仮面の下の毒妻
クレアが僕にしがみついている。
さっき、僕とクレアのフリをしているルークとマーシャルに話しかけた“彼”のせいか?
遠くの彼らの様子を呆然と見つめてクレアの動きが止まっていた。
あの美しい“彼”に、何かがあるのか!?
知り合い……なのか……?
美しさに惹かれた……、そんな様子ではなかったが……。
「どうしました!」
トーマス司祭が駆け寄って来る。
僕とクレアは今はルークとマーシャルで夫婦じゃない。
しかも、僕はルークとしてマーシャルのフリをしていたクレアに、トーマス司祭の前で告白して振られている。
抱き合っている今の状況は不自然だ。
「マーシャルが足を痛めてしまったようで」
僕はそう言ってクレアを抱き上げる。
クレアの着ていた仮面舞踏会の短いドレスのせいで脚が露わになる。
抱き上げた後で、しまったと思う。
トーマス司祭も顔を赤らめて、クレアから目を逸らす。
「だ、大丈夫よ、ルーク。もう治ったから、自分で歩けるわ」
クレアに言われてすぐに彼女を地面に下ろす。
クレアの顔も少し赤くなっている。
なんて事だ、僕がクレアの脚を人前で晒すなんて……。
「マーシャルさんも一緒に、今夜このまま街を出ますから、お怪我がなくて良かった……」
気まずさを誤魔化すようにトーマス司祭が説明口調で言う。
「イリーナ様とはお話しされたんですか?」
クレアもさっきの衝撃を忘れたようにトーマス司祭と話している。
「はい……、急だけど聖都ヴァティウスにすぐ戻らなければいけなくなったと……」
教会から、この要塞都市の領主フェルゼン卿の悪事を探るように派遣され、その娘のイリーナと密会する仲になっていた男だ。
教会関係者と思しき人物に襲われたからすぐに聖都に逃げ戻るのは情け無い。
聖都に行きたい僕らにはちょうどいい事なんだろうが……。
「あ、トーマス司祭、マーシャルさん」
どこに行っていたのか、イリーナ嬢が戻って来る。
——“彼”を連れて——!
僕はクレアを見た。
クレアは“彼”を見つめて、微笑んでいた——。
◆◇◆
「マーシャルさん、ですか……」
イリーナさんに、私をマーシャルだと紹介されて、物語の黒幕のルシアンは困惑している。
私はマーシャルのフリをしているだけで、クレアなのだ。
しかも、そばにルークのフリをしたアイゼルがいる。
さっき、ルシアンがマーシャルとルークに会っていたのを遠くから見ていた。
2人が辺境伯の次男アイゼルとその妻を演じているのはバレているだろう。
だから、今目の前にいる私とアイゼルが2人と入れ替わっている事は察したはずだ。
現皇帝陛下と近い存在のルシアンは、皇帝陛下の隠し子を辺境伯の次男アイゼルの元へ運ぶ計画も知っている。
宮廷のマーシャルとも面識があり、ルークともすれ違うくらいはしてる。
そして、何故、“隠し子を運び場所がアイゼルの所なのか”理由も知っている。
ルシアンが、知らないのは、今のアイゼル自身と、その妻の事だった……。
「失礼しました。さっき会ったばかりの知り合いと、同じ名前だったので驚いてしまいました……」
ルシアンが言う。
「そんな、偶然もあるんですね」
私は内心の動揺を隠して答える。
マーシャルのフリをしている事が完全に裏目に出た。
ただの警戒されない町娘だったのに、マーシャルを名乗った事で完全に異物として認識されてしまった。
ルシアンの瞳は穏やかだけど、私を観察している。
アイゼルだって、本来の魔力の形を変えて、自分の出自を隠している。
ただの仮面の男として会えば、何も不審な所はない。
でも、ルークが完全に魔力が無いために、さっきのアイゼルとしてマーシャルと一緒にいた男が偽者だとすぐに分かったはずだ。
ルークとアイゼルは見た目がそっくりなのも裏目に出ている。
仮面をつけていても、私たち4人の入れ替わりは偶然では説明できない一致を示す。
知られていないはずの私とアイゼルの魔力の形がバレてしまった——。
私は、この物語の黒幕——ルシアンさえ知らない、原作にはいない貴族令嬢。
せっかくの優位性が、こんな所で損なわれるなんて——。
でも、ルシアンだって心のなかが読めるわけじゃない!
——私は、ただの無害なアイゼルの妻だ。
そう思わせる!
平民のフリを楽しんでいるの!
「ルシアン様は帝都からいらして領主館に泊まっているのよ。ちょうどお会いして戻られると言うから、一緒に帰ろうと思うの」
そうか、領主館に泊まっているなら、知り合いのはずね。
ルシアンが何をしにフェルゼンに来たのか?
2年後に、原作通りの行動を起こす為の準備だったのか?
「帝都から! 仮面舞踏会も華やかで素敵だけど、帝都も素敵なんでしょうね」
私はうっとりと言う。
「ええ。でも、あなたのような素敵なドレスは帝都では着れませんから、フェルゼンの方が自由ですね」
ルシアンに指摘されて恥ずかしくなる。
仮面舞踏会の盛んなフェルゼンだけで流行っているミニスカートのドレスを着ていたんだった!
「すみません! 高貴な方の前でこんな格好で!」
「仮面舞踏会で身分は関係ありませんよ」
ルシアンはどこまでも優しく穏やかだ。
そんな話をしているとアイゼルの身体が強張ったのが分かる。
アイゼルは私がルシアンを見ておかしくなったのを知っている。
だから、警戒はしているけど、それを表に出す事はしない。
今はルシアンに敵意を持っていなければいい。
正体を知られても仕方ない。
いずれは分かる事だった。
ただ、今の余計な警戒は相手の警戒を産んでしまう。
イリーナさんとトーマス司祭は一瞬だけ言葉を交わす。
始めから結ばれないことが分かっていた2人だから、それだけで伝わる事があるのだろう。
今夜、別れる前の一瞬の悲しみが私にも伝わる。
切ない気持ちで2人に気を取られた。
ルシアンに視線を戻すと、冷たい瞳が射る様に2人を一瞬だけ捉えた。
すぐに穏やかで優しい瞳が戻ってくる。
私は一瞬の出来事に言葉を失った——。
「マーシャルさん、最後に少しお話しがあるの。ルークは待っていて」
私はイリーナさんと少し離れた場所に行く。
アイゼルがじっと私を見てる。
アイゼルから離れると、思った以上にスカートの短さが気になってくる。
ただ、今はそれどころじゃない。
「イリーナ様、お話しって何ですか?」
「マーシャルさん……、いえ、クレア様」
イリーナさんの呼び掛けに、思考が固まる。
ルシアンだけでなく、イリーナさんも私の正体を探っていたの!?
「はじめてお会いした時に、グレン様があなたをクレア様と呼んでいたから、最初から知っていたんですよ、私。
トーマス司祭は気付いてないみたいですけど」
イリーナさんは何でもないことの様に言う。
「他人のフリをなさる貴方が面白くて、ふふふ。ごめんなさい」
唖然とする。
バレていたのなら、なんて滑稽な演技だったんだろう。
一瞬、ルシアンの事も忘れるくらい頭が真っ白になる。
「お話と言うのは、そのスカートですよ! いくら仮面舞踏会で平民のフリをしているからって、そんな短いスカートを貴族令嬢が履いてはいけません!」
「は、はい……」
イリーナさんの真剣な様子に頷くしかない。
いくらマーシャルのフリをするからって、着てしまった私がはしたな過ぎた……。
恥ずかしくて真っ赤になっていると、イリーナさんはさらに続ける。
「でも、それだけグレン様のことをお好きだったんですよね! どうしてもグレン様の想い人が知りたかったんですよね!」
そう言えばそんな話だった。
さっき、アイゼルがグレンの本当に好きな人が誰か言っていた気がするけど……。
「自分がグレン様の想い人だと知って、ダンスもできない程嬉しかったんですよね!」
私がグレンの想い人?
誤解があるけど、イリーナさんは、私がアイゼルに抱きついていた時の事を見ていたんだ……。
私がグレンを好きっていうのは、完全な誤解だけど、貴族令嬢が平民のフリをしていた理由が他で説明出来るかしら?
恋に狂ってしまった方が自然で説得力がありかもしれない……。
「クレア様には辺境伯の次男の冷たい旦那様がいるのは知っています。でも、私とトーマス司祭の恋は叶わないけれど……、あなたの恋は叶って欲しい……」
イリーナさんの悲しみが分かる。
自分が出来ない事をやっている、恋に生きる女を助けたいって純粋な気持ち……。
「……イリーナ様……、分かっていただけて嬉しいです……」
私はイリーナさんのこの純真な気持ちを利用する。
「お願いがあります。いつか帝都に行ってグレン様と二人っきりでお会いしたいんです。その時に、ルシアン様に協力して頂けないか、それとなく話していてくれませんか? 辺境伯の次男の妻には別に好きな方がいると——!」
——私は、ただの無害なアイゼルの妻じゃない。
アイゼルにとって、親友に恋する、とんだ毒妻なの!




