99. 真相
翌日、重華の元に、再び丞相からの贈り物が届いた。
高価な品々が並ぶ様子は、前日とたいして変わらない。
けれど、添えられた手紙の内容は、少しだけ変わっていた。
許して欲しい、前日は確かにそう書かれていた。
だが、この日届いたものは、許さなくていいから、どうか受け取って欲しい、そう書かれていたのだ。
(陛下が、何か言ったのかな……)
許さなくていい、という言葉は、前日重華を心配して訪れてくれた晧月のことを重華に思い起こさせた。
そのため、晧月が丞相に何か言った結果なのではないか、そんな風に思えてならなかったのだ。
重華の予想は、当たっている。
それは、遡ること一日前、晧月が重華の元へ向かった後、天藍殿へ戻った後のことである。
晧月の元へ、丞相が謁見を求めてやって来たのだ。
「どうか、どうか、娘と会わせてください」
丞相は珍しく、床に頭を擦りつけるようにして、晧月へと懇願した。
しかし、当然ながら、晧月はそれを許可することはなかった。
「今は、会わせられん」
「どうして、ですか!?もう、決して暴力を振るったりいたしません。ですから、どうか……」
目の前の丞相を見る限り、もう重華へ暴力を振るうことはないだろう。
晧月はもちろんそう思ったけれど、それでもやはり首を縦に振ることはない。
「今日、珠妃に贈り物をしたそうだな。朕はそちらも禁じておかなかったことを、今非常に後悔している」
丞相は驚いたように顔をあげ、晧月を見上げた。
今まで何もしてやれなかった分、少しでも何か、と鈴麗にすら渡したことのない上等な品物ばかりを急いで贈ったのだ。
丞相は、多少なりとも重華が喜んでくれていれば、とそう思っていた。
だが、晧月が後悔をしている、ということは重華は少なくとも喜んではいないのだろう、と思う。
「そなたからの文の内容を知り、珠妃は朝から倒れたのだ。そなたに会わせるのは、あまりに危険すぎる」
「た、おれ、た……?」
「ああ」
あまりに予想外だった晧月の言葉に顔面蒼白になる丞相に、晧月は追い打ちをかけるかのように、つい先ほどの重華との会話の内容を告げる。
重華が、丞相を許すことができず、許して欲しいという言葉に苦しんでいたこと。
晧月が重華に対し、許さなくてもいいし、丞相にも会わなくてもよいのだと告げたこと。
丞相は項垂れた様子で、ただ黙って晧月の言葉に耳を傾けていた。
「珠妃が会いたいというまで、朕はそなたと珠妃を会わせるつもりはない」
「かしこ、まりました……」
今は強引に会うべきではない、丞相とてそう思った。
こればかりは、受け入れるよりほかなかった。
「ただ、物を贈ることだけは、どうかお許しいただけませんでしょうか。今まで、何もしてやれなかったのです。せめて……」
輿入れの時でさえ、身一つで放り出してしまった。
今思えば、いつ皇帝が来るともわからない場所で、何も持たずどれほど心細かったことだろうと思わずにはいられない。
18年の歳月を埋めることはできなくても、ほんの少しでも何かしていないと、丞相は気がおかしくなりそうだった。
「わかった。ただし、もう一度珠妃が倒れることがあれば、すぐに禁じる」
「はい。文の内容は、あらためます」
きっと、安易に許してほしいなど書いてしまったのがよくなかったのだ。
重華には受け取る権利があるのだと、次は少しでもそう思ってもらえるように、丞相は内容を見直そうと考えていた。
「陛下は、どうしてお気づきに?」
丞相は、あれからずっと気になっていたことを、晧月に聞いてみた。
重華のことは、まだ理解できた。
寵妃が自らは実子で間違いないのに、父に信じてもらえない、とでも訴えれば、皇帝自ら調査に乗り出したとしても不思議ではない話である。
しかし、鈴麗のことに関しては不思議でならなかった。
鈴麗が丞相の娘ではないかもしれないなんて、疑う余地もないことだと思っていたのだ。
「ただ、次の娘が随分早くできたもんだな、と思っただけだ」
そう言うと、晧月は昔を思い出すように遠くを見つめながら、ふうっと息を吐いた。
「父が昔、亡くなる少し前に言っていた。それが皇帝の責務だとわかっていても、母以外の者と子をもうけるということは、簡単に割り切れることではなかったと」
それでも、晧月の父は皇帝という立場から、周囲に求められれば割り切るしかなかった部分もある。
だが、丞相は決してそのようなことはなかったはずだ、そう思うと、どうしても気になったのだ。
「お恥ずかしながら、1日だけ、記憶のない日があるのです」
決して、自分の意思で鈴麗の母を求めたことなど、丞相には一度もなかったのだ。
丞相が愛したのは、どこまでも重華の母ただ一人だった。
「その日は、あの女に、しこたま酒を飲まされ、泥酔し、気づいたらあの女とともに朝を迎えていたのです」
あの女、というのが鈴麗の母なのだということは、説明されずとも晧月にも理解できた。
「それから少しして、あの女の妊娠がわかり、その時できた子だと言われ……」
「本当は、すでに妊娠がわかっていて、おまえに記憶がなくなるほど酒を飲ませたんだろうな」
「でしょうね……」
細かな経緯は、丞相とて何もわからない。
だが、娶って以降、丞相自身見向きもしない日々が続いた自覚はある。
寂しさのあまり、外に男を作っていたとしても、不思議ではないと思った。
その男を養う費用は、おそらく自身の稼ぎから持ち出されたのだろうと思うと、腹立たしさは募るが。
「子どもが生まれたのは予定日より早かったのですが……今思えば、その割には成熟した赤子だったように思います」
それも、今こうして事実がわかったから思うことであり、当時は何も疑うことなどなかった。
重華のこともあり、ようやく今度こそ自分の血を引く子が生まれたのだと、当時はただただその誕生を喜んだだけだったのだ。
その後は娘の母ということで多少立場は尊重したものの、やはり丞相の気持ちが鈴麗の母へ向くことはなかった。
未だに男と関係が続いていたのは、下手に真実を明らかにされないためでもあるだろうが、それもまた1つの理由だったのだろうと丞相は考えている。
「理由はそれだけではない。珠妃とそなたは似たところがある。そんな珠妃が、妹とは似たところが何もないと言ったのも、引っかかったのだ」
もっとも、重華から聞いた時にはすでに、調査をはじめてしまっていたけれど。
その言葉を聞いた時、やはり怪しい、とあらためて思ったのは確かである。
「似て、おりますか……?」
「自覚がないのか。目元がよく似ている。こうして話していても、珠妃を思い出してしまうほどに」
それこそ、目の前の丞相を腹立たしく思うときでさえ、たまに重華の姿がちらついてしまうことが晧月には時折あったほどである。
「そういえば……妻も、同じようなことを、言っておりました」
だから、間違いなく娘なのだ、信じて欲しいと、何度も訴えていた重華の母の姿が丞相の脳裏に思い出され、丞相はまた肩を落とした。
「だったら、いったい、なぜ……いや、なんでもない。忘れてくれ」
晧月が問いかけようとしたのは、前日、重華が晧月にぶつけた疑問だった。
晧月とてその答えが気にならないわけでは、決してない。
だが、これは重華自身が、あらためて丞相へとぶつけるべきで、自身が訊くべきことではないと思ったのだ。
「ところで、その珠妃の母が亡くなった日を覚えているか?」
ふと、思い出したように、晧月が訊ねると、丞相からはすぐに頷きが返ってきた。
「ええ。よく覚えております。秋の、ことでした」
冷たくなった妻の姿は、丞相にとって今でも忘れられない光景である。
その日の周囲の景色までも、鮮明に思い出すことができた。
(重華の誕生日は、秋だったのか……)
重華は今年で18になると言っていた。
その18になった瞬間を、祝えないままに過ぎてしまったことを、晧月は非常に残念に思った。
「では、その日が、何の日だったか、覚えているか?」
「何の日、といいますと?」
丞相にとって、何の変哲もない秋のとある日が、最愛の女性の命日となった。
つまり、その日は妻の命日、でしかないのだが、もちろん晧月がそんな答えを求めているとは思えなかった。
(娘の誕生日を、覚えていないのか)
おそらく、一度も祝ったことはないのだろう。
当然といえば当然なのかもしれない。
丞相は、妻の命日が娘の誕生日であると認識していなかった。
「知らぬのなら、教えてやろう」
晧月は、怒りに震えていた。
重華はきっと、毎年誕生日を迎えるたび、誰からも祝われることもなく、ただ自分を責め続けたはずだ。
以前、重華が誕生日は祝う必要がない、と言ったことも晧月はよく覚えている。
その理由は、おそらく、前日に重華が話していたことが原因となっているのだろう。
そういったことを考えていると、許せない、そんな気持ちばかりが溢れてくる。
それでも、晧月は、努めて冷静に、淡々と重華に聞いた前日から誕生日当日までのことを、丞相へと告げた。
「あ、ああ……そ、そんな……」
知らなかったとはいえ、あんまりなことだと丞相は思った。
丞相は、その時の重華の様子を必死に思い返した。
震えながら、幼い子どもが自身に助けを求めてきたのは、なんとなく覚えている。
だが、それ以上は、妻を亡くした悲しみしか、記憶には残っていなかった。
きっと、悲しむ娘に優しい言葉一つかけていないはずだ。
むしろただでさえ自身を責める娘に、さらに責め立てるような言葉を投げつけたかもしれない。
きっとたくさん、傷ついたことだろう。
もはや、どう詫びるべきかさえ、丞相にはわからなかった。
「いつだ?日付を教えろ」
今年は、間に合わなかったけれど。
自分だけは何があっても、これから先、毎年祝ってやりたい。
そんな思いで、晧月は丞相に日にちを訊ねた。
だが、丞相からの返答を聞いた晧月は、目を見開きしばし固まってしまった。
「ほんとうに、その日が、珠妃の……重華の、誕生日、なのか……?」
問いかける晧月の声は、わずかに震えていた。
「はい。その通りでございます」
「そう、か……」
その後、丞相がその場を立ち去ると、晧月は酷く落ち込んだ様子で、しばらく頭を抱え込んでしまっていた。




