◆21話
「婚約者って……」
思わず飛び出そうになった言葉を、慌てて飲み込む大和。視線の先にはゴドウィンが閉めた扉、扉横には困ったように笑うマリアンヌ。
「ローレル大隊長は、お節介が過ぎますね」
「あ、ああ、そうだな」
何かしらジークに関係の深い公女だとは思っていたが、婚約者となると大和は内心焦らずにはいられなかった。2人しか知らぬ事柄を語られた場合、どうやって返答を返すべきか。
「とりあえず座ったらどうだ、立っていられては話も進まない」
とにかく事をさっさと進めてしまおうと、大和は深くソファにかけ直して向かいのソファを勧めた。
「ゆっくり、とはいかないが事情を聞こうじゃないか」
あのクソ野郎は、知る限りではこうして主導権を握りにかかり放そうとはしないはずだ。こんなときも、足組なんかして微笑を浮かべる。
大和が思い描くジークの行動といえばこれくらい。
あとは、こんな態度をこの公女の前でもやっているかどうかの賭けだ。
「そういった態度は相変わらずですのね」
ビンゴ。
「なんだ? 今更改めろって言うのかよ」
「いいえ、私からはなにも。それに王子は常々申しているではありませんか、これが俺だと」
マリアンヌは微笑を絶やすことはない。高慢な態度をさらりと受け流せるほどジークを長い間見てきたことがうかがえる。
マリアンヌが目の前のソファに身を預けると、銀髪が揺れた。その銀の残滓に大和は胸の奥を突かれたような感覚を感じ、そのまた奥で魔力の滞留がわずかに動いた。
「こうして2人きりでお話をするのは、私の誕生日以来ですね」
「ああ、もうそんなになるか」
大和の横にはクードが、マリアンヌの横にはお付のメイドが控えている。なので正確には2人きりではないのだが、付き人を勘定にいれないところをみると、やはり生まれつきの貴族か。
「あのとき贈り物として頂いたドレス、お父様ったら「胸元が開きすぎている。これをお前が着るのは、まだ早い」ですって」
「それは残念だ。きっと似合うと思ったのに」
「ですわよね、もう16なのだからもう少し大人っぽい恰好をしたいのだけれど」
藍の目を弧にして控えめに笑って、次には眉根を下げて残念がる。マリアンヌは表情が可愛らしくころころと変わる。
年下という事実に驚いた大和だが、藍の瞳を見てまたも奇妙な感覚に襲われた。見透かされているような、とでも言えばしっくりくる。
「王子、雑談をするために席を外させたわけではないでしょう?」
「あ、ああ、そうだなクード。そういうわけだマリアンヌ、手短に頼む」
「わかりました。では……、ルイス、お父様からの手紙を」
「はい、お嬢様」
横に控えるメイドの目を見ることもなく、手だけをそちらに伸ばす。メイドは朱の蝋で封のされた手紙を手渡した。
「口頭での説明では信用にかかわりますので、こちらもご覧になってください」
「頂戴します」
手紙がクードに渡たる。
「たしかに、アイゼンフリード大公の家紋が押されています」
「じゃ、クードが中身を確認している間、話してもらおうか」
「はい。――知ってのとおり、我がアイゼンフリード家が王から賜った土地は北の地です。土地がら、体を温めるためにお酒に関する交易は激しく、中でもハミルの果実酒をあつかった交易は大陸一でした」
ピクリと大和の眉が動いた。
ハミル、確か大和が最終的に向かう地の名前だ。
「お気づきになられたようですね。そうです、領主邸があるトラビックとハミルとの間には、山脈の谷を切り開いてつくった、大きな交易路が存在しています。……今回ハミルを襲った賊がこの交易路が利用することを、お父様は恐れているのです」
「なるほど……」
この娘が王都にやってきた理由が、なんとなくだが大和には掴めた。さっきのプレゼントの会話から考えられるに、大公とやらは所謂親ばかのきらいがある。加えて、ハミルと馴染みの深い地に住んでいるとなると。
「つまり、娘を危険から遠ざけたかったわけか」
「はい、お察しの通りです」
「事前に連絡が何もなかった理由は?」
「なにしろ相手は突然現れた実態の見えない敵ですので、間者に気をつけなくてはならない。しかし、大々的な護衛をつけて娘を避難させたのでは、領民に悟られ身内贔屓だと不満の声がでてしまう。結果、お父様は苦肉の策として、内密の王都訪問を計画なされたのです」
くだらない、と大和は内心吐き捨てた。この公女の父親は、自分の領民よりも娘の安全を確保するほうが先決なのだという。
……本当に、くだらない人間だ。
そんな風に見下さなければ、この世界の人間を受け入れてしまうようで嫌だった。なぜなら大和はマリアンヌの父親に少なからずシンパシーを感じてしまっていたから。
安穏と平和を享受してきた人間ほど、危機に直面したときは他人よりも身内を優先する。親が子を思うことを考えればなおさらだ。
自分が生まれた世界では遠くの事件よりも家族の明日が大切だったように、こちらでも人間は同じように考え行動するらしい。――そのことを認めるのが、大和には堪らなく嫌だった。自分に向かって逐一「お前は道具だ』と呼び掛ける世界が、自分が育った世界と同じだなんて。
「王子」
「なんだよ、クード」
「受け取った手紙の中身を確認したところ、マリアンヌさまの述べていることは真実かと。「娘をどうかよろしく頼む」と文末に書かれております。……確認なさりますか?」
「俺は別にマリアンヌのことを疑ったりはしない。時間もないし、手紙はあとで確認、……どうしたマリアンヌ?」
違和感を感じて視線をマリアンヌのほうへ戻すと、なぜか肩を震わせて静かに笑っていた。
「なんだ?」
「い、いえ、あの……ふふっ、まさか王子の口から『俺は別にマリアンヌのことを疑ったりしない』なんて言葉がでるとは思わなくて、ふふっ」
まずい、と咄嗟にキザったらしく笑って見せて、
「自分の婚約者だ、信頼をおいてなにか問題があるか?」
「ふふふっ、今日は珍しいことを重ね重ねおっしゃるのですね。そういう類の言葉は普段絶対に私にはおっしゃらないのに」
「こんな世だ、偶にはこういうことでも言わなければ気が滅入るのさ」
「それでも、……うれしいですわ、ジーク」
その場を凌いだことに安堵すると同時に、またしても居心地が悪くなる大和。
気恥ずしさではない、もっと、悪寒をさそうなにかだ。マリアンヌの藍の目に見つめられるたび、銀髪が揺れたときの残滓が空で煌めくたび、奥底の魔力がドロドロと動く。
「王子、マリアンヌさま、私からも1つよろしいでしょうか」
クードが問うた。手紙を読んでなにか気にかかるところがあったのだろうか。
「なんなりと、私には答える義務があります」
「マリアンヌがああ言ってることだし、俺は止めねぇよ」
「ありがとうございます。
では、マリアンヌさま。大公は交易路の心配をなされていますが、私が考えるに、もしも敵が大挙して押しかけてくるとすれば山脈中央の峡谷を突破するか、山脈を南から回り込むか、そのどちらかだと思われます」
「それはいったいどういう?」
「史実を思い出したのです。
まだクルーエ神民国があった時代、その国土は大陸南を占めていました。つまり、雪上での戦闘経験が乏しいのです。そのことは、クルーエが北部侵攻を試みたときに証明されています。
「ええ、それは私も知っています。私のおじい様、つまり先代のアイゼンフリード大公は、撤退のふりをして雪上までクルーエの軍を誘い込み、逆転の勝利を手にしたのでしたね」
「はい、北部防衛の英傑の血を引くマリアンヌさまの御父上が雪上戦闘を不安に思うのは、いささか心配が過ぎるのではないかと。それ以前に、1度苦汁を飲まされているので敵も北部からに侵攻は避けるのではないかと、私は考えました」
クードの言うことにも一理ある。北部にはどれだけの雪が降るのかは知らないが、慣れない人間からすれば少量の雪でも手足の動きは制限され、視界もさえぎられる。逆に長い間その地を治めている者からすれば、自分のテリトリーであることは間違いない。
「確かに、北部で確認された反抗運動は少なく、その組織の数も少数ではあります。しかし皆無という訳ではありませんし、敵も無能ばかりではありません。時代は流れているのですよ、アニエルさま。この数年間北部で過ごした組織たちが狼の子に接触をもっていた場合、彼らの手引きをもって雪を克服するかもしれません」
「用心をするにこしたことはない、と?」
「はい」
お答えいただきありがとうございました、とクードはそこで問答を終えた。
「王子からも、なにか私にご質問は?」
「いや、……そういえば、どこに泊まるんだ?」
「湾に面した場所に、アイゼンフリード家の別邸があります。そこを使用する手筈になっています」
「そうか、わかった。
追い返すわけにもいかないし、しばらくは王都に身をおくといい。大公にはあとで手紙を送ろう。……今回の大公の心配は、俺の行動が遅いことも関係しているだろうしな」
「そんな、王子がハミル奪還のために尽力していることは私もお父様も知っています。どうかご自分を卑下なさらぬよう」
「ああ、そうだな。……それでマリアンヌ、話はこれで終わりか?」
「はい。王都滞在を認めていただけたのなら、私からはもうなにもありません」
ここで、ひとまず大和の心の荷が下りた。あとはこの公女を追い返して終了だ。
いや、終了ではなかった。このあとに鍛錬が待っていることを思い出し、大和の心が再び荷を背負わされたかのように重く、沈殿していく。
「王子、お顔がすぐれませんが?」
「いや、なんでもない……」
「やはり、お疲れが溜まっているのでは?」
「疲れて、」
疲れていないわけがないだろう。
思わず、ジークを相手にした時のように反抗的な言葉が口をつきかけた。
「ない。大丈夫、疲れてないよ」
「……わかりました。それでは、私は失礼させていただきます。お時間を取らせてしまい申し訳ございませんでした」
立って、最後の謝辞を述べるマリアンヌ。その顔は、どこか安堵しているように見えた。
「この後はどうするんだ、マリアンヌ」
「一度別邸のほうまで戻り、それからミュレイさまに花を手向けに行こうかと。そのあとは、叔父様のお宅へ挨拶をしに行きます」
「俺からなにか手助けすることはあるか」
「いいえ、なにも。これ以上お手を煩わせるわけにはいきませんわ」
軽い帰り支度をすませてメイドを傍らに扉へと向かうマリアンヌの後を追うように、大和もソファから立ち上がる。持ち上げた体は、気怠く重かった。
メイドが扉を開ける。退室する前にマリアンヌは振り返って、最後にもう1度微笑んだ。
「次にお話できるのは戴冠式後の夜会になるでしょうね。そのときはゆっくりできるといいけれど」
夜会なんものがあるらしい、社交界とはどこも似たようなものなのだろう。
だが、一般人として生活してきた大和には社交界事情など無知に等しい。そこでの立ち居振る舞いは推して知るべきだ。そのことは恐らくジークも分かっているであろうから、社交界に大和を放り出すことはしないだろう。
なら、このあたりは軽く流しておいて問題はないはずだ。
「時間を見つけて2人きりになれる時間を作れるよう、なんとかするさ」
「あら、……」
大和のその場しのぎの言葉にマリアンヌはいたずらっぽい顔をしたかと思うと、軽い足取りで大和の懐に入り込んできた。身長差は約頭1つ分くらいか。その位置から上を向いたマリアンヌの顔が大和の顔へと近づき……。
左ほおにキスをされた。
「……」
その思いついてから決断、実行までの速さに、大和は呆けただけだった。
が、大和の胸元に手を付いて体重を預けるマリアンヌの顔に焦点がピタリとあった瞬間、警鐘にも似た感覚が背中を這いあがった。
至近距離で見る銀の髪と藍色の瞳。
なぜ、気づかなかったのか。――その瞬間、大和は今まで自分が感じていた、悪寒のような感覚の原因に見当がついた。
「……っ」
「対価は先にお支払しましたからね、夜会では私のためにお時間をください」
風邪に踊る羽のようにフワリと離れ、失礼しますわの言葉を残してマリアンヌは部屋を出た。続いて、メイドも深々と礼をして退室した。
2,3歩後退して、腰が抜けたかのようにソファに腰かける。
――似ていた。
あのマリアンヌという公女は、どこか、ジークに似ていた。
白金色ではないが、近しい銀髪。蒼穹色ではないが、近しい藍色の瞳。そして、微笑を絶やさないその顔が、大和の中のジークとどこか結びついていたために、恐怖や憎悪といった類の感情があいまいに悪寒となって魔力がドロリと動いたのだった。
「今回は良しとします。しかし、」
大和を思考から引き戻したのは、ジークのひと言だった。
「たびたび言動の腰が低くなるのは気を付けていただきたい。一国の王子、ひいては王となる人間が、いちいち言動で頭を下げていては違和感が生まれます」
「俺は王子でも王になる人間でもない」
「では、存在する価値がありませんね」
その言葉に、きつく拳を握った。
「なにを腑抜けているのですか、本当にやるべきことはこの後でしょう」
「わかってるさ」
「ならば行動しなさい」
そのとき、先にある訓練場から一筋の土煙昇るのが窓から確認できた。
「騎士の御2方は、すでに準備ができているようです」