104. 姉妹
(本当に送ってくださるなんて……)
雪梅に帰りは送ると言っていたのは、重華も覚えている。
けれど、晧月も忙しいだろうし、重華は一人で戻るつもりでいた。
もし誰かに送ってもらうにしても、晧月自ら送ってもらう必要はないだろうと思っていたが、晧月は頑なに譲らなかった。
「寒くはないか?」
「はい。陛下からいただいた外套のおかげで、暖かいです」
もちろん、雪が積もるような寒い冬の日に、寒さを全く感じないわけではない。
けれど重華の知る厳しい冬の寒さに比べれば、ずっと暖かい。
何より、雪が積もりいつもより歩きにくくなったことで、晧月がいつも以上に重華を気遣って隣を歩いてくれている。
「陛下のおかげで、なんだか雪も好きになれそうな気がします」
重華は、嘘偽りなく、そう思うことができた。
その後、話は重華が驚くほどとんとん拍子に進んだ。
春燕と雪梅にお願いすれば、丞相に貰った品物は全てあっという間に、重華が見たこともないほどのたくさんのお金に変わった。
晧月に命じてもらえば、鈴麗からはすぐに重華の元へ来ると返事があった。
おかげで、重華はほとんど何もしていないけれど、今、重華の目の前には鈴麗の姿がある。
晧月は頑なに同席すると訴えていたが、鈴麗を委縮させてしまいそうで、それは重華の望むところではなかったため、遠慮してもらった。
それでも何かあってはいけない、と鈴麗からは見えないところから様子を窺っている。
そして、その代わりに、というわけではないけれど、左右には重華を守るかのように、春燕と雪梅が控えている。
さらには姿を隠してはいるが、衛兵も多数控えているそうで、何かあればすぐに声をあげろと重華は晧月に何度も念を押された。
そんな状態で、重華にとって唯一の想定外は、鈴麗の隣になぜか鈴麗の母がいることだった。
晧月には鈴麗の母だけ別の場所で待機させることもできると言われたけれど、鈴麗が不安のあまり付き添ってもらったのかもしれない、と同席を許可した。
だが、いざ二人と対面してみると、鈴麗は親の仇でも見るかのように重華を睨みつけていて、重華の想像は少し違ったようだと重華は感じていた。
「こんなとこまでわざわざ呼び出して、今更、いったい何の用なのよっ!!」
「鈴麗、そんなことを言っては駄目よ」
怒りをあらわにする鈴麗をたしなめたのは、まさかの鈴麗の母だった。
重華は、随分と珍しい光景を目にした、と思った。
鈴麗の怒りをたたえた瞳は、よくも悪くも重華がよく知るものだった。
だが、鈴麗の母のどこか重華に媚びるような表情は、これまで重華には向けられなかったものであり、同時に重華にとってあまり気分のいいものでもなかった。
(私に、何かさせたいの……?)
二人とも、苦労しているだろうことは一目でわかった。
華やかな装いしか見せたことがなかった二人が、今や見る影もなくなってしまっている。
だからこそ、鈴麗の母の縋りつくかのような視線に、重華は嫌な予感を覚えずにはいられなかった。
「今日、あなたを呼んだのは、これを渡したかったからなの」
重華は一度深呼吸して、少しでも落ち着くように、と自身に何度も言い聞かせながら、春燕と雪梅に用意してもらったお金の入った袋を差し出した。
「何よ、これっ」
不快感を露わにしながらも、鈴麗は袋の中身を確認し、中にあるお金を目にした瞬間、さらに顔を歪めた。
一方で、鈴麗の母もまた鈴麗とともに中を覗き込み、目を輝かせている。
「どういうつもり?私のことを憐れんでるの?それとも、皇帝から貰ったお金を私に恵んで、自分の方が優位になったって、見せつけたいの!?」
「鈴麗、そんな風に言わないの。せっかくの厚意なのだから、ありがたく……」
「さわらないでくださいっ!!」
自分でも、思った以上に大きな声が出た、と重華は思った。
あくまで鈴麗に渡したお金に、それほどもまでに重華は鈴麗の母に触れさせたくはなかったのだ。
「それは、鈴麗に渡したものです。奥様にお渡しするものではありません」
「お、同じこと、でしょう?私たちは、家族なのだから」
「違います」
重華は渡したそのお金の全てを、鈴麗に使って欲しいと思っている。
ほんのわずがであっても、鈴麗の母に使われることを、重華は望んではいないのだ。
重華が鈴麗や鈴麗の母を相手に、これほどはっきりと物を言ったのがはじめてだったからかもしれない。
鈴麗は、先ほどまでの怒りなど忘れてしまったかのように、酷く驚いた様子で重華を見つめていた。
「これは、陛下にいただいたお金ではないの。お父様が私にくださった贈り物を全て売って作ったお金なの」
晧月は今まで重華にさまざまな贈り物をくれたけれど、重華に現金を渡すということは今まで一度もなかった。
妃として必要となるだろう予算は割り当てられているようだが、それを管理しているのは春燕と雪梅であり、重華がそれを使うということもない。
何より、晧月から貰ったお金ならば、重華はこんな風に鈴麗に渡してしまうつもりもない。
こうして渡すことができるのは、元が丞相から貰った物だったからこそでもあるのだ。
「だから、なんだっていうの?今さら、自分が本当の娘だったって、私に見せつけようとしてるの?」
先ほどより勢いはなくしてしまったものの、それでも重華のすることの意味がわからないと、鈴麗は重華に詰め寄った。
重華は思わず少し身体を引いてしまったけれど、慌てて否定するように首を振る。
重華は決して、そんなことがしたいわけではないのだ。
「違うの。奥様は確かに悪いことをしたわ。今までずっとお父様を騙していたんだもの。許されなくても仕方がない」
そう言ってちらりと鈴麗の母を見れば、鈴麗の母はばつが悪そうに重華から目を逸らした。
「でも、鈴麗は違うでしょう?あなたは、何もしていない。ただ、知らなかっただけ。それなのに、いきなり追い出されるのは、あんまりだと思ったから」
丞相の娘ではなかった以上、丞相の娘として生活できなくなることは仕方がないのかもしれない。
しかし、裕福な生活から一転、無一文で追い出されてしまうほどの仕打ちを受けなければならないほど、悪いことをしたわけではない、少なくとも重華はそう思っている。
せめて新しい生活をはじめるのに困らないくらいの援助くらい、誰かからあってもいいのではないかと思ったのだ。
そして、その援助として、つい先日まで鈴麗を娘だと信じてかわいがっていた丞相から貰ったものを売ったお金というのは、ある意味ぴったりなのではないかと重華は思っている。
「でも、これから先、きっとお父様はあなたを助けてはくれない。私ももう、あなたを助けることはできない。だから、これは、あなたがこれから先、ちゃんと一人で生活できるように、その準備のために使って欲しいの」
「どう、して……?」
鈴麗だって、ずっと理不尽には思っていた。
丞相を騙しているだなんて、鈴麗は思ってはいなかった。
ずっと、丞相は自分だけの父親なのだと、信じて疑わなかっただけなのだ。
それなのに、いきなり父だと信じていた人に冷たい視線を向けられ、悲しかったし、全てを失って絶望した。
なぜ、自分がこんな目にあわなければならないのか、どうして誰も助けてくれないのか、そんなことばかりを考える日々だった。
けれど、重華に対しては、酷いことばかりをしてきた自覚がある。
よりにもよって、その重華がわざわざ手を差し伸べてくれるだなんて、鈴麗には理解ができなかった。
「あなたは、そんなこと思ったこともなかっただろうけど、私はずっと鈴麗と姉妹だって信じてたから。いつか、鈴麗にお姉さんって呼ばれて、姉らしいことができたらいいなって思ってたの」
お姉さん、と呼ばれることは、残念ながらもう叶うことはないかもしれない。
けれど、姉妹ではなかったとわかってしまったけれど、最後に少しでも姉らしいことを、そんな思いがあってのことだった。
もちろんそれだけではなく、自身の過去と重なって鈴麗を不憫に思う気持ちもあったけれど。
「あなたは、私なんかに貰うの、嫌かもしれない。だから強要はしない。でも、最後に、受け取ってくれたら嬉しい」
「鈴麗、貰っておきましょう?こんな大金、めったに手に入らないわよ?」
今にも再び手を伸ばしてしまいそうな鈴麗の母が気にはなったが、重華はただじっと鈴麗の行動を待った。
鈴麗からすれば、今まで下に見ていた重華から施しを受けるような状況は、受け入れがたく思っているのかもしれない。
もしかしたら、受け取ってもらえないかもしれない、重華がそんな不安を覚え始めた頃、ようやく鈴麗の手が袋へと伸びた。
重華はほっと息を吐き出すと同時に、自身が非常に緊張していたことにようやく気づいた。
「鈴麗、よかったわね。これだけあれば……っ」
そうして、再び鈴麗の母が袋に手を伸ばすと、鈴麗はその手を避けるように重華から受け取った袋を遠ざけた。
「鈴麗、何をするの?」
「これは、私が貰ったの。お母様にはあげないわっ!」
「何を言っているの!?それだけたくさんあるのだから、少しくらい、分けてくれてもいいでしょう!?今、どれほど大変か、わかっているでしょう!?」
鈴麗の言葉が気に入らなかったのか、鈴麗の母は力ずくで鈴麗からお金を奪い取ろうとしていて、鈴麗は今にも奪われてしまいそうな状況に追い込まれてしまっていた。
(どうしよう、このままじゃ、鈴麗に渡したお金が奥様に奪われてしまう)
やはり、ここに鈴麗の母を同席させるべきではなかった、重華がそんな後悔に襲われて居る時だった。
『ここにいるのは、全てあの娘ではなくおまえの味方ばかりだ。おまえが命じれば、どんなことでも従う。だから、困ったらすぐに、声をあげろ』
重華はふと、そんな晧月の言葉を思い出した。
「だ、誰か、奥様を鈴麗から引き離してっ!!ここから、追い出してくださいっ!!」
重華がそう叫ぶとすぐに、すぐさま衛兵が何人も現れ、鈴麗の母を拘束した。
鈴麗の母は抵抗するように暴れたし、助けを求めるように声をあげ騒ぎ立てていたが、あっという間に外へと連れ出され、姿が見えなくなってしまった。
(す、すごい……)
重華はなんだか自分が、ものすごい力を持ったような、そんな気分になった。
「鈴麗、大丈夫?」
鈴麗の母はいなくなり、一瞬で静まり返った部屋の中で、鈴麗はずっと俯いたままだった。
もしかしたら、怪我でもしたのかもしれない、と心配になり重華は鈴麗の傍に駆け寄って声をかけた。
「大丈夫」
小さな声だったけれど、返答はすぐに返ってきた。
重華はそのことに安堵し、これで全て終わったのだと、そう思っていた。
「ありがとう…………お姉さん」
「え?」
先ほどよりもさらに小さく、聞き逃してしまいそうなほどだったけれど、その音は重華の耳にしっかりと届いた。
「わ、私も、最後に呼んでみたかっただけよ」
鈴麗は俯いたまま、決して重華の方を見てはくれなかった。
それでも、はじめて姉と呼んでもらえたことが、重華はただただ嬉しかった。




