◆22話
マリアンヌの回、正直閑話にもっていきたいくらいの話。
とはいえマリアンヌの登場は今回でいったん間をおきます。
宮廷内を歩くマリアンヌは、その絢爛さに感嘆の溜息を静かに漏らした。
懐かしさを揺り起こすような暖かみある様式は、その手で大陸統一の悲願を掴まんとした歴代の王たちの思いをのせた揺り籠のようであり、また荒波をこえ未来に向かうための箱舟のようでもあった。
玄関で頭を下げた宮廷の使用人に見送られ、宮廷をでる。
庭が目に入れば、目を引くのは月の女神の彫刻がある噴水だ。高い位置にまで昇った太陽の光で水しぶきが輝いている。すぐ近くの花壇で庭師が仕事に励んでいた。
その噴水を少し越えるところまで歩き、北の方向を向くと城を真正面に据えることになる。
宮廷とはうってかわって荘厳とした佇まいだ。威圧と威厳で相手を平伏させんとする威風堂々としたその城は、しかし宮廷や庭とうまく調和している。
その城では公的な謁見や国の行く末を決める会議のほか、夜会などが催される。マリアンヌが入城したのはいつのことだったか。
「……お兄様の戴冠式」
間違いない、あの時だ。
思い出された11歳の自分は、まだまだ子どもであった。夜会の雰囲気に憧れ、眠気も忘れて無邪気に心を躍らせていた。1つ年上の許嫁に子どもながらにときめき、「内緒で城を探検しよう」と手を握られたときは、赤くなった顔をからかわれたこともあった。
今にして思えば、本当に子どもだった。
強く、強く拳を握りしめ、マリアンヌは城に背を向け城門に向かった。
「取り戻してみせますわ」
宮廷を、城を、庭を。
先代の王たちの思いを、家族のすべてを、――私自身を。
城門の脇に迎えの馬車が止まっている。新しいものを新調してから城門にたどり着くまで、驚くべき速さだ。馬の鼻息が荒いところをみると、今しがた着いたばかりなのだろうか。
小太りの御者が額の汗をぬぐって恭しく礼をした。
「公女さま、その、先ほどは私の至らぬ、……」
「いい、早く馬車をだしなさい」
脂肪を揺らして背筋を正す御者の姿をマリアンヌは背中で見て、馬車のステップに足をかけた。控えていたメイドは素早く馬車の扉を開けた。
真紅の革張りソファに座る。次いで隣に腰かけたメイドにむかい、
「ルイス、ハンカチを」
「はい、マリアンヌさま」
差し出されたハンカチで口元をぬぐい、それから手を丹念にふく。
「ふう……」
そして汚いものを返すかのような手つきでメイドの手に戻した。
ガタンと1つ馬車が揺れ、走り始める。
窓の外に目を向けると、丁度城門の警備をつとめる騎士の見送りがみえた。
それからしばらくして馬車が城門を抜け切り、城壁が真後ろに見えるようになったころ、マリアンヌは馬車の中で大きく伸びをした。
「ん~~ッ」
およそ淑女が発すべきでない声に、ルイスがわずかに眉を揺らした。
「マリアンヌさま」
「なに、今くらいお咎めはなしにしてよ」
小言は言わないでくれと、若干命令口調でルイスの言を遮るマリアンヌ。
「アイツの前でバカみたいにニコニコしてたら、顔だけじゃなくて全身の筋肉まで凝っちゃうんだから」
石でも踏んだのか馬車がはねた。
「いっ、たいな、もう。……この御者はクビにしたほうがいいわね」
険のある声でポツリと漏らすマリアンヌ。
宮廷を訪問していたときとは打って変わって別人のようだ。しかしルイスはさして驚愕した様子もない。そのはず、マリアンヌが5歳のころからルイスはその傍らにいた。18歳で雇われ、以来11年ずっとみてきた。そのルイスがこんな一面を知らないはずがない。
またマリアンヌとっても、ルイスがこの一面を知っていることでいい息抜きの場が生まれているため、彼女に暇をだすようなことはしなかった。
「それでマリアンヌさま、久方ぶりにお会いになられてどうお感じになりましたか?」
「どうって……」
その美しい顔を上品にしかめ、
「相変わらずよ」
心底嫌悪しているかのような声音で吐き捨てた。
「軽薄そうにニタニタニタニタ、小ばかにしているのが目に見えていて腹が立つ。それよりもイラつくのは、あの白金の髪と蒼穹の瞳よ、会うたび腸が煮えくり返るわ。
いえ、そういえば……」
言っているうちに会話中違和感を感じていたことを思い出し、それからマリアンヌは先ほどのジークとの会話を思い出すことにした。
「今日は、なんだか様子が所々おかしかったわね」
思えば、妙な甘言を述べていたような気がする。
「マリアンヌさまも、そうお感じになられましたか」
ルイスもなにか思うところがあるらしい。
「へぇ……、あなたの感想を聞かせて頂戴、ルイス」
「はい。ですが、なんと表現したものでしょう……」
はたから見れば閉じているのかと思うほどに細い目をさらに細くし、しばらく言葉を探して、
「人的魔力」
とだけ呟くように言った。
「それだけじゃわからないわよ」
「ぁ、申し訳ございません。その、うまく言えないのですが……、以前にお会いした王子の魔力はまるで穏やかな大海のようでした。ですが今回は、例えるのなら荒れやすい海といいましょうか」
「は?」
「大海という印象は変わらないのです。しかし魔力がなにかに反応するように、言い換えるなら警戒するように何度かうねっていたのです」
そしてルイスはこう締めくくった。
「うねる魔力はまるで熱せられた海のような。いいえ、溶岩とでも言ったほうがいいのかもしれません」
「ふーん」
「もちろん、王子といえど人間ですからその時々で魔力になんらかの変調があってもおかしくはないのですが……、すみません私にも漠然とした違和感としか」
「いいわ、もう十分。魔術にしか能のないあなたがそう言うのですもの、私の感じた違和感がただの勘違いではなかったとはっきりさせるのには十分すぎる意見だわ」
マリアンヌお付の使用人であるルイス・ルクレールは、当然護衛の役もかねている。むしろ護衛が本業といったほうが正しい。幼いころから自らの主人を守る術、すなわち魔術と護衛に特化した戦術を刷り込まれて生きてきた。とりわけ魔術はマリアンヌの父、ビクター・アイゼンフリードのお墨付きを受けるほどに評価が高い。その代償とでもいうのか、身の回りの世話に関して言えば並の使用人と同じ程度なのだが。
「にしても魔力が警戒しているかのように、ねぇ……」
放蕩者、加えて無能と噂される王子が。
「さすがに一級の教育を多少といえど受けてきたのだから、そこまで馬鹿ではないのかしら」
「あのマリアンヌさま……」
ルイスが声をかける。
「本当に、あの企てを」
「こんなところで、その話はやめて」
あの企て、そう述べた瞬間マリアンヌはピシャリと遮る。
「私付の使用人といえど口を出していい話ではない。あなたは昔から私の使用人兼護衛だったから他の人間よりも信用に足る、だから今後も尽力してほしくて概要を教えただけ。そのことを忘れないで」
「ですが私は、あなたさまを心配しているのです。……あなたの御父上だって、あなたが大切だから今回の王都滞在を受け入れたのですよ」
「はっ!」
ルイスの言葉に、マリアンヌは嘲笑するように短く息を吐いた。
「なに、あなたは私の友人にでもなったつもり?」
半身をルイスに向け、見下すようにその藍の瞳を細めた。
口端を吊り上げ銀髪をさらりと流す姿は、なるほどジークによく似ている。
「歩をわきまえなさい」
「……言葉がすぎまし」
「それに、あの下劣な男の性根を知りながらよくも「あなたの御父上云々」なんて口が叩けたわね」
飄々と、しかし黒い感情を瞳に映しながらマリアンヌは言葉を投げつけた。
「っ、……」
「情けない顔を晒すくらいなら初めから言葉を選ぶことね」
「申し訳ありません。失言をお許しください」
狭い馬車内で、深々とルイスは頭を下げる。その謝罪になんの返答も返さないまま、マリアンヌはついと顔を逸らして視線を景色にむけた。かと思うと、
「あんな男、父親でもなんでもない」
蚊のなくような声で呟いた。それからワザとらしく明るい声で、
「最後まで執務室でぼやいていたわ、「私の元を去らないほうがいい」って。それなのに私の強引な要求を呑んだのは、……ねぇどうしてだと思う、ルイス?」
「私は、なにも」
「なにも言えないっていうの」
「皆目見当もつきませんので」
わずかな沈黙が流れたあと、愉快そうに喉をならす音が転がった。
「ぅふふっ、ふふ」
次いで、マリアンヌの含んだ笑いが響いた。
「そういう返答は好きよ、ちゃんと身分を考えた答えだと思うわ」
「……」
「私はあなたに全てを話してはいるけれど、それは親しさの証ではない。そのことはあなたも重々知っている。だから余計なことは言ってはいけない、ただの使用人が主人の家族のことに首をつっこむなんてもってのほか。……そうでしょ?」
「はい」
許しが出ていないためにルイスは頭を終始下げたままだ。その丁度いい位置にある頭にマリアンヌは手を伸ばし、愛玩動物を愛でるかのような微笑みでショートに切りそろえられた髪をすくように撫で始めた。一回りも年の離れた2人だというのに、その場を包む雰囲気は年下であるマリアンヌのほうが年上であるかのような印象をあたえる。
独り言のように、
「あの男が私の王都行きを渋った理由はね、過去に怯えているからなのよ。「武王の血に、また自分の愛する人を取られるのか」って言っていたわ。
それでも私の要求を呑んだのは、私の身を案じてなんかじゃない。あの男はね、私の顔色を窺っているのよ。……私に嫌われないように。
そんな男だったから、武王にお母様の心を奪われるのよ」
独白のように語られるそれに、ルイスは無言しか返せない。『家族』というものを呪いのように強いられてきたマリアンヌの言葉に、なにも返せない。
「救えないのは、未だに未練を残しているってことよ。
――「マリアンヌ、最近はマリアに似てきた」
「その瞳、マリアにそっくりだ」
「もっと笑いかけてくれ、マリアのように」
あの男、そんなことばかり私に言うの。……、その目の奥にギラつく性欲に、私が気づかないとでも思ってるのかしら。……ほんと、気持ち悪い」
「……ぃ」
頭皮に爪をたてられ、思わずルイスは呻く。けれど、黒く捻じ曲がった心に囚われたマリアンヌの独白は止まらない。
「あの女も考えたものよね。政略結婚であの男と結婚させられた腹いせに、私を武王の息子に差し出すんですもの。あの男が王族になにか述べることができるほど肝の据わった男じゃないのを知っていて、そこを突いて、子どもを、道具のように。……いい迷惑だわ」
だんだんと語気が荒くなっていく。
「あの男は、情欲に屈折した視線で私を見てくる。
あの女は、弟のケイトにつく邪魔虫のように私を見てくる。
父と呼ぶように教え込まれてきた男からも、母と呼ぶように刷り込まれてきた女からも、私は私として見られることはない。……なんなのよ、……誰なのよっ、私は!」
そこでルイスの頭を撫でることをやめ、彼女の頬を両手で包み込むようにして顔を上げさせた。
「だからね、私の出生を教えてくれた叔父さまには感謝してる。いつか『私』を取り戻すという目標ができたから、あの男の視線にも、あの女の棘のある言葉にも、耐えることが出来たのだから。
……そして、ついに絶好の機会が巡ってきたのよ。ねぇ、それでもあなたは私に『心配』なんて言葉を振りかざして考えを改めるように言うの?」
「……」
「答えなさい」
「……11年、あなた様の傍にいました――」
マリアンヌさまが何も知らなかったころ、度々夜に涙し恐怖に震えていたことを知っていた。けれど私にはマリアンヌさまが何に涙し、何に恐怖しているのかが分からず、ただただその場しのぎの安心を提供してきた。
あるときを境に、恐らくはマリアンヌさまが己の全てを知ったときだろう、歪みを帯びて成長していく姿に恐怖すらした。
そして私に全てを告げてくれたとき、自分がただの駒としか見られていないことを知った。
結局のところ、私は魔術と護衛にしか能のない女だ。
きっと心のどこかで護衛対象という一線を引いて見ていたから、マリアンヌさまにとって母の代わりにも姉の代わりにもなれなかった。
「――初めて会ったときから私はなにも変わりません。私はあなた様の使用人として存在しています、……それだけの存在です」
「そう。それはもう口は挟まない、ということだと受け取っていいのね」
「お心のままに」
ルイスの言葉に、
「そういうあなたは好きよ」
と美しく微笑む。
それから微笑みがゆっくりと広がっていき、三日月をつくった。
「私がいるべき場所にふんぞり返っている犬の子を引きずり降ろしてやるの、私のために全てを懸けて尽くしてくれるわよね? 結果としてあなたが死んでもいいから」
口腔内で真っ赤な舌がチラチラと動き言葉を紡ぐ。それは、獲物を丸呑みする前の蛇のようだった。
大和やジークよりもマリアンヌは書きやすい、ということで彼女はお気に入り。