花が咲くように
僕には好きな人がいる。高校卒業手前の僕の、二つ年上の先輩だ。僕と同じコンビニでアルバイトをしている。名前は雨夜凜花。身長は僕と同じくらい。僕が男性の平均身長くらいだから、おそらく彼女は女性では背が高い方なのだろう。スタイルも顔も良くて、まるでモデルのよう。
凜花さんの髪型は黒髪のウルフカット。長い横髪からたまに覗く耳には、ピアスがたくさん付いている。
好きになったきっかけは、バイトに入ったばかりの頃、彼女に付きっ切りで仕事を教えてもらったことだ。失敗しても責めることなく、優しく何度も説明してくれる彼女に、いつしか僕は心惹かれていた。
僕なんかが釣り合う訳がない。そんなこと分かっているのに。
ある日、僕は凜花さんと勤務時間が被った。同じ時間に出勤。僕は彼女よりも早く勤務して、彼女が来るのを今か今かと待ち望みながらレジに立っていた。
従業員控え室の方から、制服に着替えた凜花さんがやって来た。彼女は制服の下に、白と黒の縞模様のトレーナーを着ている。
「あ、また優くんと被った」
凜花さんはまるで花が咲くように笑う。
「はい・・・よく被りますね」
「ほんとそうだね。優くんと一緒に勤務すると楽だから助かる」
凜花さんが僕の目を見つめながら言う。目線の高さが一緒だから、真っすぐと見つめられると、途端に僕は緊張する。言葉も体の動きまでもぎこちなくなる。
不意に僕は考える。凜花さんは僕のことをどう思っているのだろうか。
先ほどの言葉をそのまま捉えるのならば、おそらく、彼女は僕のことを好意的に思ってくれているだろう。しかし、恋愛感情を抱かれているかとなると話は別だ。
僕なんかに、彼女のような綺麗な人が恋愛感情を抱くわけがないのだ。
僕は吹っ切りが付いて、彼女から目線を外す。出入り口の方を見る。夜の暗がり、道路を走る車のライトが眩しい。
「いらっしゃいませー」
客が来て、僕は挨拶をする。
「いらっしゃいませー」
遅れて、凜花さんが挨拶をした。
すると今店に入って来た客の男が、凜花さんを見て意味深な笑みを浮かべた。
「あれ、もしかして凜花じゃね? おーい、雅人とはどうしたんだよー!」
パーマのかかった茶髪にじゃらじゃらとした金色のネックレス。やんちゃ、とでも呼称するに相応しい格好の男。
男は揶揄うような目をして、凜花さんのいるレジへと詰め寄った。
「何?」
「あれー、俺のこと覚えてないかな。雅人の友達の、成田だよ。成田」
「あー」
凜花さんが気だるげに返事をしながら、そっぽを向く。
「知らない。帰って」
「冷てぇなぁ・・・」
耐え切れず僕は二人の間に割って入った。
「んだよ、てめぇ」
「嫌がってるじゃないですか。それくらいにしてください」
「なになに、凜花の新しい彼氏か? こんな地味な男かよ。結局、誰でもいいんだろ? このメンヘラ女が」
思わず僕は男の胸倉を掴みそうになった。これは怒りだ。落ち着け。仕事をクビになるわけにはいかない。
凜花さんの方を見ると、彼女は悲しそうな顔で下を向いていた。
僕は歯を噛み締める。再度、男の方へ目線を戻した。
「どうぞ、お帰りください」
「さっきからしつけぇんだよ」
男が僕の胸倉を掴んで引き寄せた。僕は何も抵抗することなく、じっと彼の目を見据える。
「手を出していいんですか? ここは監視カメラの映る範囲内です。それに、レジの近くには緊急の時のために通報できる装置が置いてあります」
話を聞いた男が舌打ちをして手を離した。僕の制服は伸びてしまって、皺を作っている。
「覚えとけよ」
男が荒々しく歩いて店を出て行った。その場に残された僕と凜花さんの間には、微妙な沈黙が流れている。
「ごめん」
凜花さんの弱々しい声が耳に入る。
「まさか、勤務直後に元カレの友達が店に来るなんて思わなかった」
僕は凜花さんの目を見る。彼女は笑っていたが、今にも泣き出してしまいそうなほど、その目に憂いが滲んでいる。
「最近、彼氏と別れたばっかりなの。一方的に私の方から別れを切り出したから、それで、多分私に怒ってるんだと思う」
それからも凜花さんは「ごめん」と呟く。
「そんなに謝らないでくださいよ。凜花さんが謝る必要なんてない」
僕は少しだけ声が震えた。
「むしろ僕の方が――」
凜花さんに彼氏がいたこと。彼女を誰かが独占していたこと。それを不快に思った自分自身の醜さが、憎い。
「優くんの方こそ、何も悪くないよ。君の言う通り、謝るのはもうやめる」
すると今度は凜花さんは悲しみを含んだ笑みではなく、本当に嬉しそうな笑みをして、こう言った。
「ありがとう」
その一言だけで、僕の心に宿る醜さが浄化されていく気がした。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
コンビニの手前、灰皿が置いてある。凜花さんの元カレの友達との騒動を経て、しばらく経ったある日、僕は夜勤終わりにそこで凜花さんを見た。
缶ビールを片手に煙草を嗜むその姿が、僕の脳内に深く刻み込まれている。
朝焼けと、凜花さんの姿。僕は今すぐにでも写真に収めたい衝動に駆られた。
「優くんだ。夜勤お疲れ様」
「凜花さん、お疲れ様です。最近、シフトが被らないですね」
「人手不足で私が昼勤に回されたの。夜勤ばっかりしてた私から言わせてもらうと、普通、人手が足りないのは夜勤の方だろって話だよね」
「そうでもないのかなぁ」と煙草の煙を吐き出しながら、凜花さんは言う。
彼女が吸っているのは紙煙草だ。独特の煙のにおいが、僕の鼻を擽る。しかし、悪い気はしなかった。
「優くんも、煙草吸ってみる?」
煙草を挟んだ彼女の指を眺めていると、不意にそう言われた。
「あ、今のは冗談ね。だって、優くんはまだ高校生だし」
凜花さんがいじらしく笑う。
「吸っちゃだめだからね。絶対」
最後の一言だけ、凜花さんは語気を強めた気がした。僕はじっと彼女の顔を見つめる。凜花さんは酔っているのか、ほんのりと顔を赤く染めている。
「お酒もだめだからね」
「流石にお酒を飲んだり、煙草を吸ったりなんかしないですよ」
「本当かなぁ」
「本当ですって」
凜花さんが煙草を吸い終えたのか、灰皿に吸殻を捨てた。
「引き留めてごめんね。ばいばい」
凜花さんが手を振ったので、僕も手を振り返す。彼女はもう一本、煙草を口に咥えていた。しばらくそこで煙草と酒を味わうのだろう。
手を振り返したはいいが、僕はどうしても家に帰る気になれなかった。
結局、彼女の隣に立つ。
「あれ、帰らないの?」
「もう少しここにいます」
「もしかして、私ともうちょっとおしゃべりしたいとか?」
「まあ、そんなところですね」
すると、凜花さんが前を向いた。
「本当は、私のこと心配してくれてるんだよね」
凜花さんが遠くを見つめながら、煙を吐く。
全くその通りだった。あの日、凜花さんが元カレの友人に絡まれた騒動を、僕は鮮明に覚えている。
今まで僕は凜花さんが煙草を吸っているところも、酒を飲んでいるところも見たことがなかった。だから、何か大きな心の変化があったのではないかと、僕は心配に思った。
それを凜花さんが見抜いたのだ。
「優くんって、名前の通り優しいんだね」
僕のことを見つめながら、凜花さんは笑った。目線が同じ高さにあるからこそ、その笑みは鮮烈に、記憶回路の奥深くまで焼き付くように僕の心を貫いていった。
そして、沈黙が訪れる。
凜花さんが煙草の吸殻を灰皿の中へ捨てる。缶ビールも飲み終えたのか、くしゃっと凹ませる。
「優くん」
僕と凜花さんの目が合う。その瞬間、凜花さんは花が咲くように笑みを浮かべた。
「この後、予定ある?」
「特には・・・」
「なら、少し私に付き合ってよ」
凜花さんがそう言って、僕の手を掴んだ。
それから僕と凜花さんは近くの喫茶店へ行った。席に着くなり、メニュー表を広げ、凜花さんは子供のように目を輝かせる。
「これ見て、このパフェ美味しそう」
「美味しそうですね」
「私、これにする」
「それじゃあ、僕も同じもので」
タブレットを操作して、注文を完了する。
丁度窓際の席だったので、僕は窓の外へ目を向ける。太陽はとっくに上って、燦々と地上を照らしていた。
ふと、視線を感じて僕は凜花さんの方を見た。途端に彼女と目が合う。目が合うと同時に、凜花さんが微笑んだ。
思わず僕の心臓がドキリと高鳴る。
「どうかしました?」
「んん、なんでもない」
凜花さんはそう言って、窓の外へ目線を移した。
僕もまた再度、窓の外を見やる。
青空が、雲をふわりと漂わせていた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
僕は高校を卒業した。凜花さんとの関係は少し進展はしたが、友達としての範疇は超えていない。そして、僕が凜花さんを好きだと言う気持ちも変わらない。
いつかこの想いを打ち明けてしまいたい。だが、凜花さんとの関係もそれで終わってしまうだろう。
凜花さんが僕を好きになるなんてこと、有り得ないのだから。
凜花さんと勤務はたまに被る程度。その時はいつも必ず夜勤で、夜勤終わりには一緒に喫茶店だったりどこかの飲食店に出かける。
いつの間にか凜花さんは口にピアスを一つ開けていた。
ある時僕は凜花さんの真似をするように買った、フェイクピアスを唇に付けてみた。しかし、似合わなかった。
凜花さんだからこそ、ピアスが似合うのだろう。
「優くん」
いつものように夜勤を終え、僕と凜花さんは喫茶店を訪れた。注文した商品が届く前の待ち時間、凜花さんが僕を見つめる。
「ピアス開けないの?」
「僕は似合わないので」
「そっか。耳たぶは、絶対に似合うと思うけど」
「そうですかね」
凜花さんが横髪を手でめくり、片耳を見せた。耳たぶだけでなく軟骨にもピアスがたくさん付いていた。
「こんなに開けてる私が言うんだから、信じて」
説得力しかなかった。
凜花さんは髪から手を離す。長い横髪に耳が隠れる。
「優くんはさ」
彼女の耳を見つめていた僕に、凜花さんが声を飛ばす。
「ううん、やっぱりなんでもない――」
何を言いかけたのだろう。気になった僕はじっと彼女の目を見つめる。凜花さんはスマートフォンを取り出して、何やらいじくっている。
ふと、画面が見える。彼女は何も見ているわけではなく、ただただホーム画面を行ったり来たりしているよう。
カラン、と凜花さんの目の前に置かれたコップの中で氷が動いた。
僕は自分のコップを手に取り、水を飲む。
ひんやりとした水が、やけに喉を潤していくような気がした。




