83. 入手
日が昇るとすぐに、舜永の今までの主張は偽りであり、舜永と重華の間には何もなかったという舜永の証言が公的に記録され、それによって無実が証明された重華を冷宮から出すという宣旨が下された。
また、同時に、舜永が皇位継承権を放棄すると宣言したことも、しっかりと記録された。
「本当に、よかったのか?」
「うん。おかげさまで、すっきりしたから」
そう言った舜永は、どこか晴れやか表情を浮かべていた。
「ところで、おまえ、俺に対してそんな口調だったか?」
今更なのだけれど、どうも晧月の寝室に無遠慮に押し入ってきた辺りから、言葉遣いが変わったような気がしたのだ。
とはいえ、かつては今のような喋り方であり、それが晧月が皇帝になったのを境に少しばかり丁寧になった、という程度の違いしかないのだが。
その丁寧な口調が妙に鼻につくような気がして好ましく思っていなかったため、晧月は今の方がずっといいと思っている。
「あー……一応、兄上は一応皇帝だし、丁寧な言葉遣いにしようと思ってたんだけど、昨日慌ててて、全部吹っ飛んだから、もういいかなって」
「ま、その方がいいだろうな。おまえに丁寧に話されたところで、気持ち悪いだけだ」
「き、きも……っ!?」
あんまりな言われようとだと、舜永は両手を震わせたが晧月は涼しい顔をしている。
それがまた、舜永に苛立ちを覚えさせる。
(落ち着け、落ち着け。兄上は、今さらかしこまる必要はないって言いたいだけかもしれないんだし)
ここで苛立ちを露わにしたところで、晧月の思うつぼでしかない気がして、舜永は自身を落ち着かせようと必死に深呼吸した。
「ねぇ、俺も聞いていい?」
「内容によるが……なんだ?」
「珠妃が手に入れた裏帳簿、今どうなってんの?」
「そこまでの情報は、手に入れてないのか」
「兄上に渡ったってとこまでしか、知らない」
裏帳簿には舜永は直接関与していないものの、それに関与した人物や影響範囲については舜永も把握している。
しかし、その先は舜永がどれほど調査しようとも、情報を掴むことができなかった。
帝位を完全に諦めた今なら、もしかしたら教えてくれるかもしれない。
そんな淡い期待を抱いて、舜永は晧月に問うてみたのだ。
「今は丞相が意気揚々と調べている。じきに、第四皇子の叔父の周辺の勢力が、まとめて失脚するだろう」
自身の政敵となる人物を一掃できるよい機会だからか、丞相は喜んで任務を引き受け誰にも悟られることなく、それでいて晧月も驚くほどのものすごい速度で進めている。
基本的に仕事はできる人間なので、互いの利害が一致さえすれば、晧月にとってはこれ以上なく頼もしい味方であった。
(結局、俺が皇帝になる可能性なんて、限りなく低かったんだな)
第四皇子の叔父が率いる勢力は、第四皇子を通じて舜永を支持する勢力でもある。
そこをまるっと失えば、舜永を支持する勢力は格段に減ってしまう。
その状況で晧月に対抗し、皇帝の座を狙うなど、今以上に困難を極めたことだろうと舜永は思った。
「あ、あのさ、確かに首謀者は第四皇子の叔父なんだけどさ、その、第四皇子は……文祺は関係ないんだ、だから……っ」
それが母親の指示によるものであったとしても、第四皇子である文祺は舜永にとっては無条件で味方で居てくれるかわいい弟だった。
身内の罪により、ともに罰せられるようなことだけは、何があっても阻止したいと舜永は思っていた。
「知っている。おまえにしろ、文祺にしろ、周囲に振り回されているだけだ。関与しているとは、思っていない。文祺まで罰したりはしないから、安心しろ」
「よかった……」
晧月の言葉に、舜永はほっと息を吐いた。
そのことによって、自身が思いのほか身体に力が入っていたことにも気づいた。
「あと、もう一個」
「まだあるのか」
晧月はため息をついたものの、駄目だとは言わなかった。
それを、舜永は了承と捉えた。
「丞相は、なんで珠妃を助けようとすらしなかったの?」
舜永が今回の事を起こすに辺り、最も警戒したのが丞相の動きだった。
丞相の出方次第では、思うようにはいかないかもしれない、とさえ思っていたというのに、蓋を開けてみれば丞相は何もしなかった。
重華を庇う様子もなければ、冷宮送りを止めようともしない。
何かに追われて手一杯だったのかもしれない、とも考えていたが、裏帳簿を意気揚々と調べているだけならば、それを後回しにして助けてもよかったはずである。
それなのに、ただ静観しているだけの丞相の態度が、舜永は不思議で仕方がなかった。
「わざわざ輿入れさせた自身の娘が、失脚する様子を黙って見てるだけなんて、さすがにおかしくない?」
「それに関しては……聞いて気分のいい話ではない。やめておけ」
いつか、志明が言った言葉を思い出しながら、晧月は言った。
舜永に自身の心情を悟らせないため、顔色一つ変えることなく。
「それでも、知りたいって言ったら?」
「今は気分じゃない。気が向いたら、そのうち教えてやる」
「ちぇっ」
晧月の表情から、これに関しては今はどうあっても話す気はないらしいと踏んだ舜永は、それ以上問い詰めるようなことはしなかった。
「俺は、これから、いいこと教えてあげようとしてんのに」
「なんだ?」
なんとも珍しいこともあるものだ、そう思いながら晧月は、どこか楽しそうな舜永の言葉を待った。
「珠妃に毒を盛る指示を出して、方容華を殺した張本人、誰だか知ってる?」
「第四皇子の叔父ではないのか?」
方容華もその父も、第四皇子の叔父の腹心だった。
何の証拠も掴めてはいないけれど、その可能性が最も高いと晧月は考えている。
「正確には娘の方だよ。鄭婕妤、だっけ?皇后になりたいみたいだよ」
「父親はおまえを皇帝にしようと考えているのに、俺の皇后でいいのか?」
「俺が皇帝になったら、俺の皇后にしろって言ってた」
舜永は何度か顔をあわせ、話をしたことがある。
おそらくは、後宮の妃嬪に何の興味も示さなかった晧月よりも話しているだろうと思っている。
決して、皇帝の寵愛を求めているわけではなかった。
ただ、この国で最も高貴な女性になりたい、という野望を抱いており、娘に甘いらしい父親も、それに全力で力を注いでいるらしい。
舜永の印象としては、そんな娘だった。
「随分と大胆な奴だな。まぁ、父親が失脚すれば、身動きが取れなくなるだろうが、それまでは警戒しておく」
それならば、また誰かを使って重華を害する可能性もあるかもしれない。
特に今は、重華が非常に弱っている時である。
しばらくはその動向に目を光らせておくべきだろう、と晧月は思った。
「しかし、どうして急にそんな情報を?」
「これも全部、珠妃のためだよ」
「なるほどな」
重華のため、という制約はつくが、重華のおかげで随分と有益な情報源となる人材が手に入ったようだ。
晧月はそう考えるだけで、気分がよかった。
重華が再び目を覚ましたのは、昼もすぎた頃だった。
ぼんやりとした頭で、周囲を必死に見渡すと、一対の目と視線がぶつかる。
すると、相手はそこで重華が目覚めたことに気づいたようで、ふわりと笑みを見せた。
「お目覚めですか、珠妃様」
「雪梅、さん……?」
まだ、視界はぼんやりとしていたが、それでも相手が誰なのかははっきりとわかった。
ものすごく久しぶりにその姿を見たような気がして、重華はその声に懐かしさすら覚えた。
「ここ、は……?」
重華は起き上がろうとしたが、身体に力が入らず上手くいかなかった。
できることは、ただひたすらに周囲を見渡すことだけ。
そうしてわかったことは、前に目覚めた時と、おそらく場所は変わっていない。
どこか見覚えもあるような気がする場所だった。
だが、ここは冷宮でもなければ、雪梅はいるが琥珀宮でもないようである。
「ここは月長宮にある、陛下の寝室ですよ」
雪梅の言葉を聞き、なるほど、と思いながら再度周辺を見渡した。
(そっか、だから見覚えが……って、え!?)
つまり、今重華が寝ているのは皇帝の寝台なのだ。
重華はようやくそのことに気がついて、慌てる。
だが、飛び退こうにも、やはり身体に力が入らず何もできない。
「わ、私、ここに居ては、いけないんじゃ……?」
「そんなことはありませんよ。珠妃様をここにお連れしたのは、陛下ですから」
「どうして、ここに……?」
「珠妃様を琥珀宮にお連れするのは、少々問題があったようですね」
「えっ?」
冷宮を出れば、今まで通りに戻るのだと重華は思っていた。
けれど、もしかしたら違うのかもしれない、そんな不安に襲われる。
そんな重華の不安を払拭するかのように、雪梅はふわりと笑みをみせた。
「ご安心ください。今はもう、大丈夫ですので」
「じゃあ、やっぱりここにいるのは……」
「体調が良くなるまでは、こちらにいらっしゃるようにと、陛下が」
「で、でも、私がここにいたら、陛下が……っ」
晧月の自室を重華が占領している状態なんて、きっと晧月にとってなにかと支障が起きるだろうし困るだろう。
そんなことを考えていると、部屋の扉が開いた。
「余計なことは考えなくていいから、せめて熱が下がるまでは、ここで安静にしていろ」
「陛下っ!?」
「たまたま様子を見に来ただけだったが、よい時に来たようだ」
晧月は政務の合間に少し時間ができたから、顔だけでも見れたらと立ち寄ったにすぎなかった。
重華はきっと眠っているだろうと思っていたから、運よく起きている重華を見ることができ、晧月は気分がよかった。
一方で、重華は笑みを浮かべる晧月を見て、なぜだか酷く泣きたい気持ちになった。




