◆18話
「ほれっ」
「ぇ、うわっ」
天井裏から伸びる階段を降り終えたところで、ジークからなにかを投げられた。
咄嗟に頭をかばう大和だが、危惧した痛みは襲ってこなかった。見ると、ただの服が床に落ちている。
「これは……」
拾い上げて確認する。
それは、何の変哲もない無地の服の上下。上は半そで、下は長ズボン。
服を与えられるなど、こちらの世界に召喚された翌日以来だ。今現在も、そのぼろきれで作ったかのような、ダボダボの服を大和は着ている。替えの服など、もちろん与えられてはいなかった。
それが、何の気紛れかこうして服を投げ渡された。
無地の灰色い服。サイズも、肌触りも、今着ているものに比べれば上質だ。普通に生活するのに申し分ない。
「それ、これからのお前に必要になる服だから。大事に着ろよ?」
「なあ、おい待てよ。話が見えない、説明くらいしたらどうだ」
「まあ、急かすなって。強請らなくたってしてやるから。その服は、……そうだな、お前の世界でいうジャージが1番しっくりくるかな」
「ジャージ?」
「そ。鎧の下に着るインナーの生地なんかに使われる素材でね、伸びに強くて、汗も比較的よく吸ってくれる。まぁ、そこそこ高価な品で、一般的な衣類として売るには、少々お高くついちまうんだぜ、それ」
よっこらせと口にしながらジークは椅子に深く腰掛けた。
頬杖をつき、薄笑いを浮かべる。その姿は、相変わらず余裕綽々といった具合だ。
「でだ、魔術の方はどうだ? 大抵の知識くらいなら身についただろう」
「は?」
「いいから、答えろよ。俺の算段だと、さぼってなければ、この世界の人間と話をしても違和感ない程度の知識は身についたと思うが」
「はっ、御陰様でな。あの辞書みたいな本なら、もうすぐ2週目が読み終わる頃合いだ」
「おう、なにより。勤勉であることは人間の美徳の1つだと、昔の人はよく言ったもんだね」
足を組んで、大和に視線を這わすジーク。それはまるで、自身が発注した道具の出来栄えを確かめているようでもあった。
「ふむ……。感じられる魔力も、ずいぶんと精錬されてる。出会った初日は、感情に任せて魔力をダダ漏れにし、絶え間なく揺れていたのに。……いや、思えば、お前の魔力コントロールはずば抜けていたよ。3日たったころにはもう、体外に垂れ流すことなく、体内に循環させていたしな」
「やけに饒舌じゃないか」
「いやなに、うれしくてね。知ってるか? 人間が饒舌になるときってのは、気分が高揚しているときか、なにか取り繕うとき。そのどっちかなんだ。……まぁそれはそれとして」
そこで「よしっ!」、とジークは魔方陣を展開した。なんてことない、単純な構成だ。込められた意味は『変化』と『偽装』、そして求められた属性は『土』。
魔方陣から読み取ることができた情報から大和は、記憶している魔術と関連づけた。
「簡易的な変装の魔術か」
「そうそう」
と言いながら、魔方陣を自分の胸に押し当てるジーク。
服の上から染み込むように体内へと魔方陣は潜っていき、次に正しく魔術が適応された。その証拠に、ジークの髪と目の色がこげ茶色に変化している。
その原理は簡単で、体内のメラニン色素を増加させているだけだ。もっとも、科学の確立していないこの世界で、メラニン色素なるものが周知の常識としているはずがない。書には『体の中の黒を司るもの』と記されていただけだ。なので、メラニン色素云々は大和の憶測でしかない。
そして、この魔術には体中の黒の割合しか変化させることができないという制限があり、肌を緑に、瞳を青に、髪を肌色に、などといった奇抜なことはできないとのことだった。
ジークのやってみせたような髪と瞳の色の変化は初級レベルをほんの少し発展させたもので、適応範囲を広げれば、肌の色も若干ではあるが変化させることは可能だ。
変化していられる時間は個人の人的魔力量に比例するらしく、4~5時間しかもたない者もいれば、丸1日可能な者もいる。
「タイムリミットは5時間」
ジークはどうやら前者であるらしい。
「その5時間のあいだお前は、俺になって、本格的な鍛錬をしてもらう」
「は?」
「は? って、おいおい。まさか屋根裏で本と睨めっこしてるだけで強くなれると思ってるわけじゃないよな」
「本格的に、強く……?」
「なんだ、怖気づいたのか?」
「っ、……」
咄嗟に口をつぐむ大和。だが、見抜かれたことだろう。
そして静かに息を吐いて、
「……ああ、怖いさ」
確かに、怖気づいた。
しかし、怒気滲む鋭い視線でジークを見やり、
「でも、やってやるよ」
「おいおい、何言ってんだ。やってやる、じゃなくて、やる、だろ?」
「うるさい。これしか……、お前のためにやってやるしかないんだ……。そうだろうが、クソ野郎」
「……はっ、ははっ、ッ!」
何がおかしいのか、目を片手で覆って天を仰ぎ、大笑するジーク。
「ははッ、1週間かけて身についたのは知識だけかよ、え? おいおい冗談じゃない」
そう言って椅子から腰を上げ、静かな足取りで大和の前に立つ。
「いいか九柳大和、肝に銘じろ。これしか、じゃない、これを、選んだんだ。他でもないお前が」
薄笑いを浮かべているのに、その瞳だけは他者を圧倒させるほど鋭さを増している。
「な、何が言いたいんだよ。俺は、お前に半ば強制されたんだ、違うか? そうじゃなきゃ、誰がこんな」
「違う、違うだろ」
大仰に、しかし真剣に、大和の言葉を遮る。
「俺が、お前の選択肢を潰す風に動いたことは認めよう。けどな、最終的には俺はお前に問うたはずだ」
――さぁ、どうする?
そういって、手を伸ばした。
「それは」
「つまり、俺の手を取ったのはお前の意志だ。なら」
とん、と射抜くように大和の心臓の上に人刺し指を立てる。
「俺のためなんかじゃなく、自分のために動けよ」
大和は、チカチカと、頭の中が白黒に点滅するようだった。
自分のため?
自分が選んだ、方法?
「自分が何のために動いているのかが分からないようじゃ、鍛錬に成果は望めない。例え鍛錬で技だけ磨くことができても、断言してやろう、敵と死合ったときに必ず負けるぞ、お前は」
「お、俺は……」
「向こうの世界に帰る前に死にたくはないだろう? だから訊いてやる九柳大和」
俺が憎いか?
「――ああ」
クードは?
「憎いさ」
この世界は?
「ああ、憎いさ。憎いよッ、俺をこんなものに巻き込んだ要因全てッ! 戦争? 人命? 国? そんなものどうだっていい、俺には関係なかったことだろう、がァッ!?」
大和から魔力が噴出しかけたところで、突然現れたクードが床に組み伏した。
憎悪に濁りかけた瞳で見上げると、そこではジークがニヒルを気取ったように笑っていた。
「ああ。いいんだよ、それで」
一言述べて、再び椅子に腰かける。
「俺も、この影武者作戦を失敗させたくないんでな。お前を万全に仕上げて臨みたい」
一層、笑みを深くした。
「そして、この方法にかけたのはお前も同じだ。「こんな非日常は嫌だ、自分の生きる世界に帰りたい、憎いやつだけれどこいつの道化を早く終わらせれば……」そう願ったから俺の手を取ったんだ。そのどこに、俺のためがある? 全部自分のために違いないだろう?」
そこで1つ息をつき、
「いっちょまえに気持ちが大きくても、覚悟が伴ってない。自分のために動くって覚悟が、お前には足りないんだよ、九柳大和。
――だから、怖いんだ。
でも、同じくらい覚悟をすることも怖い。覚悟をしてしまったら、これからの行動の、その先にあるものを受け入れたくないちゃならないから」
「俺、は……」
言いよどんだ。
これでは、肯定しているようなものだ。
そんな大和の様子に、ジークは言葉をつづけた。
「1週間、考える機会は多分にあっただろ。
両親。
友達。
学校。
知り合い。
好きな人、嫌いな人。
好きなこと、嫌なこと。そして――」
――11年前のこと
「色々なことがあって、それでもお前にとって大切で。この日常とあっちの日常、お前にとってどちらが優先されるんだ?」
「そんなの!」
「そんなの分かりきってるよな。じゃあ、1週間もぐだぐだ悩んでないで覚悟決めろよ。こんな、憎くてどうでもいい世界に、なにを遠慮することがあるのさ」
「……」
少しの間沈黙が流れ、それを破ったのはジークだった。
「もういい、放してやれクード。……いいな、九流大和。俺はお前の覚悟ができるまで、立ち止まっていてやる気はないぞ」
大和は、その言葉に対してなにか言おうとして、それでもなにも言えなかった。
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