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見知らぬ世界にて、  作者: ドミノ
序章閑話:諸々の動向
18/37

◆閑話2

モチベーションが、絶賛低下中。

書きたい欲求はあるけど、なかなか指が動いてくれない。

「おい、知ってるか。

 大陸東にあるハミルが、クルーエの連中の手に落ちたんだと。

 ああ、どうやら本当らしい。

 俺ぁ、たまたまウィルゴって町に居たんだがな……」



「おいおい、ヤバイ噂が流れてるぜ。

 なんだ、お前知らないのか! 王都じゃ、この噂でも持ちきりだぜ!?

 ……なんでも、かの賢王とその后が殺されちまったって話だぜ。

 ばっ、声がでけぇよ。

 ああ。緘口令を敷いてるが、貴族や騎士は慌しいし、何かあったってのは間違いない。

 俺が聞いた話では、あのアドゥルの民が手引きしたって話らしいんだが……」



「正式に王死亡が発表されちまったよ。噂は本当だったってことさね。

 次の王様は誰になるんかね……。やっぱり、ジークさまだろうか。

 あの放蕩王子さまにゃ、国を率いるのは荷が重過ぎるんじゃないかと私は勘繰っちまうよ。

 加えて、ハミルを奪ったクルーエの奴らは相当腕が立つ集団だって話だしねぇ……」



「お前、アドゥルの処刑見たのか?

 絞首刑か。ってことはあれだろ、顔は麻袋を被されてたんだろ?

 やっぱか。死刑囚の死に逝く顔を見たら呪われるって言うしな……。

 しかし、アドゥルの犯罪人を殺したからって、敵の正体が掴めてないんだろ?

 騎士の中隊が敵殲滅に出発したが、さて、どうなるか……」



「……偶然、私は知ってしまったんだ。

 東に居座ってるクルーエの賊に、騎士さま達が全滅させられてしまったということを。

 ジークさまが即位される動きが出ているが、先代の御2方には及ばないであろう。

 なにせ、放蕩者とのことだ。

 私たちは、どうなってしまうのだろうな。

 なあ、君はどう思う。

 この国の行く末を考えると私は……。

 彼らに食い殺されてしまうのではないかと思わずにはいられない。


 そう、


 狼の子らに……」






◆◆◆◆◆






 ハミルの領主邸にて、ノーマン・サザーランドは窓から見える月を眺めていた。

 ゆったりと腰掛けられる椅子は、心地良い反発をかえす。そのまま深く身を預け、ハミル特産の果実酒をひとくち口に運ぶ。爽やかな口当たりは、荘厳とした月夜に吹き抜ける夜風のようだ。


「ふむ、醜悪なルナヘイルに相応しい」


 平たい声音でそう評価を下すと、まだ酒の入ったグラスを机上の酒瓶の傍へとおく。瞬間、その2つの下に魔方陣が展開され、グラスと酒瓶は眩い閃光を発して消滅した。


「実に白々しい、正義を謳う侵略者の味だ」


 酒の余韻を吐き捨てるようにノーマンは、静かに息を吐き出した。


「……ああ」


 所詮、こんなものでは心の欠けた部分を埋めることは出来ない。そうして、今日もまた満たされることのない渇きにノーマンは、静かに喘ぐ。まるで喉奥にねっとりと張り付くような、消えることのない不快感に身悶える。

 酒も、女も、食事も、睡眠も、ギャンブルも。

 あれほど自身が熱中した魔術研究でさえも、色あせて見える。


 そんなとき、ノーマンは瞑目する。

 その瞼の裏の思考だけが唯一、ノーマンに愉悦にも似た感情をもたらす。

 こけた頬と隈のある目元。およそ生気と呼ばれるものが見当たらない顔だが、その口元だけが陰惨な笑みに歪んだ。


 ――騎士中隊の生き残りは、敗北の知らせを王都へと持ち帰ってはくれただろうか。せっかく逃がしてやったんだ、そのくらいの働きは見せてくれ。


 ノーマンは先日の戦闘を思い出して、僅かに喉を鳴らした。そして、次期王となるであろう人物に思いを馳せる。各地に散らばる間者の話では、ジーク・フェイ・ルナヘイルという男が即位するとのことらしい。

 だが、この男からはあまり良い噂を聞かない。なんでも、放蕩ばかりの道楽人間だとか。


「“人の噂”というものは恐ろしいぞ、ジーク・フェイ・ルナヘイルとやら。

 放蕩王子の名が民草に広がったことを考えると、貴様は噂への認識が甘いとみえる」


 存外、人の噂には侮れない伝播速度と影響力が含まれる。ことに醜聞というものほど、驚異的な速度で広がっていく。それは、王子自身が証明しているというのに。


 その点、私は噂を利用させてもらうぞ。


 噂のもつ魔性に目をつけたノーマンは、各地に潜り込ませた間者をサクラに、ゆっくりと噂を流した。なかでも、商人を重点的にだ。おかげで、不安と恐怖に彩られた噂と共に、狼の子の名は大陸に響き渡った。同時に、大陸各地に潜んでいた同胞は繋がりを得ようと次々に集う。


「……ククッ」


 そして1人2人と噂は耳に入る。それだけで、簡単に人の心は不安に煽られ、恐怖に染められる。


「クク、クカカッ」


 掠れるような笑い声で嗤う。


「揺れろ、揺れろ」


 恐怖と不安に。

 そして勝手に瓦解していくか。あるいは、結束力を固めることになるか。


「手腕が問われるぞ、ジーク・フェイ・ルナヘイル。

 まあ。どう転ぼうとも、私が勝利を手にすることに変わりはないがな」


 ノーマンが喉を振るわせたその時、



 ゥウォォォォォォォン――



迷いの森から、獣の遠吠えが月夜に響いた。


 中断される思考。その遠吠えに、跳ねるように椅子から立ち上がって、窓を開け放った。そして、ますます笑みを深くする。


「おお、我が主よ……」


 室内から天を仰いだあと、ふと視線が下がる。領主邸の庭を歩いていく人影がみえた。

 金髪が色あせたような髪をツーテールに纏めた少女の後姿が、領主邸からヒョコヒョコと出て行く。その後姿に、高揚したノーマンの気持ちは平静に落ち着いた。そして、1つ小さなため息を吐いた。


「お遊びが過ぎるぞ、アイ」


 踵をかえして、ノーマンは部屋を出た。





 滑るような不気味な足取りでノーマンは、先の少女が向かったであろう場所へと足を運んだ。

 その場所とは、高い壁と結界魔術に覆われた低い建物。罪人を押し込める地下牢がある、牢獄だ。


「止まれ、何者だ」


 入り口を警備する兵士2人が槍を向ける。

 暗がりからあらわれたその姿を見ると、慌てた様子で槍を退けた。


「ノーマン様っ、こんな夜更けにどういった御用で?」

「いやなに、貴重な労働力のメンテナンスさ」

「は、はぁ……」

「通してもらってよろしいかな」

「はっ、どうぞ」


 入り口の鉄柵が開けられる。

 ノーマンは建物の中に足を踏み入れた。



 この牢獄は1階、地下1階、地下2階、地下3階というような造りとなっている。

 1階には簡単な食事が作れる台所や、体を拭く水場、簡易ベッドがあり、監守たちが生活するための空間となっている。

 ちらり、と視線を這わせるノーマン。本来ベッドで仮眠をとっているはずの兵士の姿が、今はなかった。


「……」


 しかし、疑問を感じることはなかった。


 視線を外すと、そのまま歩みを進める。


 奥には鉄扉があり、その向こうに地下へと下りる階段がある。その階段を監視する兵が、ノーマンの姿を見つけ、声をかけようと口を開いた。

 逐一取り合うのも面倒になり、ノーマンは手を振るようにして魔方陣を形成した。

 妖しく光った魔方陣。

 途端に兵士の目が虚ろなものに変わり、トロンと目じりが垂れた。


「通してもらおう」

「はい」


 この先にいるはずの少女が使ったであろう魔術と同じ、傀儡の魔術だ。

 どこか遠くを見るような兵士の横を通り抜け、ノーマンは鉄扉の中へ入った。



 人1人が歩ける道幅の階段。そこを下りて行く。

 階段の明かりは等間隔で天井に埋め込まれた魔術鉱石だけなので、少々薄暗い。しかし、足を踏み外すようなことはない。あの少女のお陰で随分と歩き慣れたためだった。


 影に紛れるような、ゆったりとした足取りで階段を下る。目指すは地下3階。

 あの少女は、大概地下3階で遊ぶ。お気に入りとのことだ、今回もどうせ地下3階にいる。


 踊り場を過ぎ、地下1階へと入る鉄扉の前へたどり着く。その鉄扉に目もくれずに通り過ぎようとした直後、鉄扉の向こうから男の嗤い声と女の声が聞こえた。


「……」


 交代の監守がベッドで仮眠を取っていなかったということは、やはり捕虜に何かしているのか。おおよそのところ、辱めてでもいるのだろう。


「……全く」



 捕虜にしているルナヘイル騎士には傀儡の魔術をかけて働かせている。最初は定期的に魔術を更新しなければならない者が多かったが、心身ともに疲弊した今では更新も不要となり、奉仕人形と成り果てている。


 食料調達に向かわせ、街の防御する魔術や壁を作らせ、奴隷のように兵士たちに奉仕させる。そのため、兵士は来たるべき戦闘に向けて訓練を行い、士気を上げることに専念できる。

 また、いつなんどき攻められるか分からないというものは、過度なストレスを生ものだ。最も手っ取り早く忘れさせるのに有効な手立ては、他者を貶める快感や性の快楽があげられる。


 最低限の食事でも文句を言うことなく、汚泥のような食事でも口にする体のいい労働力。当然、兵士の性欲を満たす役割も担っている。


 誇りを掲げる騎士たちを、思うままに出来ることが、予想よりも兵士の心を満たした。



「廃品にだけはするなよ」


 兵士のストレス解消を止める道理もないので、再びノーマンは目的地を目指した。



 そうして地下2階を過ぎるところで、下からくぐもった叫びが聞こえた。ついで、鈴を転がしたような、カラカラと笑う少女の声。ノーマンの予想は当たっていた。


 地下3階へと下り、鉄扉をあける。


 真ん中に通路があり、その両脇には鉄格子で仕切られた牢が6つ。大人の男3人がやっと寝そべることが出来る程度の牢に捕虜が押し込められている。定員オーバー気味だが、各々立ったままであったり、膝を抱えるようにして座っていたりと、無言で過ごしている。

 もっとも、傀儡の魔術を使用された彼らに、意味のある言葉など駆使する力はないが。


 上2つの牢屋と変わらない部屋の造りだが、この地下3階は、ただ1つ違うところがある。

 別室、つまり拷問部屋があるということだ。


 元々、この地下3階牢には重犯罪人や国に対する反逆者が収容されていた。収容者に拷問による苦痛の叫びを聞かせることで、精神的苦痛とともに抵抗心を削ぐ目的だ。そんな裏があってこの場に拷問部屋が作られている。


「ん゛ん゛ぅ゛ぅ゛」


 その部屋の中から再び、男のものらしき叫びが聞こえた。


「じゃじゃ馬めが」


 そうノーマンは静かに漏らして、拷問部屋の扉を開いた。



「んふふっ。まだまだこれからよ、頑張れ騎士くん」


 室内では、褪せた金髪のツーテールが楽しそうに揺れていた。

 その少女の目の前には、壁に両手を磔られY字のような格好になっている男。おそらく捕虜の騎士の1人だろう。


「ん?」


 と、ノーマンが入室する気配に気づき、少女が振り返った。


「なんだ、あんたか、クソジジイ」


 病的なまでに白い肌とはかけ離れた、爛々とした光りを称えた碧眼がノーマンを捉えた。加えて、この口の悪さ。それらの要因が、少女から見た目相応の愛らしさを奪っている。


「その汚い言葉はいただけないな」

「あら失礼」


 そう言って、少女は咳払いを1つ。そして、黒い生地に白いフリルの装飾が付いたワンピースのスカート端を、ちょこんと摘み上げて控えめに腰を折った。


「ごきげんよう。

 こんな所へなんの御用で、おクソおじいさま」


 ノーマンの片眉がピクリと動く。

 その反応を見て、少女の口端がつり上がった。


「ふふっ、冗談よ。

 ジジイなんだから心に余裕くらい持ちなさいよ、全く」

「生憎、心が安らぐ余生を送った記憶がないのでな。余裕をもつような生易しさは消えてしまったよ」

「あらま、かっこいいジジイだこと」


 少女の口が弧を描く。


 ノーマンはそんな少女を見下すように見ながら脇を通り過ぎ、磔にされている男の元へ行ってその様子を観察した。

 短い茶髪に似合う、端整な顔立ちをしている。だが、その額には脂汗が浮かび、涙と鼻水で汚れていて、今は見る影もない。だらりと弛緩して鼻から荒い息を吐くのに反して、頬の筋肉が引き攣ったかのように口元は固い。


 一通り男を観察して、少女に向き直る。


「こいつになにをした?」

「いつもと同じことよ。アタシが考えた魔術の実験台になってもらってるの」

「騎士を1匹、くれてやっただろう」

「何度も実験台に使えると思ってんの?

 傀儡状態じゃ反応も薄いし、悲鳴も小さくて逆に苛々するのよ。一々、傀儡の魔術を解除して掛けなおしての繰り返しも面倒くさいし。

 やっぱり、こうして牢から適当に1匹連れて来て、使い捨てにするほうが楽しいわ」


 そう言うと、少女はパチンと指を鳴らす。すると、男の腹部が奇妙に波打った。


「ん゛ん゛ん゛ぅぅぅ゛っ」


 力なく垂れていた男の頭があがり、苦悶の表情に歪んむ。しかし、口を開いて悲鳴を出すことはなかった。歯を食いしばっている風でもなさそうだ。


「……」


 その様子を見たノーマンは、男の口元へ手をかざした。男の口元に魔方陣が浮かび上がる。それを見ると、口を開く自由を奪う簡単な魔術だった。

 無言のまま、その魔方陣へ自身の魔力を放つノーマン。

 魔方陣に込められた意味が打ち消され、魔方陣が布を解くかのように壊れた。


「ぷはっ、……、お、げぇあ、げぇ、っ」


 大きく開口したかと思うと、男は酷い勢いでえずいた。

 その口から、にゅるり、と細長いなにかが出てくる。

 床に吐き出されたそれは、一匹の真っ赤な蛇だった。


「ああっ、なにしてくれんのよ!」

「いや、お前の新しい拷問の魔術がどんなものかと思ってな。

 ……しかしまぁ、蓋を開けてみれば、なんと悪趣味なものか」


 ぜいぜいと息をする男には目もくれず、ノーマンはくだらないと鼻で笑った。そして、鉄扉に向かい床を這って行く蛇に歩み寄って踏み潰す。蛇は威嚇するように一鳴きして、灰になった。


「魔術に精を出すのは結構。しかし、いささか個人の趣向に走りすぎている」

「いいじゃない、別に。

 それよりどーよ。今回のは、結構出来が良いほうだと思うの。

 ま、ちょいっと面倒なのがネックなんだけどね」


 掌に魔方陣を形成する少女。それが眩く煌くと、直径3センチ前後の黒い球が出現した。

 素早い魔方陣形成と発動だ。しかしノーマンは、一瞬の展開を見ただけでその黒い球に込めた意味を見抜いた。


「『熱』をもった『蛇』。

 初期形態は『圧縮』された『球体』。

 『時限式』、込めてある人的魔力量から推察して1分後に蛇に『変化』。

 蛇状態のとき、ある程度は『遠隔操作』が可能。

 5分後に自動燃焼する『火属性魔術』」


 一息に言い切って、黒い球を摘み上げる。


「げぇ。アタシの魔方陣形成が今ひとつ遅いのは自覚してるけど、一発で見抜かないでほしいわ」

「充分に早いとは思うがな」


 ノーマンは黒球を握りこんだ。すると、ジュッという音と共に、掌の中で魔術が壊れた。


「……ふむ、しかし粗末だ。口を閉じていなければいけない拷問では、相手は口を割ることが出来ないではないか。加えて、球を自力で対象に呑ませなければいけない」

「えぇまあ。そこらへんは改良の余地があるかな」

「して、最後は自動燃焼するようだが、腹の中で蛇に暴れられていた者はどうなる」

「さあ。腹が燃えて、穴でも開くんじゃないの?」


 ノーマンは嘆息した。


 分かっていたことだが、結局拷問の末に対象が死ぬ魔術しか少女は発案しない。


 この、見た目12、3歳程度の女は、真性のサディストだ。

 苦しみ、悶え、歪む顔を見ることで、性的興奮を覚える異常性癖をもっている。それも、長く苦しむ姿ではなく、死ぬ一瞬にみせる苦痛に傾倒している。

 結果として、発案される魔術は拷問の魔術でありながら、対象を苦痛の末に殺すことに特化してしまう。


 この少女の欲求不満を解消するために、貴重な労働力を次々に失っている。もう少しで両手が埋まる勢いだ。けれど、少女はお構いなしに続けている。今回もそれの一環だ。あまり手駒を無為に消費したくはないノーマンにとって、少々頂けない。


「あー、あとね。もう1つ考えてあるヤツをコイツに施してあるのよね……」


 この男にまだ何か魔術を仕込んであるのか、ニヤケ顔で報告してくる。そんな少女を小ばかにしたような口調でノーマンは、静かに口を開いた。



「アインス・カラード」



 名前を呼ばれた瞬間に、少女は立ち止まる。

 ゆっくりと、振り返るアインス。その顔から表情が消えていた。



「……、おい」

「アインス・カラードよ、お前は――」「黙れよ、老いぼれ」


 ピシリッ、と空間に亀裂が走った音がした。


「アタシは、そんな名前じゃない」


 今までの嬉々とした声からは想像もつかないほどの、低く暗い声。

 気配も殺気も、なにもない。それだというのに、嵐の前の静けさを思わせるような、奇妙な圧迫感と不安感が部屋の中に広がった。

 しかしノーマンは顔色1つ変えることはなかった。別段普段と変わらない表情と声音で、何食わずに言葉を向ける。


「おや、なにか癪に障ることでもあったのか。それは失礼した」

「おちょくるのも、いい加減にしなさいよ。でないと――」


 ――なにかの弾みで、殺すかもしれないわ


「そうか……。ふむ、それは遠慮したい。

 お前も私も、狼の子には必要な戦力だ。そうだろう、アイ?」

「……はっ! 物分りがよくて助かるわ」


 感情の行き場を探してアイは、気を失っているかのようにぐったりとしている男の腹を、踏みつけるように蹴り飛ばした。そして、「飽きた。今日はもう帰る」という言葉を吐いて退室しようとする。


 その感情の消えた平坦な顔を涼しげに見ながらノーマンは、扱いやすい女で助かると、内心ほくそ笑んだ。


「邪魔よ、ノーマン」


 ノーマンを退かそうと手を伸ばすアイ。

 その時。「……っ、ノ ーマ、ン?」と、アイの背後から息も絶え絶えといった風に男が口を開いた。


「はぁ……、はぁ……。

 きざ ま、ノーマン と、いうの か?」


 目の焦点が定まっていない。それでも、必死に何かを確かめるように口を動かす男。虚ろな目を白黒させながら口を開閉させるその様子は、波に浚われても尚前に進もうと足掻く人間を思い起こさせた。


 傀儡の魔術が解けたときにみられる現象だ。


「アイ、傀儡の魔術を掛けなおしてから行ってはくれないか」

「いや、めんどい、魔術使ったから疲れた。

 てか、どっちかって言うと、ジジイが途中でアタシの魔術を壊しちゃったのが悪いんじゃない」



 傀儡の魔術は、対象をさながら操り人形のようにすることが出来る魔術だ。対象が疲労や恐怖などを感じているとかけ易い。心身ともに磨り減っていると尚良い。

 高等魔術といわれる部類だが、魔術に心得のある者ならば1年程度で習得できる魔術だ。

 また、60年ほど前に、闇市場で奴隷が出回ったときに生まれた、比較的新しい魔術でもある。しかし、あまりに拡大した闇の奴隷市場を取り締まるため、その魔術の対処法が生まれるまで5年とかからなかった。新魔術への対抗策が生まれるまで異例の早さだ。

 その早さの答えは簡単。単純かつ致命的な欠陥が、その魔術にはあったためだ。

 痛覚。

 どれだけ相手の心が傀儡の魔術に深く支配されていようと、それこそ何度も傀儡の魔術を使用されて一生支配されるような状態だろうと、強い痛みを感じれば正気に戻ってしまう。


 何度改良しようと、それだけは変わらなかった。

 痛みこそ、傀儡の魔術を解く最良の手段だ。



「全く、また掛け直さなければ」


 目の前の男は、アイの実験に伴う苦痛で魔術が解けてしまった。


「……ノ゛ーマン・ サザ ーラ、ンド」

「騎士よ、五月蝿いぞ」

「問お う、お前は、 ノーマン・サザーランドか?」


 男の呂律がはっきりとし始め、瞳に光りが灯る。そして、三度口を開いた。


「ノーマン・サザーランドか?」

「……いかにも。

 さぁ、その口を閉じろ」


 どうせまた人形に戻るのだからと、ノーマンは男の問いに対して投遣りにかえした。そして、魔方陣を形成して男の額に掲げる。階段を監視していた兵士に使ったものよりも強力なものだ。

 男は、大した反抗を見せずにいる。しかし、その瞳が揺れていることにノーマンは気づいた。

 恐怖ではない。

 驚愕と戸惑いと、僅かな憤怒。


 意識を揺り起こすように、口をもごもごと動かして男は反芻していた。「ノーマン・サザーランド……、ノーマン・サザーランド……」と。


 そして、一気に覚醒したかのように目を見開いてノーマンを見た。


「本当に貴様がノーマン・サザーランドか?」


 男はノーマンを知っていた。男にとって、忘れたくとも決して記憶から消えてはくれない人物だ。

 だが、目の前の男は、憤怒と絶望に焼き記されたその人物よりも20近く若く見える。


 腰が軽く曲がり、杖を片手に歩く、皺がれた老人。記憶の中には、そう根付いている。

 しかし、目の前の男はどうだ。若干の猫背だが背は曲がってはいない。そして、黒髪とそこにまばらに混じる白髪を後頭部へと撫で付けたオールバック。記憶の中とは相違点が多い。


 だが。


「いや……。

 その目、その声、……!!」


 妖しさと鋭さを併せ持つ、不気味な雰囲気。

 掠れて耳につくような声。

 人を道具としか思っていないような、見下した目。


 男の脳裏に、警戒音のような耳鳴りが響く。視界が赤く染まっていく。


「間違いない、間違えようがない!!」

「……ふむ」

「なに、ジジイの知り合いだったの?」


 アイが茶々を入れるように口を挟んでくる。しかし、アイのその問いに答える者はなく、男の言葉が続く。


「貴様を殺してやるっ、今すぐ!!

 くそっ、くそっ、が!!

 俺を解放しろ、この卑怯者めが!!」

「前々から思っていたが、騎士は随分と口汚い者が多いらしい」


 吼える男が、ノーマンとの間に魔方陣を形成した。が、ノーマンは羽虫を払うかのようにいとも容易く、魔術の発動する前にかき消した。


「生憎、私は貴様のような輩を記憶しておくような趣味はないのでな。

 して、お前は何処の誰だ? 私と会ったことがあるのか?」

「忘れたとは言わせないっ。

 23年前、エスキニという村を!!」


 年数にノーマンは覚えがなかったが、エスキニという村は知っていた。


「ああ、私の考案した魔術の実験地か……」

「俺は、貴様らの放った大規模魔術の生き残りだ!!」


 

 今から23年前。大陸統一より6年前のこと。

 当時、劣勢から脱すためにクルーエは、新たな大規模魔術の開発に力を注いでいた。


 大規模魔術とは、複数の魔術師が集まって成す、1つの巨大な魔術のことだ。そのどれもが困難であり、魔術師の人数が増えるほど制御が難しくなっていく。そのため、各属性1つずつ、計4つしか存在しない。


 だが、それに引き換えて、威力は凄まじいものがある。


 劣勢のまま続く戦況を引っ繰り返そうと、クルーエはそれに縋った。

 未だかつて成功例のない、属性2つを掛け合わせた大規模魔術を考案していた。その指揮を執っていたのが、ノーマン・サザーランドだ。



 男が、騎士になってまで血眼になって探した男だ。



「貴様らは、俺の村を吹き飛ばした!」

「殺傷性能を測る実験だ。敵国の村に放って、何が悪い?」

「そればかりか、瀕死の者や生き残りを拘束して自国に連れ帰った!!」

「サンプルは必要だ」


 そこで、ノーマンは思案するように顎へ手を当て、目を瞑った。

 少しばかり回顧の様子を見せる。そして「しかし、」と口を開いた。


「あの大規模魔術は失敗作だった。

 発動した魔術師は、ほとんどがその人的魔力を持っていかれ、廃人に。

 持ち帰ったサンプルも、大した結果が見られぬまま死んでしまった……」

「っ、ノォォマァンッッ!!」


 咆哮する男。しかし、その雄たけびにもノーマンは顔を不快そうに顰めるだけだった。


「俺はっ、両親を殺された! まだ生まれて間もない妹を連れ去られた!!」


 男の視界には、当時の炎に包まれた村の様子が見えていた。

 突然の閃光と爆風に気絶し、意識を取り戻したのは、父と母の死体の下。8歳だった自分の目の前で、泣き叫ぶ妹を、まるで汚物でも見るかのように片足を持って摘み上げ連れ去った、「ノーマン」と呼ばれていた老人。


 両親の死体に隠れ、自分は助かった。

 以来、男はずっと、あのときの惨状と気持ちを胸に奮い立ってきた。


 自分が生き残ったことには意味がある。

 あいつを殺せと、月の女神が守ってくれている。


 探しさなければ。

 探して、殺して、家族に報いなければ。



 そして、その敵が今、目の前に居る。



「貴様は、俺の家族を奪った!

 その首掻っ切ってやる、ノーマン・サザーランド!!」


 拘束から抜け出そうと足掻き、吼える男。

 アイが、「いい加減うるさいなぁ……」と魔方陣を形成しようと魔力を集結させる。しかし、それをノーマンが遮った。そして、男にツカツカと近寄る。


 男の顎をもち、ぐいと顔を近づけ、「奇遇だな、」とノーマンは言った。


「もう何年も前のことだがな。私も、貴様ら騎士に家族を殺された。

 病に伏していた妻は、騎士が町を襲撃したときに逃げそびれ、ベッドの上で串刺しにされた。

 娘の婿は、兵士として戦い戦死した。

 娘は、腹に子どもがいたというのに慰み者され、腹の子と共に死んだよ」

「なにをっ、うむっ、むっ、んっ!!」

「もっと意義ある話が聞きたかったぞ、ルナヘイルの男」


 男が何か発言する前に、ノーマンは魔方陣を形成して男に魔術をかけた。すると、男の上下唇がくっつき、開くことがなくなった。アイが拷問の魔術を使用しているときにかけていたものだ。


 開かない口。それでも男は、意味のない言葉で喉を鳴らし続ける。だが、それ以上の問答はないとでもいうように、ノーマンはアイに向き直った。


「その男をくれてやる。好きにしていい」

「えぇー、今日はもう飽きたわ」

「ふむ……、男にもう1つ何か仕込んであると言ったな? では、それを私に見せてくれ」

「……。んー、見せるのはいいけど、未完成なのよね」


 渋々といった具合に、アイは男の元へと向かっていった。そして、暴れる男の腹を片足で押さえつけ、壁に押しつける。そのまま、足を通じて男に魔力が流れていった。

 青白い光を放ち、男の腹にデカデカと魔方陣が現れる。


「よっと、……完了したわ」

「なんだ? 『火属性魔術』。そして、『燃焼』『時限式』……」

「まあ、分析よりも見てるといいわ。もうすぐだから」


 ノーマンの横に戻り、男の様子を見ていろと言うアイ。その言葉を言い終わるが早いか、男の様子に変化が現れた。


 苦悶の声をあげ、激しくのたうつように動き、脂汗を噴出し始める。

 そして、数秒後には湯気のように体から煙が出始めた。それと共に、鼻をつく異臭。


 次の瞬間。


 断末魔の声すら上げず、男は内側から激しく燃え上がった。


「……、ほう」

「まだ、ここまでしか出来てないわ」

「これではまだ、完成ではないと?」

「ええ。私が作りたいのは、人間を爆弾にする魔術よ。

 けど、込める必要がある意味が多いし、それをどういう回路で繋げばいいのか分からない。制御を重視すれば爆発しないし、充分な威力を求めれば時限式の制御はおろか暴発を起こしやすくなる。 ……はぁ、改善点は多いわ」

「だが、実現できれば一風変わった戦力を持つことが出来る。……ふむ、お前にしては実用的ではないか、アイ」


 そんなノーマンの評価さして気にせず、アイは「戦力なんてどうでもいいわ」と言った。


「それよりも、自分が爆弾になったと知ったときの顔が見たいわ。

 そんな状態で拷問の魔術にかけたら、どんな声が聞けるかしら。……んふっ」



 1人の男の死体の前で、2つの笑みが咲く。

 1つは、どこまでも不吉で野望に塗れた控えめな。

 もう1つは、果てしなく可憐かつ華やかで残忍な。



 ノーマン・サザーランドとアイ。



 狼の子の頂点に君臨する2人の魔術師は、静かに地下牢を後にした。






補足なのか分かりませんが、一応。

幕間に出した人物は、今後の物語りに関わってくるかもしれない人たち(のはず)です。



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