◆19話
大和は応接室にいた。服は着替えられ、意匠のこった軽装に身を包んでいる。
ジークはガルムの手を借りて宮廷を飛び出していった。それが数分前の出来事で、あの後、クードに連れられて大和はこの応接室に入り、ここで人を待つように言われた。
傍らではそのクードが起立し、待機している。会話などする気はないと言わんばかりに、瞼を閉じたまま体をピクリとも動かさない。辛うじて呼吸に胸が動いていることが分かるが、それを除けば死んでいるかのようにさえ思える。
対する大和も、沈黙したまま、腕組みをして思考にふけっていた。
座っている上質なソファは、身を深く沈ませるのに適していた。リラックスできるからか、余計に思考も深いところまで沈んでいく。
ほんの数分前、ジークに言われた「覚悟」という言葉が、頭の中で表れては消えていく。
怖気づいたのか?
そう聞かれて肯定した。
怖くないはずがないだろう。
見知らぬ世界の、見知らぬ国のための人身御供。そんなものになるために、自分から進んで身を差し出すなんて、恐怖と絶望以外の何があるというのか。
それでも、受け入れるしか先に進めない。
これしか、方法がなかったのだから。
「これしか……」
――これしか、じゃない、これを、選んだんだ。
「……本当、に?」
本当に、これしか方法はなかったのだろうか。
自分が異世界にいて、助けが望めないと分かったとき、逃げようと足掻くことぐらい出来たのではないだろうか。
出来なかったと言い切れないのは、それを試そうともしなかったから。
そして、試そうともしなかった理由は、何も分からないまま逃亡劇を繰り広げる力が自分にはないと思っていたから。
抗うことのできない事象もあると知っていたから、差し伸べられた手が現状を抜け出すための助け舟に思えた。
いや違う。
助け舟などではないと感じていたが、それでも手をとった。あのとき胸の内にあったさまざまなものを天秤にかけてだ。
利用される代わりに利用してやろうという腹積もりで、だ。
――そのどこに、俺のためがある? 全部自分のために違いないだろう?
「……、利用」
――こんな、憎くてどうでもいい世界に、なにを遠慮することがあるのさ。
「遠慮。……なにに遠慮してるってんだよ」
呟いたひと言に答える者はない。
あるとしたら自分自身か。
もうとっくに気づいてるんだろ、と他でもない自分に止めを刺されたようで大和は息が苦しくなった。助けを求めるように、部屋に視線を巡らせると、クードがぴくりとその瞼を上げた。
「……来ます」
扉の向こうに人の気配を感知しての言葉。それが正しかったことを示すように、扉がノックされた。
「あなたは、主に言われたことだけを遂行しなさい」
「ああ、……入れっ」
「失礼します」
野太い男の声だった。
ジークが名のある実力者を寄越すと言っていたことを思い出す大和。強者が来るというだけで、多少ではあるが身構えてしまう。
ドアが、開かれる。
「騎士ゴドウィン・ローレル、召喚に応じ参上しました」
「ああ、よく来た、ゴドウィン」
熊のような大男だった。その体は鍛え上げて締まっていることが鎧の上からでも分かる。その上、きつく引き締めた口元と強い目力は、大和のイメージする強者にピタリと当て嵌まっていた。しかし、ガルムが放っているような相手を屈服させる威圧感はない。その男から滲むものを表現するのならば、包容力が適切か。
とその大男の陰から、
「同じく騎士ソフィア・ローレル、召喚に応じ参上しました」
「ぇっ、……あ、ああ」
てっきり1人しか来ないものだと思っていた大和は一瞬呆け、すぐに気を入れなおした。そして、内心ジークに毒づく。2人がかりの鍛錬とは聞いていない。
1人だけしか来ないなんて一言も言ってねぇよ、と笑う姿が容易に想像できて、胸糞が悪くなっただけだった。
気を取り直して、もう1人の人物、ソフィアという女性に目を向ける。
淡い栗色の髪は後ろでまとめられ、白い肌も化粧とは無縁の様子。細い銀縁フレームの眼鏡の奥にのぞく青い瞳は切れ長で、知的かつ涼しげだ。鎧に身を包んでいるが、取り立てて強者の風格をまとっていないのは、若さゆえだろうか。
それでも確かに騎士という種類の人間なのだと、その鋭い眼光を見れば大和にでも分かった。抜き身の刃によく似ていて、しかし凛とした、意志の宿った瞳だ。
さて、踏ん張ろう。
そう心の中で奮起し、口を開く大和。
「2人とも、よく俺に賛同してくれた。改めて礼を言おう」
「いえ、勿体なきお言葉です。……して、王子」
そこそこに返事を返したゴドウィンは、ソフィアの向こうに視線を向けた。
「アイゼンフリード大公のご息女さまが、お見えになっておれられます」
聞きなれない名前を言われ、一瞬言葉に詰まる大和。
怪しまれてはならないと、咄嗟に出た言葉が、「そうか、通してくれ」
「はっ。では公女さま、こちらへ」
道をあけるゴドウィンとソフィア。そして、その後ろから、メイド服をきた側近の女性とともに出てきた女性は、不思議な髪色をしていた。
「ごきげんよう、ジーク王子。突然の訪問によるご無礼を、どうかお許しください」
「ぁ……、……」
縦ロールだ……。
間抜けにも、大和が感じた第1印象はそんなものだった。
白を基調とした、淡い印象を抱かせるドレスに身を包んだ同年代の女の子。前で手を組み折り目正しく頭を下げる姿は育ちの良さを感じさせ、その折れそうなくらいに華奢な体はまさしく花のようだ。
公女、そうゴドウィンは言っていた。確か、アイゼンフリード大公とも。……では、ジークに馴染みの深い貴族の娘か。
頭の中で相手の身分に見当をつける大和。下手をしないよう、慎重に言葉を選ぼうとして、頭をあげた彼女と目があった。
にこり、と微笑まれる。
吸い込まれそうなほど大きな藍色の瞳。それを彩るのは、細く長い睫毛。
揺れる銀に似た髪は、くせっ毛のためか、ゆるく縦にロールしている。
先ほどのソフィアも負けず劣らずの美貌の持ち主だが、彼女にはない柔和で世俗を知らなそうな雰囲気が、この公女にはある。その分、女性としての魅力が強調されて大和には写った。
微笑みにあてられたかのように1つ心臓が高鳴って、顔の温度が上がっていくのが分かり、あわてて笑みを返す。ジークのように手慣れてはいない大和のそれは、ひどくぎこちなく見えたことだろう。
結局、取り繕うように顔をそむけた。
「失礼ですが、マリアンヌさま。
此度の急なご訪問といい、騎士に連れられてきたことといい、いったいなんだというのですか?」
クードが、公女マリアンヌに尋ねる。
「王子はこの後に予定があります。もし、お時間を取るようでしたら、また今度にしていただきたい」
「大丈夫、王子にお時間はとらせません。今日は、私が王都を訪れた事情の説明と、先代王の墓標へと花を手向けに来たのです」
「公女さまが私たちと同行した理由は、私から」
ゴドウィンが半歩踏み出す。
「そうですか、ではお願いします」
「はっ。 なに、簡単なことです。公女さまの乗っていた馬車の後輪が、中央通り脇の水路に脱輪してしまいましてね、その拍子に故障してしまったんですよ。それで」
「そこを通りかかったあなた方の馬車に同乗してきた、と」
「はい、そういうことです。万が一の護衛にもなるので、丁度良いかと」
先ほどの引き締めた顔とは真逆をいく微笑をこぼすゴドウィンと、その説明に一応の納得をして見せるクード。そして、2、3会話を始める。
その間、様子を眺めていた大和は、ゴドウィンの言葉づかいが若干ではあるが砕けたものになっていることに気が付いた。入室時の挨拶は形式的なもので、本来はこちらのほうが自然なのだろうか。だとしたら立場が上の人物の前でよくそんな口調ができる。よほど豪胆な男だ。いや、それも豪傑がゆえの豪胆さか。
視線が黙したままのソフィアをかすめ、再びマリアンヌと交差すると、なにか? と尋ねるようにマリアンヌは小首をかしげた。
「……、っ」
……ああ、まずい。
心臓が小躍りするような感覚に居心地が悪くなる大和。
彼女が魅力的かといえば魅力的だ。しかしどこか危うさが漂うのは、その相手を魅了してしまう容姿に既視感があるからだ。――その藍の瞳とさらりと流れる銀髪は……。
「王子」と呼び掛けられて、大和の思考が舞い戻る。
「王子、マリアンヌさまはなにかしらの事情があってのご訪問のようです。時間は取らないとのことですが、大事でないとも限りません。騎士の御二方には、一旦席を外していただきますか?」
「あ、ああ、そうだな。……そうだ、先にこの宮廷の訓練場に行っておいてもらおう」
「ふむ……。では、メイドに案内をさせましょう」
「ああ、結構。先代に召喚されたときに宮廷内は見学させていただきました。なので、訓練場の場所は把握しております」
どうやら場所を知っているらしいゴドウィンは、すでに部屋をでる準備をしていた。ソフィアもそれに続いている。
「我々は、先に準備をして待っております。王子は忙しい身、すぐに始められるようにしておいたほうがよろしいでしょう。……道具は勝手に拝借しても?」
「ああ、かまわない。すまないな、ゴドウィン」
「いえ、この程度のことに労いの言葉はもったいない。それに……」
「ん?」
無精髭の似合う口元がにやりと動いたのを見た大和。
「ご自分の婚約者とお会いになるのは久しぶりでしょう?」
その言葉だけ残して、ゴドウィンは扉の向こうにきえた。
本当はこの回で訓練場に行く予定だったのに。
なんでこんなキャラが生まれたんだろう……、なぁマリアンヌ。