いこの花は、シエルの花というらしい。
「シエルの花っていうのか、それ」
「なんだ、にーちゃん知らなかったのかよ」
まあ男なんだし花にきょーみないのもしかたないよなー、と得意になって笑うジャック。お前も男ではないのか。
「シエルの花はね、この時期の海辺に咲く花なんだぜ」
「へぇ、知らなかった」
「……なぁ、にーちゃん」いたずらっ子よろしく笑って見せて、「かのじょにでもあげんのか?」
ませガキめ。
しかしあながち間違ってはいない。大切な人にあげることに変わりないのだから。
「あ、やっぱり分かるかジャック」
「男が花を買う理由なんてそれくらいだって、おとーさんが教えてくれたんだぜ」
いささか偏った知識を自慢された。
出所は父親とのことだ。兄の陰からちょっぴり顔をだし、ニナも首を縦にふって同意する。頬をわずかに紅潮させ、瞳をきらきらと輝かせるその姿は、なるほどジャックによく似て、この子もませガキらしい。
「おにーさん、けっこん、する?」
花束からずいと首を伸ばし、
「けっこんしき、あげるの?」
撤回。
女の子であるぶん、婚礼に関して興味深々。ジャックよりもませている。
「ははは、……どーだろ」
「じゃ、じゃあ。かのじょさんきれー? おひめさまみたい?」
結婚式のつぎにお姫様ときた。
古今東西、女の子に受けそうな物語だ。
――例えば、悪者の謀略をかいくぐり、めでたく王子と結婚するお姫様の物語だとか。
――例えば、姉妹の邪魔者扱いされていた末っ子のお姫様が、見事王子の心を射止めるだとか。
ニナもきっとそこらへんの物語から憧れを抱いたのだろう。
「んー」
彼女――ではないけれど、花を渡す女性は、きっと、
「綺麗」
きっと綺麗だった。そして、
「それに、強い」
きっと強いひとだった。
「つよい?」
「はっはーん、オレ知ってるぜ。そいいうの“尻に敷かれてる”って言うんだろ? にーちゃんはきっと“尻に敷かれてる”んだな!!」
「はは……」
呆れと、背伸びをしたがる発言に、思わず笑いがこぼれた。
「っと、悪い、急いでるんだった」
「あっ、かのじょ待たせてんだろー、男としていくないぞー」
「めー」
「はいはい、ご忠告ありがとう。花、教えてくれてあんがとよ」
抱えた紙袋から、パンを1つずつ取り出して2人にあげる。
「これはお礼、しっかり食って大きくなれよ? そんじゃなジャック、ニナ」
そしてジークは、その小さな2つの赤毛頭をくしゃりとなでてから背を向け、速足で立ち去った。背中越しに2人分の、ありがとー、が追いかけてきた。次いで、がんばれよー、とジャック。
ジークは、振り返ることなく目的の花屋まで進んだ。
――ただ、その拳は爪が食い込むほど強く、強く握られていた。
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